第176話 エミリアの決意 3
ミューハイアの声の余韻がまだ残るうち
「学長、私ごとですので申し上げにくいのですが……」
エミリアが口を開いた。
エミリアが斜め向かいに座っているスコットを、ちら、と見やる。と、スコットは何食わぬ顔で両手を頭の後ろで組み、天井を見上げていた。
「武術科学院の教官が同郷でしたので、少し昔話を……」
「……それだけ?」
「……はい。少し私との距離が近かったので、みなさまが心配してくださったのかと……」
ミューハイアとエミリアの会話はそう大きな声でなかったにもかかわらず、会議室にいるすべての者の耳に届いていた。
「……そうですか。わかりました。──それでは会議を始める!」
エミリアがそう言うのであればそれで構わない、というような表情で、少しだけ眉を動かしたミューハイアは開会を宣言した。
「キーナ、議題を」
ミューハイアの指示を受けて、どこからともなく表れた秘書──キーナが、ミューハイアの斜め後ろに立ち、
「本日の議題、ひとつ、──バシュルッツ王国との交換留学に関する審議」
そう口にしながら、円の中央に向かってなにかを操作する素振りを見せる。
すると円の中央に小さな円卓が出現し、その上に巨大な
巻物には議題についての詳細な内容が記載されており、どの席からでも見ることができるようになっている。
内容はシュルトが予測を立てていたものと同じだった。
バシュルッツから帰ってきた生徒の多くが、卒業後数年以内に家督を譲り受けている。
前当主は不慮の事故、ないしは急な病でこの世を去っている。
関係性に於いて説明はつかないが、憂慮すべき事態である──。
概ねこういった内容であった。
議論が交わされ始めると、その内容が中央円卓の上にある紙の束に自動で記述されていく。
一枚の紙が文字で埋め尽くされるとその紙は別の束に綴られ、議論された内容はまた次の紙に書き連ねられていく。
それが魔道具によって、自動的に延々と繰り返されていった。
エミリアは考え事をしながらそれを見ていた。
ラルクがバシュルッツに向かうためにこの学院に来たことは知っている。
だからバシュルッツへの交換留学制度が凍結されてしまっては、ラルクはかなりの衝撃を受けるだろう。
しかし──
いくらラルクとはいえ、当時聖教騎士団最強であった騎士ふたりに呪いをかけた魔法師がいるようなところに、数人の学生だけで乗り込んで、果たして無事に帰国することができるのだろうか──。
教官という、学生の身を案じる立場であるのならば、いっそのこと、呪いの事実を公表してバシュルッツを交換留学先から外してしまった方がいいのではないか──。
幸いにして、今まで呪術による危害を加えられたような生徒は出ていないが、この先も安全であるとは限らない。
現にこうして不確定要素ではあるが、バシュルッツに対する不信を表明し、それに関する議論が交わされているという事実があるのだから。
しかしそれでは事態は大きくなりすぎ、国同士の争いに発展するかもしれない──。
バシュルッツとの和平はスレイヤ国王の悲願だ。
エミリアはそのことに水を差すような真似はできなかった。
エミリアはラルクの実力を信じて疑わない。
ラルクであれば都ひとつを陥落させることなど容易だろう、と。
しかしなにが起こるかわからないのも疑いようのない事実だ。
成績優秀者が選ばれるとはいっても、同行する学生の実力はラルクの足元にも及ばないだろう。どころか、足手纏いにすらなってしまう恐れもある。
ラルクは自分の身よりも、同行している学生の命を優先するだろう。
それもわかっている。
なぜなら、そんなラルクだからこそ今の自分の命もあるのだから──と。
しかし、エミリアは得体の知れない呪術を使う敵を相手に、できれば無茶なことはしてほしくなかった。
議論の結果がどちらに転んだとしても、エミリアは辛い思いをすることになる。
『今の私が一緒に行ったとしたら……聖者さまのお役にたてるかしら……』
「聖女様のご意見はいかがなものであろうか!」
ふいにエミリアの耳にその言葉が入ってきた。
ハッと顔を上げるといつしか場内は静かになっており、一同がエミリアの様子を窺っていることに気付く。
「……あ……」
エミリアは咄嗟のことに頭の中が真っ白になってしまった。
なにについて聞かれたのかもわからずに、あたふたしてしまう。
慌てて中央の巻物を見ると──まだひとつ目の議題、バシュルッツのことを示している。
バシュルッツのことについて聞かれたに違いない──そう悟ったエミリアは急いで考えを巡らせた。
なにか発言しなければまずい雰囲気だ。
「私は……」
カリカリとひっきりなしに動いていた自動記述も、この瞬間だけは休憩とばかりに静かになっている。
焦りながらも冷静に思考をまとめる。
誰の発言かはわからないが、エミリアのことを教官、と呼ばずに聖女、と呼んだということはそう言うことなのだろう。
つまり、第一階級魔法師としての意見を聞かせてほしい、と。
エミリアは結論を出した。
そしてそれを言葉にする。
「──私は交換留学制度を凍結すべきではないと考えます。冷戦状態が続いている現状、生徒が平和の架け橋になってくれることを願って止まないからです。しかし、危険と背中合わせであることも事実です、ですから、来年度より生徒三名に加えて、教官一名の同行を提案してみてはいかがでしょうか、無論、その条件が受け入れられた際には、私が生徒とともにバシュルッツに赴きます」
静寂の中、自動記述が紙を束ねる音だけが響き渡る。
しばらくして、
「おお! それは素晴らしい!」
誰かが叫んだ。
するとそれに追従するかのように場内が賛同の声で埋め尽くされる。
「それではバシュルッツに対し、従来の生徒三名に加え、新たに教官一名を足した計四名での留学が可能となるよう申し入れることとする、この決議に賛同する者は沈黙を持ってそれを示されよ、異のある者はその場で起立してそれを示されよ」
ミューハイアが立ち上がり決を採る。
席を立つ者は──いない。
呪いのことを知っている者がいたとしたら、そしてその人物が聖女の身を心から案ずる性格の持ち主であったとするならば、あるいはこの場で起立をしていたかもしれない。
聖女をそのような危険な国に行かせるわけにはいかない、と。
だがそれを知る者はいない。
そもそも学生を行かせるかどうかの議論をしているくらいだ。
呪いの噂を少しでも耳にしたものがいるとすれば、凍結云々の議論などではなく『すぐさま国境を閉鎖して戦争をするべきだ!』などとなってもおかしくはないだろう。
いや、エミリアが聞いていなかっただけで実際そういった強攻策も出ていたのかもしれない。
エミリアの意見は全員一致のもと可決された。
後は先方に申し送りをして、回答を待つのみとなる。
スコットは興味がないのか、最初の姿勢のまま天井を見上げて目を閉じていた。
「本日の議題、ふたつ、──武術科学院から申し入れられた交流戦に関する審議」
キーナの声に従って巻物が交換される。
新たに掲げられた巻物の映像には、毎年冬に行われている交流戦を前倒しで行いたい、という請願内容が書かれていた。
一瞬、場内が騒がしくなるが、ミューハイアが右手を掲げると元の静けさが戻る。
「これについては武術科学院、シャロン教官より説明がなされます。──シャロン教官、お願いいたします」
キーナの紹介によって立ち上がったのは先ほどエミリアに謝罪をした女の教官だった。
「私は武術科学院、槍術教官シャロン=ボールドと申します。まず、この場を借りてミューハイア学長並びに魔法科学院教官各位に、武術科学院学長レイモンド=ドレッチェルより預かった謝意を述べさせていただきます。──此度は我が学院の急な申し入れにもかかわらず、斯様な議会を参集していただき心より感謝申し上げます。貴院におかれましては──」
シャロンは良く通る声で学長から預かってきたという書簡を読み上げた。
「──さて本題ですが、神抗騒乱より早七年の年月が流れました。幸いなことにあれ以来、青の都を襲う脅威は現れてはおりません。しかし、王都民の心にはあの日の記憶が鮮明に刻まれているでしょう」
皆、当時のことを思い出しているのか、苦々しい表情になっている。
「時の移ろいに救われ、あのとき学院はなにをしていたんだ、という避難の声こそ鳴りを潜めておりますが、顕現祭が近付くにつれ、民らの記憶は呼び起されつつあります。不安を抱えたまま顕現祭を行わなくてはならない民の感情を鑑みるに、今こそ我ら両行の実力を王国中に知らしめるべきではないでしょうか」
魔法科学院の教官たちは、賛同するかのように頷く者もいれば、難しい顔をしてシャロンを睨む者もいた。
「王都を護るのは衛兵であり騎士であります。しかし我々学院関係者も強大な敵を相手に都を護れることをここに示さなければならないのではないのでしょうか。七年前、なにもできずにいた苦い経験を活かし、そして都中至る所で俄かに囁かれ始めている"第二の神抗騒乱"に対する不安と、我らに着せられた汚名を払拭する、そのときこと、今なのではないでしょうか!」
両手を左右に広げたシャロンは、会場の空気を確認するかのようにその場でひと周りする。
そして一呼吸ほどの"ため"を作り、
「我が学院はこのように提議します! 顕現祭直前の今こそ両行の武を披露しあい、鍛え上げた我らの真の力を民に知らしめ、絶頂を迎えつつある民らの不安と不満、その両方を同時に払拭するべきではないかと!」
一番の声量で提唱した。
言い終えるとシャロンは振り上げた腕を静かに下ろし、
「そのための交流戦の早期開催の申し入れとなります」
軽く頭を下げると着席した。
「その通りだ!」
シャロンの提議に賛成を唱える声が会場に響いた。
熱を帯びた空気が伝播するように、賛同者が立ち上がり、他校の教官に拍手喝采を浴びせる。
するとシャロンはもう一度立ち上がり、それに応えるように今度は深々と頭を下げた。
◆
『なんという茶番──』
割れんばかりの拍手が鳴りやまない会場の中にあっても、ブルネットの瞳は少しも揺れることはなかった。
その美しい顔には、薄らと冷たい笑みさえ浮かんでいる。
意図的にか──声にした呟きが、周囲に聞こえなかったのは幸いなのか。
ヴァレッタは会議開始前から冷静だった。
なぜなら今日提議される議題のすべてを知っていたからだ。
交換留学を終えてバシュルッツから帰国した報告をするために、いやいや訪れた父の書斎で偶然見た書類──。
そこには"決定事項"とされた項目に、『紅白戦を中止し、顕現祭前日に魔法科学院と武術科学院の交流戦を行わせる』と記載されていた。
果たして今、目の前でそれが行われている。
熱く語る武術科の教官、それに感銘を受け拍手を送る魔法科の教官、そして民を護る気概一色に染まる会場──これを茶番といわずなんというのか。
冷たく輝くブルネットの瞳はそう語っていた。
だからヴァレッタは一晩のうちに考えていたことを行動に移した。
相手は聖教騎士序列一位の騎士も参戦するらしい。
そしてこのスコットという外道も──。
ヴァレッタはそうすることになんの躊躇いもなかった。
嫌悪や軽蔑をも通り越して、すでに無関心という感情しか持ち合わせていない父を見返す、などということも念頭になかった。
スコットという男の実力を測りたいという好奇心だったのかもしれない。
青の聖女を虚仮にされた仕打ちをしたかったのかもしれない。
なにかと盾突いてくる武術科学院をいい加減疎ましく思ったのかもしれない。
理由など何でも良かった──のかもしれない。
だが、心の奥底にある本心は違っていた。
ひと月前に見た、黒髪の新入生──"線なし"。
ひとりであの常闇の巨神に立ち向かった線なし、そしてその線なしが行使した加護魔術──。
まるで、そう、ヴァレッタが密かに憧れを寄せていたあの少年、ひとりで青の都を救った──『キョウ』が行使した魔術を彷彿とさせる精霊の光。
ひと月前、講堂の窓からヴァレッタはその目で見ていた。
光の貴公子と持て囃されている少年の光魔法も確かに飛び抜けてはいた。
しかし注目すべきはその少年ではない。
その少年の放った光魔法をあたかも棒遊びでもしているかのような所作で、何でもないことのように鷲掴みにし、その上見たこともないような膨大な精霊の力をその槍に込めて敵めがけて投げつけた、まさに現実離れした黒髪の少年こそヴァレッタは目を奪われていた。
なぜ光の貴公子が討伐したことになっているのか違和感を覚えていたが──
あれを肉眼で捉えることができたのは自分と、アリーシア、いや、彼女でも無理ではなかろうか……であればそう伝わっていても仕方がないことか……
──そう思っていた。
試練の森から遠く離れたこの地であれだけの精霊を使役することができる少年の実力やいかに──。
ヴァレッタは同じ加護魔術師として、"線なし"に興味を持ち始めていた。
だから、
「発言よろしいでしょうか」
そうすることになんの躊躇いもなく席を立った。
学院生徒代表が立ち上がったことにより、会場は若干落ち着きを取り戻した。
「発言を許可します。──どうぞ」
ミューハイアが許可を出し、続きを促す。
「魔法科学院生徒代表、四学年一クラス、ヴァレッタ=サウスヴァルトと申します」
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