第239話 熱い想い
「おい! リーゼラルテ! ふざけたことを言うな!」
「ふざけてなんかないわよ! 私は事実を言っただけ!」
飛び交う怒号。
俺と殿下は、『少し外している間にいったいなにが起きたのか』──と、お互い顔を見合わせた。
「お前はそれでも武術科の生徒か!」
「私より弱いあんたにだけは言われたくないわよ!」
どうやらリーゼ先輩と何人かの生徒との間で口論が始まってしまったようだ。
原因まではわからないが、さっき先輩の口から俺の名前が出たことが気にかかる。
どうしてこう、先輩は……
とにかく面倒なことにならなければいいが……
すると部屋の奥から──、
「──それは聞き捨てならんな」
室内の空気を変えるほどに迫力ある低い声が轟いてきた。
「──つまりリーゼラルテ。貴様はこう言いたいのか──」
声の主はそう言いながら立ち上がると、
「──武技の極みを目指す
ゆっくりと歩きながらリーゼ先輩の前までやってきて──、
「──そのたかが
リーゼ先輩を見下ろしながら太い腕を組んだ。
神殿の柱に掘られた石造のような男の体躯は、一目で武闘家とわかるほど鍛え上げられていた。
男が自ら口にした、『闘気』、『首席』という言葉がそれを裏付けている。
『闘気』とはリーゼ先輩がいっていた武術科に六つあるという派のうちのひとつのことに違いなく、『首席』とは言葉どおり、その中でも一番の実力者である、ということを意味しているのだろう。
『ぼつ』と『しょう』という言葉は初めて耳にするが。
なるほど。腕を組み、ただ立っているだけであるにも関わらず、男からは相当の圧を感じる。
目つきはあまりよくないが、表情が温厚な分、返って不気味さを醸し出してもいた。
「テイランド先輩……」
登場した男の鋭い眼光に、リーゼ先輩は一瞬怯んだように半歩後退りする。と──、
「……いいえ、違います」
男の問いに対して、それを否定で返した。
「そうか。ならばよい。先ほどの貴様の礼を失した言動はあくまでも酒の席でのことと看過してやろう。──次からは舌禍を招かぬよう発言には気をつけるが良い」
温厚な表情をさらに緩めた男が席に戻ろうとしたところ、
「そう意味では──」
リーゼ先輩は後退していた足を前に出して、言葉を続けた。
「──違うといったのはそういう意味ではありません。先輩の実力は私もよく知っています。ですが勘違いしないでください」
勘違いするな、と言われ、男は足を止めると再びリーゼ先輩と向き合った。
だが、その表情にさっきまでの温厚さは消えている。
「私は、テイランド先輩だけでなく、剣以外の首席五人と、ここにいる全員が束になってっかかってもあいつには勝てない、という意味で言ったんです。それも、向こうは魔法を一切使わない状態で」
闘気使いの圧が一気に跳ね上がる。
「おいリーゼラルテ! お前いい加減にしないか!」
そのとき、再び奥から怒鳴り声がしたが──、
「アイザルは黙っていろ」
闘気使いの男がそれを一蹴する。
アイザル……?
アイザルっていうと……
修練場で懲らしめた武術科の槍使いのことか、と、声のした方角にそれらしい姿を探すと、
「剣以外ってことはこの俺も入ってるってことだぞ!」
立ち上がってヤジを飛ばしている男、それがアイザルだとわかった。
「そんなこと言われて槍使い主席の俺が黙っているわけないだろうが!」
だが、アイザルは、
「黙れ! 貴様は正式な主席ではないだろうが!」
闘気使いの圧をまともに食らうと、
「ま、まあ今回は黙っていよう。……なぜなら俺は寛大だからな」
そういい、静かに着席したのだった。
昨日のことがすでに広まっているのだろうか。
アイザルは下級生らしき生徒からも失笑を買っている。
しかし、敵対しているはずのアイザルがなぜこの場にいるのだろうか。
リーゼ先輩やオリヴァーが声をかけるはずはないと思うのだが。
「リーゼラルテ。言ったぞ? 舌禍を招くような言葉は慎めと。今すぐに撤回せよ。さもなくば酒席での失言と笑ってもいられなくなるぞ」
闘気使いがリーゼ先輩に再び圧を向ける。と、
「撤回はしません。事実ですから」
先輩は、闘気使いの提案と圧との両方を撥ね退けた。
今まで好き勝手騒いでいた生徒も静まり返り、リーゼ先輩たち二人を取り巻く不穏な空気に注目している。
『あの二人、止めた方が……』
雲行きが怪しくなってきたことに、俺が殿下に相談すると、殿下はもう少し様子を見ていろという。
『話の筋を掴めないお前がしゃしゃり出ても混乱を招くだけだ』と。
リーゼ先輩ならあの大男にも後れを取ることはないだろうが……
とはいえ、乱闘に発展して店に迷惑をかけるようなら全力で止めなければならない。これ以上ルディさんに負担を強いるわけにはいかないのだから──と、その旨を殿下に伝えると『そうなったら俺も参加する』と目を輝かせていた。
殿下は殿下で鬱憤がたまっているのだろうか。
まあ、そうなる前にまたあのハウンストン先輩が仲裁に入るか、と周囲を見回したが──まだ店に来ていないのか、ハウンストン先輩の気配は見当たらなかった。
「撤回せぬとは。血反吐に血反吐を吐いてなお鍛錬を積み重ねてきた我に、小賢しい魔法以外ろくな修練もせぬ温室育ちの小僧が勝つなど、そのような道理はどこにも存在せぬ。しかも唯一の攻撃手段である魔法をも使わずに──とはまさに愚の骨頂。それでも先の発言の撤回をせぬというのであれば闘気派主席として見過ごすことはできぬ。貴様のその身をもって我の実力を知ってもらうことになるが」
闘気派の男はさらに数歩リーゼ先輩に近寄ると、ほぼ真上から先輩を見下ろした。
それでも先輩は臆することなく──、
「血反吐に鍛錬、ですか……テイランド先輩は、バーミラル大森林、通称、試練の森と呼ばれる地帯に足を踏み入れたことはありますか?」
試練の森……?
リーゼ先輩はいったいなんの話をする気なのだろうか。
話が急に変わったにもかかわらず、闘気派の男は表情一つ動かさず──、
「試練の森……冒険者ではなく学生である以上、探索の許可は下りぬ。それは貴様も知っておろう。が、行く行くは彼の地に於いて腕試しをしてみたいとは考えていた。が、それがどうしたというのだ」
「何層での腕試しですか?」
「レイクホールの聖教騎士でさえ三層への門をくぐる者は数えるほどと聞く。ならばスレイヤの騎士となる我はその三層を超え四層を目指す」
それを聞いた生徒たちが一斉に歓声を上げる。
そのほぼすべてが闘気派の男の決意に対する声援だ。
否定的な意見があまりないということは、男の実力に見合っているということなのだろうか。
たしかに四層到達となればかなりの実力者と認められるだろう。
と同時に、精霊の加護を手に入れられるかもしれない。
しかしリーゼ先輩だけはシラケた表情で肩を竦めると──、
「四層……やっぱりその程度ですよね」
呆れたような声で呟いた。
「貴様。何が言いたい」
「私はその四層で何度も死にかけました」
闘気派の男はギロッと見下ろすと、
「そのような世迷言を、貴様──」
すると先輩は、先ほどと同じ呆れたような口調で続けた。
「所詮、鍛錬といっても決められた時間と場所のなかで繰り返される、休憩ありきの鍛錬。血反吐なんて幾度吐いたところで、それは本当の死をみたことを意味しない。──さて。温室育ちとはいったいどちらのことなんでしょうね」
「この期に及んで我を愚弄するとは……貴様が四層に到達していたなど、いったいここにいる誰が信じるというのか」
「──いいえ。私のことなんて今はどうでもいいんです。今しているのは、先輩のいう温室育ちの小僧というのが、かつて人類が到達した最高記録である第五層、そしてその先の前人未到と云われる第六層すらをも超える層で、たった七歳のころから修行をしていた奴の話なんですから」
その瞬間、室内がどよめいた。
そして次第にそれは罵声に代わり、先輩へと向かっていった。
先輩は俺の過去のことを──。
お互いある時期に試練の森で修行していたことは知ってはいたが──。
温室育ちの小僧というのが俺のことで、そして先輩は俺のことを庇っているようだということはここまでの流れでわかった。
だが、なぜそんな話になったのかは皆目見当がつかない。
だが今はそれよりも一触即発のこの状況に、これ以上は危険なのでは──と、殿下を、ちら、と見るが、殿下は黙ってろという合図を俺に送ってくる。
「七歳など、嘯くのも大概にせぬか。見苦しいぞ、リーゼラルテ」
闘気派の男が怒気をいっそう高めて低く唸る。
「信じないですよね」
「当然だ。そのような記録どこにもない」
「記録……? あてにならないじゃないですか。過去の英雄の偉業を捻じ曲げて伝えるこの国で、そんなもの。ま、信じる信じないは自由ですけど、これだけは忠告しておきます──」
リーゼ先輩が闘気派の男の顔をグッと見上げると、
「──本気で戦ったら、先輩。間違いなく秒殺されますから。そういうことにだけはならないように気をつけてくださいね」
小馬鹿にするかのように最後に片眼を閉じた。
また余計なことを──溜息を吐こうとした瞬間──。
闘気派の男の圧がこれ以上ないくらいにブワッと膨れ上がるのを察知し、俺は反射的に飛び出そうとしたが──、
「さあさあ、難しい話はそこまでだ!」
その直前に俺の身体を抑えた殿下が、手を叩きながら二人の間に入っていった。
制止されてたたらを踏んだ俺は、その場に留まらざるを得なくなる。
そして殿下はいつの間にか両手にしていた酒瓶を掲げると、
「この店で一番高い酒を持ってきてやったぞ! ──よっしゃぁ! 今夜の支払いは全額俺が持ってやる! だからほれ! 辛気臭ぇのは終まいにして、さあ! 飲むぞ!」
途端にこの場を仕切り始めたのだった。
変身しているとはいえ、それでも殿下には大貴族の風格が備わっている。
ヴァルト七家に繋がる無魔の黒禍の知り合いという肩書もあってか、殿下の発言に生徒らはおとなしく従い、それぞれの席に戻っていった。
そんななか、殿下はリーゼ先輩に近寄ると──、
「面白かったぜ。嬢ちゃん」
「別に見世物では……」
先輩が気恥ずかしそうに下を向く。
「──なあ、嬢ちゃん。いつか武術科と魔法科の馬鹿どもが、共に笑って飲める日が来るといいとは思わねぇか?」
殿下は「ま。そんなことを可能にする英雄様なんぞ、まだまだ現れてはくれないだろうがな」と、笑いながら先輩の肩を軽く叩いた。
するとリーゼ先輩は、俺に聞こえるか聞こえないかというくらいの小さな声で──、
『私が知る限りでそんなことできる奴……一人しかいないです』
そう答えながら席に戻っていったのだった。
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