第155話 書物院での密会



『──ふむ、ひと口に呪いといってもその種類は多岐にわたる……と…………ああ、やっぱり解き方までは書いていないか……』


『──バシュルッツはスレイヤの次に歴史が古く……へえ……この国は昔から女性が国王になると決められているのか……』


『──ヴァルト八系譜──え? ヴァルトって七系譜じゃなかったのか? ……失われた系譜……? そんなのがあったとは……』


『──百年前からプリメーラの国王はリューイ族なのか……こうして見ると大きさもスレイヤとあまり変わらないんだな……思ったよりも広いな……』


『──お、この魔物はすごいな……時間を遡る能力……生息地は大陸の北部……試練の森のさらに北か……あ、そうだ、寝小丸もこの文献に載ってるかな……』






「──聖者さま? そろそろ気付いていただいてもよい頃だと思うのですけれど……」


 唐突に聞こえてきた声に顔を上げると、


「──! エミル! いつの間に!?」


 向かいにエミルの顔を見つけ素っ頓狂な声をあげた。

 いや、待ち合わせをしていたのだからエミルがいることは不思議ではない。

 そのことに驚いたのではなく、


「もう一アワルはこうして座っていましたけれど?」


「え? そ、それは済まない……しかしまったく気が付かなかったぞ……」


 気配がしなかったことに驚いたのだ。


 開いていた書物を閉じるとエミルが嬉しそうな顔で


「この書物院は書物を読むことに専念できるように気配遮断の結界が張られているのです。ふふ、聖者さまの驚いた顔、久し振りです」


 両手の指で四角く枠を作り、その枠越しに俺を覗き込む。


「気配遮断……へえ、そんな結界があるのか……面白そうな魔道具だな……」


 なるほど……


 確かに今でも俺の他には誰の気配も感じない。

 それで集中できたのか。

 

「いや、それなら声をかけてくれればよかったのに」


 ──臨

 

 と小さく唱え意識を書物院内に集中させると──なるほど、目の前に座っているエミル以外にも七人の人物の気配を捉えることができた。


 この程度の結界なら常に気を張っておけば大丈夫そうだな……


 万が一、こういった結界が他の場所にも張られていたとして、隠れ者のような存在が近くにいて気が付かなかった、では済まされない。 

 不測の事態を想定して、初めて体験する結界にも自分の術が通用するか確認しておく。


 これからは人の気配がないことを逆に怪しまなければならない、と、勉強させられた。


「いいのです。至福の一アワルでしたから。でもやはりお声を聞きたくなってしまったので声をかけてしまいました」


「……あ……そう……」


「知っていましたか? この書物院は周りに気配を感じさせないので、生徒たちが逢い引き場所に利用したりするそうですよ」


「へ、へえ……」


 そうか、ここでならエミルと会ってもそうそう気付かれないというわけか。

 だからエミルはこの場所を……

 ということは今いる人の気配も……あ、ふたりひと組か……

 もしかしたら恋人同士なのかもしれないな。

 ん? でもこのひとりきりの気配は──


「ちょっと、エミル、近くないか? 向かい合って座っていた方が話しやすいだろう」


 建物内の気配に益体も無い想像を働かせていたら、正面から隣にエミルが移動してきたので距離を空ける。


 するとエミルは


「聖者さま? 他の人には聞かれたくない話もたくさんあります。ですからこのくらいの距離でないとだめなのです」


 腰と腰が触れ合うまで距離を詰めてきて、耳元で囁く。


「いや、それにしても近過ぎやしないか? ほら、ふたりの間に変な噂でも立ったら──」


「聖者さま? 私はいくつになったかご存知でらっしゃいます?」


「え? ああ、はじめて出会ったときは確か一四だったから、今では二十一、か?」


『ええ、私は今年で二十一になりました。来年は二十二になります。その年頃の女がどういう状況にあるか、そのこともご存じでいらっしゃいますか?』


 あまりにも近付き過ぎて、俺の耳にエミルの唇が微かに触れてしまう。


「……え、……えぇと……徐々に魔力が強くなる……とか……?」


 硬直した首をギギギと回しながらそう答えると


「聖者さま? まさか本気でそう思っているわけではありませんよね?」


 ピキピキと笑顔を強張らせたエミルと目が合う。


「も、もちろん……エミルもいい人が見つかったのか?」


「も、もう! そんなわけないじゃないですか! まだですよっ! まだっ! それでも月に三十は婚姻の申し込みがあるのです! それをお断りするだけでも大変なんですから!」


「ど、どうした? エミル、お、落ち着いて──」


「で・す・か・ら! ふたりの間に噂が、本当は噂では嫌なのですけれど! 学院一の魔法師と恋仲と知れ渡れば、面倒な婚姻の申し込みもなくなるのですっ!」


「エ、エミル!? ど、どうした! なんか昔のエミルじゃ──」


「先ほど申し上げました! 私はもう二十一です! もう少女ではないのですっ! 聖者さまだってもう昔の聖者さまではないじゃないですか! 大人の色気が出たのをいいことに常に女生徒に囲まれて! で、ですから私だってこうしてはしたない女と思われるのを承知で強引に──っ!?」


 気が付いたら俺はエミルの頭を抱きかかえていた。

 自分でもなぜそうしたのかわからない。


 もう少女ではなくなったエミルを想っての行為なのか、それとも駄々をこねる妹を優しく宥めるような感情なのか──。


 あるいは辛い修行を耐え抜いてきたふたりにしかわからない、絆、のようなものによるのか。


 とにかく俺はエミルの頬を俺の胸に押し当てると


「エミルは俺にとっても大切な存在だ。それは昔も今も変わらない。エミルになにかがあったとき、俺はなにを差し置いてでもエミルの元へ駆けつける。──まあ一級魔法師のエミルにはその心配なないだろうがな」


「聖者……さま……、はい……」


 エミルが息を漏らす。


 そして俺とエミルは近況を報告しあった。


 エミルは師匠から修行と言われて神抗騒乱の後片付けを兼ねて魔法科学院の教員になってからのことを。

 俺は試練の森に戻って修行に勤しんだ七年間のことを。


 俺もそうだがエミルにも色々とあったらしい。


 貴族の嫡男と強引に婚姻を結ばされそうになったところをモーリスに助けられたり、聖女の比類のない力を手に入れんとする権力者たちから逃げるのに苦労したり──。



 ふたりは七歳と十四歳に戻ったかのように、懐かしい話にも花が咲いた。 


 ブレナントにいるエミルの家族のことや、カイゼルと一緒に助けた女の人や神殿で助けた人たちのその後、エミルを冒険者に誘ったクラックの現在など、話は尽きることなく続いた。


 ちなみにスコットというエミルの冒険者時代の元リーダーは奪魔人鬼アブソーブ・オーガを倒したことによって英雄として扱われ、現在では最高位の冒険者である傍ら、武術科学院の教官を務めているらしいことも聞いた。

 もしかしたら交流戦で顔を合わせるかもしれないですね、と。


 『人鬼オーガは聖者さまが倒されたというのに、スコットの手柄になっているのが許せません! 先日の巨神との戦いもフレディア君がとどめを刺したことになっていますし!』


 『その方が都合がいい。師匠からは決して表には出るな、と、言われているからな』


 憤慨するエミルにそう説明する。








 話は書物院が閉院となるまで続いた。

 最後の方は鐘を壊したことの説教だったが。




 話をしている最中ずっと俺の手を握り続けていたエミルの温もりが、いつまでも残っていた。


 寮に戻って鍛練を終え、寝台に横になっても、いつまでも──。


 



 青年編 第一章 残された魂   完


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  ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 この後、幕間を挟んで第二章の開始となります。


 青年編・第二章は日常パートと紅白戦が中心となる予定です。


 今後も引き続きお付き合いいただけると幸いです。


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