第161話 騎士の国 シュヴァリエール



「随分と乾いた大地だな……」


 シュヴァリエール公国に近付いたからなのか、スレイヤ王国から離れたからなのか、眼下に広がる大地は次第に緑が減って砂丘地帯の占有率が増えていく。


「スレイヤは恵まれているのか……」


 その光景を見て、文献だけでは決して知ることのできないスレイヤと他国との違いを教わる。


「やっぱり生の情報は大切だよなぁ」


 スレイヤという国にいただけでは、なにも知らないまま一生を終えていただろう。

 それを考えるとはるか南方からやって来たリューイのふたりや、フレディアの方が多くの知識を持っているのだろう。最低でも二国は知っているのだから。


「ミスティアさんとファミアさんが元気になったら、俺もいろいろな国に行ってみよう」と決意を新たにした。

 

 




「あの山を越えたあたりか?」


 伝報矢はまだ下降する気配を見せない。が、約二アワルほどの移動時間に、あてずっぽうではあるが、もうそろそろ目的の地だろうと見当をつける。



 すると予想した通り、あまり高くはない山脈を越えたところで、シュヴァリエール公国と思しき城塞に囲まれた都市を視界に捉えた。


「どうやらあそこらしいな……リーファ、減速してくれ」


 矢とともに速度を落として目を凝らすと、城塞都市は巨大な八角形を成しており、中央にはひと際目立つ巨大な塔がそびえ立っていることがわかる。

 面積としては……森を含めた青の湖一帯といったところだろうか。

 スレイヤの王都、アルスレイヤの三分の一ほどの大きであるように見える。

 

 さすがにこのあたりまでくるとバーミラル大森林から離れているだけあって、加護魔術の効力が弱い。

 古代魔法は魔石が、そして現代魔法は魔素がなければ魔法を行使することができないという欠点があるのと同じように、加護魔術もバーミラル大森林から離れ、精霊の加護が弱まれば弱まるだけ本来の力を発揮することができない、ということを身をもって感じることができた。


 俺は第四の印まで結ぶことによって集中力を高め、どうにかこの場でも安定して精霊を使役することができている。


 通常の加護魔術師はどうなんだろう──。


 もしここよりも遠いバシュルッツに加護魔術師が赴いたとしたら……


 ミスティアさんやファミアさんであったとしても、精霊を使役するのに苦労したに違いない。

 あのふたりは強い。

 もっと大森林に近い場所であったのなら、あるいはあのように遅れをとることなど──


 俺の頭に陰鬱な思いがふつふつと湧きあがりかけたそのとき、


「ん? どうした、アクア──」


 アクアがなにかを察知したようで、警戒を促すような感情が伝わってきた。

 俺は意識を集中させてなにか不自然なことはないかと、地上に目を配る。


「なにもなさそうだけど……」


 地上からは「嫌な感覚」はしない。


 ということは──


 前方に近付きつつある城塞都市に意識を集中させる。が──


「あそこからでもなさそうだな……」


 都市からも「嫌な感覚」はしてこない。


「う〜ん、どこだ?」


 こんなとき、大森林近くだったらアクアに聞けるのに──。


 この場所は加護が弱いためにアクアの声が聞こえない。

 アクアの不穏な感情だけが伝わってくる。


 「アクア?」会話を試みるも「やっぱり駄目か……」返事はない。


 まあ、もともとあまり答えてはくれないけど……


 スレイヤと違い、精霊たちといつものように意思の疎通が取れないのがもどかしい。


「加護の弱い場所か……これも対策を考えないといけないな……」


 バシュルッツに乗り込んだとき、全力の加護魔術が行使できない、なんてことになったら一大事だ。

 幸い交換留学まではまだ一年あるから、対応策を練る時間はあるが──。


「印をもうひとつ結んでみるか……」


 俺は自力で異変を探すことを諦め、アクアに頼ろうと


「──皆!」


 第五の印を結んだ。


 その途端、城塞都市のはるか上空から「嫌な感覚」がしてきたことに、反射的にそこへ意識を向けた。


「! あそこかっ!」


 すると──その場所に、ドロドロとした不快な念を垂れ流すなにかを捉えた。

 姿は見えないが、確実に不気味な存在がそこにはある。


「なんだあれは! あんなのものに気付かなかったなんて!」


 間違いなくアクアはあれのことを言っていたのだろう。

 その証拠に「早くどうにかして!」と切実に訴えてくる。


「早くって言われても……」


 俺も近寄りたくない。

 これだけ離れているというのに吐き気が込み上げてくるのだ。

 これ以上近付いたら正気を保っていられるかわからない。


 どうしたら──。


 距離があるために加護魔術も届かないだろう。

 そもそも実態のない邪念のようなものに加護魔術が通用するかもわからない。


 巨神とのときも──


 そのとき、俺の隣で編隊を組んでいるフレディアの矢に気付く。


「いいものがあった! あそこに見えているのがシュヴァリエールに違いないだろうし、そうなるともうこの矢は用済みだろう!」


 俺はそう言っておもむろに矢を掴むと


「──シッ!」


 なにかに向けて思いっきり投てきした。

 当然、四柱の精霊の力を込めて。


「──案内ありがとうなッ!」


 ひと回りほど太さを増した矢は、ものすごい勢いで飛んでいった。







 ◆







「ええいっ! まだ雨は降らぬのか!」


「そのようなこと申されても、我らではどうすることもできぬ!」


「このままではリシェルの泉もいずれ枯れ果ててしまうぞ!」


「一年も汲み上げてあるのだ、それも致し方なかろう」


「なにを悠長なことを! シュヴァリエール五千の民の命を守るのことこそ我ら騎士の役目ですぞ!」


「ならばどうする! 自然を相手に我らができることなどたかが知れているのだ!」


「やはり二の姫が病に伏せたことと関係があるのでは……」


「皆! 落ち着け! 感情に任せた発言は控えよ! 騎士たるもの常に冷静であらねばならん! それに何度も言っておろう! 我が妹エルナの病と此度の干ばつとは無関係であると! エルナを愚弄する言を吐く者! 次はないぞ!」


 飛び交う怒号のなか、凛とした声が場を鎮める。

 レイア=グランシュタット、このシュヴァリエール公国を統治するガラム=グランシュタットの長女──いちの姫の声である。


「──大公、いずれにせよこのままというわけには参りませんぞよ。泉の水の消費は当初想定した範囲を大きく超えております。隣国スレイヤへ出した使いが戻るのも当分先のこと……もし後十日、雨が降らないようであれば、いよいよ……」


 年老いた男が、この議会の指導者であるガラム=グランシュタットに向けて発言をする。


「わかっておる。だが、それは最後の手段だ」


 それに対してガラムは苦い顔で応じた。

 すると、先ほど場を一喝したレイアが、実父であるガラムに対し口を開く。


「大公、このレイア、民のための覚悟はとうにできております。であるならば一日でも早く儀式を──」


 しかしガラムはその言葉を遮り


「レイア、それは最後の手段だと言っておる──皆の者、一旦閉会とする。各々意見を纏め、三の鐘に再び集まられよ」


 閉会を宣言した。

 それを受けて十数名の男たちは席を立ち、扉から出て行く。

 そして広い議会場にはガラムとレイア、そして先ほど発言した年老いた男の三人となった。


「レイアよ、お前はあの儀式を行うことにより本当に雨が降るとでも思っておるのか?」


「大公……父上、私とてそのような古めかしい儀式など、時代錯誤もいいところだと考えております。しかし、老騎院どもを納得させるにはそれしか……ただでさえ奴らはエルナの呪いとこの災いとを民心をも巻き込み、結びつけようとしているのです。その感情を抑え込むためには──」


「一の姫様、それで雨が降らなければどうしますのじゃ。あ奴ら、次には二の姫様を贄に出せと騒ぎ立てるに決まっておりますぞ」


「そ、そのようなことはさせぬ! エルナこそ我が宝であるぞ!」


「しかしですじゃ、あ奴らも民も実のところは雨乞いの儀式などつゆかけらも信じてはおらぬ。グランシュタット家の姫にかけられた白銀の魔女の呪いと今回の干ばつとを一緒くたにして憂さを晴らしたいだけですぞ?」


「あれが呪いであると知れ渡っておるのか」


 老人の言葉にガラムは眉を寄せる。


「老騎院の仕業でしょうな。あ奴らフレディア公子が国を離れてからというもの、民をしたい放題好き勝手に操っておりますゆえ」


「くっ! では私の命も無駄になると知った上で、あのように切迫を装い言論を交わしているというのか!」


 今度はレイアが柳眉を逆立てる。


「じゃが一の姫様、我が国が水不足に喘いでいるということも、そしてリシェルの泉が枯れるということも事実ですじゃ。老騎院とて国を見捨てるような真似はせぬじゃろう。次の議会で具体的な策を打ち出して議論をすれば、儀式など行わずとも──」


「爺、具体的な策がなければ、どうなる」


「……儀式は避けられぬでしょうな……」








 ◆







「具体的な策など出せるものか!」


 自室に戻ったレイアは荒々しくバルコニーに通じる窓を開けた。


 もう何カ月、答えの見出せぬ言い争いをしてきたと思っている!

 とうに議論は尽くされたというのに、これ以上策を出せなど!


 レイアはバルコニーに出て深呼吸をした。

 見上げた空には、太陽を遮る雲はひとつもない。

 容赦なく照りつける日差しは、一年前から少しも変わっていない、ばかりでなく、強烈になってきているようにさえ感じる。

 実際にはそのようなことはないのだろうが、限界を超えた恨めしさからそうも思えてしまう。


「私の命を差し出したとて、雨が降るかは賭けとなる──か」


 決めた覚悟でさえ嘲笑う老騎院──。


 『次は二の姫様を贄に出せと──』


 爺の言葉が繰り返される。


「──くっ!」


 レイアは込み上げてくる悔しさから唇を噛んだ。


 自分の命であるのならばいくらでも持っていくがいい!

 しかしエルナに薄汚い手を僅かにでもかけようものなら化けて出てやるぞ!


 フレディアばかりでなくエルナまでも失ってなるものか──。




 レイアは半年ほど前に愛して止まない弟、フレディアを国から出した。

 超大国であるスレイヤ王国、そこにある魔法科学院に入学させるためだ。

 当初フレディアはエルナのためシュヴァリエールからは離れないと言い張っていた。だが──。


 それではフレディアにも老騎院の魔手が伸びるかもしれない──。


 それを怖れたレイアはある口実を作った。


 魔法科学院に入学すれば、バシュルッツに交換留学できるかもしれない、そうすればエルナの呪いを解く鍵を得られるかもしれない──と。


 レイアはそうすることでフレディアのスレイヤ行きを了承させた。

 そしてフレディアは、まだ意識の戻らないエルナと水不足に悩むシュヴァリエールに後ろ髪を引かれながらもスレイヤに旅立つことになったのだった。


 しかしレイアはフレディアの実力ではエルナの呪いを解くことができないことを理解していた。

 フレディアには期待を持たせたものの、自らは白銀の魔女の呪いの恐ろしさを、シュヴァリエールの騎士として聞き及んでいたからである。


 だから、できることでならフレディアには交換留学生に選ばれて欲しくない──

 そしてエルナにはせめて一日でも長く生きて欲しい─


 心からそう願っていた。


 そうすればいつの日かフレディアを超える魔法師が現れて、エルナの呪いを解いてくれる──


 そう信じて。

 




「私の出せる策と言ったら──」


 レイアは少しでもスレイヤに近付こうと手摺に手を突き、背伸びをした。


「フレディア……可愛い弟……お姉ちゃんは先に行くわ……もう会うことはないけれど……フレディアちゃん、エルナちゃんを守ってね」


 そびえる塔を見上げて、その向こう、遠くスレイヤにいる弟に後を託す。

 それと同時にレイアは楽しかった幼い頃のことを思い出した。

 弟と妹と野山を駆け回って遊んだ日々。

 家族が幸せだった頃の記憶が走馬灯のように脳裏に浮かんでは消えていく。


「あぁ、フレディアちゃん……あぁ、エルナちゃん……嗚呼……」


 レイアの口からはいつしか嗚咽が漏れていた。




 間もなく始まる議会に出すレイアの具体的な策、それは──。



 十日後に行なう予定でいた儀式を、今日執り行なう。

 しかしその代わりにエルナには一切手出しをしない。


 というものだった。


 老騎院の堅物どもが、儀式が十日早まった程度で納得してくれるかはわからない。


 しかしレイアにはそれしか打ち出せる策がなかった。

 自分の命を差し出すより他に取れる行動がなかった。


 覚悟なら、できている──。



「──さようなら……」



 レイアが力なく呟いたとき、三の鐘が時を告げた。

 

 この鐘が鳴り終えたとき、私の命は議会に預けられる──。


 レイアが議会場に向かおうと、バルコニーから部屋に戻ろうとしたそのとき──



 凄まじい光がシュヴァリエールの上空を襲った。



「な、何事!」


 叫び声を上げたレイアが再び空を見上げる。


 するとそこには恐ろしいほどの速度で移動する光源があった。


「ほ、星が落ちた!?」


 寿命を終えた星が大地に落ちるとき、眩しく光ると聞いた。

 しかしこの光の線は上から落ちているのではなく、下から昇っているように見える。


「ま、まさかフレディアの魔法!?」


 眩しさに目を細めて見た光は、確かに見覚えのある光だった。

 弟が得意としていた光魔法──。


 しかし威力が桁外れに異なる。


 あれが魔法だとして、あのような高位の階級の魔法、弟が放てるわけがない──。


 いくら魔法を習いに行ったとしてもまだひと月も経っていない。

 それにここに弟がいるはずがない。


 冷静さを取り戻したレイアは、光の正体がなんであるのか、手摺から身を乗り出して確認した。


「美しい光──」


 光の線はキラキラと輝く尾を引いている。


 レイアは議会のことなど忘れてその光を見続けていた。


 すると光はシュヴァリエールの真上、塔の上空に到達すると、なにかに突き刺さったかのように消し飛んだ。


 そして──少し遅れて国中に聞こえるほどの轟音が響き渡った。

 それは太陽が爆発したかのような衝撃音──。


「な、なんだっ!」


 直後、光の粒がシュヴァリエールに降り注ぐ。


 それは爆発した太陽の欠片が落ちてきたかのような幻想的な光景だった。


「美しい……これは死後の世界なのか……」


 レイアは死を前にして、このような光を見せてくれる神に感謝せずにはいられなかった。


 だから──


「アースシェイナ様……」


 久しく口にしていなかった神の名が、自然と口から零れる。

 


 だが、レイアの驚きはそれだけに留まらなかった。


 なぜなら──



「あ、雨っ!? 雨がっ!?」


 空から光の粒とともに降り注いだ雨がシュヴァリエールの乾いた地面を濡らしたからだ。



「あぁ! 神よ! アースシェイナ様!」



 空を見上げ涙に濡れるレイアの頬を、一粒、また一粒と冷たい雨粒が伝い落ちる。



 レイアが神の存在を噛み締めていたとき──


「失礼致します! 一の姫様! 剣の門にフレディア公子の知人と申されるお方がいらっしゃっております! ご指示を!」



 見習い騎士が報せを持ってきた。




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