幕間1、キツネの神様と女子中学生




「あかん、間違えてもうた」


 どこまでも広がる白い空間――

 ふわふわと宙に浮かんでいるキツネにそうのたまわれ、いつのまにかそこに立っていた笛木知世ふえぎともよ十五才(中学三年生)は、ぽかんとまぬけ顔をさらすほかなかった。


「へ? いや、あの……え? ……え?」


 なにこれ?


 その、たった四文字+疑問符に集約される言葉がうまく出てこない。

 ここはどこ? わたしは誰……じゃない。目の前のキツネはなに?


 いったい、なにが起こったのだろう……?


 そんな、こんな状況になれば誰でも考えることを一通り考え、結局何もわからないことがわかる。

 仕方がないので、知世は勇気を出して目の前の人物(?)に話しかけた。


「あの……キツネのお方? つかぬことをおうかがいしますが、ここはどこなのでしょうか? 知世は……わたしはいったい……?」


「あかんわー、今日のわて、ホンマあかんどすわー」


 しかし、聞いてねえ。


「ええっと、無視しないでくださ……」


「よりにもよってあのブタに本命盗られてまうとは、困ったおすえー」


「む、無視しないで」


「うまいこと殺せた思てんけどなぁ、いなり寿司食いながら天罰マシン動かすんはあかんなぁ、うまくいかんおすえー」


「あ、あの……」


「まさか目当ての娘の友達を引っ張ってしまうとはなぁ、あかんどすわぁ」


「――今すぐその京都と大阪にケンカ売ってる喋り方をやめろぉ!」

 

 きょとんとするおキツネ様に、自覚なしかと知世は憤るものの、現状を思い出して我に返る。


「はっ……すみません、声を荒げてしまって」


 そうだ、こんなことをしている場合ではない。大事なのは現状把握である。自分の身にいったい何が起こっているのか、知世はもう一度考える。


 最も有力なのは……やっぱり、夢だろうか?

 たぶんそうだ。むしろそうであってほしいと思う一方、知世の脳内で段々と記憶がよみがえってきた。


 そうです、確か……



 ――――



 話は少し遡る。


 四月のとある一日。始業式の翌日という、気だるい朝の一コマ。

 中学校へと向かう道を、知世は友人と二人歩いていた。


「そういえばさ、昨日の帰り道、ものすごく大きいバナナの皮を踏んじゃったのよ」


「まあ! 怪我はしなかったのですか?」


 へーきへーきとうなずいて、いかにバナナが大きかったかを力説しはじめる友人。

 ……小学校以来の付き合いの、ほぼ親友と言ってもいい間柄の彼女だが、いまだに何を考えているのかわからないときの方が多い。


「あれだ、知世んちで飼ってるドーベルマンくらいはあったな……なんかこう、気持ち悪いくらい大きかった」


 ……それでも、いや……流石に、そんなバナナは存在しないだろう。


「そんな馬鹿な……いえ、またわたしを騙そうとしているのですね。お生憎様、いくらわたしが馬鹿だからといって、いつまでもだませるなんて思わないことです」


 ふんと鼻を鳴らして、知世は言った。


「――そう、可愛がっていたタコクラゲが成長すると本物のタコになると吹き込まれ、本気で泣いていたわたしは三日前の話……」


「どうでもいいけど、今のはそんなバナナってかましてからすべり芸に繋げるべきだったと思うよ」

 

「唐突なお笑い批評が知世に襲いかかる」


 そのとき、突如としてすさまじいクラクションの音が、知世たちが歩く道路に響き渡った。


 二人がハッとして音の出所を見れば、コントロールを失った大型トラックが、今まさに自分たちがいる歩道に向けて突っ込んでくる……


 一瞬にしてスローモーションになった世界の中、知世は思った。


 お父様、お母様。

 突然ですが、知世は死にます。


 どん、と強く体を押されたのはそのときだ。

 押したのが友人だとわかったときには、知世の目の前で彼女は、トラックごとすぐそばにあったデパートに突っ込んでいた。


 それだけでは終わらない。

 ガス管か何かに引火したのか、デパートが盛大に爆発して火を噴く。

 次いで、燃え上がるデパートに向けて、目にも止まらぬ速度で小隕石が落下する。

 

 それは、いっそ神の存在を信じたくなるほどの不運であった。

 知世は爆発の余波を受け、大きく吹き飛ばされて気を失ったものの、奇跡的に怪我はなかった。

 ただ……


 友人を含め、何十人もの死者が出たと報道されたのは、そのすぐあとのこと。

 そして、失意の底に沈んだ知世が死んだのは、その翌朝のことだった。


「そうだ。知世は涙がこぼれないよう上を向いて歩いていたところ、何故か落ちていた巨大バナナの皮を踏んづけて、頭をぶつけて死んだのでした!」


 思い出したくなかった。


 自分はなんて間抜けな死因で死んでしまったのか。

 これでは身を犠牲にして庇ってくれた友人に顔向けできないではないか。あの世で会ったとき、気まずいことこの上ないではないか……

 それに、両親にも悪いことをしてしまった。


『実は、……うちの娘、亡くなりましてね……ええ……………申し上げにくいのですが、バナナを踏んで…………頭を打ちまして……はい、打ち所が、悪かったんでしょうねぇ………ぅ…う、とても、よくできた娘だったのに…………うぅっ』


 なんて言わせる親不孝者、世界中探しても自分一人に違いない。最後願望が混じっている気がしたが、気のせいである。


 そんな知世の気も知らず、おキツネ様はふりふりと尻尾を揺らしつつ言った。


「思い出しよったならば、話は早い。あんさんな、そないな死に方かなわんやろ。そこでなあ、わてが転生させたろ思て呼んだんどすえー」


「……転生?」


「せや。本命とはちゃうけど、呼んでもうたもんはしゃーない。数撃ちゃ当たる、とも言うしなあ。どすえー」


 あの、あきらかに不本意そうな本音が漏れていますが。あともう土下座しろ。どすえーってなんだ、鳴き声か。


「いきなりそんなこと言われても、話が飲み込めないのです」


「あんさん頭悪いなぁ。ようは生まれ変わせたる言うとんのや。それもどえらい力のおまけ付き! どや、これ逃すと後悔するでー」


 ぐいぐいぐい、と迫ってくるキツネに気圧されつつ、知世は首を横に振った。


 その昔、件の友人に言われたことがある。

 あんた馬鹿なんだから、一見うまい話はとりあえず断っときなさい、と。


「ふ、普通に処理してほしいのです……転生なんて嫌なのですよ」


 それに、さっさと転生してしまっては天国(いや、地獄か)の友人に会えないではないか。


「そうです! 転生なんていいから友人に会わせてほしいのです! わたしより一日前に、交通事故で死んだ女の子に心当たりはないですか!?」


 キツネの胸元をつかんでがくがくと揺さぶる。

 どすえー、とされるがままになっていたキツネだが、そのうち何かいいことでも考えついたのか、にぃぃと嫌らしく笑って言った。


「その娘なら、あんさんより一足先に転生してまっせ」


 えっ、とキツネを揺らす手が止まる。


「それは本当なのですか?」


 こくこくと頷くキツネに、知世は微妙な表情を浮かべる。

 自分にはああ言っておいて、それは……うん、それはないのではないか。


 そう思いつつ……いや、彼女なら乗るかもしれないとも思った。

 頭は回るくせして、基本何も考えていないような気がしてならない人物なのである。

 

 ともあれありえないことではない。だから、相手の言葉を一笑に付すことはできない。


「これでする気になったやろ? 転生」


 それがわかっているのか、いないのか。知世の顔を覗き込んでキツネは言う。

 少し考えたあと、知世は、


「…………、わかりました」


 おずおずと頷くと、いつのまにか、意識は暗闇のなかへと溶けていた。



   ○


 

 ここではないどこか。

 地球ではない、異なる世界。


 そこはただひたすらに広く、強大で……人々はいまだ己の住む世界について知らず、自らが暮らす狭い領土を守ることに躍起になっていた。


 領土の名は、エストライア大陸。現在、世界にただ一つだけ確認されている大陸である。

 南北をほぼ二分する『不定の国境線』を境に、北方には魔王によって統治され、強大な魔物がひしめく『万魔領パンデア』、南方には数多の人間国家から成立する『人類連合アルリエス』がそれぞれ存在し、絶えず争いを続けている。


 また、大陸東端には『アビスの大穴』が口を開け、大海底洞窟『深淵回廊アビス』の入口となっている。

 この大洞窟は、その昔魔王を生んだ土地であり、大陸そのものが迷宮であるという伝説上の大陸『アレーナ』に続いているとも、その一部とも、まことしやかに伝えられている……


 しかし真偽を確かめた者はなく、たとえどれほどの勇者であろうと、一度中に入り、再び帰ってきた者はない。ゆえに洞窟は永い時間をかけてお伽噺の領域となり、入口である大穴は、決して触れてはならない禁忌とされた。


 その大穴に接する、ただ一つの国が存在する。

 クォーツブルク、そう呼ばれる国である。

 北方の万魔領からの侵略だけでなく、大穴の影響で強大になった魔物たちの脅威にも晒される中、他国を守る盾の役目を長きにわたって果たしてきた古豪。急峻な山々に囲まれながらも、豊富な鉱物資源と鍛冶技術によって大いに栄え、詩より武勇を尊ぶ剣の国とまで言われる、そんな国。


 しかし、そんな国にも、花のつぼみが綻ぶ日は来るものである。

 その日もちょうどそうだった。



「生まれたか!」


 クォーツブルク王宮、謁見の間。

 風に乗って聞こえてきた赤ん坊の声で、まだ若い王が喜色満面で玉座から立ち上がる。


「お、王……どうなされた?」


 ひざまずき、王と謁見する名誉を賜っていた壮年の男が、顔を上げて戸惑った声を出した。

 王は照れたように笑うと、王冠を脱いでひとまず玉座に置く。およそ為政者らしくない、しかし、なんとも魅力的な表情をしていた。


「誠にあいすまぬ! 我が子が生まれた故、使者殿においてはしばしここでお待ちいただきたいのだ」


「ちょちょ、待たれよ陛下!」


 同席していた大臣の制止も聞かず、王はいそいそと謁見の間をあとにした。

 王宮の廊下を、生まれた我が子の声をたどって走っていく。あまりの速さに、すれ違った侍女たちが風か何かと間違えるほどである。

 

 王にはすでに王子と王女が一人ずついた。しかし、子供は何人いてもいいものだ。自分と妻、今度はどちらに似ただろうか……そんなふうに、思いを膨らませながら走る。

 まもなく王妃の部屋に到着すると、盛大な赤ん坊の泣き声が彼を出迎えた。


「王子か、それとも王女か!」


「娘ですわ、陛下。あなたにそっくりで、元気いっぱいな」


 開口一番に声を弾ませて言った王に、少しやつれてはいるものの、美しい王妃がからかうように笑いかける。


 彼女が横になっているベッドの隣には、五歳になったばかりの第一王女と、王女と手をつないだ三歳の第一王子が立っている。

 そして生まれたばかりの小さな赤ん坊は、王妃の腕に抱かれて盛大な泣き声を上げながら、内心で首をかしげた。


(…………え? …………あれ? あれれ?)


「おお! 娘か! かわいらしいのう!」


 我が子の顔を覗き込み、王は満足げに頷いた。

 一方で、当の本人である赤ん坊……第二王女になったらしい知世はまだ状況を把握できないでいる。


(え、え、なに? なんなのですか、これ?)


 本気で途方に暮れそうになったとき……転生という二文字が脳裏に浮かんだ。キツネと話した内容が、それをきっかけに頭のなかによみがえってくる。

 どうやら、生まれ直したショックで一時的に記憶が飛んでいたらしい。


(転生……って、もしかして赤ん坊からなのですか!? というか、さっきから泣きたくないのに声が止まらないのですっ!)


 その結果、おうおう元気よのう、と王を喜ばせる始末。

 何がなんだか、知世はもうわからなくなってきたが、転生した第一目的を思い出して正気に返る。


(そうです、小瑠璃は!? 一日先に転生したのですよね!)


 考えるのは、ほぼ親友と言ってもいい間柄の友人のこと。

 一日先に転生したなら、自分より一日早くに生まれているはず。そう思って気を取り直し、そこでハッとなる。


 よく考えれば……

 自分が転生?したこの場所がどのくらい広いかはわからないが、その程度のヒントで、たった一人の人間を見つけることができるのだろうか?


 いや、そもそも……人間とは限らないのではないか?

 イニシャルGだったりミジンコだったり、取るに足らない畜生の類に転生していたら、どうしよう?

 

 そんなことも考えず、迂闊にうんと言ってしまった己の馬鹿さ加減を知世は呪った。

 しかし、後悔しても後の祭り。故に馬鹿は馬鹿なのである。


 ああ、泣きたくなってきました。もう泣いてるけど。


「おぎゃぁっ! おぎゃぁっ!」


「うむうむ、強い子に育てよ! お前の名はシフレ、シフレ・クォーツブルクである!」


 こちらの気も知らず笑う父に、ちょっと殺意が湧く。


 だが現実は非情である。

 そんなこんなでこの日、クォーツブルクには新たな王族が……笛木知世あらため、クォークブルク第二王女、シフレ・クォーツブルクが誕生したのだった。



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