二話(一)
「藍、少しは口を慎みなさい」
二人の背がきちんと廊の角を曲がるのを見届け、
「お前たちは、一体何をしに来たんだ……」
続けた言葉は、半ば独り言のような響き。
それを聞いた藍が、よく聞いてくれたとばかりに顔を輝かせた。
「アタシたち、迎えに来たんです! 賽貴さま、いつまでこんなところにいるの? アタシたちの世界に帰りましょう!」
「あ、あの、止めたのですが……」
おどおとと、首をすくめている琳と、無礼な態度を直そうとしない藍。
二人を見比べて、賽貴は思わず額を押さえていた。
正直、この二人は苦手だ。
相手をすると今のように、調子が狂ってしまう。それに、先ほど席を外した浅葱のことも気がかりであった。
「――……琳。以前に『帰れない』と伝えてあったはずだが」
瞳を潤ませながら詰め寄る藍から逃れるようにして、賽貴は琳を軽く咎める。
すると琳は、幾度目かの平伏のあとに口を開く。
「も、申し訳ありません……。藍が、どうしても自分の目で確かめたい、と我侭を……」
「何よ、琳っ! アタシが全部悪いみたいな言い方しないでッ!」
(……頭が痛い……)
キン、と響く少女の声音に、賽貴はもう何度目か知れないため息を漏らした。
彼の眉根の皺は一層深くなる一方で、このままではそのままの表情になってしまうのではないか、と思える程だ。
「……面白そうな話をしておるの」
「きゃっ!?」
「なっ!?」
一瞬、冷たい空気を感じたかと思える直後。
突如、背後から掛けられた声に慌てて二人は振り返った。その視線の先にいるのは、限りなく白に近い青色を持つ美女であった。整えられた眉と、冷たくも艶のある唇が印象的なその女性は、浅葱の式神の一人である
「無断で『門』をくぐり抜けた輩を追って来てみれば……賽貴殿の
そう言う彼女の背には、縦一筋の空間の歪みがある。『それ』を自在に構築出来るのは白雪のみであるために、確かめなくとも彼女がそこから現れたということは想像がつく。
「……すまない」
「よい、特に咎めはせぬ。……なんとも、可愛らしい乙女心ではないか」
心底済まなそうに謝罪の言葉を投げかけてくる賽貴に対して、白雪は藍に視線を送りながらゆったりと返事をした。にこり、と微笑むその姿が尚の妖艶さを醸し出している。
「そちらの兄者殿は、苦労人のようであるが……」
次に視線を移されたのは、琳にであった。
その言葉を受け止めた彼は、ゾクリ、と背筋に走る冷たく強い妖気に僅かに身を震わせる。
何をされたわけでもない。ただ、笑いかけられただけ。それだけのことであるが、本能が彼女が並の存在ではないと告げているかのようだった。
(……やりにくい……)
思わず、琳の本音が内心で漏れる。
「今日はもう、
白雪は笑みを崩さぬままでそれだけを言い残すと、再び歪みの中に姿を消した。
彼女は浅葱の式神であると同時に、『門番』でもあるために、何かと多忙でもあるのだろう。
「……素敵な方……」
白雪の言った『可愛い』に気を良くしたのか、彼女の消えた空間を眺めながら、藍がうっとりとため息を漏らしている。
それをよそに、賽貴は白雪の言葉の意味を反芻していた。
そもそも『門』とは、人間界と魔界の間の各所に存在し、常に開いているもの。それが『閉じる』と言うことは通常ならばありえない。
だが、白雪は『通れる門が無い』と言っていた。
それはつまり、門番である彼女がそれらを閉じるという事だ。
琳と藍が禁を破って無断で門を使用した事を気にしていたようでは無かったが、二人への罰か、それとも別の意図があるのか。その真意は測れなかったが、誰も通す気がないという事だけはよく解る。
一定以上の力を持つ者ならば自力で門を開く事も可能だが、この双子の力では無理だ。
かと言って、自分が門を開けば『一緒に帰ろう』と藍が言い出すのも必至だと思い至る。
「……、お部屋をお借りするから、お前たちはここで大人しくしていなさい」
そこまで思考を巡らせて、賽貴は半ば諦めたようにして嘆息して立ち上がり、極めて抑えた声で付け加える。
「ご迷惑をかけたらその場で追い出すから、そのつもりで。この界に害をなすような真似をするのであれば……解っているな、琳」
「……はい」
――お前たちであろうと、容赦はしない。
冷たい響きの言葉に琳は身を硬くし、再び頭を深く下げる。それを見届けた賽貴は、その場を後にした。
「賽貴さまぁ……」
「藍……わきまえてくださいよ、もう……」
一貫して無視される形となった藍が、不満げに非難の声を上げた。
琳はその隣で、疲れたと言うような表情で嘆息していた。
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