10、死にかけた一日2




 岩陰に身をひそめ、息を殺す。

 小さな岩をへだてた向こう側では、苔むした岩の巨人、ベルデゴーレムが拳を地面に打ちつけた体勢で固まっている。


 飛び散った破片と煙にまぎれて、なんとか気づかれずに移動できた。

 それはまた、〈無敵〉のおかげで多少なりと敏捷が上がっていることも関係しているのだろう。それだけにムダづかいはできない。


 そう判断した小瑠璃は、いったんそこで〈無敵〉を解こうとして、


「それじゃダメだ小瑠璃、今すぐこのエリアから出るんだ!」


 その声でとっさに解除を思いとどまった、直後。

 隠れていた岩が一瞬で破壊される。衝撃で吹き飛ばされた小瑠璃はごろごろと地面を転がったすえ、あわてて起き上がった。

 そうしながら、どうして居場所がバレたんだろうと考える。


「〈無敵〉さんの輝きがまぶしすぎた……わけじゃなさそうだね」


 ついまともな生物として扱ってしまったが、そもそも目、ないし。

 植物エリアから出ろというナヴィの言葉を鑑みるに……


「こいつ、コケで感知してるのね?」


 水っ気たっぷりのコケを靴裏に感じながら小瑠璃は言った。


「ああ、その通りだよ」


 なるほど、最初から隠れるなんて無意味だったらしい。

 共生してるのか何か知らないが、このゴーレムはコケとつながっている。そして、小瑠璃がコケを踏んでいる限り、絶対に見失わないというわけだ。


 制限時間が来た〈無敵〉を、ここでまとい直す。


(なら、コケを駆除してみる?)


 浮かんだ考えは、ぞぞぞぞっとすごい勢いでクレーターを覆っていくコケを見て却下された。

 あれだけ大きい穴をあっさり埋められるとなると、このコケ、生意気にもかなり高レベルの〈超再生〉を持っているにちがいない。


 ……これ、詰んでない?


 また飛んできた拳を、前もって山カンで移動することでなんとか避けつつ、考える。

 こんな避け方ができるのは、相手の動きが単調だからだ。このゴーレム、体型だけでなく能力もアンバランスらしい。敏捷と力は怪物だが、どうやら器用はかなり低いと見た。


 しかし、総合力でこちらは大きく劣っている。

 このままでは死ぬ。そう確信したところで、そばを飛んでいたナヴィがすうっと地上に降り、コケの地面を踏んだ。


「僕がおとりになるよ! 君は今のうちにこのエリアから脱出するんだ!」


「ナヴィ……」


 お前ってやつは……


 なら遠慮なく。どうせ〈加護〉で無傷だろうし。あと空飛べるし。と、小瑠璃はちょっと感動しつつ、しかしいっさい迷いなくナヴィを切り捨てた。


 ものの、その背中に重い拳がぶつかる。

 小瑠璃はコケと地面を削りつつ、思いっきりふっ飛ばされていた。


「小瑠璃っ!!」


 ぱたぱたと飛んでくるナヴィの声を聞きながら、〈無敵〉がなければ即死だった小瑠璃はむくりと起き上がり、ゴーレムをにらんだ。


 ターゲット変更、できてないじゃん……

 いったい何がいけなかったんだ。体重か。ひょっとして、体重の差か。

 だとしたらいみじくも女子のはしくれとしてはショックだが、今はそんなことを言っている場合ではない。


「これは、こまったな」


 おとりも無理となると、これは奇跡にでも賭けるしかないということになってくる。たとえるならなんかこう、トラック事故のあとガス爆発が起き、さらに空から唐突にメテオが降ってくるとか、そんなレベルのイレギュラー。


 ……自分で言っててありえないと思うが、そういうのがない限り、生き残ることはもう不可能だろう。第二の人生がここで終了する可能性は、かなり高い。


 ここで死ぬ。しかも、かなり高確率で。

 死因は、なんだろう、圧死? いや、全身破裂か。まあろくな死に方ではない。

 そうなるだろうことを、頭に思い浮かべつつ、息をはく。


 今さらじゃん、の一言でそれを片づけたとき、小瑠璃は自分があのブタ神様に選ばれた理由をなんとなく理解した気がした。


変神変人を呼ぶ……あ、ダメだ。予想以上にショックを受けてる今)


 これはもう、こんな気分のまま死んでなるものか。

 覚悟を決め、来た道を引き返して走り出す。


 即座に反応したゴーレムが、一瞬で近づいて拳をふりかぶった。

 さっきと同じく、一度放たれれば反応さえできないそのパンチを前もってかわすべく、小瑠璃は前に跳ぼうとする。

 そのとき、視界のはしにちらりと映るものがあった。


 それは、もぞもぞと増殖し、今しがたふっ飛ばされたせいでできた破壊痕を埋めていく緑のコケ。

 そして――


 二回目の〈無敵〉が解ける。

 ほぼ同時、を見つけた瞬間に、小瑠璃は前に跳ぼうとしていた足を、思いきり方向転換した。

 そこを、ゴーレムの右の拳がとらえる。


「小瑠璃っ!?」


 おそらくは竜種さえ叩きつぶすだろうパンチが、直撃。

 地面にぶつかるまでもなく、もう死んでいる。そう思われた。


 しかし。

 吹っ飛ばされ、地面に衝突して横たわるはずの小さな体は、力強く両足をふんばり、両手で地面をつかんで、飛ばされた勢いを見事に殺してみせる。


「ナヴィ! こっち!」


 ナヴィを呼ぶ小瑠璃の体を、すっぽりと虹色のオーラが覆っている。

 ぎりぎり〈無敵〉が間に合ったのだ。ゴーレムの右拳のコケが削られて、岩肌が見えていた。


 見る見るうちにコケを再生させているゴーレムの動向を、小瑠璃はその場から動かずに見守る。あわててその隣に飛んできたナヴィが言った。


「何をしてるんだ! 早く逃げないと!」


「――待って」


 しかし、小瑠璃は動こうとしない。

 このままではまた、すぐにゴーレムの拳の餌食になってしまうだろう。言っているうちにもコケの再生が完了し、ゴーレムはまた動き出す。

 間髪入れず、地面を踏み鳴らし小瑠璃に襲いかかろうとして……できなかった。

 ハッとしたナヴィが言う。


「ひょっとして、ベルデゴーレムは君を見失ったのかい?」


「みたいだね」


 所在なげなゴーレムを前に、とんとん、と爪先で地面を叩く。黒く焦げた岩肌が、そこだけ剥き出しになっていた。


「なんでか知らんが、コケの生えてない地面があったの」


 どうやら運命の女神様にはまだ見捨てられていないようだ。ブタ神様が便宜を図ってくれたのかもしれない。


(今度、お祈りでもしたほうがいいのかな。や、調子乗りそうでイヤだな)


 ともあれ、これで、ゴーレムはこちらを認識できない。


「…………!! ……!!!」


 ゴーレムは十数分ほど、いらだたしげに辺りを徘徊したあと、怒り心頭といわんばかりに地面を踏みしだきながらどこかへ行ってしまった。

 ふう、と小さく息をついて、小瑠璃はひとりごちる。


「いやー、マジビビった」



 ○



 本当に死ぬところだった。

 いや、死の危険はいつだってオールウェイズなのだが、本日は中でも抜群にイベント盛りだくさんな一日だった。ニワトリしかり、ブラッディオイルしかり。

 今日はまだ残っているものの、これ以上のイベントはないと信じたい小瑠璃である。


「結局、あのゴーレムはなんだったの……」


 飛び石のように点在していた焼け地を伝って、植物エリアを抜けたところで聞く。

 たどり着いたここは、おそらくは酸の泉エリアから目指していた二択の一つ、骨と岩エリア。その植物エリアとの隣接部分である。よくわからない生き物の骨が、なだらかな坂道の上にカーペットのごとく敷きつめられている。


 ちょこちょこコケも生えており、油断すればまたセンサーに引っかかってゴーレムが飛んでくるかもしれないと、できたてほやほやのトラウマをくすぐる。


「この私を恐怖させるなんて……宿題がまるでできてない夏休み最終日、将来自分はどんな大人になっているんだろう? そう自問するあの瞬間くらいかと思ってた……」


「いや、そこは宿題すればいいんじゃないかな」


 それだけに、ぜひとも情報を握っていなければと思ったからこそ最初の質問につながるわけだ。だからつまり、いいかいナヴィ、それ以外の言葉は何も求めてないんだよ。

 そう目で語るとナヴィは折れてくれた。


「僕に渡されている情報によると、ベルデゴーレムは、正確にはモンスターじゃないんだ」


 小瑠璃は首をかしげた。モンスターじゃないって、ゴーレムはモンスターの代表格みたいなものでしょう、と。

 そりゃあドラゴンやスライムの知名度には負けるが、ファンタジーのモンスターはと聞かれればゴーレムがあがる確率は高い。小瑠璃でさえ知っているんだから間違いない。


「言い方が悪かったかもしれないね。ゴーレムはれっきとしたモンスターで、この世界にもいる。ただ、ベルデゴーレムは、便宜上名前はつけられているみたいなんだけど、ただの岩なんだよ!」


 ナヴィは一呼吸おいて、驚愕の真実を明らかにした。 


「君が戦っていたのは、あのコケ、いや、緑王苔主りょくおうたいしゅというモンスターが操っていた、ただの岩の集合体なんだ!」


「な、なんだってー」


 無表情で聞いていた小瑠璃に、そのとき電流走る。


「コケって、エリア全体に生えてたあのコケだよね。つまり、あそこはうじゃうじゃモンスターがいる危険地帯ってわけなのか」


 わかってんなら止めてよ。そう言おうとすると、ナヴィはちっちっち、と前足を振った。たぶんあれだ、指ふりだろう。


「ちょっとちがうよ。緑王苔主はそれ自体がひとつのモンスターで、小瑠璃が植物エリアって呼んでる場所に緑王苔主がいるんじゃない。緑王苔主がはびこっている地域一帯が植物エリアになるのさ!」


「こんな序盤でそんな化け物の名前出さないでよ……絶対いつか戦わされる流れできちゃったよ?」


「ごめんね、小瑠璃が何を言ってるのかわかっちゃいけない気がするんだ。だからコメントはできないよ」


 ともあれ、私らはそんな化け物の胃袋に入りこんでたのか、こえー、と戦慄する小瑠璃。

 さいわい本体に移動能力はないようであるし、二度と、二度と植物エリアには行かないことにしようと、ナヴィを握力ボールがわりにしながら決めた。


「〈加護〉をすり抜けてて、地味に痛い!」


「攻撃じゃなくて折檻だからセーフなんじゃないの、知らんけど」


 いや、そうじゃない。

 言いたいことは別にある。


「そこまで情報をお持ちのナビゲーターさんは、なんで私が植物エリア目指すのを止めなかったんですかね」


 まさか忘れていたとか? それとも聞かれなかったからとか? どちらにせよギルティーだ。

 しかし、答えはどちらでもなかった。


「じょ、情報によれば緑王苔主はおだやかな気性で、寄生してじわじわ生命力を吸い上げるやり方を好むはずなんだ! それがあんな危険地帯になっているなんて思わなかったんだよ!」


「今、火に油をそそいでいると自覚してる……?」


 たしかに、コケの浸蝕くらいならちょっとうっとおしいなレベルのことではあるけども。あるけども、さあ。

 いや、まあ、過ぎたことはしかたがないんだけど。


「ときどき私は自分の慈悲深さが怖くなるよ」 


 しょうがない許してやろうと、ナヴィを解放して肩に乗せる。……おとりになってくれてありがとう、とは恥ずかしいので言わなかった。


「ムダな体力を使った。今何時か知らんが、とっとと寝床を探そう」


「食料は探さないのかい?」


「疲れたの」


 もしかしたら何か持ってやしないかと、青いドレスのポケットに手をつっこんで中身をひっぱり出す。

 あったのは、燃える骨片少々に、光る惚れキノコがひとつかみ。

 ……惚れキノコ、かあ。


「思ったんだけど、これ食べたあと水に映る自分の顔見たらノーリスクなんじゃない?」


「それじゃナルシストになってしまうよ? ……いや、待って。よく考えたら、小瑠璃はもうなってるのかな? ……うーん、どう思う?」


「なんでそんな真剣に悩んでるの……私が自己肯定感にあふれていることは否定しないけど」


 まあ、実験はまた今度余裕があるときにしよう。

 なだらかな坂道を上りきった小瑠璃は、パッと目に入ってきた大きな物体を指さして言った。


「そんな私のカンから言わせてもらうと、あれなんか今夜の寝床にどうでしょうかナヴィさん」


 坂道を上がった目の前に広がっているのは、全長数百メートルにもおよぶ、うす暗く巨大な空洞。

 今まで通ったアリの巣状のトンネルや広場も十分馬鹿でかかったが、この空洞はさらに大きい。


 そのほぼ中央、小瑠璃の指さした先にある物体を見て、ナヴィはハテナマークを浮かべた。


「なんだいあれ?」


「ナビゲーターでも知らないことがあるのね。……一見は廃墟に見える」


「僕が知ってるのは教えられた情報にあることだけだからね! ……なんで迷宮の中に建物があるんだろう?」


 ぼろぼろになった……城? と、他にもひどい状態の建物が城の周りで町をつくっている。

 城の方はというと、なかなか立派なつくりで、骨に囲まれたちょっとおどろおどろしい感じがプチ魔王城とでも言うべき雰囲気をかもし出していた。が、廃墟だった。


 しかし、廃墟といえど物資ゼロということはないだろう。ベッドとか毛布とか色々、残っているかもしれない。

 行くべきか行かざるべきか、口元に手をあてて考える。


「あそこにいるかもしれない何かに対する警戒心と、久しぶりにベッドで寝れるかもしれない誘惑が、今、私の中で怪獣大決戦をしてる」


「どっちが勝ちそうだい?」


「ナヴィがどっちか応援してくれたら早いんだけどね」


 そう、こんなときほど情報が欲しいのだが、聞き出そうにもナヴィは何も知らないと来ている。


「……よし、決めた」


 考えたすえ、小瑠璃は折衷案を取った。


「潜入するから、異変を感じたらすぐ教えて。警戒レベル最大でお願い」


「OK!」


 かぎりなく警戒心さんの敗北に近い気がするが、気にしない。

 ナヴィがうなずいたので、小瑠璃はそろそろと前に進みはじめた。





 近づくと、町は思った以上に荒れ果てていた。

 そこらじゅうが黒く焦げて、ひどいところは大きな爪痕が建物の壁をえぐっている。城以外はほぼ半壊の様相を呈していた。

 観察しつつ、二人は壊れた建物のあいだをぬうようにして城に向かっていた。


「小瑠璃、気がついているかい?」


「……うん」


 小瑠璃はいったん足を止め、そこらじゅうにごろごろと転がっている物を見た。


 焦げて砕け散りかけている、たくさんの人の骨。


 この町は、いったい……?

 疑問以上に感じているのは、背中を炙られているような焦燥感。


「ここまで来といてあれなんだけど……私の直感が、今すぐ逃げろと告げている」


 ――それは、まったくの偶然だった。

 ふいに、小瑠璃の目の前を黒ずんだ炎が通りすぎていった。


「っ」


 ちりちりと、前髪の焦げる音。

 すぐ隣にあった半壊の建物が、次のまばたきで黒い粉となって宙に舞っている。


 偶然立ち止まっていなければ、問答無用で巻きこまれる位置だった。


「――っ」


 さっきのゴーレムなんて、相手にならない。肌でそれが解る。

 自分たちにできる最大限の警戒を、あっさり突破されて、気がつくことさえできなかった。

 いや、ちがう。

 警戒網にひっかかったとこちらが意識する前に、相手が行動を起こした。たったそれだけの、単純な話。


 低く、重く、地を這うような唸り声が、不気味なくらいゆっくりと、近づいてくる。


 そうして現れた相手は、犬。

 ただし、見上げるほど大きい。


 目は真っ赤で、体毛は漆黒。何かのスキルだろうか? ぼんやりと周囲の空気にその黒を滲ませている様子は、まるでこの世のものではないかのよう。


 地獄の猟犬ヘル・ハウンド――そう呼ぶのがふさわしい。


 小瑠璃が知らず一歩あとずさった、直後。

 怪物が一体、ギラギラと光る牙を剥き出しにして、怖気を誘う咆哮を高らかに闇へと響かせた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る