第120話 第四の印、そして第五の印
トレヴァイユさんを含む数人の騎士が、運河の中ほどに浮かぶミレサリア殿下が乗っている船を目指して警備船を操舵する。が、しかしその進みは遅く、船まではまだ半分以上の距離がある。
あの、人の命を奪うことに何の躊躇もしない、残忍な隠れ者相手では到底間に合いそうにない。
状況を飲み込み始めた見物客もなにが起こるのか固唾を飲んで見守っている。
急がなければ──。
そして『──臨』と唱え終えた僕は人目を憚ることもなく加護魔術を行使する。
「──リーファ!」
精霊の名を呼ぶと、僕の身体は地面から僅かに浮き上がり──
──ダンッ!
と地を蹴ると同時、船に対し一直線に飛び出した。
風奔り──。
そのままの速度を落とすことなく川面に着水した僕は水面をひと蹴り──さらに速度が増す。
ふた蹴り──水面を駆ける僕の姿は、もはや人の目で捉えることは不可能だろう。
そして──三度目に水面を蹴ったのと、ミレサリア殿下の髪を掴んでいる隠れ者を吹き飛ばし、船上に着地したのとはほぼ同時だった。
「──殿下ッ! ご無事ですか殿下ッ!」
敵を警戒しつつ、ミレサリア殿下の状態を確認する。
呼吸は弱いが、命に別条はなさそうだ。
僕がミレサリア殿下の身体を拘束している綱を解こうとしたとき
「まさか子どもが来るとは……俺も舐められたものだ」
船内から声が聞こえ、反射的に身構えた。
「──しかもバークレイにすら勝利できぬ半端加護魔術師とは……」
「──誰だッ!」
「お前には関係ない。──おい、この舞台にあの小僧は邪魔だ、刻んで川に捨てろ」
直後、
「──ッ!!」
頭部目掛けてなにかが振り下ろされるのを直感的に察知し、後方へ飛ぶように躱す。
すると今僕の頭があった場所をなにかが通り過ぎ、僕の前髪が数本、はらりと舞った。
「……相変わらず逃げる技量だけは褒めたものだ」
「──誰だッ! 姿を見せろッ!」
その間も執拗な攻撃が繰り返される。
僕はその見えない攻撃を感覚だけで避けて行く。
「フン、すでにお前の実力は知っている。──ひとつ教えてやろう。この都にはこれ以上精霊が集まらない、なぜなら大規模な精霊封じの結界を張っているからな。お前のような半端な加護魔術師ではこの間のように逃げ切ることもできないぞ」
この間……やはりコンスタンティンさんの言っていた通りだ。
バークレイ隊の中に外部と通じているものがいる──とするといったい……
いや、それよりも今は隠れ者を無力化することが先決だ。
「──おまえらは岸から向かって来る船を始末しろ。こいつは俺ひとりで十分だ」
声の主に俺は言う。
「──誰がこの場から離れていいと言った?」と。
隠れ者相手ではトレヴァイユさんたちはひとたまりもないだろう。
そう考えた僕はわざと相手を挑発し、僕だけを相手取らせるように仕向ける。
「──この船にいる卑怯者全員にひとつ教えてあげよう。なに、僕に結界のことを教えてくれた礼だよ」
あえて怒りを買うような
「【──
と口にする。
すると僕の周囲に無数の光が舞い──
「──僕に精霊封じは通用しない」
「アクアッ!」と叫ぶと同時、周囲の気温が一気に下がり、船上にいた合計八体の隠れ者が姿を現し、そして視界にその姿を捉えた瞬間には凍り付き、動きを封じていた。
「──で、誰の実力を知っているって?」
加護魔術によって隠れ者の術を破り、姿を現したのは
「──タッカーさん?」
バークレイ隊副隊長のタッカーだった。
岸から大きなどよめきが起こる。
僕は敵が誰なのかをはっきり教えるために、あえてタッカーは拘束しなかった。
「──こ、これは!」
そこへトレヴァイユさんたちが乗りこんで来た。
「──タ、タッカーッ!! 貴様なにをしているのだッ!! おいッ! 早くこいつらを取り押さえろッ!」
トレヴァイユさんがすぐさま部下に対して指示を出し、ミレサリア殿下の許へ駆け寄ろうとしたとき
『きゃぁぁあああ!!』
轟音と共に悲鳴が響き渡った。
タッカーに意識を置きながら、ちら、と音のした方へ目を向けると、こちらの様子を窺っていた見物客の集団の中に魔法が放たれたらしく、岸部が阿鼻叫喚の世界と化していた。
「──タッカーッ! 貴様なにをしたッ!」
トレヴァイユさんがタッカーの胸倉を掴んで詰め寄る。
すると姿を露わにされているタッカーはほくそ笑みながら
「──おいおい、丸見えじゃねえか、これじゃあ無魔の黒禍が偽物だってばれちまうぞ。──おい、お前ら全員いますぐ船から降りろ。でないと俺の手下がもう一発魔法を放つぞ?」
「──くっ! タッカー貴様というやつはッ! 貴様はそれでも近衛騎士かッ!」
怒りに髪を逆立てたトレヴァイユさんが剣を抜き放ち、タッカーの首元にピタリと当てる。
「おいおい、トレヴァイユ、俺にそんな事をしていいのか? 城ではお前の兄が他国の貴族と共に人質に取られていると知ってもそんなことができるのか? 俺にもしものことがあればミレサリアだけではなく、他国の貴族も殺す手筈となっているだぞ? ん? スレイヤ対他国という史上類を見ない大戦が巻き起こるぞ?」
「──き、貴様ッ!」
そうこうしているうちにまた魔法が放たれたようだ。
群衆の中から悲鳴が聞こえてくる。
「──ほら、この剣をどけろよ、トレヴァイユ、ああ、そうだ、お前はここに残れ。折角集まってくれた客だ。祭りが中止になるかわりにお前の全裸姿でも晒して愉しんでもらうとするか。──ほら、部下に船から降りるよう指示を出せ、さもないともう一発魔法が放たれるぞ?」
蛇のような目をしたタッカーが舌なめずりをしながら群衆を指差す。
「──くっ! わ、わかった、わかったからもう一般人は傷付けるな! ──兵は全員いますぐ船から降りろ! 近衛は私の指示があるまで係留状態で待機、衛兵は怪我人を城門前広場に運び込め! 以上ッ! 速やかに行動開始しろッ!」
トレヴァイユさんの指示で船内にいた兵が警備船に戻っていく。
僕はその間に、タッカーとトレヴァイユさんが交わしていた会話を分析していた。
船上にはタッカーがひとり、人質はミレサリア殿下とトレヴァイユさん、祭りの会場にはおそらく隠れ者だろう敵に人質は数千、数万の一般人、そして、話が本当なのであれば城にも潜り込んでいる。
バークレイ隊長をはじめとして、滞在している貴族たちを人質に取っているということだろう。
どう対処すれば……
僕は頭を最大限に回転させて最善の策を考える。
「トレヴァイユ、こっちへ来い」
全員が船から降りたのを見計らい、タッカーがトレヴァイユさんから剣を奪う。
そしてその剣でトレヴァイユさんの騎士服にゆっくりと切れ目を入れ始めた。
「──ぐ、貴様、このようなことをしてただで済むと──」
「──誰が口を開いていいと言った!」
そして一気に剣を振り下ろした。
トレヴァイユさんの騎士服が切り裂かれ、白い肌が露わになる。
しかしトレヴァイユさんは臆することもなく、そして堂々と胸を張り、視線で射殺そうとでもするかのようにタッカーを鋭く睨みつけている。
僕の怒りは沸騰寸前だった。
しかし、それでも下手に動くわけにはいかなかった。
タッカーを始末してミレサリア殿下とトレヴァイユさんを救い出すことなど容易い。
しかし、タッカーに手を出した瞬間に群衆には魔法が放たれ、城の貴族は命を奪われてしまう。
今いるこの場から万を超す群衆を庇い、魔法を受けた怪我人を治療し、さらに城の賊を無力化する方法など、僕には考え付かなかった。
絶体絶命……
隠れ者を無力化するときにタッカーを傷付けなかったことが唯一の救いか──
万が一始末していたら取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
「キョウ、君が何故ここにいるのかは知らないが、早く船から降りたまえ。ミレサリア殿下は私の命に代えてでも必ずお守りして見せる」
「──トレヴァイユ様……」
強い意志のこもった視線を受けて僕は覚悟を決めた。
「そうはいかない、この小僧はここで死んでもらう。この先の脅威となるような人間を生かしておくほど俺はお人好しじゃないのでな」
「タ、タッカー! キョウは関係ないだろう! この国のものでもない! ただの商人見習いだぞ! キョウは見逃してやってくれ! 頼む!」
「さあ、どうする? 小増、姫ひとりの命を取るか、万を超す命を取るか、それとも俺を殺して戦争の引き金を引くか? まあ、お前はどれも選択できずに死んで行くのだがな」
過去の僕であったのならば、モーリスやお師匠様と出会う前の僕であったのならば、敵に背を向けて逃げだしていたかもしれない。
どうすることもできない自分の無力さを思い知らされて、戦うことすら放棄していたかもしれない。
いや、初動を躊躇い、あの住民と同じようにあの場から動くことすらできずに魔法で吹き飛ばされていただろう。
「ほら、今もこうしている間に怪我人は次々と命を落としていくぞ? もう第一級の治癒師でもなければ助けられはしない、まあ、この国にそんな大層な魔法師はいないがな!」
でも今は違う。
今の僕は、今までのひ弱な僕じゃない。
だから僕は少しも動揺することなく
「それがどうした──」
無表情のままそう言い放った。
強がりなどではない。
なぜなら──
『──聖者さま! 皆様の治癒は終わりました!』
「──なッ!!」
タッカーが驚愕し目を見開く。
「そうだな、確かにこの国にそんな大層な魔法師は
それだけじゃない。
『──兄者ぁッ! 遅くなって済まない! 隠れ者は任せて下されぇッ!』
頼れる弟弟子もいる。
「ま、まさかあの巨体の聖教騎士はッ!! カ、カイゼル=ホークッ!!」
タッカーが船から身を乗り出し頭を抱えて叫ぶ。
「な、なぜ聖教騎士がこの場に! バシュルッツに遠征していたのではないのかッ! クソッ! ドレイズめッ! く、し、しかし城は、城の貴族共は──」
そして──
『──ハンッ! 童や! 城はわたしに任せるんだよ! ったく、コンティに大きな貸しができたねッ!』
大陸最強と謳われる、元聖教騎士団長、イリノイ=ハーティス、僕のお師匠様もいる。
僕は弱さを乗り越え、最強の仲間と、それに並べるだけの力を手に入れた。
風魔法に乗せられて船上まで運ばれてくる三人の声が、僕の覚悟を後押しする。
だから僕は眉一つ動かさずに言う。
「──さあ、すべて返してもらうぞ?」
僕は動揺を隠せずにいるタッカーを尻目に
「【──
精霊言語を紡ぎ、
「【──
立て続けに印を結んだ。
コンスタンティンさんの館で修行をしていた際に浮かび上がってきた精霊言語だ。
そして次の瞬間──
青の都は眩い光に包まれた──。
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