13、炎の記憶
骨と岩エリア。
小瑠璃がそう呼んでいるそこは、アビスに今棲んでいるモンスター、昔棲んでいたモンスター、あらゆる生物の遺骸が特に集積したエリアだ。
うずたかく積もった骨で、酸の泉は隠れてしまって見えない。
余談だが、かつてこの周辺を支配していたのは、
過去の栄華は有象無象の骸に埋もれて、だが時折炎を上げてその存在を主張する。
そんな骨と岩エリアの一角の、もはや誰とも知れない骨の欠片を、少女の華奢な足が踏んだ。
腰まであるふわふわの赤い髪、金の瞳、真っ黒な羊の角。魔族の少女ベルフェゴールが、袖も丈も長いコートを引きずって、勢いよく身をひるがえす。
小瑠璃と別れて一日。彼女は今、戦いの真っ只中にいた。
「わんっ!」
と鳴く声がベルフェゴールの背後から響く。左右からも響く。そこかしこから響いてくる。
徒党を組んだマロククネズミたちが数体、ベルフェゴールを取り囲み、骨だらけの洞窟の中を走り回っているのだ。
速い――とベルフェゴールは顔をしかめる。流石、敏捷だけならアビスでもトップクラスなだけあると、苦々しく思った。
わんっ!
わんっ!
わんっ! わんっ! わんっ! わんっ!
わぉんっ!
鳴き声が唱和する。ちぐはぐかつ奇怪な(といっても、ここで生まれたベルフェゴールにはこれが普通だったが)鳴き声が聞こえるたび、どんどん洞窟が明るくなっていく。
ネズミたちの周囲に発生した雷の球が、ばちばちと小さく放電を繰り返して辺りを照らしているのだ。
(サンダーか……十八番が出たわね)
一見は小さなそれは、放たれれば必殺の威力を持つ魔法の一撃。
マロククネズミが得意とする〈サンダー〉は、単純にして強力、純粋な雷系統の
……いや。
そもそもとしてベルフェゴールは自分が『魔族』……つまり、この大迷宮アレーナの端に追いやられた敗北者の一族だと自覚している。
だから、普段なら、今みたいにリスクのある戦いは避けなければいけない。慎重に慎重を重ね、城を築いて守りを固め、息を殺して生きる。そうやって、自分たちは今まで生き延びてきたのだから。
今、そうしないのは目的があったからだ。
八つの〈サンダー〉が一斉発射される。
一つでも取りこぼせば、大ダメージを受けた上で硬直。続くサンダーか、ネズミにたかられて食いつくされるだろう。
「……〈スロース〉っ!」
そんなプレッシャーに耐えながら、ベルフェゴールは〈スロース〉の魔法を発動させる。
全方位から殺到する雷が、命中の直前で停止の魔力に絡めとられて動きを止めた。空気に光のヒビが入ったような、幻想的な光景だ。
ベルフェゴールはもう一度、今度は〈サンダー〉発射の隙をついてマロククネズミに〈スロース〉をかける。
すばやい動きを予測して魔力の網を広げ、鬼気迫る気迫をもってとらえていく。
(こいつらを捕まえられれば、ヘルハウンドだって……)
そうだ。
そう思ったからこそ、ベルフェゴールはマロククネズミたちに喧嘩を売ったのだ。
ベルフェゴールは相手の情報を読み取るスキル〈鑑定眼〉を持っている。
スキルレベルが低いせいで自分以外はステータスの値しか見れないが……それによると、ヘルハウンドは耐久以外はアビス最強クラス。だが耐久は並より少し上しかない。
そこをつけば倒せる。倒す。倒してみせる。
その思いを乗せて、停止したマロククネズミたちに魔法を放つ。
「〈コメット〉!」
火と土の高等魔法。
赤熱した隕石がどこからか空中に出現し、砕ける。小さな破片がそれぞれネズミたちとぶつかって爆発した。
でも、まだ足りない。
「〈ショックウェーブ〉!」
空間魔法。空間を歪め、生まれた衝撃波をぶつける。が、足りない。衝撃波を調節してマロククネズミたちを一ヶ所に集める。そこに、
「〈ファイアボール〉っっ!」
自分がもっとも得意とする炎の高等魔法、特大の火の球をぶちこんだ。
それでやっと、周りが静かになった。
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸をするベルフェゴールの胸に、飛んできた経験値の光がすぅっと吸収される。手の平を見て〈鑑定眼〉を発動させた。
そして、ぎゅっと眉をしかめる。
ベルフェゴール・メラン・ディー/魔族/女性/15歳
Lv29(+1)
力:1412(+9)
耐久:1376(+7)
器用:1043(+17)
敏捷:1298(+32)
魔力:1523(+14)
総合闘級:竜級
タイトル:『怠惰』の継承者
アクティブスキル:〈スロースLV6〉〈瞬間移動LV2〉〈空間歪曲LV3〉〈ファイアボールLV9〉〈コメットLV7〉〈ショックウェーブLV7〉〈グランヒールLV5〉〈スリープシープLV10〉
パッシブスキル:〈怠惰LV6〉〈空間察知LV4〉〈空間魔法の知識LV2〉〈炎魔法の知識LV9〉〈攻撃魔法耐性LV4〉〈クリティカルヒットLV4〉〈鑑定眼LV3〉〈睡眠耐性弱化LV8〉〈麻痺耐性弱化LV6〉
「こんなんじゃ、あいつには届かない……!」
竜にも匹敵するステータスを持てば、普通、成長はそこでほぼ止まってしまう。そうならないのはひとえにここがアビスだからだが、それでも、これでは足りない。
「………………はぁ」
ベルフェゴールは小さくため息をついて、なんと、あれだけやってもまだ原型を留めているマロククネズミの死骸を一瞥した。
黒焦げになった、死体……
見ていると、あの日のことを思い出す……
―――――――
―――――
―――
―
起きて……
ベル、起きて……
起きないと、幹部会議に遅れてしまうよ……ていうかもう始まってるから俺が迎えに来たよ……
「ううん……もう少し……あと五年でいいからぁ」
「起きろっつってんだろ」
ズドン! と鳩尾に打ち込まれたチョップで運命の日は幕を開けた。
「痛っっったーーーーっい!」
そこは、廃墟と化す前の魔族城。
今は燃えてしまったが、大小さまざまな安眠用クッションが主の趣味で置かれた、ベルフェゴールの自室にて……痛みのあまりベッドから落っこちたベルフェゴールがお腹を押さえて転がりまくった。
「こ、こ、殺す気っ!? 自分の力がいくつかわかってんの、リーダーっ!?」
「さあ……最後に鑑定してもらったのがいつかすら忘れたよ……」
そう言ったのは、十五歳のベルフェゴールよりさらに幼く見える少年だった。ぶかぶかの大人用コートを着て、色素の薄い白い髪、白い肌をしている。
テンション低めの死んだ目から少し上、小さな額から一角獣の角が生えていた。
「ベル……あいかわらず『怠惰』のスキルに負けまくりじゃないか。修行が足りない……」
あきらかに呆れた視線にベルフェゴールはカチンと来た。
「いいのよっ、リーダーみたいなおじんと違って、私まだ十五才だし! まだ若いし! これからだし!」
リーダーと呼ばれた少年は小さく肩をすくめる。それがやけに大人びた仕草なのだが、それもそのはず、彼は見た目通りの年齢ではない。魔族四天王の一角にして、他の三人を束ねている立派な『リーダー』なのだった。
……そのくせ四人の中で一番低い身長がひそかなコンプレックスだということを、ベルフェゴールだけが知っている。
「そう……俺もまだ二十八だから、たまに『憤怒』を押さえきれないときがあるんだ。試してみる?」
びくっとベルフェゴールの肩が跳ねる。
この人を本気で怒らせたら……それはもうひどい目にあうと、小さい頃から刷り込まれている。
「お、起きるから、この前みたいにクッションと枕の中身全部石と取り換えるとかやめてよ……。リーダーは『憤怒』のくせに、やることが陰湿なのよ! このゴミミジンコ!」
「いいから早く支度しろよ」
「ごめんなさい」
とまあ、ベルフェゴールの毎日はだいたいこんな感じだった。
いつも通り、寝坊して。
いつも通り、リーダーがやってきて。ひと悶着あって。
いつも通り、最後には負けて頭を下げる。
残る二人にも頭を下げて、幹部会議がやっとはじまる。
この日もそうなる、はずだった。
「まあいい。さ、アスモデとマムが待ってる。行くよ……」
異常事態を知らせる警鐘が鳴ったのは、リーダーがそう言ったとき。
それからのことは、思い出したくもない。
炎。炎。炎。
「ヘルハウンドか。また厄介な化け物が迷い込んできたな」
「リ、リーダー」
「そうだな……ベルはアスモデとマムと合流して。なるべく多く住民を逃がすんだ。もうここには戻ってこれないだろうから、しっかりと次の拠点を見つけるんだよ。二人にもこの指示を伝えてくれ」
黙り込むベルフェゴールに、リーダーは諭すように言う。
「できるかとは聞かないよ。ベルフェゴール・メラン・ディー、君にはその責任と能力があるはずだ」
そう言われて、ベルフェゴールは呆然としながら聞く。
「リーダー、は?」
「俺は時間稼ぎだ。生きてたらあとで合流するよ」
いつも通りやる気のない目で、いかにも適当っぽく、でも本当は大真面目に、あの人は言った。
そして、死んだ。
―――
はあああああああーっ、と。
骨で作ったクッションの上、体育座りでため息をつく。
あの日、たくさんの魔族が死んだ。
ベルフェゴールは他の二人とともに残った魔族を連れ出したが、苔が生えた地域を通ったところ、大量のベルデゴーレムの襲撃に遭ってはぐれてしまった。
普段ならベルデゴーレムが襲いかかってくるなど珍しいのだが、ヘルハウンドに荒らされたせいで主の気が立っていたのだろう。
とにかく、ベルフェゴールはこの広いアビスで一人になってしまった。
「…………」
そのまま、細々と生きていくこともできたかもしれない。
初めて小瑠璃を見つけたとき、彼女を保護してそうしようかとも思った。
でもその小瑠璃を助ける過程で、もう一度ヘルハウンドに遭ってしまった。仲間の成れの果てを見て、思い出してしまった。
だからもう止まることはできない。
「最近、あんまり寝れてないな……これって『怠惰』を克服したうちに入るのかしら」
愚痴っぽく言って、目をつぶる。
少しして、浅い寝息がすうすうと聞こえてきた。
◇
ところかわって酸の泉エリア。
「お待ちかね! ステータスチェックの時間だよ!」
「や、そこまで待ってはないけどね」
ベル子ちゃんへの同行を断った以上、何はともあれ強くならないと始まらない。そう思った小瑠璃はあれから、酸の泉エリアにてむなしいレベリング作業にいそしんでいた。
……そして二、三回死にかけたところでちょっとくじけそうになっていた。
「あれから主にニワトリをけっこう倒したわけだけども、これステータス上がってるの?」
「何はともあれ、見てみるかい?」
はいどうぞ! とお尻を向けてくるナヴィを黙殺して、小瑠璃は浮かび上がったステータスを眺める。
沙ヶ峰小瑠璃
LV5(+4)
パワー:1022(+10)
耐久:1064(+11)
器用:852(+9)
敏捷:794(+10)
魔力:42(+30)
総合闘級:竜級
称号:ニート
アクティブスキル:〈無敵LV1〉
パッシブスキル:〈魔装:青色魔法少女LV1〉〈超再生LV2〉〈ド根性LV1〉〈加護LV2〉〈厚顔無恥LV2〉
「えー、解説のナヴィさん、この上がり幅はどうなんでしょうか」
「うーん、そうだね。元々のステータスが高かっただけあって、やや伸び悩んでいると言えるでしょうね。実況の小瑠璃さん」
「なるほど。何度か死にかけたのにこんなもんかよと内心つばを吐いていましたが、やはり低いんですね」
しかもニートはまだニート。こんなにがんばってサバイバルしてるのに。まさか金を稼げということか。無理に決まってんだろーが。
そう思い激しくやる気をなくしているところに、さらなる追い打ちがかかる。
「竜級に入ったあたりでステータスは伸び悩みますからね。あ、でも、魔力はちょっとちがいますね。元々ゴミのようだった魔力の小瑠璃さんが、高い魔力を持つニワトリを倒したにもかかわらずこの伸び幅ということは、やはり我々の設定した転生補正が悪影響を及ぼしているのではと思われます」
ぷっつんと、小瑠璃はキレた。
「……ああ、そうですか。殴ってもいいですか?」
「ダメだよ!」
直後放たれた渾身のパンチはしかし、ナヴィの〈加護〉によってむなしく弾かれるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます