第35話 夕餉
「おい、隻眼の覗き魔。夕飯ができたぞ」
「……恐れ入ります……ただいま伺います……」
痛たたた、足が痺れて立てない……
ミスティアさんが夕飯の時間を告げに来てくれた。
お腹が空腹を訴えているから早く食堂に行きたいのに、風が吹き荒ぶ板張りの廊下で長時間に亘って正座をさせられていたため、思うように立ち上がれない。
これもすべてイリノイさんの
湯浴み場で背中まで流してあげたのに。
湯から上がるや否やミスティアさんの部屋まで行って『童に湯浴みを覗かれてしまったよ、わたしも捨てたもんじゃないね』なんておかしなこと言うからこうなったんだ。
変な呼び名までついちゃってるし。
ミスティアさんも早く任務に行けばいいのに。
そうだ、みんなにミスティアさんの二重人格のこと言いふらしてやろうか。
「早くしろ!」
「あ、はい! すみません、足が痺れて……」
「ふんッ、先に行っているぞ」
「はい……」
「それと!」
「はいッ!!」
「私がおばあちゃん子というのは決して口外するなよ? 万が一にでも私の私生活に関わる実情を他の誰かに話しでもしたら──」
「い、言いません! 言うわけないじゃないですかッ!!」
「そうか、ならいい。早くしろよ」
「はい! すぐ行きます!」
危なかったっ! 良かった先に忠告してくれて! もう少しでジゼルさんに愚痴るとこだった!
「それともうひとつ」
「は、はいっ!?」
「私の湯浴みを覗いたりでもしてみろ、そのときは──」
「も、もちろん覗きません!」
っていうか僕は覗いてなんてないってのに!!
ミスティアさんの湯浴みなんか興味もないし、覗くわけないじゃないか!!
今回ばかりは声を大にして言ってやりたかった。
でも足が痛くて腹ペコの僕は、もうこれ以上正座をさせられるのも嫌だし、夕飯抜きになるのも嫌だった。
だから結局「以後気をつけます……」としか言いようがなかった。
悔しいけど、どうあっても僕がミスティアさんに対して主導権を握れる日が訪れることはなさそうだ。
◆
「うわぁ! いい匂い! うわ!! これはすごいです!! イリノイさんは料理が得意なんですか!」
足を引きずりながらようやくたどり着いた食堂のテーブルには、所狭しと皿が乗っていた。
皿の上にはどれも美味しそうな料理が綺麗に盛られている。
特に目を引くのが
「もしかしてこれが
大皿に山盛り乗っている七色に輝くキノコ料理だ。
ジゼルさんにもらったときは朱色っぽかったけど、火を入れると、なるほど、虹色に輝くようだ。
「そうだ、これを一年間楽しみにしていたのだ。ここまで見事に輝かせられるのは、世界中でノイ婆くらいのものだ」
「この茸は火加減が難しいからね。下手に火を入れ過ぎると七色を通り越して一色。火入れが足りないと六色止まりの仕上がりになってしまうのさ」
すごい! こんな料理が食べられるなんて!
ジゼルさんでもこんなに輝いてなかったような……あ、キノコの種類が違うのかな?
それにしても美味しそうだ!
「童はそこにお座り」
イリノイさんの正面にミスティアさん、ミスティアさんの隣に僕が座り、夕食の開始となった。
「いただきま──」
『精霊様、日々の御恵みに感謝申し上げます。魂と肉体を満たしていただき感謝申し上げます』
「…………す……」
……ハーティス家の作法ですか……。
すみません……。
次から気を付けます……。
怒られないようにそっとフォークを置いて、ふたりがしているように見よう見まねで両手を合わせ目を瞑る。
…………。
長い沈黙に耐えられず、チラチラと正面のイリノイさんを窺っていると
「さあ童、空腹だろう、たんとお食べ」
お祈りを終えて顔を上げたイリノイさんから許可が下りた。
隣のミスティアさんも顔を上げ、料理に手を伸ばし始める。
それを見て僕も「はい! いただきます!」と元気よく返事をして料理を皿に取り分けた。
「ティア、今回の任務は変わったことはなかったのかい?」
イリノイさんはまだ食べないのか、両手をテーブルの下に置いたまま、静かな口調でミスティアさんに話しかけた。
「それがねノイ婆、任地では特に何もなかったんだけど、こっちに戻ってくる途中に──……ん〜! やっぱりノイ婆の創る虹香茸の炙り焼きはサイッコー!! あ〜、生きてて良かったぁ〜!!」
そんなに虹香茸って美味しいのかな……どれ、僕もひとついただいてみよう……それにしてもミスティアさん、二本の棒で器用に食べるな……
「そうかい、そりゃ良かった。でこっちに来る途中にどうしたんだい?」
あ、でもその前にこのお皿に取ったお肉を先に食べて……うわ! すっごい美味しい! とっても柔らかいし……なんだろう、この深い味わいは……今までに食べたことのない味付けだな……
「んん、ノイ婆にも
さて、それではお待ちかねのキノコを食べてみよう、それにしても綺麗な色だなぁ、本当に虹色なんだ。それに……すごくいい香りだ……なんとも香ばしい……たまらないな、これ……一口でいけるかな……いただきま……
「三カ月くらい前かなぁ、無魔の黒禍がクロスヴァルト侯爵家から出たって」
「ぶはっ!!」
「な、なんだ貴様! 汚い奴だな! ノイ婆の顔に虹香茸が飛んでいったじゃないか!」
「す、すみません! イリノイさん! す、少し熱くて……」
「何を言っている貴様! もう十分に冷めているではないか!!」
「良い良い、ティア。童も慌てないでゆっくりお食べ」
「は、はい、すみません……」
「まったく貴様という奴は……食事も落ち着いて食べられないのか……」
「気を付けます……」
いきなりそんな話しするから驚いてキノコが飛んでっちゃったじゃないか……もったいない……うわ、ミスティアさん、食べるの早いな! もう半分もない! せめてひとつは食べないと……よいしょ……と、よし、お、さっきのより大きいぞ! あ〜いい匂い! さぁ、では改めて、いただきまぁす!
「この童がその無魔の黒禍だよ」
「ッぶぱっ!!」
「なんだい、ティアまで! はしたないねぇ! 茸を飛ばして遊ぶのはおよしよ!」
やっぱりイリノイさんはまだ話してなかったんだ。ん! キノコ美味しい! カリッとして……あ、でも中はシャキシャキだ! これは美味しいや! ……ミスティアさんがイリノイさんの顔を拭いている間にお皿に取っておこう。それにしてもミスティアさんの驚きよう……ふふふ、ぶぱって、ふふ、しかも綺麗にポーンッてキノコ飛ばして……ふふふ、いい気味だ……ふふふ
「何が可笑しいんだい、童」
「へ? あ、いや! な、なんでもありません!」
「貴様が無魔の黒禍……だと……?」
イリノイさんから布巾を受け取ったミスティアさんが、自分の席に戻りながら僕を睨み付ける。
「なんだい童、ティアにはまだ話してなかったのかい」
「あ、すみません……どこまで話していいのかよくわからなくて……」
僕はイリノイさんに正直に答えた。
「そうかい、なら仕方がないね。食べながらでいい。今話してやるから良くお聞き」
イリノイさんは、まだ青い竹を切った筒を口に付けて中の液体を口に含むと、満足げな顔で喉を鳴らして飲み込む。
昼間は中途半端で終わってしまった話も聞かせてくれるのだろうか。
僕は居住まいを正してイリノイさんの話を待った。
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