第143話 心の底を照らす月明かり



 予想以上に話し込んでしまいすっかり遅くなってしまったため、殿下を女子寮まで送り届けた俺は、月明かりを浴びながら、ひとり森の小道を歩いていた。



 七年ぶりに再会したミレサリア殿下は、艶やかで麗しく、それでいて可憐で──そしてとても饒舌だった。 

 ……ほぼ一方的に殿下が話していたような気がする。


 お元気なのは何よりだが……


 この七年の間に、殿下にもかなりの出来事があったようだった。


 成人の儀のこと、領地視察のこと、顕現祭の巫女に選定されたこと、婚約者とのこと、そしてそのことでトレヴァイユさんとの関係がギクシャクしてしまっていること、など、など。


 領地視察ではクロスヴァルトにも入ったそうだ。

 クロスヴァルトには今のところ大きな変化はないようだか、秋に行われる七賢人議会ではどのような決が下されるかわからないから、予断は許さないという。

 紅狼の森に滞在した際に、マーカスから色目を使われ多少不快な思いをしたとも言っていた。

 すでに関係ないとはいえ、一応は元実弟なのだから──と、代わりに謝っておいたが……まったくマーカスはなにをしているのやら。

 父様はそのことを知っているのだろうか。

 ノースヴァルトの婚約者に粉をかけて、クロスヴァルト家とノースヴァルト家の諍いになったら、いったいどう始末をつけるつもりなんだろう。

 しっかり者のマーカスのことだから、その辺の自覚も持ち合わせているといいのだが……俺がクロスヴァルトの家を護ろうと尽力しているのだから(無論、頼まれてはいないが)、軽はずみな行動はどうか控えてもらいたい。


 それにしても、婚約者、か……


 俺はどうなるんだろう。

 そういう時期がくるのだろうか。

 そんなこと考えたこともなかったが……


 だいたい庵にこもっていたのだから出会いなどあるはずもない。

 というかそんなこと考えていたら『ハンッ!』と、杖で頭を小突かれるだろう。


 修行の身だからな……


 そうだ、こうしている今も俺は修行中なのだ。

 目の前のことに集中しないと!


 とにかく明日は授業初日だ。

 上位の成績を保ち続けてバシュルッツに行かなければならない。

 そのために、俺はここに来たんだ。


 師匠から託された任務を遂行できるのであれば、貴族だとか、線なしだとか、正直俺にはどうでもいい。

 今の俺のすべきことはひとつ。


 ミスティアさんとファミアさんを救うこと、だ。


 ああ、俺が傍にいなかったから……


 また、ミスティアさんとファミアさんの動くことのない冷たい身体が脳裏をかすめ、酷く自己嫌悪に陥ってしまう。

 あの夜も──今夜のように、月の光が仄かにさす薄月夜だった。

 そのことも、底に溜まった濁りごと俺の記憶を撹拌させ、そして手のひらに、じわり、と汗が滲み出る。


 くそっ! 気負いせずにいられるわけないじゃないか!


 師匠は『気負うな』というが、こうしている間にも一日は過ぎていく。

 返事をしないあのふたりを見させられて、俺の不甲斐なさを責めずにいられるわけがない。背を向けられるわけがない。


 月の明かりが俺の未熟な心の隙間に入り込んで、見たくない部分も見させられているように思えた。



「あと一年……」


 ふたりのことが解決するまでは、俺は将来のことなど考えられそうになかった。






 学院の森は想像した通り、暗くなると見通しが悪かった。

 やはり女性の一人歩きは、なるべくなら控えた方が良さそうだ。

 この魔法科学院の施設内で、いったいなにが脅威となるのかは、今はまだわからないが。


 脅威といえば湖の様子も気にはなる。

 三カ月前に突如黒く濁った湖水。


 まだ大丈夫だとは思うが、念のため明日にでも見に行ってみようか。


 必要であれば陛下に報告しなければならない。


 たしか……


 俺はポケットに手を突っ込み、七年前にミレサリア殿下から賜った、王家との信頼の証である紫の龍の勲章を取り出した。

 これがあればラルクとして都に来ている俺でも城の門は通れる。

 

 残された魂……俺ひとりで解決できるのか……


 俺はここから見ることはできない湖のある方向へ視線を向け、勲章を握りしめた。







 ◆






「これが……寮……?」


 女子生徒専用の寮からかなり歩き、ようやく到着した男子生徒専用の寮は


「貴族街にあった宿みたいじゃないか……」


 俺が昔、宿泊を断られた宿のような、いや、それ以上に豪華な建物だった。

 

「凄いな……」


 女子寮は建物を見ずに帰ってきたのでわからないが、こっちがこうだということは、おそらく向こうもこんな感じの造りなのだろう。


 師匠は学費の心配はいらないって言っていたけど、いったいいくらぐらいするんだろう……

 

 そんなことも思わずにはいられなくなる。


 高さは四階建て、正面玄関の扉は二階の高さまであり、全面ガラス張りだ。

 建物の周りには手入れの行き届いた花壇が整備されていて、色とりどりの花が咲き誇っている。

 暗いので建物すべてを見ることはできないが、学生が住むには何とも贅が過ぎると思うのだが。


 豪奢な玄関を開けると二階まで吹き抜けになっていて、高い天井には煌々と明かりが灯り、正面に見える幅広の階段には、赤い絨毯が敷き詰められていた。


 中はもっと凄いな……


 俺は、ひょっとしたらノースヴァルトが待ち受けているんじゃないか? と深読みしていたが、それも杞憂だったようだ。

 寮のホールに人気はなかった。



 寮に入ったら、すぐ右にある部屋に行くんだったな……


 俺は教員から説明された通り、常駐している寮の管理者に声をかけることにした。





 俺の部屋は一階の一番奥……一〇八〇番……

 お、ここか。


 一階廊下の突き当たり、そこが俺の部屋だった。

 鍵のかかっていない扉を開けて中に入る、と、外の花壇から香ってくるのだろうか、甘い匂いが鼻をくすぐる。

 部屋には明かりが灯されていた。

 見るとひとり部屋らしく、寝台はひとつしかない。

 俺は机の上に荷物を置いて荷解きをすると寝台に横になってみた。


 うん、寝心地も申し分ない。


 庵で毎日寝ていた、干し草の上に敷いた布団には及ばないが、それでも一日の疲れを癒すには十分過ぎる寝台だった。

 造り付けの本棚には先生の言っていた教科書というものがびっしりと並べられている。

 この本に書かれているものを基礎として、皆が同じ勉強をするそうだ。

 

 寝台から起き上がり部屋の中を見て回る。

 置いてあるものは質素だが、どれも使いやすいように考えられたものばかりだ。

 本棚の教科書をぱらぱらとめくると、細かい字がびっしりと記されている。

 俺はその中から明日使うものをまとめて鞄に入れておいた。



 窓を開けると目の前に花壇があった。

 やはり甘いにおいの元は、この花壇だったようだ。


 お? ここから出入りができるんじゃないか?


 ふと思い付く。


 この部屋は最奥だから、玄関からかなり距離がある。

 少し外に行きたいときや、用事があるときなど、ここから出てしまった方が便利そうなのだが……。

 

 夕飯は軽いものであれば夜遅くてもとれるそうだから……今のうちに行っておくか。


 そう判断すると俺は、ひょい、と窓枠を飛び越え──目の前に広がる森を歩いて木々が開けている場所を探した。

 鬱蒼としているが、試練の森と比べれば昼間のように明るい。

 俺は慣れ親しんだ森を散歩する感覚で歩いて回った。




 ──この辺りでいいか。


 適当な空き地を見つけると、着ていた上着を脱ぎ、上半身裸になった。

 そしてアクアに頼んで氷の剣を造り出す。

 次いでその剣と俺の両腕に、ステアに頼んで重石を付けてもらう。


 準備が整ったところで──


 ──ふんッ! ふんッ!


 素振りを始めた。


 カイゼルから与えられた鍛練だ。

 毎日千回、怠らずに続けるようにと。

 俺は『剣なんて使えなくていいから!』と断ったのだが、『いつか必ず役に立ちますぞ!』と言われ、かれこれ七年間続けている。


 初めは五十回ほどで腕が上がらなくなってしまっていたが、今では剣と腕の両方に重石を付けても、息切れせずに千回振れるようになった。


 ──ふんッ! ふんッ!


 この鍛練を行っているときは余計なことを考えないで済む、ということもあり、いつしか俺はこの鍛練が好きになっていた。

 上から下、左下から右上、左上から右下、というように腰を入れて剣を振りぬく。

 真剣にやれば十回で汗だくになる。

 冬場など、身体からもうもうと湯気が立ち昇るほどだ。

 

 ──ふんッ! ふんッ!


 俺は飽くことなく、無心となって鍛練を続けた。







「ぷはぁっ! 終わったぁ!! アクア、頼む!」


 千回の素振りを終え、アクアが用意してくれた冷水で身体を流す。

 それをリーファが風で吹き飛ばし、乾かしてくれる。

 雪の降る夜などはフランも手伝ってくれる。

 ここまでが毎日の日課だった。

 

「──ああ、気持ちいい、ありがとう!」


 俺は精霊たちに礼を言うと、明日もここで鍛練を行おう、と決め、来た道を戻って部屋へ帰った。





 

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