第185話 隠さなければならない思い



 迫り来るいくつもの風の刃──。


 第六階級魔法、風刃連弾。


 青の都に張られた結界の中では、また、一介の平民では到底行使することなどできない高位の魔法だ。

 賊が行使したにしては学院の生徒が放つ魔法となんら遜色がないほど、強力に見える。

 詠唱にかかる時間を除き、威力だけでいえば第五階級に匹敵するのではなかろうか、と思わせるほどの魔法だ。


 だが、所詮は魔石が媒介となって創りだした魔法、すなわち存在すべきでない場所に無理やり生み出した現象に過ぎない。

 自然の理そのものに干渉する精霊、さらにその最上位にあたる原初の精霊を使役する加護魔術師の前では、酷く歪で滑稽な曲芸でしかない。


 ゆえに──


「──臨」


 第一位階の印を結ぶだけで、『死ね!』と威勢よく放った割にはこの風魔法でどこをどう間違ったら死ぬことができるのだろうか、と苦笑すらしてしまうほどに粗末な低階級魔法に成り下がってしまう。


 この男をここまで思いあがらせたのも魔石の力か──。


 刹那──昔、旅の途中で襲ってきた賊の一団の中に、不思議なくらい高位の魔法を使う者がいたことを思い出した。


 これは由々しき事態だな──。

 早急にコンティ姉さんに報告しておこう──。

 

 さて──


 止まって見える陳腐な風刃を周囲に拡散させないよう、風の理であるリーファに無害化してもらおうとしたとき


「──!」


 俺の左腕が凄まじい力で引っ張られ、体勢を崩してそのまま勢いよく地面に倒れこんでしまった。


 しまった!

 こっちにもいたんだった!


 俺を引き倒したのは四人目だったことにすぐさま気が付く。

 頭を上げて風魔法を視認しようとするが、その頭をも力任せに抱きかかえられてしまった。

 想像以上の力に驚き、身動きが取れずにいると──直後、横たわる俺の身体すれすれにいくつもの風刃が通り過ぎ──後方の石畳を穿った。


 バラバラと小石の破片が降り注ぐ。

 顔を上げて敵を確認したいが、四人目の凄まじい腕力で抑え込まれてそれも敵わない。

 それどころか鼻と口が柔らかいもので塞がれてしまい、呼吸が苦しくなり──終いには意識を失いそうになってしまった。


 そういえば……石畳に倒れ込んだのに痛くない……ぞ?

 それにこの柔らかい感触……苦しいけど……なんだか……


「あ、あんたバカッ!? バカなのッ!? あんな高位魔法を前にボケっと突っ立ったままって、死にたいのッ!? すっごい奥の手でもあるのかと思ってたらなにもないじゃないッ! 私の剣を素手で止めたからまさか──なんて思っちゃったけど、人違いもいいとこじゃんッ!」


 なんか遠くで怒鳴り声が聞こえる……

 誰かが怒ってるのかな……誰が怒られてるんだろ……

 ああ……意識が……


「もうッ! いつまでそうしてるのよッ! 早くどきなさいよッ!」


「ブハッ! ──ゲホッ! ──プハァッ!」


「逃げられたらどうすんのよッ! この人違い男ッ! 危ないからヘタレなあんたはそこにいなさいッ! 勝手に動いて真っ二つになっても責任とれないからねッ!」


「っぷはーッ!」


 強引に身体が転がされて、温かく柔らかい感触から一転、石畳のゴツゴツと硬く無機質な質感が肌に伝わって来る。

 だがようやく肺一杯に空気を送り込むことができ、どうにか半死状態から生還することができた。


 な、なんて馬鹿力だ!

 一歩間違えば死ぬところだったぞ!


「おいッ! 俺を殺す気か──」


 身体を起こしざま四人目に怒鳴り付けようとしたが、すでにその場所にはおらず、どこに行ったのかと確認すると


「卂い!」


 四人目は小男を無力化し、次いで大男も無力化、そして逃げ出した案内屋に追いつき首根っこを捕まえているところだった。


「線なし君ッ!」


「ラルククンッ!」


 そのとき、路地の入口から俺の名を叫ぶ先輩たちの声が聞こえてきた。

 石畳に尻を付けたまま振り返ると、血相を変えて駆けてくる四人の姿が目に入る。

 俺は立ち上がって制服の土埃を払うと、四人に無事を伝えるために軽く手を上げ──


「危ないッ!」


 ヴァレッタ先輩の叫びに反射的に振り返る。

 すると小男が最後の力を振り絞って、風刃連弾を四人目と案内屋に向けて放ち終えたところだった。

 ふたりはこっちに背を向けているので魔法に気が付いていない。

 このままではふたりの胴体は切り刻まれてしまう──が、


「リーファ」


 上げていた手を下ろしがてら加護魔術を行使する。

 すると強靭な風の刃は、母である風の精霊に抗うことなどできようはずもなく、春の草原を吹き抜けるそよ風の如く優しい風に姿を変え──丁度こちらを振り向いた四人目のローブをふわりと揺らした。


 その瞬間──被っている《頭巾》フードも持ち上がり、ほんの僅かだが髪が見えた。

 目の覚めるような紅い髪──

 だが、四人目は風でめくれそうになったフードを素早く被り直すと、案内屋を前につき飛ばして自分は路地の奥へ走り出してしまった。


「線なし君ッ! 何があったの! 怪我は! 痛いところはない!?」


「アリーシア! あの黒い奴を追えッ!」


「りょーかいッ!」


「待ってくださいアリーシア先輩!」


 俺は走りだそうとするアリーシア先輩を止め、


「アーサー先輩、彼女は──いえ、あの人物は味方です、俺を助け、あの男らを無力化してくれました」


 全員に聞こえる声でそう説明する。


「──ヴァレッタ先輩、ご心配おかけしました。俺は大丈夫です」


 そして心配そうに俺を見るヴァレッタ先輩とフレディアに笑顔を向けた。


 ちら、と四人目が去っていた方角へ目をやると──そこには横たわる案内屋の他には誰の姿も見当たらなかった。







 ◆







「それじゃあ、あの袋の中に……」


「ええ、それもおそらくは子どもが入れられています」


 簡潔に報告を終えると、眉を顰めたヴァレッタ先輩がアーサー先輩に革袋を運んでくるよう指示を出す。

 フレディアは騎士団を探すため、通りに出ていた。


「線なし君、ごめんなさい、私たちがお祭りに浮かれて行列なんかに並んでいたから」


「いえ、勝手な行動を取ったのは俺です。先輩たちを待つことも選択肢にあったのですが、人命にかかわることだと判断したので単独行動を──」


「まあいいじゃん! 無事だったんだから! 伝報矢が使えない場合の連絡方法をどうするかっていう問題点も見つかったんだし! ──にしても、へぇ、ラルククンが助けられるなんてねぇ……? それもあの有名人に……へぇ……」


「アリーシア、去っていった人物の顔を見たの?」


「ええ、班長。この眼がばっちり見ました。見ちゃいました。なんとあの黒ローブの人物は、あの『くれない剣姫けんき』に間違いありませんですぜ」


 うっへっへ、と、おかしな笑みを浮かべたアリーシア先輩が、なぜか揉み手をしながらヴァレッタ先輩に報告する。


「ええ!? 紅の剣姫!? あの!? ──はぁ……さすがは線なし君というか……なんというか……」


「ヴァレッタ先輩、その紅い剣姫、というのは──」


 聞いたことのない名を耳にして、ため息を吐くヴァレッタ先輩に質問したところ


「ヴァル、やはり子どもほどの重さがある。この様子だとラルクの報告通りかもしれないね」


 アーサー先輩が革袋をふたつ抱えて戻ってきた。

 俺は『紅の剣姫』のことは後回しにして、今は袋の中を確認することを優先しようと革袋に目を向ける。


「では開けるよ?」


 アーサー先輩が革袋の包みを解く。

 すると──


「女の子……線なし君の言ったとおりのようね……」


 袋には十にも満たない女の子が入れられていた。

 もう片方の袋からも、同じ年頃の少女が出てきた。


「双子かしら……良かった、ふたりとも息はしているわ。薬で眠らされているようね」


 ヴァレッタ先輩が手際良く容態を確認する。


「お手柄ね、ラルククン、いきなり大事件だったけど、無事解決して良かったね」


「魔法科学院生として誇っていいぞ、これでお前のことをとやかく言う輩も──」


「あ、騎士団が来たようね、線なし君、お疲れ様。騎士団へは私から報告するわ」


 先輩が揃って俺のことを労ってくれる。


 しかし、俺の頭は思考を停止してしまっていた。

 現実が目の前にあるのに、それを受け入れるのを全身が拒否している。


 ふたりの子どもが無事だった、そのことが嬉しくないわけがない。

 偶然とはいえ、結果として手柄を上げられたことも、班の、延いては俺の成績向上にも繋がるかもしれない。


 だがしかし、俺の心は激しい嵐に見舞われたように揺り動かされ、この場に二本の足で立っているのがやっとだった。


 そんな……この少女は……

 似ている……いや、似ているなんてもんじゃない、あの頃のままだ……

 夢にまで見たんだ、見間違うわけがない……

 ああ、なぜお前たちがこんな目に……


 俺は震える手で七年前に別れたきりの妹たちの頬に触れようと手を伸ばす──


「こんなとこにいたのか!」


 しかし聞こえてきた声にハッと我に返り、出した手を即座に引いた。


「ったく、探したぞ!」


 声のした方を振り返る──と、どうやらフレディアが連れてきた騎士団に混ざって先頭を歩く、貴族然とした小太りの少年が声を発したようだった。


 少年は無造作に俺らを掻き分け石畳に寝かされた少女ふたりを見下ろすと──


「おい! いつまで寝てるんだ、ネルフィ! ミルフィ! これ以上俺に迷惑をかけるな! 早く起きろ! グズ!」


 そう叫んで少女たちの頭を足蹴にした。


「──!」


「なんてことをするのですか! この少女たちは賊に襲われて大変な目に遭ったばかりなんですよ!」


 俺が少年の取った行動に驚いて声も出せずにいたところ、ヴァレッタ先輩が怒りを露わにして怒鳴り付けた。


「なんだお前は! こいつらは俺の妹だ! 兄の俺が妹をどうしようとお前には関係ないだろう!」


「幼い少女の頭を蹴るなんて、兄としては無論、男としても人間としてもあるまじき行為です!」


「こいつらが勝手にいなくなったせいで俺が探すはめになったんだぞ! いちいち口を挟むな! おいお前! 俺はクロスヴァルト家の長男、マーカス=クロスヴァルトだぞ! たかが学院の生徒が俺に盾突くなど小生意気だ! 父様に言って首を刎ねさせるぞ!」


「あら、クロスヴァルト家の長男はラルクロア様ではないのですか? いつから二男が長男を騙るようになったのですか? それに私の首を刎ねるのであれば、相応の理由が必要になりますよ? 一応私もヴァルトに名を置く者ですから。あなたとこうしてお会いするのは初めてですわね──」


 そこまで一気に口にすると、ヴァレッタ先輩は優雅にスカートの裾を摘まみ、


「──はじめまして、マーカスお坊ちゃま、私はヴァレッタ=サウスヴァルトと申します。以後お見知りおきを」


 丁寧過ぎるほどに深くお辞儀をした。


 マーカスは──変わり果てた姿の俺の弟マーカスは、さらに顔を赤くして口をパクパクさせている。


「あら、以前お会いしたご長男のラルクロア様は、幼いながらにそれは見事なご挨拶を返して下さいましたけど、弟のマーカスお坊っちゃまは十を超えても礼儀作法をご存じないようですわね」


 ヴァレッタ先輩が口に手を当てて、上品に笑う。

 その態度がますます癪に障ったのか、


「兄など居ない! あいつはクロスヴァルトの面汚しだ! 二度とその名を口にするな!」


 そう叫ぶと


「おい、そこの騎士! 妹を屋敷まで運べ! さっさとしろ!」


 騎士団に命令してさっさとこの場から離れて行ってしまった。


「なにあれ、感じ悪い」


「ちょっと驚いたね……」


「ヴァルトといえば典型的な貴族だからね。ああいう態度でも仕方が──あ、いや、ヴァルのことは別だよ!」


 アリーシア先輩もフレディアも、立ち去るマーカスを見て肩を竦める。

 アーサー先輩はヴァレッタ先輩のひと睨みで口を閉ざした。


「そうね、ラルクロア様はそれは素晴らしいお人だったんですけれどね……」


 睨んでいた目を優しい眼差しに変えたヴァレッタ先輩が宙を見る。

 確かにラルクロアと『以前会った』、といっていたが……







 ◆







「──それでは後は私どもが引き継ぎます。ヴァレッタ殿、この度はご協力いただき感謝申し上げます」


 詳細な報告を終えると、俺たちはお役御免となった。


「お前らふたりはお二方をクロスヴァルト殿の屋敷までお運びするんだ。くれぐれも丁重に──」


「すみません。少しだけこのおふたりの具合を診させていただいてもよろしいでしょうか」


 だが俺個人の問題は済んでいない。

 騎士たちがネルとミルを抱え上げようとするのを待ってもらい、ふたりの間にしゃがみ込んだ。


 ──ようやく会えたね。ネル、ミル。

 元気だったかい?

 俺は……いろいろとあったけど、どうにかこうして元気でやっているよ。


 念願が叶い、ようやく再会できたというのに、このような状況とは──。


 とても可愛く育ったふたりを見て、愛おしさが心の底から込み上げてくる。

 と同時に、優しかったマーカスがあのようになってしまっていたことに酷く胸が痛んだ。

 

 あれほど可愛がっていた妹を蹴るなど──


 ふたりの赤く腫れあがっている額にそっと手を当てて傷を癒す。

 今の俺にはこれくらいしかできないが……それでもしてあげられることなら、どんなことでもしてあげたい。


 今度はいつ会えるかわからないけど、元気でね。

 あんなマーカスだけど、言うことを聞いて仲良くやるんだよ?

 きっと人が多くて苛立っていただけに違いない。

 なにかあったら母様に相談するんだ、いいね?

 それから──


 伝えたい、話したい想いが後から後から溢れてくる。

 しかし口に出すことは許されない。

 こうしてふたりの額に触れていられるのも、俺が学院の制服を着ているからだ。


 俺はできるだけゆっくりと治療をして、できるだけふたりの成長した姿をまぶたに焼き付けた。


「ん……」

「ん……」


 するとふたりの意識が戻り始めた。

 ゆっくり治療するあまり、体内の薬も除去してしまったようだ。

 焦った俺はすぐさま治療を止めて立ち上がろうとした。

 

 だが──


「ラルクお兄様?」

「ラルクお兄様!」


 パッと目を開いたネルとミルが俺の手を力強く握り、そうすることを許さなかった。

 離れなければ、と判っていながらも、意識がふたりの瞳に吸い込まれてしまい、身動きすることができなかった。


「だ……れ……?」

「だれ、ですか……」


 手を握ったままのふたりが小首を傾げる。

 昔と変わらない、俺に質問するときに見せる仕草だった。


「──失礼いたしました。おふたりの治療をさせていただいておりました、魔法科学院一学年のラルクと申します」


「ラ……ルク……」

「え? ラルク?」


 ふたりが同時に目を丸くする。


「はい、どうやらおふたりのお身内の方と同じ名のようで。大変光栄であります」


「あ、夢……ミル……わたし、今、夢を見ていました……とても懐かしい……」


「ネル……わたしも。ラルクお兄様と寒い朝に泉に行った夢。とっても幸せだった」


「夢だったのね……」


「夢だったんだ」


 気落ちしているふたりからそっと手を離すと、


「おふたりは悪者に連れて行かれそうになっていましたが、もう大丈夫です。さあ、お兄様がお屋敷でお待ちです。こちらの騎士の方々がお送りいたしますので──」


「わたしたちに兄はおりません」


「わたしたちの兄は七年前に家を出されたラルクお兄様だけです」


 いったいなにが……


 口を揃えて同じことを言うふたりに、訊ねたいことがたくさんある。


 だがそれは……


「おふたりとお兄様の間になにがあったのかは察しかねますが、どうぞ……」


 俺は声を詰まらせた。

 もう言葉が出てこない。

 限界だった。


 目頭が熱くなり、涙を抑えるのに必死で、それを誤魔化すように勢いを付けて立ち上がった。


 騎士がふたりに肩を貸すと、ふたりはしっかりとした足取りで地に立った。


 騎士に付き添われたふたりが俺たちに会釈をして去っていく。


 

 クロスヴァルトのことに介入するわけにはいかない──。

 たとえ妹が辛い目に遭っていたとしても──。

 たとえラルクのことを待っていたとしても──。


 平民が貴族の家の内情に口を出すなど──。



 だから俺は


 ──ラルクのことを憶えてくれていた、それだけでいいじゃないか。


 助けてあげたい思いを押し隠すために心の中でそう言い続けた。


 そしてそう思えば思うほど、苦い思いが沁み出していった。





 

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