第240話 先輩の友人
「………。それで……どのへんから見てたのよ」
「ええと、たしか『お望み通りもう一度言ってあげるわよ──」
「──わかった。もういい」
リーゼ先輩は俺の言葉を手で遮ると、突然ガバッと頭を抱え込み──、
「あ~もう! ほんっと私どうしちゃったのかしら! どうして大先輩にあんなことっ! どうして人前であんなことっ! どうして! どうして!」
両足をバタバタさせて激しく悶えだした。
それはもう、テーブルに額を打ち付けんばかりの勢いで。
遠巻きに先輩の知り合いと思しき生徒が見ているが、そんなこともお構いなしだ。
「こんなの私じゃない! 私じゃない! そう! お酒のせいよ! お酒のせい!」
髪を掻きむしり、しばらく悶絶していた先輩だったが、
「お酒のせい……おさけの……おさ……」
テーブルに突っ伏したまま急に動かなくなってしまった。
「……リ、リーゼ先輩、大丈夫ですか──」
心配になった俺はそっと声をかけたのだが──先輩はふいに頭を上げたかと思うと、虚ろな視線を天井の隅あたりに彷徨わせながら──、
「しにたい」
ぼそりと呟いた。
「ちょ、ちょっと先輩! 怖いことを──先輩?」
焦点の定まっていない先輩に驚いて肩を揺するが、まったく手応えがない。
首から上だけがぐるんぐるんと回り、まるで首の取れかかった人形で遊んでいるような状態だ。
乱れたきった紅い髪が頭部全体を覆う様相は、顔のない新種の魔物にもみえる。
「い、いま水をもってきますので、少し待っていてください」
俺が席を立とうとすると──、
「……わたし……」
ぼさぼさの髪の隙間から小さな声が聞こえてきた。
そして先輩は、脱力しきった状態のまま、ぐでん、と立ち上がると──、
「……かぜにあたってくる」
──とだけ残して、髪も直さずふらふらと外に出ていってしまったのだった。
◆
賑やかさのいっそう増した、離れの一室。
ポンコツと化した先輩が出ていってしまったため、ひとりぽつんと取り残された俺は、手持ち無沙汰になり、さて、どうしたものか、と室内を見回した。
中央に置かれている二十ほどの円卓は、いつのまにか武術科の生徒によってほぼ埋められてしまっている。
その真ん中で、両手に酒瓶を持つ殿下が、生徒らを相手に酒を振舞っている。
いま俺が座っているような壁側に配置された四角い卓も、遅れてきた生徒がぽつぽつと座り始めていた。
最初、ちらっ、と見たときよりもだいぶ生徒の数が多くなっている。
いや、というか、どんどん人が増えているんじゃないか? これ……
今もまた数人の集団が室内に入ってくるところだ。
そしてその後ろからまたひと組。その後ろにも──。
次から次へと、従業員に案内された生徒が扉の先に顔を見せる。
おいおい……最終的には、いったい何人になるんだよ……
そんな中、顔を隠すようにローブに身を包んでいる俺は却って目立ってしまいそうだが、大声を張り上げながらいまも酒を大盤振る舞いしている殿下のおかげで、こうして部屋の隅にいる限りはその心配もしなくてよさそうだった。
殿下が目立ってくれればくれるだけ、俺は助かるが……
こうしてみると、魔法科の制服を着たフレディアが樽の中で寝させられているのも、あながち不当な待遇ではなかったのではとも思えてくる。
あの騒ぎのなか、魔法科の生徒がいたらどうなっていたことやら。
まあ、殿下がそこまで考えていれば、の話だが。
ハウンストン先輩の姿を探すも、やはりいない。どうやら遅れているようだ。
オリヴァーは──アイザルが気になるのか。
奴から身を隠すように、俺とは反対側の部屋の隅で隠れるように小さくなっていた。
ちょっと話しかけてみるか──
まだ来ていないハウンストン先輩のこともあり、昨日のその後の様子と合わせてオリヴァーに聞いてみようか、などと思案していると、
「失礼ですが、リーゼさんのお知り合いですか?」
俺に向けられたと思われる、女性の声が耳に入ってきた。
そちらを向くと、武術科の制服を着た女性が三人、並んで立っていた。
さっきリーゼ先輩を遠巻きに見ていた人たちだ。
俺は、習慣のように制服の刺繍を確認した。と、そこには一本の線。
そして腰には剣を帯びている。
剣……ということは、リーゼ先輩と同じ剣派の生徒だろうか……
その剣がなければ、そして武術科の制服を着ていなければ、とてもではないが武術に精通しているとは思えない、それほどに、三人が三人とも女性らしく、しなやかな体つきをしている。
そして、表情もとても穏やかである。
察するに、部外者の俺を怪しんで、というようなことはなさそうだが……
などと、外見から諸々と判断しつつ立ち上がると──、
「突然声をかけてしまい、失礼しました。あのリーゼさんが男性と会話をしているなど、とても珍しい光景でしたので──」
声をかけてきたのは中央に立つこの人だろう。
室内でひとりだけ異色な格好をしている俺の格好を物珍しそうに眺め──、
「──貴方も噂を聞いていらっしゃったのですか?」
そう続けた。
噂……?
「いえ。私は昨日リーゼ先輩にここに来るよういわれて……その本人は先ほど風に当たってくるといって出ていかれました」
すると、中央に立つ女性が、
「具合悪そうでしたね……リーゼさん、お酒を飲むのは今夜が初めてだったみたいですから」
同情するようにそう言うと、続いて、
「彼女が先輩に逆らうところも初めてみましたね」
「普段おとなしいリーゼ様が、あのように豹変なさるなんて……」
両隣の女性が交互に口を開く。が──、
「おとなしい、ですか……?」
右側の女性の言葉に驚き、つい訊き返してしまった。
無駄に会話を引き延ばしたくなかったが、仕方がない。
俺はおとなしいリーゼ先輩など存在するはずないと思っているのだから。
「あら。ご存じないのですか?」中央の女性が目を見張る。
「私は外部の者なので……」俺がそう答えると、
「そうでしたの」──中央の女性は少し誇らしげに胸を張り、
「リーゼさんって、我が学院に於いて模範生のひとりとして選ばれるほど品行方正なお方なのですよ?」
そう教えてくれた。
ひ、品行方正……?
「誰もが憧れるあのリーゼが……お酒って怖いわね」
左の女性が眉を寄せると、
「いままではどのようなことがあっても規律を守り、理不尽な先輩方に対しても敬意を払っていらしたのに。今夜は少しお酔いになっていらっしゃるのでしょうか……」
右側の女性がリーゼ先輩を心配するかのように、先輩が出ていった扉の方に目をやる。
誰もが憧れる……?
意外だった。
確かに、ぱっと見だけでいえばそうかもしれないが、中身は正反対だ。
俺なんて出会ってすぐに手合わせを挑まれたし、舞踏会の直前にはヴァレッタ先輩に会って即、再戦を要求していた。とにかくあの人に対しては好戦的という印象しかない。
気に入らない相手なら誰彼構わず食って掛かっていく。それがが先輩なんだとばかり思っていたが、そうでもないのだろうか。
破天荒を絵に描いたような性格をしているあの先輩に、そんな一面があったとは。
俺の知る先輩と学院での先輩。どちらが素なのか本人に確認してみたいところだ。
いや。本当に驚かされる。
アイザルみたいな奴を放置していたのも、規律を遵守する模範生として、そうせざるを得なかったからなのかもしれない。
「それで、貴方は──」
貴重な話を聞けたことに、つい考え込んでしまっていると、中央の女性が口を開いた。
我に返った俺は咄嗟にその言葉の続きを拾うと、
「──私はリーゼ先輩が戻られるまでしばらくここで待つことにします」
今まで座っていた椅子に視線を落とした。そうすることで、暗にひとりにしてくれ、と告げたのだったが、その前に──、
「──と。先ほどのお話についてひとつお伺いしても?」
会話中、気になったことがあったので、中央の女性に対して立った姿勢のまま訊ねた。
なんでしょう、と、女性が許可を出してくれたので、
「さきほど言われていた、噂、というのは……」
そう質問すると──。
「リーゼさんたら、お招きしておいて大事なことを伝えていないだなんて。──なんでもこちらにラルクロア=クロスヴァルト様がお見えになるとか。真偽のほどはわかりませんが、あの『無魔の黒禍』をひと目見られるのなら、と武術大祭の稽古もそっちのけでこうして集まったのです」
「派を超えて一堂に会するなんて、大変久しぶりのことですね」と、部屋を見回しながら答えてくれた。
なるほど。
それでこんなことになっているのか。
しかし噂にまで発展するとは……
先輩が敵視するアイザルや他の派の生徒がこの場にいるのも『無魔の黒禍』目当てにやってきたからなのか。
『噂』について確認できた俺は──、
「そうだったのですね。教えていただきありがとうございました。──では」
これで会話は終わり、といった空気を滲ませつつ、席に座ろうとした。──のだが、その寸前、
「それで貴方はリーゼさんとはどういったご関係なのですか?」
興味深そうな顔で質問を返されてしまった。
「いや……」
一瞬言葉に詰まってしまった俺を三人は見逃してはくれなかった。
「リーゼラルテではなく、リーゼと呼んでいましたよね。もしかして……」
「え……」
「でもカトレア。リーゼのことを『先輩』って呼んでいたから、そういう関係ではないのでは?」
「いや……」
「でも、先ほどはリーゼ様のお身体に触れられて……とても親しげに……」
「いや、ですから……」
そうこうするうちに──、
「噂目当てではないとすると、リーゼさんはどうしてお誘いになったのでしょう」
「やはり特別な関係であることには違いなさそうね」
「特別……? リーゼ様が異性と特別な関係をお持ちになっていらっしゃるのですか?」
三人は『あーでもない』『こーでもない』と、勝手に盛り上がり始めてしまった。
目の前にいる俺の存在など、もはやどうでも良さそうだ。
しかし……
それこそ俺とリーゼ先輩との間に変な『噂』が立ってしまったら、リーゼ先輩になにをされるかわからない。
アリーシア先輩のように、すぐあらぬ方向に勘違いする女性もいる。
そんなことにでもなってしまったら厄介だ──と、
「リーゼ先輩とはともに鍛錬をしているだけの関係です。今日招かれたのも、先輩からはハウンストン先輩の快気祝いとだけ聞かされています」
ある程度正直に答えた。
すると──、
「まあ! そうだったのですか! では主席のことをご存じなのですね? リーゼさんが快気祝いに招くなんて──申し遅れました。私、リーゼさんと同じクラスで友人のカトレア=ロッソラーノと申します。こちらがテネシア=ブランシュさん、そしてこちらがロレーヌ=ハシュレイさんです。ふたりとも私と同じ、リーゼさんと同じクラスで仲の良い友人です」
中央の女性が、心を開いたかのように嬉しそうに頭を下げると、
「テネシア=ブランシュです」
「ロレーヌ=ハシュレイと申します」
両脇に立つ女性もそれに続いた。
仲の良い友人……?
リーゼ先輩は『友人はいない』って何度も言ってたよな……
しかし、そんなことより──。
いよいよ名乗られてしまった。
名乗られたら名乗りを返すのが礼儀だ。
こうなる前に切り上げたかったのだが……やはり快気祝いに触れてしまったのは失敗だったか。
いや、そもそも噂について質問なんてしたから……
いずれにしろ、長く話をしすぎたようだ。
さて、ここはどうするのが最善か。
リーゼ先輩は……まだ戻ってきそうにない。
殿下に助けを……あの勢いの殿下に絡まれたら悪い方にしか転がらない。
フレディアは……だめだ。使い物にならない。
「首席のことをご存じで快気祝いにご招待されたのであれば私たちと同派も同じです!」
中央の女性──カトレア=ロッソラーノ先輩が、さっき以上に興味深そうにフードの奥をのぞき込んでくる。
「あの、もしよろしければお名前を……」
そして俺の名乗りをじっと待った。
「あの……? お名前を……」
俺が視線を避けるように顔を伏せようとも、じっと待っている。
……。
こうなったら腹を括るしかない。
「……これは申し訳ありません。私の方こそ申し遅れましたことお詫びいたします。私は魔法科学院一学年の……」
括るしかないのだが。
いざとなると、どうしたものかとその先を言い淀んでしまう。
ほんの僅かな間に考えを巡らせた結果、先輩の友人だという人たちを相手取って偽名を名乗るのも憚れる、と──、
「ラルクと申します」
本当の名を告げながらお辞儀をした。
すると──。
「ラルク様! いま、ラルク様とおっしゃいましたか? 魔法科学院のラルク様!? ということは──」
左側の、名をロレーヌ=ハシュレイといっただろうか。
その女性が胸の前で両手を組むと、
「──ああ! ここにおいでになるというお噂は本当でしたのね!」
花が咲いたような笑顔を見せた。
「私、あの交流戦の試合を拝見しました! それだけでなく先日催された舞踏会にもおりました! ああ! 本当にラルクロア様にお会いできるなんて!」
彼女の高揚ぶりは今にも大声で叫びだしてしまいそうなほどだった。
他のふたりも、目を大きく見開いて、なにか言いたそうに口を開いたり閉じたりしている。
この場でこれ以上騒がれては──。
危機感を感じた俺は、ロレーヌ=ハシュレイ先輩にグッと顔を近づけると、
「ハシュレイ先輩。申し訳ありませんが騒ぎになるとお店の方に迷惑が。ですからどうか今はご内密に」
真剣に、心からそう頼み込んだ。
──次の瞬間。
ハシュレイ先輩は後方に倒れこんでしまったのだった。
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