第175話 エミリアの決意 2



『また中央の輪ですか……』


 会議室の扉を開いたエミリアは、あらかじめ決められている自分の席を探すため、部屋が一望できる入口付近に立ち止まり、しばし室内を見渡した。


 一口に部屋といっても、ここ十月の講堂は会議専用に建てられており、ひとつきりの部屋は驚くほどに広い。

 元冒険者のエミリアが、『さながら迷宮のとある階層みたい』──と身震いをしたほどだ。──が、十一月の講堂はこれよりもさらに広い。


 広大な空間は窓がないため全体的に薄暗い。

 それを無数の燭台に灯された火によって、どうにか照らしていた。

 議会場は、建物の角ばった外見とは異なって丸い形をしている。

 天井は高く、灯りは届いていない。

 入口からは全体がすり鉢状であることが確認でき、手前から大、中、小、と、三つある輪を見下ろすことができる。

 それぞれの輪には椅子が設えられており、この木製の巨大な輪が会議用の机であることを教えてくれていた。

 最も高い位置にある外側の輪には二百人が、二番目の輪には百、そして最下段にある中央の輪には二十人が座れるようになっている。




 シュルトと別れたエミリアは小さくため息を吐きながら階段を下りた。

 すでに半数以上の席が埋まっているため、否でも注目を浴びる。

 教官とはいえ、この異様なほどに広い学院に於いてエミリアを見ることが叶う機会は非常に稀だ。

 青の聖女の姿をまぶたに焼き付けようと、エミリアを凝視する者もいれば、手を合せて拝む者もいる。

 そんな教官らの信心深い視線を感じつつ、エミリアは階段を最後まで下りきった。


 今回、だけではなく前回もだが、エミリアに用意された席は最も内側の輪だ。

 重厚な扉を開いた真正面に位置する、学長が座る席の隣、である。

 そのこともエミリアがこの会議を憂鬱と思う理由のひとつだった。


『私より偉い人はたくさんいらっしゃるのに……』


 エミリアはラルクに似て目立つことを好まない。

 であるにもかかわらず、十一月の講堂でも学長の隣に席を用意されてしまった。

 なにか場を左右するような発言をするでもなく、ただ衆目にさらされていたのだ。

 しかし青の聖女が会議の場にいる、それだけで議会の格をひとつもふたつも引き上げていたというのもまた事実だった。



『十月の講堂に参加する生徒はひとりでしたね……』


 エミリアの席からは入口が良く見える。

 よって入室してくる人物がだれであるかも労せず確認できる。

 そんなエミリアの視界に、制服を着た生徒の姿が映った。

 生徒代表として会議に参加する、四学年一クラス、現在魔法科学院全生徒に於いて実力一位を誇る才女、ヴァレッタである。

 会議場に向けて一礼したヴァレッタは、ブルネットの髪を揺らしながら階段を下りると、エミリアと同じ最下段までやってきた。

 そしてエミリアのほぼ正面の席に座ると、瞳を閉じて会議が始まるのを静かに待つ姿勢をとった。


 エミリアは、ヴァレッタの落ち着き払った態度に感心せずにはいられなかったが、次いで入口に立った男と目が合い、稲妻に打たれたかのように全身を硬直させてしまった。


『──!』


 呼吸が乱れて指先の感覚がなくなっていく。

 視界が狭くなり、徐々に闇が増していく。




 いつかは顔を合わせることになるだろうとは思っていたが、こうも早くそのときが来るとは──。

 いや、今まで七年もの間、接点がなかったことの方が不思議だったのか──。

 せめて、せめて交流戦までは出会いたくなかった──。




 目を逸らしたい、しかしそうすることを良しとしない、エミリアは奇妙な力に引きつけられるようにその男が階段を下りて自分に近付いてくる姿を目で追っていた。




 最終的に男がエミリアの下に歩いて来るまで、エミリアは身動きひとつとることができなかった。


「よう、いい女に成長したじゃねえかぁ、エミルぅ?」


 耳元で聞こえた声に怖気が立つ。


「いや、今じゃぁ青の聖女様かぁ? 立派になったもんだなぁエミルぅ、クラックから聞いたぜぇ? 命からがら逃げたところを助けられたんだってなぁ?」


 頬に息がかかるくらいに近寄って話しかけられたエミリアは


「……ひ、久しぶりですね、スコット……ク、クラックと会えたのですか……」


 掠れた声をどうにか喉から絞り出した。

 スコットとクラックが再会したことに、ひどく不安な感情がせりあがってくる。


「ん? あぁ。んなことより、こんなとこに逃げ込むとは、お前も考えたじゃねえかぁ? さすがの俺様でも正面切って手を出せずにいたぜぇ?」


 エミリアの肩に手を乗せたスコットが、いっそうエミリアの耳に口を近付けると


『俺の地位を貶めるような戯言を吹聴していなかったことに救われたな』


 殺気すら感じさせる口調で囁く。


「……に、逃げ込んでなど……それに吹聴なんて……」


 奪魔人鬼アブソーブ・オーガ討伐ののことを言っているのだろう、とエミリアは瞬時に理解する。

 七年前に垣間見た本性よりもさらに酷い性格になってしまっている元冒険者仲間のスコットに、エミリアは恐怖を憶えた。


「誰の入れ知恵か知らねえが、ここに入るのは苦労させられたからなぁ? その分、きっちり礼はしてもらうけどよぉ? なあ、エミルぅ?」


 スコットは、エミリアの美しい髪をひと束わし掴みにすると、自分の鼻に押し付け目いっぱいに息を吸い込む。と、


「堪んねえなぁ! こんな良い女が俺のモノだとはよぉ! クラクラするぜぇ!」


 静かな会議室の隅まで行き亘るほどの大声で辱められたことに、エミリアは怒りが込み上げ


「やめてスコット! いつ私があなたのモノになったのですか!」


 スコットの手から髪を奪い、立ち上がった。

 しかし声は掠れ、足は震えている。


 エミリアが拒絶したことで室内の空気が一変する。

 武術科学院の制服を着た教官の愚行に、それを不快に思う多くの教官が立ち上がった。

 しかし相手は第一階級冒険者であると同時に賓客だ。

 スコットの態度はスレイヤの象徴である青の聖女に対して、また、魔法科学院の特別講師であるエミリア教官に対して許されざる行為であることに違いはない。

 だが、ここで下手に騒いでは武術科学院との間にさらなる軋轢を生じさせてしまう──そんな思いがあるからだろうか、それとも聖女エミリアと知り合いのようであるスコットとの痴情の縺れ──と捉えているからだろうか、いきなり攻撃を仕掛けるような者はいなかった。


「おい、エミルぅ。そんな態度とっていいのかぁ? ──おい! ここにいる奴らにいいことを教えてやろう! この女はなぁ、俺が育ててやってんだぜぇ? 俺の『銀風の旋律』にいたころに手取り足取りよぅ! 奪魔人鬼アブソーブ・オーガ討伐のときもなにもできずに小便漏らしてたようなガキが、青の聖女なんて呼ばれるようにまでなったのは俺のお陰なんだぜぇ!」


「──! スコット! そのような侮辱! あのときはあなただって──」


『おっとエミルぅ、発言には気を付けろよぉ? お前の幼馴染がどうなってもいいのかぁ? 』


 スコットが周囲を気にしながら小声で囁く。


『──ま、まさか!? あ、あなたどこまで卑劣な!』


 エミリアの背中に戦慄が走った。


 やはりエミルの予感は正しかった。

 スコットはクラックを手に掛けられる状態にある──。

 

 師匠であるイリノイは『冒険者などすべてが自己責任だ』と言い、クラックの同行など意に介さずにいたが、それでもエミリアにとってクラックは幼馴染だ。


 クラックは、スコットになにをどこまで話したのか──。


 スコットが去ったとき、クラックは息が止まっていた。

 だからクラックは魔物はスコットでなくラルクが倒したということや、スコットがエミリアを置き去りにしたということは知らない。

 エミリアもクラックには、『スコットとは途中ではぐれた』としか話していない。

 そのためスコットが不利になるようなことは話さないはずだ。

 だが、しかし庵のことは知っている。


 助けてもらった恩を仇で返すようなことはしないと思いたいが──。


 エミリアは下卑た笑みを浮かべるスコットを睨みつけた。

 しかしスコットはそれを愉しむかのように、汚い歯を見せて笑った。



「なにをしているのだ! スコット教官!」


 そのとき、張り詰めた空気を裂くかのように、女の声が議会場に響き渡った。


「貴殿はここがどこなのか理解しているのか! 余計な発言や行動は控えよ!」


『チッ、あいつらもう来やがった……』


 舌打ちしたスコットがエミリアから離れる。


  ──誰?


 エミリアが声の聞こえてきた方へ視線を向ける。と、会場中の教官も一斉に入口を見た。


「単独での行動は禁じていたはずだぞ!」


 すると入口に、武術科学院の制服を着た二名の教官が立っていた。

 ひとりは女でひとりは男。


 険しい顔をしながら階段を下りてきた教官ふたりはエミリアの脇まで来ると、スコットを取り押さえ、恭しく跪いた。


「──青の聖女様、此の度は我が学院の教官が大変ご無礼仕りました。この者には後ほどしかと言い聞かせておきますゆえ、何卒ご容赦のほどを」


 謝罪を声にしたのは、エミリアと同じほどの年齢の女の教官であった。

 スコットは男の教官に頭を押さえつけられている。


「……いえ、どうぞお顔を上げてください。御三方とも席にお着きください、間もなく議会は開始となります……スコットとは後ほど話をする機会をいただければ、それで構いません……」


 同年代のしかも女性からの丁寧な謝罪を受けて、エミルはこの場ではいったん矛先を収めた。

 それによって、ふんだんに怒気を孕んでいた室内の空気も若干和らぐこととなった。





「ミューハイア学長のご入室です!」


 それからしばらくして、係がミューハイアの登場を告げた。

 ミューハイアは、顰め面で階段を下りてくる。

 場内を隅々まで見渡すミューハイアは、剣呑さが残る場の空気を敏感に察知したようだ。


 ミューハイアが最後のひと席に着くと大きく息を吸い、


「──なにがあったのか説明をしなさい!」


 場内に毅然とした声を轟かせた。


 実に十五年ぶりの開催となる十月の会議は波乱の幕開けとなった。





 

 

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