第29話 森の異変


「ない? ひとつもないというのか、ココット!!」


 まだみんなに囲まれているミスティアさんから距離を置いて、僕がひとりで市場の商品を眺めていたとき、ミスティアさんがいる方向から怒気をはらんだ声が聞こえてきた。


 ミスティアさんの声だろう。

 僕に対するものではないのに、条件反射でつい身を竦ませてしまう。

 顔をそちらに向けるとミスティアさんがいる集団がざわつき始め、ただ事ではなさそうな雰囲気を醸し出している。

 僕が見ていた商品は初めて見るものが多く、とても興味をひかれたけどひとまずそっちに行ってみることにした。


 「いったいどうしたんです?」とわらわらと他の客も集まってくる。


 着いたときにはかなりの人だかりができていた。が、僕は小柄な体型を活かして人垣をスルスルと掻き分けると、あっという間に輪の最前列に出ることができた。


虹香茸ニジカオリダケがひとつもないというのか!?」

「も、申し訳ありません、ミスティア様」


 やはりさっきの声はミスティアさんのもので間違いなかった。

 どうやらお目当の食材が品切れであったことを店員さんに詰め寄っているらしい。


「そんな……どれほど楽しみにしていたか……」


「申し訳ありません……」


「あ、いやこちらこそ済まない。ココットに非はないというのに、つい声を張り上げてしまった」


 ミスティアさんは冷静さを取り戻したのか、店員さんにサッと手を挙げて詫びを言う。

 それでもミスティアさんは「虹香茸を食べられないとは」と、さも残念そうに肩を落とし俯いたままだ。


「森に入れるものがひとり足を悪くしてしまって、それでひと月ほど前から森の食材が品薄になってしまっているのです」


 店員さんが品切れの理由を説明する。

 しかし、ミスティアさんの耳には届いていないようだ。

 項垂れたまま返事もせずに身体の向きを反転させると、割れた人垣をトボトボと帰ろうとしている。

 そんなミスティアさんも気の毒ではあるけど、「ミスティア様……」と申し訳なさそうに呟く店員さんも酷く哀れに見えてしまう。

 だからといって僕にはどうすることもできないのだけど。


 僕はお店の人にぺこりと頭を下げると、ミスティアさんの丸まった背を追いかけた。




 なにも喋らず馬に跨るミスティアさん。

 憂い顔を見上げる僕は抱き上げてもらうのを大人しく待つ。


 シュンとしてしまっているミスティアさんを元気付けてあげたいところではあるんだけど──


 イリノイさんに「山盛りで!」とお願いしていたほどだ。きっと大好物なんだろう。


 ミスティアさんになにか喜んでもらえるようなこと……


 ──そうだ!


「ミスティアさんが仕入れようとしていたのはキノコなんですよね! ナントカ茸って言ってましたけど」


「ん? ああ、ナントカ茸ではない。虹香茸だ」


「それと同じキノコかわかりませんけど、お昼に食べたお店で出てきたキノコがとても美味しかったんです。もしかしたらそれで代用できるんじゃないでしょうか」


「馬鹿を言うな。たかだかそこいらの茸が虹香茸の代わりになるはずがなかろう」


「あ、やっぱり……そうですよね……」


 ──終了。


 ニジカオリダケってそんなに凄いキノコなんだ。

 おじさんが作ってくれたキノコも美味しかったけどなぁ。

 それほどのものというのなら、機会があれば僕も一度食べてみたいけど……。


 初めて聞く名前のキノコにどんな味なのか想像を膨らませていると


「しかし今夜はどうあっても茸を食したい。その店に茸があるのであれば少し分けてもらうのも悪くはないか」


 顔を上げたミスティアさんが、手を顎にあててなにやら考え始め──

 しばらく間をおいて「おい、貴様。その店の場所はわかるか」と若干輝きを戻した瞳で僕を見る。


 僕が「多分わかると思います」と答えると、目の前にはさっきまでの落ち込んだ様子のミスティアさんではなく、お腹を空かせた行動力溢れる少女がいた。


 これで少しは機嫌を直してくれるといいんだけど……


 キノコ購入の目処がついたことがよほど嬉しかったのか、ミスティアさんは文句も言わずに僕を馬上に引き上げる。


 そして僕たちは市場を後にして、僕の記憶を頼りに昼間に行った店へと馬を走らせた。



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