第173話 ブルネットの瞳
『アーサー様だ……どうして寮にいらっしゃるんだ……』
『ヴァレッタ様もご一緒だぞ……』
騒動を遠巻きに見ていた生徒たちの囁き声が聞こえてくる。
食堂の中は異様なまでに静まりかえっている。そのため、囁き声は俺の耳にまで届いてきた。
アーサー、ヴァレッタ……
名前からしておそらく男の方がアーサーで、女の方がヴァレッタだろう。
リオンが固まっているということは、三学年の一クラスではなく、四学年の一クラスか。
二学年ではなさそうだ。
それにこの女性は──。
「ふ~ん」
ふたりを観察していると、ヴァレッタと思われる女の生徒が、手を後ろに組んだままつかつかと歩み寄り──
「うん、近くで見ると結構可愛い顔してるじゃん」
──俺の目の前で立ち止まると、前屈みの姿勢で俺を見上げてそう言った。
ふわっと甘い香りが漂ってくる。
香水だろうか──大人っぽい印象の、決して嫌いではない香りだ。むしろ、そこはかとなく懐かさや親しみさえ感じる。
この
しかし俺が気になったのは、艶のある柔らかそうな
もしかして……呼び合わせの石じゃないのか? これ……
今でも、いつファミアさんから連絡が来るかわからないからと、肌身離さず付けている首飾り。
あの日以来、この石から声が聞こえてくることはないが、それでも外すことができずにいる。
友達の証、といってファミアさん自ら俺の首にかけてくれた……ああ、大きさもほぼ同じ、間違いない、これは呼び合わせの石だ。
ファミアさんは非常に高価なものだと説明してくれたが──あ……。
「ちょっと?」
石が見えなくなってしまった。
いや、正確にいうと、前屈みになっていたヴァレッタさんが両手で胸元を押さえために、手の中に首飾りが隠れてしまった。
石が見えなくなってしまったので視線をヴァレッタさんの顔へ移すと、
「そこまで堂々と見られると、さすがに恥ずかしいんですけど?」
いたずらっぽい笑みを浮かべて目を細めている。
「は?」
石を見ていただけでなにが──?
きょとんと首を傾げるも、視線を元の場所に戻すと──そこにふくよかな双丘を捉えた。
「あ! い、いや、そういうつもりでは──」
俺はヴァレッタさんの言わんとしていることに気が付き、慌てて否定する。
「まあ、君はまだ若いし? 私もこの身体つきだからね、うん、うん、わからないでもないよ?」
そう言うとヴァレッタさんは、両手で、ぐい、と自分の胸を押し上げて
「でも、見るのならもう少し上手に、ね? ほら、チラチラと覗き見る方がなんとなくありがたいでしょ?」
目を逸らしてあさっての方向を見ている俺の表情を下から窺う。
「ですから、俺は──」
「ヴァル、そのくらいにしないか、遊びに来たわけではないんだぞ?」
『あなたの胸なんか見ていません!』と無実を叫ぼうとしたとき、もうひとりの生徒がヴァレッタさんの後ろに立ち、肩を軽く叩いた。
やはり、
ヴァル、というのはヴァレッタという名の愛称だろう。そうすると、この男がアーサーということか。
ヴァレッタ先輩は『てへ』と笑いながらアーサー先輩の隣に並ぶ。
「リオン、お取り込み中だったようだが、なにがあったんだ?」
アーサー先輩が俺の後方に睨みを利かせる。
「い、いえ、僕はこの男に少し訊きたいことがありまして……し、しかし、ア、アーサー様、アーサー様ともあろうお方がなぜこのような場所に……」
「僕がなぜここにいるのかを君に話す必要があるのかな? それに……一年間とはいえ僕も君もお世話になった歴史ある寮に対して、このような場所という言い方はどうだろう」
「あ、いえ、! そういう意味では! お、おい、起きろっ! 行くぞ! ア、アーサー様、ヴァレッタ様、し、失礼いたします!」
リオンが蹴飛ばしてもバードは目を覚まさないため、オリヴァーに指示を出し無理やり引き摺ってこの場から退散しようとする。と、それを見た野次馬たちがサッと割れて道をつくる。
リオンが出口へ向かおうとヴァレッタ先輩の横を通り過ぎようと──そのとき、ヴァレッタ先輩がリオンの耳元でなにかを囁いた。
するとリオンは首をこくこくと何度も縦に振り、逃げるように食堂から出ていった。
「なにがあったのか、おおよその見当はつくが──」
「ねえ! あの噂って本当なの? 紅白戦が中止になるよう君が陰で操作していたって!」
アーサー先輩の話を遮って、不自然なほど大きな声でヴァレッタ先輩が訊ねてくる。
やはりこの人たちもそれを確認しに来たのか。
はあ、面倒だ……
俺は隣のフレディアと目を合わせて肩をすくめると
「……そのようなことしていませんが……?」
否定するのも億劫だ、と、ヴァレッタ先輩の目を見て、ため息とともにそう答えた。
「だって! みんな聞いた!? 聞いたよね!?」
するとヴァレッタ先輩は質問をしてきたときよりも大きな声で、自分の声を食堂中に響かせる。
部屋で休んでいた生徒も騒ぎを聞きつけて見学に加わっているのか、今や寮にいるほとんどの生徒が食堂入口に集結しているのではなかろうか、と思えるほどに人が多い。
その全員に聞こえるように、わざと声高に発したようだ。
ヴァレッタ先輩は小さな耳に手を当てて「ん? ん?」と生徒たちに返事を催促している。
生徒から肯定の返事が聞こえてくると
「はい、じゃあこの噂はこれでおしまい! はい、解散~! 良い子は早く寝る!」
ヴァレッタ先輩が両腕を高く上げて手を振る。と、集まっていた生徒たちは名残惜しそうにヴァレッタ先輩を見つつも、言われた通りに部屋に戻っていく。
気が付くと、もともと食事をしていた生徒も食堂から出ていこうとしており、室内には俺とフレディア、そしてアーサー先輩とヴァレッタ先輩の四人だけになろうとしていた。
「さて、やっと静かになったね」
最後のひとりが退室するまで手を振って見送っていたヴァレッタ先輩が、肩を交互に揉みほぐしながら俺たちに向き直る。
「アーサー先輩、ヴァレッタ先輩、とお呼びしてよろしいのでしょうか」
俺はそのタイミングを見計らい、ふたりの先輩に声をかけた。
「ああ、構わない、僕は──」
「おお? 君、礼儀正しいんだね? うん、私はヴァレッタだけど、君は特別に、ヴァル、って呼んでいいよ?」
「……いえ、他の方たち同様、ヴァレッタ先輩と。アーサー先輩、リオン先輩たちをやり過ごしていただいてありがとうございました。──それで、ヴァレッタ先輩はわざとあのようなことを?」
「あのようなことって……え? もしかして、これのこと?」
肩を揉んでいた両手を下ろし、胸を揉み始めたヴァレッタさんを真顔で流し、
「いえ。俺の噂のことです。大勢の生徒の前でわざと大きな声を出されたのでは。俺の噂が間違っていることを広く知らせるために」
「なぁんだ、そっちか。うん、まあ、どう捉えてもらっても構わないよ? 私のしたことはすべて私のためにしたことだから」
「……どちらにしても煩わしさから解放されるだろうことに変わりはありません。ありがとうございました」
よくわからない回答のヴァレッタ先輩にそう言って、俺は頭を下げた。
「君がヴァルに礼を言う必要は──」
「おや? 線なし君的に私の評価って急上昇? でもお礼なんていいよ──」
ヴァレッタ先輩はお辞儀をする俺の顔を、胸に手も当てずにまたもや覗き込むと
「そもそもその原因を作ったのは私だもん」
衝撃の事実を言い放った。
驚いてヴァレッタ先輩の顔を見ると、先輩のブルネットの瞳は『どう? びっくりした?』とでも言いたげに輝いていた。
まるでいたずらに成功して鼻高々に勝ち誇る子どものようだ。
「…………」
俺はロティさんには悪いが、つくづくエルフの女性は苦手だ、と天井を仰いだ。
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