第125話 夜会の客人


「──兄者! いったいどうしたというのだ、今宵は兄者の殊勲の宴ですぞ!」


「ハン! 大方あの娘のことでも考えているんじゃないのかい? お人好しにも程があるね」


「……は、はは……」



 ……さすがお師匠様、僕のことなんてお見通しか……





 ──お師匠様の指摘通りだった。



『ど、う、か、お、そ、ば、に、つ、か、え、さ、せ、て、く、だ、さ、い……』



 コンスタンティンさんの館で始まった夜会の最中だというのにロティさんの声が頭から離れない。

 力の限り、懸命に絞り出した声──。

 だがしかし、僕はその言葉に答えることができなかった。


 コンスタンティンさんが気を利かしてくれたお陰でその場はどうにか収まったが、返事は保留となったままだ。


「──はぁ……」


 明日の昼までには返事をしなければならないことに、つい、ため息が漏れてしまう。


 どうしよう……




 先ほど館へやってきたお師匠様たちにも相談に乗ってもらおうと事情を話したところ


『連れて帰りたいのなら好きにするが良いさ、人手が増えるんだからわたしは助かるよ』


 お師匠様はそう言った。


『聖者さまの御力を体感された方とお話をしてみたいです!』


 エミルはそう言い、


『某に妹弟子ができるのですか! 稽古三昧ですな!』


 カイゼルさんは……。


 ハアァ……


 僕は心の中でため息をひとつ吐くと空を見上げた。



 日が傾き、かがり火が焚かれたコンスタンティン邸の庭はとても幻想的だった。

 見上げた上空には大樹の枝葉が覆っていて、そこだけを見ると試練の森の中にいると錯覚してしまう。


 この場所は、祭りに沸く都の喧噪が嘘のように静かだった。

 夕方の爽やかな風が薄着の僕たちの邪魔をしないように通り過ぎて行く。


 心地良い場所だな……。



「んむっ! これも美味いッ! おおッ! これなどは肉汁が滴って──」


 しかしそれもカイゼルさんが料理に舌鼓を打ちながら上げる叫び声で壊される。


「賑やかなのはいいがお前さんはもう少し上品に食べられないのかい?」


 杯に入った酒を空にしたお師匠様が、料理をがっつくカイゼルさんに冷たい視線を向ける。


「がはははッ! こうも美味いと本能のままに口に入れたくなりますわい! ──さあ、兄者も!」


「聖者さま、どうぞ」



 庭園に用意された大きな円卓には折り目ひとつない上等な白い布が敷かれていて、その上には僕たちだけではとても食べ切れないほどの料理が所狭しと並べられている。


 折角コンスタンティンさんたちが用意してくれた食事会だ。

 考え事は後回しにして今日は楽しまないと。


 大木の下に拵えた焼き場で、パティさんが肉や野菜を炭焼きにする、じゅう、という音に食欲をそそられた僕は


「ありがとう、エミル」


 エミルが取り分けてくれた料理を楽しむことにした。


「イリノイ隊長、ささ、どうぞどうぞ」


 コンスタンティンさんが忙しなく竹筒に入った酒をお師匠様の杯に注ぐ。

 身体の大きなコンスタンティンさんが背を丸めて小柄なお師匠様をもてなしている姿はなんとも珍妙だ。

 元聖教騎士団序列一位のお師匠様と同じく序列二位のコンスタンティンさんとの関係がよくわかる構図だった。


 僕から右回りにお師匠様、コンスタンティンさん、カイゼルさん、エミルと座っている。

 ロティさんはパティさんの妹のサティさんに支度を手伝ってもらっているらしく、もうしばらくしたら席に着くとのことだ。

 ロティさんにはエミルも治療を試してみたが、治癒魔法の効果は発揮しなかった。

 ロティさんの症状の原因は物理的なものではなく強力な呪いが原因であるため、それが理由であらゆる治癒魔法を弾いてしまうそうだ。

 『童の加護魔術は特別なようだね』と、お師匠様は驚いていたが、僕の魔術が呪いに効果があるなんて僕だってビックリした。



「それにしても、隊長がキョウ以外にも弟子を取っていたなんて驚きましたよ、しかもそれが人鬼オーガの化身カイゼル様とブレナントの聖女エミル殿とは……」


 人鬼オーガの化身って……

 たしかに僕も初めてカイゼルさんを見たときは人鬼オーガだと勘違いしたけど……


「ハン、気まぐれだよ、後にも先にもこれっきりさ」


 そう言うとお師匠様は、ぐい、と酒を飲み干す。


「エミルも有名人だったんだね、僕は全然知らなかったよ。冒険者たちはみんなエミルのことを知っているようだったし」


「いえ、私なんて特に……リーダーであったスコットの方が名は知られていましたから」


「あ、そういえば、クラックさんはあのときの人じゃなかったんだね、僕はてっきり人鬼オーガの角を斬りおとしていた人がクラックさんかと思っていたけど、その、スコットさん? がその人だったんだ」


「……はい、私たちのリーダーは……スコットは……私たちを置いて先に森を出ました。おそらく高価な素材と栄誉をひとり占めしたかったのだと……」


「──けしからんッ! 姉者にそのような仕打ちをッ!! このカイゼルが天に代わってその男に罰を与えてくれよう!!」


「これ、カイゼル! いきなり大きな声を出すんでないよ! 酒がこぼれてしまったじゃないかい!」


 エミルにそんなことが……

 エミルがブレナントに帰りたがらなかった理由もその辺りにあるのかな……


「い、いや、これは済まぬ、つい力が入ってしまったわい」


「でもお師匠様、エミルがこんな短期間で第一級魔法師になるなんて、伝報矢メッセージアローを受け取ったコンスタンティンさんに聞いたときには耳を疑いましたよ」


 僕は昨日の朝、コンスタンティンさんの執務室でそれを聞いた。

 ロティさんの話が終わったとき、兵が持って来た報せにそのことが書いてあったのだ。

 『お師匠様たちが今日の昼過ぎには到着する』、『エミルが第一魔法師に昇格した』、そして『カイゼルさんも都に入る』ということが。

 そのことを知っていたからこそ僕も昨日は冷静でいれたのだ。もしお師匠様たちの入都が一日でも遅れていたら僕は動揺するあまり大きな失敗をしていたかもしれない。というより、今考えてみても、お師匠様たちがいなかった場合にどう対処すれば正解だったのかがわからずにいる。

 僕ひとりに対して、複数か所で同時に騒乱が起きた場合──今後の課題だ。 



「それにはわたしも驚かされたからねぇ、二級は間違いない、とはみていたが、まさか一級になるとは」


「隊長、いったいどうやったら五級魔法師から一級魔法師になるんですか? エミル殿にどんな苦行を強いたんです?」


 コンスタンティンさんも不思議に思ったのか、興味深そうに身を乗り出す。


「特別なことはやっていないよ、エミルの中に眠っている魂をちょいとね」


 うわ、魂をちょいとって……

 まさか神抗魔石を埋め込んだとか……?


「エ、エミル殿の身体を改造したんですか!」


「真顔で馬鹿を言うんでないよ! そんなことするわけないじゃないかい!」


 お師匠様はそう言うが、お師匠様ならやりかねない──と、僕も思っているから、コンスタンティンさんの質問にも驚き具合にも頷ける。


「ここだけの話だがね、エミルは邂逅者だよ。だから昔の記憶を取り戻す手伝いをしてやった、それだけだね」


「邂逅者……」


 コンスタンティンさんもその言葉を知っているようだ。

 というよりコンスタンティンさんの真の姿はエルフだ。

 『邂逅者かいこうもの』という言葉自体エルフの言葉なのだから、コンスタンティンさんが知っているのは至極当然なことか。


「ということはエミルはやっぱり邂逅者だったんだね、じゃあ、あの神殿に行ったときに聞こえた心の声っていうのも何のことだかわかったの?」


 王都にエミルがやってきたら確認してみよう、と思っていたことを僕が訊ねると、エミルは持っていた果実水の入ったグラスをテーブルに置き、口を開いた。


「いえ、すべてを思い出したわけではないのです。でも、私は過去、強力な術を使うことができるひとりの女性でした。ミアというその女性は──」



 ミア!? ミアっていったら夢の中のクロカ・ミアと同じ名前じゃないか!

 そのことと何か関係があるのか?

 夢の中でクロカミアは殺された、それが実際に起こったことだというのであれば、エミルはクロカミアの魂を持って──


 強力な術!!


 そうだ、クロカミアもとんでもない術を行使していた!


 まさか、あの夢が現実と繋がっているというのか……?


「どうしたんだい、童? 急に黙り込んで」


「あ、いえ、その……」


「お前さんが見た夢、その中にもミアという名の娘は出てきていたね、そのことを考えていたんじゃないかい?」


 ──!


「は、はい、実はそうなんです」


 お師匠様はなんでもお見通しだ。

 怖いくらいに僕の考えているとことを言い当ててくる。


「そんな事だろうと思ったよ、そのうち童も記憶を取り戻すだろうからそのときにいろいろなことを考えればいいんだ、焦るんでないよ? 急いだところで器が鍛えられていなければ精神に異常をきたす恐れもあるからね」


 「さあ、この話は終いだよ」とお師匠様は言うが……。

 やはりクロカミアの、あの最後の悲哀に染まった顔が、必死に『キョウ』と叫ぶ声が頭から離れない。

 僕に向けて伸ばされた手、そして届かない僕の手──。


「聖者さま……?」


 いけない、いけない。

 今は食事会の最中だ。

 考え事は後回しにしようって決めたじゃないか。


「ああ、もう大丈夫だ。──ところでお師匠様、あの後はいったいどうなったんですか? レイクホールの掃除は終わった、とは聞きましたけど」


 僕は話題を変えて、レイクホールの後始末のことを訊ねてみた。


「ドレイズと側近のひとりは逃がしたがね、息子をひっ捉えたよ。人攫いをして神抗魔石を生成する、それが奴らの悪巧みさ」


「──神抗魔石! 人攫いをしてって、じゃあ、あの神殿にいた女の人たちって……」


「詳しいことは今調べているところだからわからないがね、どうやら若い娘の身体を使って神抗魔石を作りだしていたそうだね」


 なんということだ!

 人を犠牲にして魔石を造り出すなんて!

 

 エミルとカイゼルさんの表情が険しくなる。

 コンスタンティンさんも前もってその話を聞かされていたのか、驚きはしないものの表情を曇らせた。


「娘たちは全員無事送り届けた──が、ドレイズが生きている限り、どこかで同じようなことが繰り返されるかもしれない、そのことが唯一の気がかりだね」


 お師匠様が機嫌の悪そうな顔付きで杯を煽ったかと思うと、


「──まあ、そのときは童、お前さんの出番だよ」


 難しい表情から一転、愉快そうに、カカ、と笑う。


 僕は神抗魔石に対して心の底から嫌悪感を抱いた。

 そんな神を冒涜するようなものを造り出すばかりでなく、その力を利用して人の命を奪うなど、決して許されることではない。

 

「──はい、僕が必ず根絶やしにして見せます……」


 拳を握りしめ、僕はそう誓った。 


「さあ、今夜は楽しもうじゃないかい! ──おや、もう来たようだね」


 場の空気を変えるようにお師匠様がそう言うと同時、


「──待たせたな!」


 聞き覚えのある声が僕の後ろの方から聞こえてきた。

 僕が振り返り、声のした方へ身体ごと向けると


「──モ、モーリスッ!!」


 船上にいたクレイモーリスではなく、僕にとってはそっちの方が馴染みが深い、緑色の髪に髭面のモーリスが立っていた。


 ガタン、と席を立ち、


「モーリスッ! 会いたかったよ!」


 僕はモーリスに向かって一目散に駆け寄る。

 すると──


「お兄さまだけどうして! どうしてお兄さまが先なのです!!」


 声が聞こえ、そこで初めてモーリスの隣に紅い髪の少女がいることに気が付いた。


「──ぐあッ!! い、痛ってぇ!!」


 モーリスがカエルがつぶされたときのような悲鳴を上げる。

 どうやら紅い髪の少女がモーリスの足を踏みつけたようだ。


「ラル、キョ、キョウ、今夜はこのような素敵な夜会にお招きいただき感謝申し上げます」


「──なんだ、お前、そんなにお淑やかにしやがって、さっきまで大股開いて大急ぎで歩いてたじゃねえか──ぐあッ!! い、痛ってぇ!!」


「いやですわ、お兄さま、なにを仰っているのです?」


 お兄さま? 髪の色も瞳の色も違うけど、芯の強い眼差し……しかもこの腕輪は……まさか……


「も、もしかして、ミレサリア殿下……でいらっしゃいますか……?」


「ほら! お兄さま、わたくしの勝ちですわ、約束はお守りくださいね! 愛の力は偉大なのです!」


 や、やっぱり! なんで殿下がここに!


「し、失礼致しました! 殿下とは知らずにご無礼をっ!」


 僕は反射的に跪き、慌てて頭を下げた。


「キョ、キョウ! そのような態度を取らないでください! まるで他人のようではないですか!」


「おい、キョウ、俺とはずいぶんと態度が違うじゃねえか、いいのか? 王からの特命の任を終えた俺はもう──ぐあッ! 痛ってぇ!!」


「お兄さまは黙っていらしてください。キョウ、頭をあげて下さい、そして私の目をまっすぐに見つめて下さい」


「いや、しかしそのようなわけには……」


「キョウ! いいです、それでは命令です! いますぐ立ち上がって私の目を見て下さい!」


「──は!」


 殿下から命令された僕はその場で立ち上がり、そして殿下の紅い瞳をまっすぐに見つめた。

 ミレサリア殿下は僕と目を合わせたまま、おもむろに自身の右腕に嵌めている腕輪を外す。


 すると殿下の身体が光を放ち──一瞬の後、殿下が紅い髪の少女の姿から青姫の姿へと変貌を遂げた。


 そして──僕の視界が青一色に埋め尽くされた。

 殿下が僕の身体に抱きつき──柔らかな風が殿下の青い髪を僕の視界いっぱいに舞い上がらせていたのだ。


 驚いた僕は身体を動かすことができなかった。

 むせるような甘い香りに頭がくらくらする。


「で、殿下……?」


 それでもどうにか頑張って声を出すと、


「改めて、お帰りなさいませ、ラルクロア様……」


 殿下が僕にしか聞こえないような小さな声で囁く。

 殿下は、声も身体も小さく震えていた。


 そのことに僕はそっと、ほんの少しだけ殿下の肩を抱き、言葉を返した。


「──ただ今戻りました、ミレサリア殿下」





 

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