第191話 交流戦1 『紅の剣姫』
真っ赤に焼けた鉄剣が、背を向けた一瞬の隙をついて背後から迫る。
火属性の魔法が付加された剣は、無防備な背中から突き刺さり、その勢いのまま胸から飛び出した。
本来飛び散るべき血飛沫はすぐさま蒸発する。
貫かれた心臓は一瞬にして妬かれ──エミルの身体はゆっくりと倒れていった。
『──!』
叫ぼうにも声が出ない。
俺の願いに精霊が応えない。
手を伸ばそうとも届かない。
俺をまっすぐに見つめるエミルの瞳が、力無く閉じていく。
このままでは、また大切なものを──
──けるな……
──ざけるな……
──っふざけるなッ!
手放してたまるかァッ!
『──ミアァァッ!』
◆
「──ッハア、ハア、ハア──」
気が付くと俺は、寝台の上で上半身を起こし呼吸を荒くしていた。
「──夢……か……」
伸びきっていた右手で額に触れると、びっしょりと汗をかいている。
「──最悪だ……なんでこんな夢を……」
巫女に毒づくが、夢であったことを心の底から安堵した。
窓の外を見るとまだ暗い。
数アワル後には開始される交流戦のことを考えると、少しでも休んでおいたほうが良いのだが──早鐘を打つ鼓動は一向に収まりそうにない。
「──起きるか……」
俺はもう休むことは諦めて寝台から下りると、壁に掛かっている制服を手に取った。
◆
寮は誰もが深い眠りについており、物音ひとつしない。
俺は手早く着替えを済ませると、部屋の窓から外に出た。
東の空が薄らと白みがかってきている。
朝露で湿る草を掻き分け、森の奥へ、奥へと進む。
ピンと張る早朝の研ぎ澄まされた空気を吸い込むごとに、頭が冴えわたる。
嫌な夢を見た後なだけに、この清浄な涼気が有難かった。
眠れないのであれば、交流戦に向けて身体を温めておこう──と、二カ月間鍛錬のために通った空地に向かい、目的の場所が見えてきたところでいつものように氷の剣を創りだそうとしたところ──
誰か……いる
人の気配を感じ、アクアに待ったをかけた。
俺は気配を殺し、木に隠れて様子を窺う。
この場所は俺しか知らないはずだが……
それに合わせてこんな時間帯だ。
俺は警戒しながらまだ薄暗い森の先へ目を凝らした。
よく見えないな……
誰かいるのは間違いないようなのだが、朝靄が邪魔をしてそれが誰なのか確認できない。
声をかけてみるか……?
気配から『嫌な感覚』はしない。
ならばこっちも疾しいことをしているわけではないのだから、思い切って誰何してみよう、としたところ──一陣の風が吹き、今まで視界を遮っていた朝靄を一纏めにして運び去った。
そして──俺は鍛練場の中央に立つ人物の姿をはっきりと見ることができた。
青地に白の制服──。
その人物が身につけているのは、普段見慣れた白地に青ではなく、青地に白の刺繍が施された制服だった。
あの制服……武術科学院の制服だぞ……?
なぜ武術科の生徒がこんな場所に?
今日の交流戦の見学者か?
にしては来るのが早いが……
その武術科の生徒が、下を向いて地面を確認しているような様子も気になったが、しかしそれよりも目を引かれたのは──その人物の髪、燃えるような真紅の髪だった。
薄暗い森の中であっても映える情熱的な赤い髪。
あの髪は──。
──ポキッ
そのとき俺は小枝を踏んでしまい、存在を相手に知らせてしまった。
「──誰かいるの!?」
やっぱりそうだ。
この声は──。
俺はもう隠れても無駄だと木の陰から出る。
「怪しいものじゃない。この学院の生徒だ」
向こうにも姿が見えるように前に進み出た。
「生徒? 生徒がこんな場所でなにしてるの!?」
相手は俺のことを警戒しながらも、二歩、三歩と歩み寄って来る。
「いや、それはこっちの台詞なんだが──」
そのときちょうど、今日一番の日の光が鍛練場に差し込んだ。
そして俺と、真紅の髪の女性──『紅の剣姫』の全身を横から照らしだした。
剣姫は、凛、とした隙のない姿勢で俺に向かって立っている。その隠そうともしない気迫から、彼女が手練れの剣士であることが感じ取れる。
畏敬の念すら抱く、絵画のような美しさだった。
「あぁ! あんた、あのときのヘタレ人違い男!」
剣姫は警戒を解いた様子で俺を指差す。
「その節はどうも。紅の剣姫さん。しかし武術科の生徒だったとはね。驚いたよ」
「……あんた、私のこと知ってるの……?」
「いや、先輩からその呼び名を聞いただけだ。それ以外はなにも知らない」
「あんた、なん学年?」
「一学年だが」
「私二学年なんだけど。つまりあんたよりいっこ上級」
「……そう……ですか……先日はありがとうございました……魔法科学院一学年のラルクと申します……」
俺を窒息させようとして、さらに石畳に放り投げたこの女を敬うのは一瞬気が引けたが、他学院であっても上級生には変わりない。
学院典範に則し、相応の態度で接した。
「ふん」と鼻を鳴らした剣姫がつかつかと俺の前に来て
「ここ、あんたが使ってるの?」
地面を指さした。
「そうですけど……お名前を聞いても?」
「リーゼよ。で、あんたどれくらいここ使ってるの」
早く答えなさいよ、とばかりに顎をくいっと動かす。
「リーゼ先輩、ですね。──ふた月ほどですが。それがなにか」
「ふ~ん。あんた、剣も相当やるでしょ。この踏み込みの強さはどう見ても素人じゃないわ」
「どうでしょう。剣の鍛練は日課として行っているだけですから。俺はあくまでも魔法師なんで」
「強力な魔法を見て金縛りにあってたような奴が魔法師ね。あんた、剣士になった方がいいんじゃない?」
地面を見ていたリーゼ先輩がキッと俺を睨み
「──私の剣を素手で止めた変人なんて、あんたがふたり目よ」
仁王立ちで腕を組む。
なんなんだこの人……
なんで見ず知らずの人に、こんなこと言われなきゃいけないんだ?
「こんな場所でなにをしていたんですか?」
「は? あんたに関係ないじゃん」
感じの悪い人だ。
武術科の生徒がみんなこうでないことを願いたいよ。
「……そういえば先日の件、クロスヴァルト侯爵から呼び出しはありましたか?」
「はあ? なによそれ。どうして私がそんな偉い人から呼び出されるのよ」
やっぱりこの人のところには連絡がいってなかったのか。
俺はあの日の翌日あったことを説明した。
「は、はあああ!? ク、クレール金貨十枚ぃいい!? あ、あんた、今、私がどれだけ苦労して……」
話し終えるとリーゼ先輩は驚きに目を丸くした。
「は、半分……」
「はい? なんです?」
「……半分……よこしなさいよ……」
「半分? ああ、侯爵の謝礼ですか」
「そ、そうよ! だ、だって私が三人を倒した……じゃない」
「そのことでしたら──」
「ち、違うわよ! べ、別にお金に困って言ってるんじゃないんだからね! ただ……」
「はあ、ただ?」
「見てよこれ! この剣の刃こぼれ! あんたが私の大切な剣をこんなにしたのよ! あんな馬鹿力で掴むから!」
そう言ってリーゼ先輩は腰の剣を抜き、俺の鼻先でピタリと止めた。
剣先を確認すると、なるほど、手で握った形に歯がこぼれている。
「どうしてくれんのよ! これ直すのに金貨五十枚って言われたのよ!」
「それは……」
「学生の私にそんな大金あるわけないじゃない! ただでさえ仕送り止められてるのにどうすればいいってのよ! 三年前に直したばかりなのよ! 三年前だってあんたみたいな馬鹿に同じように傷つけられて、そのときは持ってた素材を全部売ってどうにか元どおりにしたけど!」
「いや、ですから、」
「今回はあのときより酷いのよ! 前は金貨五枚だったけど、今回は五十枚よ? ご、じゅ、う、ま、い! わかる? 十倍よ、十倍! あんたあのときの馬鹿より十倍馬鹿力ってことじゃない! いったいこの国にはどれだけ馬鹿がいるってのよ! あんた貴族なんでしょ!? だったら半分くれたっていいじゃない!」
ものすごい剣幕でまくし立てる。
そういう事情か。
「先輩、いくつか勘違いしているようですから修正させてもらいますけど」
「な、なによ」
「まず、俺は貴族ではありません。ただの平民です。それから侯爵からいただいた謝礼はすべてあなたのものです。班員の総意でそう決定しました。金貨は俺が預かっていますから、あとでお渡しします」
俺は身分を伝え、次いでルディさんの店で話し合ったことを説明した。
あの後、やはりこの褒賞は直接賊を倒した剣姫に渡そうということになったのだ。
約一名渋っていたが。
『線なし君が責任持って剣姫に渡してね』と面倒な役を言いつけられた理由は、俺が剣姫に助けられ、俺が剣姫を助けたからだそうだ。
その際、ヴァレッタ先輩に剣姫のことを訊いたのだが、『そのうちわかる』とはぐらかされてしまった。
先輩は、剣姫が武術科の生徒と知っていたから『そのうちわかる』と回答したのだろう。
そして見学人などではなく、”選手として出場する”ことも知っていたのかもしれない。
そう考えるとあのときの意味深な表情も頷ける。
いや、そうでもなければ、俺がこの広い都で剣姫を探し出すなど不可能に近いのだから、ヴァレッタ先輩は剣姫と俺が出会う確率が高いということがわかっていたに違いない。
まあ、結局こうして出会ってしまったわけだが。
「ごじゅうまい……金貨がごじゅうまい……」
放心状態で剣先を見ているリーゼ先輩に言葉を続ける。
「それから、故意ではなかったにせよ、大切な剣を傷つけてしまい申し訳ありませんでした」
金貨五十枚を支払ってでも直す必要がある大切な剣。
それでこの人は頑なに剣を手放そうとしなかったのか。
金貨五十枚もあればかなりの一振りを買うことができるのだから、よほどの思い入れがなければ直すよりは新品を考えるだろう。
「──あと、俺のことを馬鹿力と言いますけど、俺もあのときリーゼ先輩の馬鹿力で絞め殺されそうになっていたんですが」
「はあ? あんたねぇ、あのとき私が助けなきゃ今ごろ身体が真っ二つだったのよ? 命の恩人に向かってなんてこというのよ」
「……ありがとうございます」
助けてあげたのはこっちも同じなんだが……
最後に俺が無害化した風魔法には気付いていないのか。
「なによ。意外と素直じゃない」
「いえ。では後ほど金貨を持っていきます。どこで待ち合わせをしましょうか」
「……いらない」
「え? どうして──」
「あんた以外からはもらう理由がない」
「いや、説明したじゃないですか。直接賊を討伐したのはリーゼ先輩なんですから──」
「だから! 私はあの場からすぐに立ち去ったんだし、侯爵にも呼ばれていないの! そんな私が金貨五十枚も受け取れるわけないでしょ! ちょっとは考えなさいよ、このヘタレ人違い男!」
「でも俺のは半分もらうんですよね?」
「当たり前じゃない! あんたのせいで剣がボロボロになったんだから!」
「じゃあこうしましょう。俺が先輩に渡すのは、侯爵からいただいた褒賞ではなく、俺がダメにした剣の修理代ということにしましょう。そしてそれとは別に、俺がその剣を直せるか試してみます」
「はあ? あんたなに言ってんの?」
「ですから、まずは剣の修理代として金貨五十枚を受け取ってください。そのうえでその大切な剣を俺が直せるか試してみる、と、言っているのです」
「なにそれ意味わかんない。あんたがこの剣を直せるっていうの? しかもタダで」
「そういうことです。正確には俺が、ではなくて俺の知り合いが持っている魔道具が、ですが。俺もその魔道具は見たことがないので効果のほどはわかりませんが。ちなみにその人物は王室の騎士団長とも懇意の関係にある方なので、身分は保障できるかと思います。上手くいけば金貨五十枚は使わずに済みますし、金貨はそっくり先輩のものになります。上手くいかなくてもその金貨を使って鍛冶屋に出せばいいでしょう」
かたちはどうあれ、リーゼ先輩が金貨を受け取ってもらえるのならそれでいい。
ここで受け取ってもらえないと、引き続き俺が交渉相手にされそうで面倒くさい。
「魔道具……で、でもそんなの悪いじゃない。第一釣り合いが取れてないし……」
「悪くはありませんよ。大切な剣を傷めてしまったのは俺なんですし。魔道具は効果があるのかも眉唾ものですからね」
リーゼ先輩は思案げに目を閉じている。
すると閃いたようにまぶたを開き
「そこまで言うのなら考えてあげなくもないわ。ねえ、あんたここに身体を動かしに来たのよね」
ニコッと笑う。
「え? そうですが、それがなにか──」
「なら私の鍛錬に付き合ってよ。ヘタレ人違い男が相手でも準備運動くらいにはなるでしょ」
「はああ? どうして魔法科の俺が武術科のあなたの相手を──」
「金貨、受け取って欲しいんでしょ? 安心なさい、ヘタレ相手に本気なんて出さないから。あ、でもあんたは本気出していいわよ? 確かめたいことがあるから。でもこの間のようにはいかないわよ? あのときは不意を突かれただけなんだから」
「……確かめたいことってなんですか」
「なんでもない。さあ、どうなの? やるの? やらないの?」
なんて厄介な人だ!
金貨を受け取ってもらうのにこんなに苦労するとは!
これならアリーシア先輩の言う通り、ルディさんの店でパーっと使ってしまった方が精神的にもよほど楽だったよ!
「……わかりましたよ……そのかわり相手したら黙って受け取ってくださいよ? 俺が先輩から任されたんですから……もうこんな面倒なやりとりしたくないですし。それから、ここでのことは絶対に口外しないでください」
「よっし! 交渉成立! そうと決まったら早速始めるわよ! いい? 本気出さなかったら金貨は受け取らないわよ!」
「……」
なんで俺だけがこんな目に……
俺は距離を取るため離れていくリーゼ先輩の背中を見つめながら、まだ熟睡しているだろうフレディアを恨んだ。
◆
「──っはあ、はあ、はあ……あ、あんた、ホントに魔法師なの……?」
深紅の髪を額に張り付け、肩で息をしているリーゼ先輩が俺を睨みつける。
「──言いましたよ。剣は不得手だって」
「……どこがよ」
氷の剣を消した俺は、上着の襟元を正しながら答えた。
「顔、洗います?」
空中に水の玉を生み出すと、それを先輩に向かって押し出す。
「わ、わ!」
先輩は慌てながらも俺の真似をしてそれを手で掬うと、
「──冷たくて気持ちいーい!」
髪が濡れるのも気にせずに顔を洗い始めた。
結果は──俺の圧勝だった。
八回立ち合ったうち、四回は先輩の手から剣を奪い、四回は先輩の首元に剣を突き立てた。
無論、印は結ばずに加護魔術も制限をかけて手を抜いたのだが、未明に見た夢のせいもあって、つい力が入ってしまった。
「俺の使ったのでよければ」
「ありがと」
「先輩、ここでのことは──」
「わかってるわよ」
先輩は俺の手から手拭いを受け取ると、首筋からうなじ、そして整った顔から深紅の髪の先まで、女性らしい手付きで水滴を拭き取っていった。
「な、なによ」
「いえ、その細い身体でよくあれだけ振れるな、と」
「魔法師に負けた剣士に対する慰めにしては貧相ね」
「そんなつもりじゃありませんよ」
「わかってる。あんたがそういう男じゃないって。私に勝ったあんたにだから教えてあげるけど、私ね、剣を交わした相手の考えてることがわかるの」
「先の手が読めるって意味ですか?」
「それもあるけどちょっと違う。ま、詳しいことはもう少し親しくなったら教えてあげるわ」
相手の考えがわかる──。
神からの
リーゼ先輩も──
「だからなにジロジロ見てんのよ!」
◆
『もしかしたらミスティア=ハーティスよりあんたの方が強いんじゃないの?』
リーゼ先輩と別れて寮へと帰る道すがら、俺は先輩が言った言葉を思い返していた。
詳しいことは教えてくれなかったが、リーゼ先輩は強者を求めてこの国に来たらしい。
その強者というのが、当時聖教騎士として名を馳せていたミスティアさんだったそうだ。
俺はその名を耳にしたとき、心臓が止まるかと思うほど驚いた。
まさか紅の剣姫の口から、俺の知る『剣姫』の名が出るとは。
剣を交えるためにスレイヤへとやって来たそうだが、ミスティアさんとの手合わせは実現しなかったと言う。
ミスティアさんが騎士を引退したという噂が流れ、それを裏付けるかのように、ミスティアさんの行方がわからなくなってしまったからだそうだ。
俺は拳を握ってその話を聞いていた。
リーゼ先輩は止む無くミスティアさんのことは諦め、試練の森で魔物相手に腕を磨いていったと言っていた。
『ミスティア=ハーティスは私の憧れであり目標でもある』とも。
「リーゼ先輩……やはり試合には必ず出てくるだろう……」
そのとき、こっちは誰が相手をすることになるのだろうか。
俺は特別推薦枠だからあたらないが……
リーゼ先輩は決して弱くはない。
もしかしたらあと二回、いや、もう一回やれば俺が押さえ込まれていたかもしれない。
神からの贈り物……
俺は大波乱を予感させる交流戦を前に、身が引き締まるような感覚を覚えた。
◆
「負けた……八回とも負けた……やっぱりあの男は……」
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