第98話 あるべき姿の執事


「あ、そうか……トレヴァイユさんの家か……」


 なにかを規則正しく叩く音によって目を覚ました僕は、一瞬自分がどこにいるのかわからず考え込んでしまった。が、すぐにここがトレヴァイユさんの自宅であることを思い出すと、柔らかい布団を捲くって上半身を起こした。

 白一色で統一された清涼感溢れる室内に差し込む朝の光が目に眩しい。

 朝日まで淡い青色をしていることに、ここが青の都であり、一宿一飯の世話になったクルーゼ伯爵の館だと思い至るのに時間は要しなかった。



 そうか、都の景色を眺めていて窓掛けを開けたまま寝てしまったのか……



 昨夜は水路の水面から反射する青い月明かりに浮かび上がる都に、時間を忘れて魅入ってしまっていたのだ。 

 この都は夜こそ神秘的な美しさが際立つように思える。

 特に高台にあるクレーゼ邸の三階客室から見下ろす夜景は壮絶な美しさだった。


──トン、トン、トン


 部屋着のまま窓から朝の都を眺めていたとき、扉を優しく叩く音が聞こえてきた。

 ああ、目覚めに聞こえたのはこの音だったのか──と、扉に歩み寄り「はい、どうぞ」と手前に開く。


「おはようございます、キョウさん、ゆっくりお休みいただけましたか?」


 部屋の前に立っていたのは背筋をしゃんと伸ばしたカルディさんだった。


「おはようございます、カルディさん、お陰さまでぐっすり眠れました。ありがとうございます。──もしかして、長いことそうされていました?」


「──いいえ、……御気になさらずに。──キョウさん、朝食は御部屋で摂られますか? それとも食堂で摂られますか?」


 そうは言うけど結構前から起こしてくれていたのだろう。

 カルディさんの微妙な間がなんとなく、そう物語っているように感じた。


「え、朝食までいただいてしまって良いのでしょうか……さすがにそこまでは……」


「どうか遠慮なさらずに。お嬢様から申し付かっておりますので」


「すみません、なにからなにまで……では食堂でいただきます」


「かしこまりました。それでは支度が済みましたらご案内いたします」


 そう言うとカルディさんは扉を閉めた。


 こんなやりとりは久しぶりだからどうしても緊張してしまう。

 やっぱり僕は生まれながらに貴族より平民の方が体質的に合っているんだろう。

 一度庶民の暮らしを経験すると、貴族の習慣がなんとも肩苦しく思えてしまう。



 モーリスもそういうところが我慢ならなかったと言っていたな──。

 あ、そういえばモーリスはどうしているんだろう。

 別れてから……えぇと、ひと月くらいかな、とすると、順調ならひと月後にはモーリスとデニスさんもここにやって来るのか……

 どうにかしてあのふたりと会いたいけど……



 着替えながら姿見の自分を見る。

 髪も瞳も薄い水色をした見慣れない少年の姿──。



 これじゃあ、いくらモーリスでも僕だって分からないよな……

 いや、あのときも気付かれたから、もしかしたら……

 よし、機会があったらこっそり会いに行って驚かせてみよう。


 そんな悪戯を考えながら着替えを済ます。

 今日はこのあと城に行って金貨を受け取って、とにかく安い宿を足が棒になるまで探し続ける。

 と同時に『無魔の黒禍』の情報を仕入れて、あとは都の全体図も頭に叩き込んでおこう。



 クロスヴァルト家のことも確認したいけど……

 そのことを聞いて周れば僕が怪しまれるし……

 そうだ! カルディさんにそれとなく聞いてみよう!

 カルディさんなら貴族社会についても詳しそうだ。



 などと頭の中で今日の予定を立て終えると、部屋の外で待機していたカルディさんに声をかけた。





 ◆





「僕はこの国のことはよく知らないのですが、貴族の方はたくさんいるんですか?」


 文句の付け所がない朝食をいただいた後、食後に紅茶を給してくれたカルディさんに、予定通りクロスヴァルト家の現状を遠回しに聞いてみようと試みた。


「ええ、当家も国王より爵位を授与され貴族の末席に名を連ねておりますが──千は軽く超えるのではないでしょうか」


「そうなんですか。あ、そういえばここに来る途中の街で『なんとかヴァルト』っていう七貴族が中心になっているとかって聞いたんですけど」


「ヴァルト七家ですね。王室のラインヴァルト家の他に、セントラルヴァルト家、ノースヴァルト家、ウェストヴァルト家、クロスヴァルト家、サウスヴァルト家、イーストヴァルト家という高位の貴族家がありまして、その方々がスレイヤ王国を支えておいでです」


 やはり誰の口からであっても、クロスヴァルトの名を聞くと胸が締め付けられる。


「ああ、そうです、そうでした。なんでもそのなかのクロスヴァルト家から……なんでしたっけ、なんとかのなんとか、って、あまり縁起の良くない人物が出たとか」


「『無魔の黒禍』でしょうか」


「あ! そんな名前だったと思います! 今、青の都で悪さを働いているのがその人だって噂も耳にしたんですが……あの、クロスヴァルト家とはなにか関係があるんですか?」


「……それは私の口からは何とも申し上げられません。クロスヴァルト家はヴァルトの中でも国に対する影響力が高く、さらに代々傑出した現代魔法師を輩出している家系です。そのことからも都では意見は真っ二つに割れています。クロスヴァルト家の動乱だという見方をする者と、力をつけ過ぎたクロスヴァルト家を貶めるための策だという見方をする者と」


「そ、そうなんですか……」


「ただ、歴史を深く知る者の意見は異なります。『無魔の黒禍』、古くはこの国にも災いをもたらした恐るべき人物の名だそうですが、その者が今の世に生まれ、再び世界を混沌に陥れようとしている、という──」


「どうした、カルディ、今朝はやけに饒舌だな」


「だ、旦那様、お早うございます。ただ今すぐに朝食を──」


「よい、まだ昨夜の酒が残っている。それより私も紅茶をいただこう」


「──かしこまりました」


 話が佳境を迎えたところで壮年の男の人が食堂へ入ってきた。

 質の良さそうな部屋着を羽織り立派な顎鬚を擦りながら上座に腰かける。


 カルディさんが旦那様と呼ぶ、いかにも貴族に見えるこの男性ひとは──


「お、おはようございます! クルーゼ伯爵!」 


 この館の主であるクルーゼ伯で間違いないだろう。


「昨晩はすっかりお世話になってしまって、その上朝食までいただいてしまい、なんとお礼を申し上げたら良いか──本当にありがとうございました!」


 突然現れたクレーゼ伯爵にばっと立ち上がり、しどろもどろになりながらも頭を下げる。


「ふむ、カルディの言う通りだ。商人の丁稚にしておくのはもったいないな。トレの目にとまりカルディにも一目置かれるなどそうはいない。──どこの商会だ、給金をあげてもらえるように申し添えてやるぞ」


「高く評価いただき光栄の極みではありますが、私は修行の身、今でも分相応以上に手厚く扱っていただいております。ですので、どうかそのようなことはなさらないようお願いしたく」


「無欲の商人か……苦労するぞ、キョウ」


「……はい、肝に銘じます……」


 その後、伯爵が三杯の紅茶を飲み終えるまで、僕は話に付き合わされてしまった。

 伯爵は四杯目も飲もうとしていたが、胃がたぷたぷの僕を慮ってくれたカルディさんが『城に向かうお時間です』と声をかけてくれたので、なんとか息の詰まる二者面談の場を切り上げることができた。


 城へは昼過ぎに着けばいいのだが。

 今から出ても少々早いが、おそらくカルディさんの粋な(?)計らいだったのだろう。

 素敵な笑みで僕を見るカルディさんに僕はそう思うことにした。







 ◆







「トレが初めて連れてきた男だ、いつでも遊びに来なさい」


「ありがとうございます。本当に御世話になりました」


 律儀にも玄関まで見送ってくれた伯爵に深々と頭を下げる。

 玄関を出ると、僕はクルーゼ家が用意してくれた馬車に乗り込んだ。


「カルディさん、本当にありがとうございました。伯爵にも良く言っていただいたようで、お陰さまでとても有意義な時間を過ごせました」


「お嬢様の見る目に間違いはございませんから。私の言葉はお嬢様の言葉として旦那様に伝わっただけでございます。またのお越しをお待ちしております。キョウさん──いえ、ラルクロア様」


──!!


「な、なにを言って──」


「レスター、という執事をご存じでいらっしゃいますか?」


 な、レスター? 知ってるもなにも、クロスヴァルトに長く務めている執事じゃないか!

 なぜ、カルディさんがレスターのことを! 鎌をかけている……のか?


「そのレスターは私の伯父でございます。私の母の実兄なのです」


「──!」


「ラルクロア様は憶えていらっしゃらなくても当然でございますが、ラルクロア様がお生まれになってすぐの時分、私はこの手でラルクロア様を抱かせていただく栄誉に授かったことがあるのです。──にもかかわらず、恥ずかしながら昨晩お会いした時は目の前にいらっしゃるお方がラルクロア様だと気が付くことができませんでした……しかし、今朝、寝起きのラルクロア様のお姿を拝見したときに、おぼろげながら面影が重なったのです」



 そんな! 

 そんな昔に一度あっただけで!



「それだけではございません。ラルクロア様が『無魔の黒禍』に大変興味をお持ちのようでしたので、そのことに、もしや本当にこの御方はラルクロア様ではないのだろうか、と推測を立てたのです。そして先程、ラルクロア様のお名前を申し上げた際に、ラルクロア様の驚かれた顔を見て確信に変わりました。──ご本人を前に試すような真似を致しましたご無礼、どうかお許しください」



 え、やっぱり試されていたのか!

 でもどうして……



「ラルクロア様、ラルクロア様はご自身で思う以上に皆より愛されておいでなのです。私など勝手ながらレスターとふたり、ラルクロア様の将来について、どれだけの夜を語り明かしたことでしょうか」


 「こんなにご立派になられて……」とカルディさんが感涙にむせぶ。

 僕はあまりの衝撃に言葉を発することもできずにいた。


「あまり長く話すと使用人らに覚られます。旦那様は無論のこと、お嬢様も貴方様をラルクロア様とはお気付きにはなっておられません。ラルクロア様がご無事でいらっしゃることは私が必ずレスターに伝えます。クロスヴァルト家も今のところ大事はございません。『無魔の黒禍』などという賊が夜な夜な悪事を働いておりますが、私はクロスヴァルト家そのものを亡き者にしたいと考える輩の仕業だと邪推しております。なんとも……しかしながらご安心ください、この都にもラルクロア様の味方は数多くおります。貴族の中にはラルクロア様の肩を持つ方も多くおられるのです!」

 

 驚きを隠せずに放心状態でいる僕の耳元にカルディさんが顔を寄せる。


「ただ、ひとつ、これはまだ知らぬ者も多いのですが、ミレサリア殿下が──」


「カルディ様、馬車の用意はできておりますが……」


「あ、ああ、いまキョウさんに城での作法を教えて差し上げていたのだ。さあ、キョウさん、馬車にお乗り下さい」


「あ、カルディさん……」


「キョウさん、どうか先代のご意志を継いで商会を立派に育て上げて下さい! さすれば先代もさぞやお喜びになることでしょう!」


 僕はカルディさんに背を押されると、つんのめるように馬車に乗り込んだ。

 御者を務めるクルーゼ家の使用人は、僕が乗ったことを確認したのち馬に鞭をあてると──僕の揺さぶられる感情を置き去りにして、馬車はゆっくりと車輪を廻した。





 

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