第236話 二対二
「報告を」
入室を許可されたコンティ姉さんが扉の先に姿を見せると同時、陛下が口を開いた。
と、沈黙によって長いこと机上に放置されていた葉巻の、細く長い煙がゆらりと揺らいだ。
「それが……」
陛下が座る執務机の前まで歩を進めたコンティ姉さんは、表情に暗い影を落としたまま頭を下げた。
「いまだ所在が分からず……」
コンティ姉さんの掠れゆく語尾に、陛下は葉巻を手に取ると、背もたれに大きく身体を預けた。
「そうか……」
指先の葉巻を咥え、渋い顔で天を仰いだ陛下が
「……イリノイ殿の力はお借りできぬか……」
白い煙を大きく吐き出す。
「紫龍の紋を用いて急ぎ伝報矢を放ってはいるのですが、現時点でなんの音沙汰も……」
コンティ姉さんは頭を下げたまま、そう報告を続けた。
こんな大事な時に師匠はなにを──。
風来坊が過ぎる師匠の制御など、俺には到底適わぬことだ。
だが、それでも弟子として負い目を感じた俺は、コンティ姉さんよりさらに深く頭を下げ、
「本当に申し訳ありません……」
師匠に代わって謝罪した。
そんな俺に、陛下の右隣に控えるモーリスは「お前に責任はない」と庇ってくれたが、落胆している様子は否めない。
その後、陛下が呻くように溜息を吐くと、それを最後に再び沈黙が戻ってしまった。
夜も更けた陛下の執務室。
重苦しい空気が蔓延する。
師匠なら祠の封印に関する情報を持っているかもしれないと淡い期待を抱いたのだが……捉まらなければ意味がない。
師匠の神出鬼没ぶりは今に始まったことではないが、あの大地の揺れを感じても姿を見せないということは、何の行動も起こさないつもりなのだろうか。
それともあの晩、城付近にはいなかったのだろうか。
どちらにせよ、王家の伝報矢を送っているということであれば、遅かれ早かれ連絡は来るだろうが……
あの異変に関する有益な情報を未だ入手できずにいることに、陛下からはいら立ちの様子が垣間見えた。
そして──。
停滞していた空気を打破したのは、
「──ラルク。今回の件と直接関係があるかはわからないが、先日のイリノイ婆さんの言動を陛下に報告したらどうだ」
モーリスだった。
師匠の言動──。
数日前、冒険者街で起きた一件についてだろう。
モーリスとコンティ姉さんには舞踏会の晩に報告してあるが──。
「陛下にはどこまで話されていますか?」
「結果だけ報告済みだ。経緯……姿を変えた婆さんが喧嘩を吹っ掛けたことまではお話ししていない」
言い方は雑だが、まあ、間違ってはいない。
モーリスの説明に、陛下はくゆらせていた葉巻の火種を真鍮の皿に押し付けると俺に視線を向けた。
話してみろ、ということだろう。
「クレイモーリス殿下のお考え通り、今回の件との因果関係は不明ですが──」
師匠の行動が、必ずしも今回の地揺れや水路の水質変化に関係があるとは限らない。
俺はそう前置きしたうえで、あの日、審議院を出てから起きたことの一部始終を陛下に報告した。
一部始終、といってもエミルを泣かせてしまった件についてだけは除いて、だが。
◆
「
「そこなんです、陛下。あの婆さんが一発殴られて黙っているなど、ありえないと思うんですが……」
「どこか具合でも悪かったのであろうか……」
「前の晩、変なものでも食べたとか……」
報告を終えると、陛下とモーリスが疑問を口にした。
闇の精霊云々ではなく、師匠が俺のことをラルクロア=クロスヴァルトと呼んだことでもなく、そこが気になったようだ。
まあ、闇の精霊についてはコンティ姉さんの専門分野だとしても……
なぜ師匠が俺の本当の名を呼んだのかという質問は、うまくはぐらかされてしまった。
ひょっとしたら師匠と陛下、そしてモーリスは……
任命式での件といい、仮にこの三人が結託していたとしたら、俺なんかがどうこうできる問題では……
要するに、考えるだけ無駄ってことか……
コンティ姉さんは、最初に報告したときと同じくして、憐れむような目で俺を見ている。
そのやるせない気持ち、わかるわ! とでも言ってくれているようだ。
師匠の理不尽さをその身で知っているからだろう。
あの人の下にいた経験があるからこそ共有しあえるこの心労。
コンティ姉さんが同情してくれるだけで俺の心は幾分か軽くなる。
ああ……早く任務を終えて、コンティ姉さんのあの森のような屋敷でゆっくり休みたい……
だが、そのためにもまずは行動だ。
「申し上げたように、師匠がとった一連の行動と今回の騒動とがどうかかわっているかはまだわかりません。ですが、私は神殿の調査と並行して、例の闇の精霊使いを追うつもりです──」
ほぼ初めてといっていいほど、師匠から突然誘われた食事。
俺に選ばせた冒険者街の店。
そこに
か弱い女性に扮し、荒事に発展しようとも一切手を出さなかった師匠。
ラルクロア=クロスヴァルトとして善の限りを尽くし、ラルクとしては心身ともに悪に染まれ、という指示。
そして、『地下神殿に行け』──。
「──あの日の師匠の行動は、私に闇の精霊そのものの存在を教えようとしていたとしか思えませんので」
今となっては、もう、そうとしか思えない。
「ま、そうとるのが妥当か……だが、その闇使い、見つかるのか? 衛兵は幾班か動員しているが、これといった情報はないぞ?」
見つけ出すとも。
そうでなければ気が済まない。
師匠を殴られ、妹弟子を落胆させ──。
「──必ず探し出します」
俺はモーリスの問いに短く答えた。
エミルと約束したんだ。
次に対峙したときには借りを返すと。
あの男を必ず探し出す。
それだけではない。
神抗魔石こそ使用していなかったが、無理やり契約を交わした精霊を使役して、都の結界内で致死性の高い魔術を行使するなど。
まずは師匠に手を上げたことを心の底から後悔させ、そしてこの国に害をなす存在なのであれば、それを全力で阻止する。
「探し出すって言っても、具体的にはどう行動するんだ?」
考えでもあるのか、とのモーリスの質問に、
「まずは明日、冒険者街で情報収集をする予定でいます。目撃者も多くいましたから何かわかるかと」
俺は考えていたことを伝えた。
「冒険者街で情報収集? そんなのすでに兵がやってるだろ」
「そうだと思いますが、自分自身で確かめたいので」
「そうか……。だが、お前みたいな有名人があちこち訊き回って大丈夫なのか?」
誰のせいだ、と言いたいところだが、城でのことはまだ冒険者街にまでは伝わっていないだろう。
それより、あのとき、師匠の
人だかりの前でローブを脱いで……
ヴァレッタ先輩が持っている偽装の腕輪があれば、こういった場合に助かるんだが。
先輩と婚約者とのことも早々に解決して、あの便利な腕輪を早く手に入れたいところだ。
「……それは、ばれないように気をつけますから御心配には及びません」
「そうか。よし、そういうことなら、俺も付き合ってやろ──」
「いえ。それにも及びません」
「おい。人の好意をそう無下に──」
「及びません」
モーリスと一緒なんてどんな無茶をするかわかったもんじゃない。
こういうときのモーリスの危険物としての度合いは、俺の中では師匠に対するそれとほぼ同等だ。
つまり、扱い要注意、距離をとれ、である。
もともと明日は夕方から一人で冒険者街に情報収集に行くつもりだった。
その合間の一アワルほどをリーゼ先輩との食事に使用しなければならなくなってしまったが。
だが、明日食事に行く店は、探すべき相手が食事をしていたルディさんの店だ。であれば、従業員のうちの誰かがあいつらについて何か知っているかもしれない。
ハウンストン先輩に訊ねたいこともあるし──仕方なく交わした約束ではあったが、結果として都合がよかったかと問われれば、まあその通りだった。
午前中は武術科学院から拝借してきた文献に目を通して……
そういえばミレアはシャルロッテ譲と会えたのだろうか。
せっかくだからこの後ミレアのところに……いや、いくらなんでもこんな夜更けに非常識か。
なによりもトレヴァイユさんが黙っていないだろう……
なら、予定通り明日の夜に……
そんなことを考えていると、
「またあの地揺れがいつ襲ってくるやもしれぬこの状況において──」
陛下が言葉を発した。
俺は姿勢を正し、続く陛下の言葉を待った。
「──何を差し置いてでも優先すべきは来賓の身の安全である。我々は七年前と同じ轍を踏むわけにはいかぬのだ。カイゼル殿を筆頭に全騎士が護衛にあたっているが、あの地揺れに乗じて、ともなると一抹の不安も残ろう」
陛下はおもむろに立ち上がると、
「──特殊魔術武装部隊
俺をそう呼んだ。
「はッ」
俺は表情を引き締め、踵を合わせる。と、陛下から、
「──来賓の命を最優先に、此度の任にあたれ」
そう命じられたのだった。
◆
「お待たせ、ラルク君……大丈夫? もしかして、昨日もあまり寝ていないのかい……?」
待ち合わせ場所で落ち合ったフレディアが、俺の顔を見るなり言った。
「心配かけてすまない、フレディア。ここのところ調べ事が立て込んでいてな」
どうやらひどい顔をしていたようだ。
午後から
「ちゃんと寝ないとだめだよ? 栄養も摂ってる? 今日はたくさん食べないと」
「ん? あ、ああ。もう大丈夫だ」
自分のことのように俺を気遣ってくれるフレディアの優しさに、荒みかけた心が癒される。
いろいろとあって、ここのところ眠れていないのは事実だが……
それでも鍛錬を休ませてもらった分、昨晩は多少睡眠をとることができた。
そのおかげもあり、午前中は集中できたので、祠についてもだいぶ詳しく知ることができたのだが──。
「ルディさんの店に離れができたなんて、ラルク君みたいな人気者にはもってこいだね」
「いや、それはフレディアも同じだろ。まあ、だれが造ったのか気になるが、ありがたいことだな」
「今度姉上たちを連れてきても平気かな」
「かなりの人気店だからな。前もって予約しておけば問題ないだろう」
「そうだ! その時、よかったらラルク君も一緒に──」
フレディアと二人、冒険者街の目抜き通りを歩きながら他愛もない会話をしていると、ルディさんの店が見えてきた。
「さあ、着いたぞ、フレディア。手筈通り、面倒なことになりかけたら頼むぞ」
「大丈夫だよ、ラルク君。任せておいて。僕が全力で話を逸らすから」
お互いガッチリ目配せをして頷きあうと、俺とフレディアはいざ、リーゼ先輩たちが待つ店へと足を向けたのだった。
◆
「ラ、ラルク君……こ、これって……」
いつもに増して硬い表情をしていたルディさんに案内された離れの一室。
その扉を開いた俺とフレディアは、その中の様子を見て茫然と立ち尽くした。
「な、なんだ……これは……?」
そんな俺たち二人の前にリーゼ先輩が駆けてきて──。
「わ、私じゃないわよ! ほ、ほら! わ、私、友達いないし! で、でも、オリヴァーがどうしてもっていうから、し、仕方なく私はオリヴァーだけを……」
すると、見覚えのある顔が近づいてきて
「ラルクさん! 昨日はありがとうございました!」
満面の笑みで頭を下げた。
「礼はいいが、オリヴァー……これはいったい……」
俺の質問に、オリヴァー頭を上げると、
「やっぱり驚きますよね……これ。ええと、僕はリーゼ先輩に一人だけだったら友人を誘ってもいいといわれて……友人を一人誘ったら、その友人も一人だったら誘ってもいいと勘違いしたみたいで……そうしたらそのまた友人も……」
そう説明しながら、てへ、と、頭を掻いた。
「そ、そういうわけなの! だから今日は大人数で楽しくやりましょ!」
リーゼ先輩が、ぱちん、と両手を合わせる。
た、楽しく……?
「で、で、ラルクロア様はどこ!? ねえ! ねえ!」
「ええ……と……」
かくして、総勢五十人を超えての大宴会が今、始まってしまったのであった。
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