第103話 桃色の髪の騎士
『今夜の宿が見つかりますように』と、最後の望みを託して足を運んで来た場所は──
「ここはまた、すごい場所だな……」
青の都の中にいる、とは思えないほどに雑多な街並みの区画だった。
良くいえば活気がある。
しかし、悪くいえば──ごちゃごちゃしていて汚い、だけでなく──
「なんだこの臭いは……」
臭い。
辺り一帯は鼻先にツンとくる、すえたような臭いが充満していた。
鼻をつまんでいないと具合が悪くなってしまいそうだ。
水路にはゴミが浮いて濁っており、反射する光も青ではなくどす黒い。
今まで行ったどの地区よりも人の数が多く、狭い通りの両脇に出ている店のテーブルはどこも満席で、立ったまま杯をあおっている人や、地面に直接座って食事をしている集団もあって、文字通り人で溢れ返っていた。
そして店の従業員が、大勢のお客さんが残した食べかすや飲み残しなどを、どばっ、と水路に廃棄している。
その横では酒に酔った男が水路に向かって嘔吐しており、さらには手洗い代りに水路で用を足す人までいる始末だ。
「この臭いの原因はあれか……」
まだ明るいというのにあの体たらくだ。
ラーナちゃんの忠告通り、夜になったらこの一帯はそれは酷い有様を見せるのだろう。
一見では華やかな印象しかなかった青の都にも、こんなに不衛生な場所があったのかと、素直に驚いた。
今も目の前で酔っ払いが水路に吐瀉物を撒き散らしている。
連れらしき男が肩を摩って介抱しようとしているが、酔った男はそれが気に入らなかったのか、介抱してくれている男を水路の中に投げ飛ばしてしまった。
すると店中から、わっ、と下品な笑い声が沸き起こる。
「うぇ……気の毒に……」
僕は思わず目を背けてしまった。
水の精霊であるアクアからも、怒りとも悲しみとも捉えられる複雑な感情がひしひしと伝わってくる。
それはそうだよな……アクア……
あんなに綺麗な水を汚すなんて……
僕としても早くこの場を離れたかったが、そういうわけにもいかない。
頼みの綱となってしまったこの界隈で宿を探さないといけないのだ。
僕は喧騒と熱気に包まれた店の前を通り過ぎると、臭いを堪えて宿探しを開始した。
◆
「え……空いているんですか……?」
以外や以外、それは一軒目で起こった。
「ああ、うちは大部屋だがね。一泊食事なしでクレール銅貨五枚だ。食事を付けるなら朝は銅貨一枚、夜は二枚だ」
ようやく今までの宿とは違う回答が返ってきたのだ。
しかも──
一泊銅貨五枚!? 朝と夜の二食を付けても銅貨八枚!?
とんでもなく安い。
「どうするんだい? もうじきすると朝出ていった奴らが戻ってくるから、すぐに埋まっちまうよ?」
大部屋ってたしかみんなと寝る部屋だと思ったけど、そんな贅沢いっていられない!
「泊まります! 朝と夜の食事付きで三十日!」
「三十日? うちはその日の分しか受けてないんだよ。明日も泊まりたければ明日またここに来な」
「あ、そうなんですか、わかりました。──では今日だけでもお願いします」
そう言って僕は皮袋から金貨を取り出す。
「おや、金貨かい。羽振りがいいねえ、何級なんだい?」
カウンターに置いた金貨を懐にしまいこみながら、宿屋のおばさんが話しかけてくる。
だが、『何級だ』と訊かれても意味がわからなかったので
「何級って、なにが……ですか?」
釣りを用意しているおばさんに訊き返した。
もしかしたら魔法師の階級のことを言っているのかもしれないが、それならなおさら誤魔化さなければならない。
「なにがって。あんた、冒険者じゃあないのかい?」
冒険者……
ああ、おばさんは冒険者の階級を訊いていたのか。
「いえ、僕は冒険者ではなくて商人見習いなのです」
「ああ、そうだったのかい」と言っておばさんが渡してくれた釣りを受け取り、
「あの、コンスタンティン、っていう腹の出た男の人のこと知っていますか?」
もう何度目になるだろう、ここでも同じ質問をしてみると──
「人探しならこの先の冒険者組合で依頼を出しな。金はかかるがその辺で訊いて回るよりも手っ取り早く確かな情報を得られるよ」
これについても今までと異なる回答が返ってきた。
「そうですか、ありがとうございます」
「部屋に入れるのは六の鐘からだよ。朝は一の鐘が鳴ったら出ていっておくれ。忘れ物はすべてこっちで処分するからね、気を付けるんだよ」
受け取った釣りを皮袋にしまうと、僕は六の鐘までの数アワルほどの時間を潰すため、情報集めに向かうことにした。
◆
「まだ二アワルはあるか……」
五の鐘がなってから一アワルほどが経ったころだ。
おばさんから聞いた冒険者組合に依頼を出そうとも考えたのだが、組合の前まで行ってすぐに引き返してきた。
あんなところ、子どもが入っていい場所じゃない。
中に入らずとも大きな建物前の広場には、盗賊のような
それこそ一人ひとりがカイゼルさんと対等に戦えるんじゃないか、と思えるほどに屈強揃いだった。
僕がこの区画の入り口で見た光景など、組合付近と比べれば可愛らしいものだった。
冒険者同士の喧嘩が至る所で勃発し、その都度、人が毬のように吹き飛ぶ。
依頼から帰還したのだろう血まみれの冒険者が、呻き声を上げながら治療所に運ばれて行く。
大剣を腰に佩ている人が金貨を数えていたり、立派な弓を担いでいる人が獣を捌いていたり。
片腕のない人が壁を蹴っていたり、裸同然の服装の女の人が踊っていたり。
僕はこのとき親切な通りすがりのお兄さんに聞いて初めて知ったが、ここは王国中の腕自慢の冒険者たちが集う、都一といっても過言ではない、超が付くほど危険な区画だった。
こんなおっかない場所で依頼なんて出せるわけないじゃないか!
僕は建物の中はきっと
宿の部屋に入れるまであと二アワル。
食事も付いているからどこかで夕飯を食べて時間を潰すわけにもいかない。
かといってあまり遠くまで行っては危険だ。
だから僕は宿の前でしゃがみ込んで、六の鐘が鳴るのを今か今かと待っていた。
しばらくそうしていたとき、見回りにやって来る三人の衛兵の姿が目に入った。
──そうだ!
コンスタンティンさんのことを衛兵さんに聞いてみよう!
今までは宿の人ばかりに聞いていたけど、衛兵ならなにか知っているかもしれない──と、こちらに向かって歩いてくる三人の衛兵のうち、一番優しそうな顔立ちの人に向かって近寄って行った。
「すみません、ちょっとお訊ねしたいのですが」
「ん? こんな時間に子どもがどうした? 迷子にでもなったのか?」
思った通り、若い衛兵は優しく応対してくれる。
「いえ、コンスタンティン、という腹の出た男の人を探しているのですが、ご存知ないでしょうか?」
すると三人の衛兵は、さっ、と顔色を変えた。
優しそうな若い衛兵も引きつった顔で
「おい、お前、貴族街の宿でもその人を探していなかったか?」
と、訊いてくる。
「え? はあ、多分僕だと思いますが……」
心当たりはある。
というか、僕で間違いないだろう。
すると三人は「お前か!」と、いきなり僕の腕を掴んできた。
「──ちょっと! なにするんですかッ!」
突然のことに面食らうも、大きな声を出して抵抗しようとするが
「いいから黙って詰所まで来い!」
と、腕を引かれてしまう。
「──わ、わけを聞かせてくださいッ!」
「しらばっくれるな!」
大人三人の力で引っ張られては、小さな僕の身体など軽石のように引き摺られてしまう。
何がなんだかわからずに「やめてください!」と大声で叫んでいると──
「子ども相手になにをしている」
良く通る声が僕の耳に入ってきた。
「バークレイ様!」
三人の衛兵のうちのひとりが声をあげる。
僕は衛兵の手が緩んだ隙に体勢を立て直した。
「ご苦労様です! バークレイ様!」
助かったと思っていいのだろうか、タイミング良くかけられた声の方を見ると、
「──!」
そこにはトレヴァイユさん──ではなく、トレヴァイユさんと瓜二つの男の騎士を中心に、計四人の男の騎士たちがこちらに近付いて来ているところだった。
周囲の視線を集める、ひと際目立つ騎士──あの人がバークレイという人だろう──は、トレヴァイユさんと同じ桃色の髪、そして同じ騎士服姿だ。
背は──こちらの方が少し高いだろうか、それでもこっちは男であるにもかかわらず、トレヴァイユさんと見間違うほどに良く似た容姿をしている。
「騒がしいがどうしたのだ」
桃色の髪の騎士が僕たち四人のことを一通り見回す。
「いえ、貴族街でコンスタンティン様のことを調べているガキがいるって通達がありまして、どうやらコイツがそうらしいんです」
三人の衛兵のうち、一番年長の男が代表して答える。
「コンスタンティン卿の……?」
「ええ、腹が出ているコンスタンティンと……オホン、コンスタンティン様と言えば、コンスタンティン様以外にはいらっしゃらないかと……」
衛兵の説明を聞き、バークレイと呼ばれる騎士が目を細めて僕の顔を覗きこむ。
近くで見れば見るほど、この人とトレヴァイユさんとがよく似て見える。
「ふむ、少年。名はなんというのだ。──ああ、心配ない、僕は近衛騎士のバークレイという」
トレヴァイユさんと同じ優しい目で、爽やかな騎士──バークレイさん──は、僕の視線に合わせて訊ねてきた。
「えっと、商人見習いのキョウといいますが……」
「隊長、どうしますか? コンスタンティン総隊長に
近衛騎士のひとりがバークレイさんに確認するが、
「そうだな、いや、いい。僕がやろう。──君たちはもう警らに戻ってくれて構わない。御苦労さま」
バークレイさんはそう答え、三人の衛兵に向かってひらひらと手を振った。
「りょ、了解であります! バークレイ様! それでは失礼致します!」
三人の衛兵が立ち去るとすぐさま、バークレイさんは上空に向けて矢を放った。
そして放たれた光る矢は、なにかに引き寄せられるように、青く輝いている城に向かって一直線に飛んで行った。
「──さて、君はなぜコンスタンティン卿を探していたのかな? 腹の出たコンスタンティンというのは、コンスタンティン卿で間違いがなさそうだが」
僕はもうひとりの騎士が言っていた言葉を考えていた。
『コンスタンティン総隊長』──
ということは……この人たちの上席に当たる人、なのかな……。
まさか、僕はそんな人を捜しまわっていた……と……?
お師匠様……どうしてくれるんですか……
「おい、小増! 隊長の言葉が聞こえないのかっ!」
「おいおい、君、子ども相手になんて訊き方をするんだい? ──ほら、怯えているじゃないか」
騎士が僕の方を揺さぶるが、それをバークレイさんが咎める。
あ、この人、トレヴァイユさんと同じで子どもにも優しい良い人だ……。
この人になら事情を話しても大丈夫そうだ──と、お師匠様から預かった巻物を取り出そうとしたとき、
──ドスッ!
バークレイさんの足元に光の矢が突き刺さった。
「──コンスタンティン卿からの返信がきたようだね」
バークレイさんは矢を手に取ると、魔力を通して巻物に変化させる。
「ふむ、これはどういった風の吹き回しか。──コンスタンティン卿がお会いになるそうだよ」
バークレイさんが巻物の内容を説明すると、
「え、総隊長がですか?」 「まさか……こんな子どもと……」
他の騎士たちが色めき立つ。
「急ぎ馬車を回せ」
バークレイさんは騎士に指示を出すと
「ふう、これでこの臭さから解放される」
眉を顰めて、桃色の髪を掻きあげる。
そんな仕草もトレヴァイユさんとよく似ている。ふたりは双子だ、といわれても信じてしまうだろう。
「あのう、僕はどこかに連れて行かれるのでしょうか……そこの宿に泊まる予定なのですが……」
おそらく向かう先は城だろう。だが、念のため僕はバークレイさんに確認した。
「──大丈夫、疑いが晴れたら戻って来れるよ。この豚小屋にね」
やがてやってきた馬車に強制的に乗せられた僕は『期せずしてコンスタンティンさんに会える!』と喜ぶ──ことなど到底できなかった。
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