第160話 行方の分からない恋



「──見えたッ!」


 フレディアが放った道先案内役の矢に追いついた俺は、さらに速度を上げ、矢と並んで飛行する。

 この加護魔術は風奔りの応用だが、地を走る風奔りと違い、方向転換ができない。

 方向を定め飛び立ったら、後は一直線に突き進むだけだ。

 今回のような状況では非常に有効となるが、巨神のような大型の敵と空中で攻防戦を行う場合などを想定すると……てんで役に立たない。

 ということで今後に向けて、さらに改良する必要がある。


「しかし……遅いな……」


 追いついたのはいいのだが、フレディアの放った矢は思いのほか速度が遅く、このままでは往復にかなりの時間を要してしまうだろうことに気をもみ、思案する。


「……」


 渾身の魔力を込めてくれたフレディアには悪いが、少し手を加えさせてもらおう。


「リーファ、この矢の速度を速められないか?」


 すると、お安いご用、と言わんばかりに矢の速度が一気に上がる。

 それに満足した俺は、


「よし、これなら予定より早く着きそうだ」


 フレディアの妹がいるシュヴァリエール公国を視界に捉えるまで、最高速度で飛行し続けた。







 ◆







「浮遊魔法を使っているところは見たけれど、まさか第一階級の飛行魔法まで使いこなせるなんて……」


 ラルクが文字通り矢のような速度で飛び去った後、楠の木の下にひとり残ったフレディアは、目をしばたかせて空の彼方を見やる。

 

「それに僕が放った矢を追いかけるなんてそんな無茶なこと……いや、ラルク君ならやってのけてしまうかもしれない……」


 青い空にかろうじて見えていた小さな点も、もう確認できない。

 フレディアはまさに今、目の前で繰り広げられたラルクの驚異的な実力を目の当たりにして、同じ一クラスであっても彼には到底敵わないことを思い知らされた。と、同時に、最愛の妹を彼に託せたことを心から神に感謝した。


「水不足のこととか姉様のこととか……話さなくちゃならないこともいっぱいあったのに……」


 フレディアは限られた時間がそうさせたとはいえ、ラルクを情報不足のままシュヴァリエールに向かわせてしまったことに胸を痛めたが


「ラルク君ならきっと大丈夫……だろう……」


 ラルクが消えていった方角に深く頭を下げることによって、罪悪感と相殺した。


 ──と、そのとき、二の鐘が時を告げ


「さあ、僕もいつまでもこうしてはいられない。ラルク君に頼まれたことを実行しないと」


 フレディアは自身も行動を開始するべく頬をピシャリと叩く。


「えぇと、まずはレイクホールの東地区、ハーティスさんという人の家に伝報矢メッセージアローを送る、と」


 フレディアは、ラルクに指示された内容のままに手際良く伝報矢を送ってしまうと、


「次は……貴族街のコンスタンティンさんの館か……」


 楠の木の下から離れ、学院の門へと向かった。

 






 ◆







「ここか……さっきの屋敷も大概広いと思ったけれど、ここもなんて広さなんだ……」


 貴族街にあるコンスタンティン邸の前まで来たフレディアは、背の高い門を見上げてひとりごちた。

 シュヴァリエールにあるフレディアの家も決して小さくはない。が、森と見紛うほどのコンスタンティンの屋敷からはただならぬ雰囲気を感じ、呼び鈴を鳴らすことにも躊躇してしまう。


「こんなところに入らなきゃいけないのか……きっと大貴族の館に違いない……」


 ラルクがなぜこのような大貴族の館に訪問する必要があったのか──といったことも気になって仕方がない。


 やっぱりラルク君は貴族だったのか──

 同級生とはいえ、僕はとんでもない人に頼みごとをしてしまったのでは──


 フレディアはいまさらながらに、ラルクをシュヴァリエールに行かせてしまったことに良心の呵責を感じた。


「オーヴィス男爵にご用事でいらっしゃいますか?」


 門を見上げ、大口を開けて考え事をしていたフレディアに、ふいに声がかけられた。

 ハッと我に返ったフレディアが声のした方へ身体を向けると


「魔法学院の生徒様でいらっしゃいますね? 本日はどのようなご用件でございましょうか」


 フレディアと同じ年頃に見える女性が優しい笑みを浮かべていた。

 女性が着ている服装からコンスタンティン氏の侍女と見当をつけたフレディアは


「あ、えぇと、こちらはコンスタンティン様のお館で間違いはありませんでしょうか」


 表情と姿勢を正して侍女の問いに答えた。

 若草色の髪を綺麗に結いあげた侍女は、優しい笑みを少しも崩さずに


「はい。こちらはコンスタンティン=オーヴィス男爵の館に間違いございません」


 裾の広がったスカートの上に品よく両手を重ねたまま軽く頭を下げた。

 しかし文句のつけようがないほど丁寧な受け答えをしていた侍女であったが、フレディアの


「同じ魔法学院のラルク君から言付けを頼まれて──」


 という言葉を聞いた途端に


「キョウさ──ラ、ラルク様ですかッ! ラルク様はどちらにッ! ご一緒にいらしたのですかッ!? 御約束では三の鐘にと……バルジン様とのご用件はもうお済みになられたのでしょうかッ!」


 先ほどまでとは打って変わり、なんとも取り乱した様子で周囲にラルクを探し始める。


「い、いえ、それが……あの、ロティさんという方はこちらにいらっしゃいますか……? ラルク君からロティさんに直接伝えてほしいと……これを……」


 フレディアがラルクが認めた親書を侍女に渡しながら「遅くなりました。僕はラルク君と同じ一クラスのフレディアと申します」自己紹介をした。


 ラルクの親書に目を通した侍女は


「し、失礼いたしました! 私はオーヴィス家の使用人のサティと申します! ──ロティさんでしたらただいま庭に出ておりますので、どうぞご案内いたします」


 侍女としての務めを全うすべく恭しくお辞儀をすると、門の取っ手に魔力を通す。

 ──すると蔦の絡まる大門はフレディアの予想と反して音もなく静かに開いた。


「あ、ありがとうございます」


 フレディアはそんな侍女──サティの態度に、ますますラルクという同級生の素性を詮索したくなってしまう。


「どうぞ、こちらでございます」


 が、取り繕ってはいるものの、それでもどこかそわそわふわふわしているサティに先導されると、フレディアは邪念を振り払い、森のような敷地へと足を踏み入れた。







 ◆







 フレディアがサティに案内された場所は、大きな噴水の脇にある庭園だった。

 午前の木漏れ日が静かに注ぐ庭園を歩いて進むと、色鮮やかな花に囲まれたテラス席が見えてきた。

 そしてテラス中央に置かれた白いテーブルに腰掛け、穏やかに談笑するふたりの男女の姿も目に入ってきた。


 サティとフレディアが近寄っていくと、フレディアに背を向けていた髪の長い女が


「キョ、キョウ様──ラ、ラルク様がいらっしゃったのですかッ!?」


 フレディアに背を向けたまま声を上げた。

 気配で誰かが来たことに気が付いたようだ。


 すると正面に座っていた男も訪問客に気が付いたようで


「お? もう来たのか、随分と早かったな──って、んあ?」


 声をかけるが、目的の人物でないと知るや怪訝そうな表情を浮かべる。


「どうされたのです!? ラルク様がお見えになったのでは──あっ!」


 髭面の男の声に、背を向けていた女性がフレディアの方へ振り返り、


「ラルク様、じゃ……ない……?」


 そして言葉を飲んだ。


「あ、ぼ、僕、私は──」


 フレディアの精神力がガリガリと削られていく。


 招かれざる客──。


 テラス席のふたりが、自分がラルクでないことに落胆しているのだろう様子が、否が応でも伝わってくる。

 フレディアはシュヴァリエールにいたころには想像すらできなかった、初めて受ける辛い局面に、思わずこの場から逃げ出したくなってしまった。


 そこへ気を遣ったサティが口を開く。


「モーリス様、ロティさん、こちらはラルク様のご学友でいらっしゃいますフレディア様でございます。本日はラルク様からのお言付けをお持ちになられました」


「ラルク様からのお言付けッ!? ラ、ラルク様はッ!? ラルク様はどちらにいらっしゃるのですかッ!?」


 サティの取次に碧い瞳の女性──ロティが悲鳴に近い声を上げると


「……はぁ……ロティ、落ち着けって。まずはラルクの伝言とやらを聞いたらどうだ」


 ロティの正面に座る髭面の男──言わずもがな、変装をしたモーリス──が、ため息交じりにロティに声をかけ、落ち着かせる。


「──んっとにロティはラルクのこととなると……まあそれはいいとして……フレディア……ちゃん? わざわざラルクからの伝言を持ってきてくれたってのか? ん? おい、どーした?」


 ──しかしモーリスから声をかけられたフレディアは、全身を茨の鞭で雁字搦めにされてしまったかのように、身動きひとつしない。


 れっきとした男であるフレディアはモーリスから女と間違えられて怒りに身を震わせている──のではなく、


『な、なんて美しい女性なんだ……』


 フレディアを振り返ったロティを見て、その美しさに目を奪われてしまい、二の句を告げずにいたのだった。


「ん? おい、フレディアちゃん? どした?」


 フレディアの耳に髭のだみ声など一語も入ってきてはいなかった。

 衝撃の出会いに、フレディアは自我を保つことに必死だった。

 自分がここに何をしに来たのか、その使命をも危うく忘れ去ってしまうところだった。が、


『この女性ひと、エルフ……いや、それより目が……見えていない……の……か……?』


 ロティと呼ばれた女性の碧い瞳に光が灯っていないことに気が付き、正気に戻る。


「し、失礼いたしました! 私は魔法学院一クラス、フレディアと申します! ご歓談に水を差してしまいましたこと、深くお詫びいたします! 実はラルク君から伝言を預かって──」


「──んなろうっ! あいつ、まさか来れなくなったってんじゃねぇだろうなっ!」


「──モーリス様、またそのようなことを! フレディア様のお言葉の邪魔をしないでくださいませ! それにフレディア様は男性でいらっしゃいます! 申し訳ございません、フレディア様、どうぞお続け下さい」


 血相が変わったモーリスをロティが窘め、そしてフレディアのを見る。

 それはフレディアの姿ではなく、フレディアから発せられる声を見ているかのようだった。

 フレディアはそのロティの視線から、表情から、仕草から、ロティが盲目であることを確信した。

 そしてそのことに気が付いた瞬間、なぜか胸が締め付けられる思いで一杯になった。


 こんなにも美しい女性ひとが、こんなに美しい花々を愛でることができないなんて……

 ああ、できるものなら代わってあげたい──

 彼女になら僕の両の眼を差し出したとて、一片の悔いもないだろう──


 初対面であるにもかかわらず、こうして自己犠牲の境地に立ててしまっている自分の感情に、当の本人であるフレディア自身困惑した。


 こんな気持ちになるのも、ラルク君が必死に学院生を護る姿を見たからかだろうか──

 それとも──


「んあ? お前、男なのか? そいつは済まなかったな。で、ラルクの色男が何だって?」


 フレディアが自分の感情に答えを見出そうとしていたところ、それをガサツな声が阻止した。


 フレディアはロティの前に座るこの不躾な男のことを快く思えなかった。

 というのもこの人物はモーリスと呼ばれているということは、男爵自身ではない、つまりはこの館の主ではない──と、見当をつけたからだ。にもかかわらずこの横柄な態度。

 繊細なフレディアは、モーリスのような洗練されていない粗雑な男を苦手としていた。

 しかしこの男は当主の子息であったり、ひょっとしたらロティの伴侶、もしくは婚約者とかいった重要な立場の人物なのかもしれない。

 今の時点では誰がどういった地位であるのかわからないのだ。

 だから、極力、モーリスという男に対する感情は押し殺すことにして事情を話す。


「ラルク君からの伝言です。本日は都合が悪くなってこちらにお伺いすることができなくなった、とのことです。私はそのことを伝えに──」


「──そんなッ! 嘘ッ! 嘘ですッ! ラルク様がそのようなことおっしゃるはずがありませんッ! フレディア様! どうして!? どうしてそのような嘘をお吐きになるのですかッ!?」


「う、嘘などでは──」


 フレディアの胸に無数の矢が突き刺さる。

 ロティの言葉からはラルクを心待ちにしていたということが痛いほど伝わってくる。

 しかし、フレディアの胸の痛みはいつしかラルクがこの場に来られないということを伝えたことによりロティを悲しませてしまった──ことに対してではなく、触れれば壊れてしまいそうなロティがラルクのことをそこまで想っていることに対して──に変わってきていた。


 そのことにフレディア本人は気付いているのか、いないのか。

 フレディアは、シュヴァリエールで姉や妹といった絶世の美女と共に成長を重ねてきた。

 だから女性に対して掛け値なしに美しいと思うことは極稀であった。


 そんなフレディアが一目見て美しいと目と心を奪われてしまうロティは──。


 最初こそ、そんなロティが心待ちにしている同級生を、自分の身勝手な都合で訪問させることができなくなってしまったことに胸を痛めたのかもしれない。

 だが、瞬きひとつ、呼吸ひとつする間にフレディアの繊細な感情はロティに支配されつつあった。

 そして光のない碧い瞳に溜まった涙を見て──自分はロティに一目惚れしてしまったのだということに気が付いた。 



「ロティ、落ち着けって……フレディアも、突っ立ってないでこっち来て座ったらどうだ?」


 そんな感情に揺れているフレディアにモーリスが声をかける。

 フレディアがモーリスに誘われるがままに席に着くと、サティが紅茶を運んできた。


「──何があったのか、説明できるか? まあ、あいつのことだから大方のっぴきならない用事ができたんだろうけどよ」


「ラルク様に何があったのでしょうか……」


 フレディアは覚悟を決め、すべてを話すことにした。

 ラルクがなぜここに来ることができなくなったのか、それを有耶無耶にしたままで学院に戻ってしまっては、髭面はともかくロティが気の毒だと。


 ロティさんにだけは正直でありたい──。


 そう考えたフレディアは一部始終を話して聞かせた。






 そして説明が終わり、それぞれが事情を酌んで納得すると──


 

「ラルクのことはわかったけどよ、なんだかフレディア、お前さっきっからロティのことちらちら見てねぇか?」


「それは心外です、モーリスさん──」


 髭とロティがなにも関係がないことがわかり、ついでに同じ男として髭がロティに特別な感情を抱いていることがわかると、


「──私はラルク君の伝言をロティさんに直接お伝えするよう言付かりましたので、こうしてロティさんにお話をしているだけなのですが──」


 ロティを挟んで火花を散らしあった。







 ◆







「あ、そういえばモーリスもいるって言ってたような……」


 間もなくシュヴァリエールが見えてくるだろうタイミングで俺はそのことを思い出したが、


「ま、女に不自由しなさそうなあいつフレディアならモーリスとも気が合うだろう」


 モーリスとフレディアなら女性の話題で盛り上がれば意気投合するだろうと考えると先を急いだ。





 ◆






 そして数日後、ラルクはフレディアの燃え盛るような情熱に閉口することになるのであった。






 

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