第237話 蓄積する鬱憤
「ん、ん? ラルクロア様は!? あれ? 一緒じゃないの?」
外に出てきたリーゼ先輩が後ろ手に扉を一旦閉めると、俺の肩越しに通路の奥をのぞき込んだ。
「んー見えない!」
『ちょっとどいてっ』と強引に俺を横にずらし、背伸びして懸命に誰かいないかと探す様子はいつものリーゼ先輩なのだが、なんとなく印象が違う。
何が違うのか──、
「先輩、もしかして香水つけてます?」
ふわっと漂う花の香り。
背伸びしている先輩の首筋辺りから、普段は決してしないような良い匂いが漂っていることに、先輩はそんなものとは縁遠い、などと勝手に思っていた俺は、驚き質問したのだったが──、
「なによ。悪い?」
その質問が気に障ったのか、横目でキッと睨まれてしまった。
「そんなことよりラルクロア様はどうしたのよ。まだいらしていないみたいだけど」
先輩は不機嫌そうな声でそう言いながら、二歩三歩、通路の奥へと歩いて行った。
先輩が俺たちの側から離れたタイミングで
『……もう少し遅かったら僕は化粧について質問してしまうところだったよ……』
フレディアが命拾いしたと小声で耳打ちしてきたが──、
「あら。フレディアいたの? で、何が命拾いだって?」
「ひっ! い、いや、そんなことなにも! そうじゃなくて、け、化粧をしているリーゼ先輩も素敵だって……ラルク君と……」
「ふ~ん。まあいいわ。で、ラルクロア様は?」
「その前に。このお祭り騒ぎはいったい何なんです?」
二度命拾いしたフレディアも俺の隣で、うんうん、と頷く。
フレディアもオリヴァーの説明だけでは到底納得いかない様子だ。
「だから。スティアラ先輩の快気祝いとラルクロア様の歓迎会を兼ねて──」
「ちょっと待ってください。快気祝いはまだわかりますが、なんですか。歓迎会って。約束の内容ですが、『ハウンストン先輩とリーゼ先輩にお世話になったお礼として先輩方お二人が食事をしている席に彼を連れてくる』というものだったと記憶していますが」
「まあ、間違ってはいないわね」
「間違ってはいない、ではなく、その通り、ですよね」
「だから言ったじゃない。少し人数が増えたって。まあ、それは悪いと思っているけど……でもそっちだって増えたじゃない」
悪く思っているような様子など微塵もみせない先輩がフレディアを指さす。
「あ、そうか……それもそうですね──なんて納得するとでも思ったんですか? あれが少しですか? 先輩にとってはあれが少しなんですか?」
二人だけだからと諭してどうにか付き合ってくれたフレディアの手前、ああそうですか、で済ましてしまうわけにはいかない。
「だって……みんなラルクロア様に会いたがっているんだもの。私だって一緒に食事したってお兄様に自慢したいし」
たしか、昨日は『兄貴』と呼んでいたような気がしたが。
しかし、身内に自慢したいなど……先輩の
まあ、だとしたら悪い気はしないが……
「それで、その結果がこれですか……」
『ラルク君……』
『大丈夫だフレディア。俺が何とかする』
「俺は約束を守りましたが、先輩が約束を守らないのであれば今回は──」
「そんな! だって、何とかするってもうみんなに言っちゃたし……」
「それは先輩が蒔いた種です。残念ですが──」
『ラルク君……』
『だから俺に任せて──』
『ち、違うって。ラルク君さえよければ僕は大丈夫だよ? 先輩も気の毒じゃないか』
『いや、でもだな』
『いいんだって!』
『そういうわけにもいかないだろ?』
『先輩との約束じゃないか? 約束は守らないと』
『だが今回はその約束がち──』
『だから僕は大丈夫だって!』
『が……』
『そうでないと僕も困るんだよ!』
『う……』
『そうしないと例の約束が……』
『と……え? あ、ああ……』
あれか。お泊り会か。
そうか。そんなにお泊り会が楽しみか。
フレディアにしては珍しく、俄然やる気だと思ったら。
まあそういうことなら遠慮なくフレディアに甘えさせてもらおうか。
『本当にいいんだな』
『もちろんだとも!』
了解を得た俺は──、
「わかりました。先輩の顔に免じて、今回は貸しということでお付き合いします」
了承の旨を先輩に伝えた。
なに。
約束を多少破ってもいいのであれば、こちらもそうすればいいだけだ。
「ほんとっ!? もう、貸しでも構わないからっ! ありがとっ!!」
「ですがその前に──」
「ま、まだ何かあるの? みんな待たせてるんだけど」
「すぐ済みます。悪いフレディア。少しだけ待っていてくれ」
俺はフレディアにそう断ると、リーゼ先輩を通路の端へと引っ張った。
◆
「先輩はまだ路地裏辺りをウロチョロしているんですか?」
周囲の様子を窺いながら、俺は話を切り出した。
「ウロチョロって、ネズミみたいに言わないでくれる? まあ、依頼があればたまに行くけど。でもなに? またこの前みたいな事件でもあったの?」
「いえ。そういったわけではないんですが。こんな感じの反り返った刀を持った冒険者風の男を見たことありませんか?」
両手で刀の形を表すと──、
「反り返った刀……ううん。そんな特徴的な武器を持った冒険者、この辺では見たことがないわね。でも──」
先輩は首を横に振り、難しい顔をした。
「──バシュルッツ近辺では割とよく見かける刀よね」
バシュルッツ──。
やはりそうか。
しかしあの男がそんなにわかりやすいことをするだろうか……
「ねえ。路地裏ってことは、あんたが探してる人って、あまり表には出てこられないような怪しい人物なの?」
「怪しいかどうかは……ですが、もし見かけたら教えてください。先に言っておきますが、教えてくれるだけで結構ですから。くれぐれも迂闊な真似はしないようにしてください。万が一のことがあっても責任はとれませんから」
「そんなふうに言われたら逆に気になるじゃない! それ、捕まえてくれって言ってるようなものよ?」
「いえ。今回ばかりは本当に手を出さないでください。そういったことに関しては誰よりも信頼できる先輩だからこそこうして話したんですから」
「……わかったわ。うん。そうね。私の実力を知ってるあんたがそこまで言うんだもの。何かわかったらそっと教える。──で、急ぎの伝報矢はフレディアに送ればいい?」
「助かります。いいですか? くれぐれも突っ走らないようお願いします。先輩を巻き込みたくはないので」
俺は念を押すが──、
「わかってる。この件に関して深追いはしない。普段の生活をするうえで、もし見かけたら、ってことでいいのよね」
先輩は先輩らしく、そう応じてくれたのだった。
◆
先輩との会話を終え、フレディアのところへ戻り──、
「待たせてすまない、フレディア。ああ、そうだ。リーゼ先輩。俺は少しだけ席を外すので、その間、フレディアをよろしくお願いします」
そうとだけ伝えて、俺は先に用事を済ませてしまうことにした。
「え? ちょ、ラルク君!?」
「あ、ラルクロア様をお迎えに行くのね?」
「そんなところです」
フレディアはアレだが、先輩はいいように勘違いしてくれたようだ。
「そう、なら先に行ってるわね。さ、行くわよフレディア」
「え!?」
「というわけで、フレディア。用事を済ませたらすぐに戻るからそれまで適当に楽しんでいてくれ」
「え、ちょ、何言って──ラ、ラルク君! ちょっと! ちょっと待って! ちょ──」
「ほら、早くしなさいよ。みんな待ってるんだから」
「ちょ、ちょっとぉ──!」
リーゼ先輩に腕を掴まれて部屋の奥へと消えていくフレディアを横目に、俺は逃げるように通路を戻った。
なんといってもシュバリエール公国の騎士を目指すフレディアのことだ。
あいつならどんな状況でもうまくやるに違いない……と思うが。
しかし、なんだあれは……
少しだけ見えた、武術科の制服でごった返す室内の様子に、俺は歩きながら思わず武者震いをした。
闘技場のような熱気だったぞ……
男子生徒も女子生徒も関係なく、入り乱れて酒を飲んでいた。
樽ごと酒を飲んでいる生徒もいたが……
しかも、その生徒は女性だ。
武術科ではあれが日常なのだろうか。
あれじゃあ、まるで昔見た冒険者たちじゃないか。
──そうか。
ルディさんの様子がおかしかったのはあれが原因か。
武術科の制服を着ているうえに、粗野な冒険者のような立ち居振る舞い。
ただでさえ制服の効果が絶大なのに、上級冒険者のような勢いで騒がれてはたまったものじゃないだろう。
参ったな。
仲間だと思われたら出入り禁止になってしまうかもしれないぞ。
集められるだけ情報を集めたら、フレディアを連れて早めに退散しよう。
あんな状況の中でハウンストン先輩とまともに会話なんてできるとは思えない。
それに、幸いなことに室内は大人数でごった返していた。なら、そっと抜け出せばリーゼ先輩にも気づかれないかもしれない。
途中で帰ったことについては、鍛錬の時にでも言い訳すればいいだろう。
それでもリーゼ先輩が無魔の黒禍に固執するようであれば──その時はもっと人がいないところで、今回の約束通りラルクロアを紹介してあげよう。
そんな計画を頭で練りながら、俺は情報収集と今夜の謝罪を兼ねてルディさんを探すのだった。
◆
ここまで騒ぎ声が聞こえてくるじゃないか……
扉までまだ数歩あるが、それでも室内の喧騒が耳に届いてくる。
はあぁ……結局手掛かりなしか……
疲れた身体にその事実が追い打ちをかけてくる。
ここの店なら何か情報が、と期待してはいたのだが──結果、空振りに終わってしまった。
ルディさんはこの離れの仕上げに付きっきりだったから仕方ないにしても、他の従業員なら──などと考えたりもしたのだが、予想に反して誰も大した情報は持っていなかった。
あの男らに対しては、どこにでもいるたちの悪い冒険者、程度の認識だったようだ。
青の都へ来た目的や滞在先、この後の予定など、役に立ちそうな情報は一切得られなかった。
帰りたい……。
いっそのことフレディアを犠牲にしてこのまま……
いや、ダメだ。
身も心も騎士精神に染まっているとはいっても心優しいフレディアのことだ。勧められるがままに酒を飲んで、気づけば全身裸で酒樽に詰め込まれて──などとなっているかもしれない。
憂鬱だ……。
せめてモーリスに胸を張れるような情報が一つでも手に入っていたら……
だが、それすら叶わなかった俺は、
「はああぁぁぁ……」
最後に大きな溜息をひとつ吐くと、覚悟を決めて扉の把手に手をかけた。
そして、勢いよく扉を開き──
次の瞬間。
酒の匂いがふんだんに混ざった熱気が、むわっ、と襲いかかり──。
い、いや、これは無理だろ!
一瞬にして具合が悪くなった俺は、
よし、仕切り直そう!
そう判断し、扉を閉めかけたが──、
「遅かったじゃねぇか!」
誰かがそう叫んだことによって注目を浴びてしまい、緊急避難することもできなくなってしまった。
諦めた俺は一歩進み、室内に入る。すると、さっきまでの喧騒が嘘のようにぴたりと止んだ。
そして、突如姿を見せた静寂の中、
「散々人のこと待たせやがって! オラ! ここに座ってまずはこれを一気に飲め! それで勘弁してやらぁ! なあ、お前ら、それでいいよな!」
この宴を仕切っているのか、中央で偉そうに、ドン、と座る男が音頭をとった。
すると──、
「──押忍!」
その声に武術科の猛者共が揃って賛同する。
「ほら! こいつらもそれで許してくれるってよ! さあ、こっち来て飲めっ!」
俺はその男の圧倒的な支配力の前に、フレディアやリーゼ先輩を探すことも忘れ、ただ唖然としていた。
さらに男は両側に侍らせている女子生徒に酌をさせると──、
「かーっ! やっぱ美味ぇな! 美女に次いでもらう酒はよぉ! こりぁまた格別だぜ!」
酒を呷り、後ろに侍らすこれまた女子生徒に、肩やら腕やらを揉ませている。
「ココデナニヲシテイル……」
俺が怒りに全身を震わせながら男を睨みつけるも──、
「あ? どーした。ほら、隣に座れよ」
男は飄々とした態度で、空けた席をポンポンと叩いている。
「コ、コ、コ……」
俺はこの感情を言葉にしようとするが、頭に血が上ってしまい、うまく呂律が回らない。
「あ? こここ?」
男は不思議そうな顔で俺を見る。
そのとぼけた顔がまた癪に障る。
「コ、コ、コ……」
「だからこここってなんだよ?」
そして、深呼吸をしたことにより、どうにか声を取り戻した俺は──、
「──こ、ここで何をしてんだァッ! エロ髭がぁっ!!」
髭面に変身したモーリスに、今日一日で溜まりに溜まった鬱憤のすべてをぶつけたのであった。
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