第124話 ロティの声



「お帰りなさいませ、コンスタンティン男爵、キョウ様」


「ただ今戻りました、久しぶりですねパティ──早速ですが夕食会の準備はできていますか? 夕過ぎには皆様がお見えになります」


「はい、すべて滞りなく」


「そうですか。──キョウ、少し待ってもらえますか? パティとこの後の打ち合わせを済ましてしまいます」







 後世に語り継がれるだろう神聖な儀式が無事終わり──。



 僕は貴族たちから向けられる視線から逃げるように、コンスタンティンさんとふたり、近衛総隊長専用の馬車に乗って貴族街にあるコンスタンティンさんの館まで帰ってきた。


 この後、城では各国の来賓を迎えて大舞踏会が催されるそうだ(無論、僕は参加しないが)。

 本来は昨晩予定されていたのだが、例の騒動のためにそれどころではなくなってしまい、一夜遅れて開催されることになったらしい。

 お師匠様も陛下から直々に舞踏会への誘いを受けたそうだが、『にべもなく断っていました』とコンスタンティンさんから聞いた。

 お師匠様らしい、といえばらしいのだが、そんなことをして大丈夫なのだろうか……。

 僕が心配するようなことではないが、城の貴族相手におかしな真似をしていないだろうか、と、余計な気を回してしまう。


 頑固な師を持つと弟子は苦労するのだ。



 舞踏会には出席しない貴族嫌いのお師匠様たちを自らの館でもてなすため、コンスタンティンさんも舞踏会を断り、こうして食事会の支度をするために僕と一緒に戻ってきた、というわけだ。


 後三アワルほどで、まだ城に残っているお師匠様とエミル、カイゼルさんが館へとやって来る。

 参加者は僕たち四人の他にはコンスタンティンさんだけだ。

 

 これでやっと貴族たちと顔を合わせる心配もなくなり、素性がばれるかもしれないとびくびくする必要もなくなる。



 ああ、疲れた……



 神抗騒乱がすべて綺麗に片付いた──というわけでは決してないが、それでもひと区切りついたことは事実だろう。



 だから──



 はぁ……帰りたい……。



 今、門をくぐってきたコンスタンティンさんの館に──ではない、試練の森の庵にだ。

 ミレサリア殿下を助けるためなのだから自重などしていられなかったのは仕方がない。だが、どうやら僕は目立ち過ぎてしまったようだ。

 貴族街に入るまでずーっと『聖者さま!』と、都の人たちから手を振られていた。

 

 ──無論、エミルのせいだ。


 船の上にいた僕に話しかけた言葉が周囲の人たちにも聞こえてしまっていたらしい。


 それなら──僕はいっそのこと、この勢いに乗って開き直り、『無魔の黒禍の脅威から都を護ったのは元クロスヴァルト家のラルクロアなんです!』と、魔道具を取って素顔を晒してしまおうかとも考えた。

 そうすれば父様に対する糾弾も、勢いを弱めるのではないか、と。 

 しかし、お師匠様からは『賊とすべて申し合わせの上で行った茶番だと疑われるかもしれないよ』と言われていたので、ぐっと堪えた。

 いつかはみんなもわかってくれるだろう、と。


 でも、これじゃあ寝小丸さんのお土産も買えないじゃないか……。


 滞在最終日となる明日は、市場に美味しそうな魚でも買い出しに行ってみよう、と思っていたのだが、そうもいかなくなりそうだ。



 特にあの貴族たちには見つからないようにしないと……



 僕はコンスタンティンさんとパティさんが庭園の飾り付けなどについて話し合っている間、つい先ほどまでいた祭り会場でのことを思い返した。









 ◆









『おい、来たぞ』

『──あのような少年が此度の神抗騒乱を収めたというのか……?』

『どこの貴族だ……キョウなどという名は聞いたことがないが……』

『いや、どうやら平民らしい。詮索してはならぬと達しが出されているから調べようがないが』

『平民だと……? 平民の分際で青姫様の近衛に指名されたというのか!』

『ああ、だが、かなりの加護魔術の使い手らしいぞ……都の上空が金色の光に包まれたそうだ』

『金色……精霊か……忌々しい、これでまた古代魔法師を城に上げる機会が失われたではないか……』

『タッカーの戯けが謀反を起こしたがために、これからはいっそう古代魔法派の肩身が狭くなるぞ』

『……うむ、どうにかあのキョウとやらを古代派に取りこめぬものか……』





『あの少年か……』

『無魔の黒禍の偽物だったとはいえ、賊の集団をいとも簡単に往なしたというではないか』

『古代派の奴らに丸めこまれる前に我が現代派に引き込まなければ』

『しかし、あのハーティス殿が後ろ盾となっているゆえ、容易くはいかぬと思うのだが』

『古代派の無能共も此度の一件でしばらくは行動に制限が付くはずだ』

『であれば、そう慌てることもない……か』

『ブレナントの聖女が一級に昇格した今、古代派にあと一手まで迫っているのだ、何としてもあの少年が欲しいところだが』

『ところで古代魔法師のタッカーを捉えた実力のほどはどうなのだ』

『加護魔術のことはまったく知らぬが、同じ魔術を使う聖教騎士の実力に鑑みると、おそらく三級はあるのではないか?』




 僕は特別に、貴族専用席の最前列で儀式を見ることを許された。が、しかし──そこは針のむしろだった。

 あちらこちらから貴族たちの会話が聞こえてくるのだ。

 まるで生きた心地がしなかった。

 騒動を巻き起こしたタッカーは古代魔術派だったらしい。

 だから、僕から見て右側に陣取る古代魔術派の貴族たちは、左側の現代魔術派貴族たちに対して勢いを失っているようにも見えた。

 双方から聞こえてくる会話に、聞こえない振りをすることが、場違いさも相まってなんとも居心地が悪かった。

 

 いや、それよりも、肉の挟まったパンを美味しそうに頬張っている弟を見掛けたときには心臓が飛び出るほどに驚いた。

 隣に座るコンスタンティンさんが止めなければ、会場から一目散に逃げ出してていただろう。

 

 クロスヴァルトが貶められているかもしれないことを理解しているのか、いないのか、貴族であるにもかかわらず屋台の料理を両手で抱えていた弟は、なかなかに貫禄が付いていた。体型的に、だ。

 以前は僕と似た体格だったのだが、でっぷりと太った身体は、さながら脂肪の塊のように見えた。


 変わり果てた姿に驚きはしたものの、やはり話しかけたい衝動に駆られた。

 しかし当然ながらそんな真似は許されない。

 平民は貴族に対して目を合わせることですらご法度なのだ。

 その近くには父様もいるはずだから、尚のこと僕は気配を消していた。


 元気なマーカスの姿を見ることができた、それだけで十分だった。

 クロスヴァルト家の長男が失脚した後、クロスヴァルトの後釜となったマーカス卿が、クラウズ=ノースヴァルト卿との婚姻がほぼ決まっているミレサリア殿下に粉をかけようとしている──などという根も葉もない噂もどこからともなく耳に入ってきた。

 いったい誰がそんな噂を流しているのか気になったが、平民の僕が聞いていいような話ではなかったので、僕はミレサリア殿下が儀式を行う船上に意識を向けていた。




 そして、アースシェイナ神の再誕か──と都中の人を魅了したミレサリア殿下の顕現祭に於けるすべての儀式は無事に終了した。


 青く輝く王都アルスレイヤは大いに沸き、ここ数カ月続いた騒乱の憂さを晴らすかのように、始まりから終わりまで最高潮の盛り上がりを見せていた。


 式の最後にミレサリア殿下が僕に向かって(自意識過剰かもしれないが)笑顔で手を振ってくれたからだろう、会場から悲鳴のような声が僕に向けられたのには面食らったが……。


 無魔の僕がこれほど注目を集めるなんて──やはりこの世は魔力が有ると無いとでは、他人から向けられる視線がこうも違うのか、と痛感せずにはいられなかった。










 ◆









 あれ……?




「さすがはパティです、相変わらず手際が良いですね。これであればイリノイ隊長にもお喜びいただけるでしょう」


「今夜は庭園での食事会ですので炭焼き料理を中心にご用意しておりますが、お気に召していただけるでしょうか」

 

「パティの作るものであればなんでも気に入っていただけますよ、ただ、カイゼル様もいらっしゃるので肉はいつもよりも多めにお願いしますよ?」


 僕は、腹の出たおじさんと若草色の髪の少女の会話を聞きながら、ふと、気になって館の中を覗き込んだ。



 あそこに立っているのは……


 

 半分開いた玄関の扉の奥、二階へと上がる階段の下に人の影が見えたからだ。


「報告は毎日受けていますが、他に何か変わったことはありませんでし──」


 すると、そのことにコンスタンティンさんも気が付いたのか、驚いた様子で言葉を飲み込み、


「──ロ、ロティ! あ、貴方どうして! 部屋から出るなんて!」


 そしてすぐにそう叫んだ。


 咄嗟に出た声は、コンスタンティンさんのものではなくコンティお姉さまのそれだった。


「──いったいどうしたの! ぐ、具合でも悪いの!」


 玄関へ飛び込み、ロティさんに駆け寄るコンスタンティンさんの後を、僕とパティさんも追う。


 すると──





「……こ、ん、す、た、ん、てぃ、ん、さ……ま……」





 ロティさんの小さな口から鳥の囀りのような綺麗な声が発せられた。


 頼りない声ではあったが、確かに聞こえた。

 『コンスタンティン様』と。


「──ロティ! 貴方ッ! こ、声がッ! は、話せるようになったのッ!?」


 堪らずにコンスタンティンさんがロティさんに抱きつく。

 

「あ、嗚呼! 神よ! 感謝致しますッ!」


 コンスタンティンさんの細い目は涙で濡れ、顔は歓喜で歪んでいる。


「嗚呼、始祖エルファーゼ様! ロティに声をお与え下さりありがとうございますッ!」


 ロティさんの光のない蒼い瞳からも大粒の涙が零れ落ちた。



 そして──



「……こ、の、に、お、い、は……」



 ロティさんが顔を僕の方へと向ける。




「……せ、い、じゃ、さ、ま……?」




 コンスタンティンさんの腕から抜けたロティさんが覚束ない足取りで僕に向かって歩いてくる。




「……ま、ち、が、い、な、い……」




 僕はどうしたらいいのかわからずにロティさんが正面まで近付いてくるのを見守っていると、




「……せ、い、じゃ、さ、ま……ひ、か、り、を、あ、り、が、と、う、ご、ざ、い、ま、す……」




 と言って、手探りで僕の右手を両手に取った。

 ロティさんはそのまま跪くと、僕の手のひらを頰に当て、




「……わ、た、し、の、す、べ、て、を、あ、な、た、さ、ま、に、お、さ、さ、げ、い、た、し、ま、す……ど、う、か……」





 ゆっくりと、だがはっきりと言葉を発する。


 そして驚く僕の顔を見上げると、





「……ど、う、か、お、そ、ば、に、つ、か、え、さ、せ、て、く、だ、さ、い……」





 涙ながらに訴えてきた。







 

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