六話(一)
空が橙色に染まり、東から徐々に夜の帳が降り始める頃。辰刻では酉の刻あたり。
都の上空を舞うのは、
「なに、これ……」
銀の毛並みが美しい狐姿の
僅かに肩を揺らしているのは、移動途中で女性体への変容が始まってしまったためである。金色の髪と緑色の瞳は陽の下では眩しいほどだ。
本来であれば朔の日は染料を使い髪を黒く染めるのだが、今回ばかりはその余裕も無くそのままであった。
「まるで百鬼夜行だね……。なんだってまた、こんな時間に……」
浅葱とは対照的に、軽い口調で朔羅がそう言う。
彼の言葉を借りるなら、まさに百鬼夜行。一体一体は大した力を持たない『雑魚』ばかりであったが、半端ではない数の
当然、通りには人がいた。
単体の力が子鬼ほどの弱い種族であっても、今の浅葱には荷が重い状況だ。楽観はできない。
「この手の妖は、子の刻以降に活動するものに、どうして……」
現状の異常さを感じて、浅葱は改めて先ほどの颯悦の忠告が正しかったと感じた。
「降りるよ、浅葱さん」
「うん」
ゆっくりと降下を始めた朔羅に、浅葱はこくりと頷いた。
そして胸元に仕舞いこんでいたそれぞれの式符を取り出し、空中へと放つ。
「
口早に彼女がそう言えば、式符は人の形を作りそして短く返事をくれる。
そして主の言葉に従うべく、それぞれは地にたどり着く前に散った。
「朔羅は私の援護を」
「御意に」
眼前へと迫る地面をへと浅葱は飛び降りながら、そう言葉を続け片足が地に着く頃には印を結び、術を放ち始める。
着地と同時に人の姿に戻った朔羅は、そんな主の背を守るようにして立ち、襲い来る妖たちを牽制した。
本来、朔羅ほどの力の持ち主であればこの程度の妖がいくら群れたところで一掃するのは容易いことなのだが、『浅葱の式神』として仕えている時は彼は助勢に徹して、滅多なことでは自ら手を出したりはしない。
現在も牽制のみで、直接的な攻撃は全て浅葱が行っていた。
世に知られる陰陽師と違い、浅葱の戦い方は特殊だ。
懐にある札を使い、妖を弱らせ、それに吸い込む。吸い込んだ札は真っ黒に染まり、浅葱の力で封される。何度かそれを繰り返して、最終的には『門』の向こうで封を解き、彼らを魔界に還すと言う行動を選んでいるのだ。
その方法は、決して賞賛されるものではない。実際、他の陰陽師からは異端のすることだ、と言われ続けている。
それでも『陰陽師・浅葱』は、その
――だが。
「……浅葱さん、これじゃキリがないよ」
朔羅が肩ごしに、そう告げてくる。
妖の数が、半端ないのだ。いくら姿を消そうとも、同じ数だけまた眼前に迫る。
浅葱の体力と能力低下を思えば、限界が見えてくるのも時間の問題だ。
実際、既に彼女の肩が大きく上下している状態だ。相手を弱らせるために放つ術がどんどん体力を奪い取っている上に、その術の発動率まで低くなり始めている。
無駄な力は一切使えない状態であった。
(集中、しなくちゃ……)
浅葱は心の中で、自分にそう言い聞かせる。
呼吸が荒くなり始め、集中力が落ちているのだ。
それでも彼女は、その場に立ち続けた。
「……おかしいね」
「うん……これだけ数がいても……さっき、屋敷で感じた妖気が……どこにも、ない……」
背中合わせで交わされる会話。
僅かな違和感を最初に感じ取ったのは朔羅で、浅葱も彼のその言葉に気づいた点があったようだ。
目の間に広がるのは意思の疎通も測れないような、十把一絡げな妖の群れ。
九条邸で一番最初に妖気を感じた時には、ほんの一瞬であるが肌を刺すような禍々しい気配が確かに混在していた。
それがこの中にいるはずであるのに、現在は感じられない。
「――浅葱さまっ!」
思考に割り込んだ、男の声が響いた。
それに振り向けば、一瞬の後に浅葱の体は賽貴の腕に抱きとめられていて、その脇では一体の妖が咆哮を上げて崩れ落ちているところであった。
「さ、賽貴……」
「気を抜かれてはなりません」
「う、うん……ありがと……」
疲労で散漫になっていた浅葱に注意を促し、賽貴は手にしていた菱形で白群色の石を、地面に勢いよく突き立てた。
――キン……。
金属に似た音を立てて、空気が振動した。そしてその直後、辺りの妖たちの動きが制限される。
その石は『
「ここ一帯に、結界を構築しました。この範囲内で、あれらの動きを止められます」
賽貴は石の状態を見やりつつ、浅葱にそう言う。
浅葱はそんな彼に小さく頷いて、確認のために辺りに視線をやる。
賽貴の言葉どおり、妖たちは一定の場所から外には出られないようであった。結界の構築部分を確認した各式神たちも、浅葱の元へと戻ってくる。
「浅葱どの、まずは息を整えるが良い。準備が整えば、妾が賽貴どのの合図でここに『扉』を開きます。それと同時に退魔なさりませ」
「援護は、我々が」
「……うん」
白雪の言葉に颯悦が続き、浅葱は大きく深呼吸を繰り返し始めた。
浅葱の背後を守っていたはずの朔羅の姿はそこにはなく、彼は賽貴が現れた直後ほどにその場をそっと離れて、空へと移動していた。
「…………」
どうにも、おかしい。
肌に感じる違和感が、どうしても拭えない。
賽貴の結界であの妖たちの一掃は出来るだろうが、不安が消えないのだ。
大きく息を吸い、朔羅は目を閉じて、違和感の正体を探るために空気を読み始める。
(こういう事は、颯悦の方が得意なんだけど……)
感覚の鋭敏な盲目の式神を思い浮かべて、彼は僅かに唇に笑みを乗せた。
その、直後だ。
「……、え?」
朔羅の肩が、びくりと震えた。本能で何かを瞬時に感じ取ったのだ。
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