第17話 繋がっていた絆


「そうか……やっぱりラルクロアだったか……眼の色が俺の記憶と違っていたから気が付くのに時間がかかったが……しかしたまたま乗った馬車にあのラルクロア坊ちゃんが居合わせているとはな!」


 そう言うモーリスさんの瞳は新緑の息吹のように力強く、しかし話を始める前までの一種独特な近寄りがたさは影を消していた。




 全てを話し終えた僕は、一息ついてから窓の外に目をやった。室内に差し込んでいた陽はいつの間にか沈み切っていて、既に夜の帳が下り始めている。


 結構長いこと話しちゃったな……


 日中は可憐に咲いていた紫の花も、心なしか元気がないように見える。


 しかし、堰が切れたように胸中の思いを吐き出した僕は、今なら真っ白な雲の上を歩けるんじゃないかというほどに身も心も軽くなっていた。

 知り合って間もないモーリスさんに、ここまで打ち明けることができるとは──もしかしたらモーリスさんは人の心に入り込む天才なのかもしれない。


「よく見れば昔の面影があるよな。うん、俺の知ってるラルクロア卿だ」


「今はただのラルクですけど──」


 僕の素性を知っても態度ひとつ変えることないモーリスさんを少し意外に思いながら、今度は僕が聞いてみた。


「質問、いいですか? モーリスさんこそどうして僕のことを知っていたのですか?」


「ん? ああ、さっきも言ったが、昔一度だけ紅狼の森に遊びに行ったことがあってな。まあ、正確には遊びに行ったヤツについていったって感じだが、そのときに二歳のお前と一言二言会話を交わしたんだ」


 モーリスさんと会話までしていたのか。当時二歳なのだから覚えていないのは当然かもしれないけど……父様の下へは大勢の人たちが訪問していたから、その中の一人だったのかな。それにしても──


「たったそれだけで僕の力になってやろうと思ったんですか……」


「それだけって、おいおい、一度だけとはいえ面識のある七歳のチビったれがひとりでしけたツラしてるんだぜ? 俺の人生訓は推より行だ。考えるより先にしたいことをする、だからお前を助けてやる、こういうことだ」


「でも、僕はもう貴族ではないので何もお礼をすることができないんですが──」


 暗くなってきた部屋の四隅にある燭台に火を灯して回るモーリスさんが僕の言葉を遮って続ける。


「七歳のガキ相手に礼なんかせびるわけねえだろ! 俺の旅する先をレイクホールに変えるだけだ! ……お前に何かあったら……に……」


 一番遠くの蝋燭にこちらを背にして火を点けていたので言葉の最後の部分は聞き取れなかったけど、どうやら元貴族の子ども相手に金品をせしめようという魂胆ではなさそうだ。


「お気持ちはありがたいのですが……そんなことしたら──」


 モーリスさんが全ての蝋燭に灯を点け終えて戻ってくると、椅子に腰を下ろす。


「無魔の黒禍か? んなもん、片目だけ黒くって魔力がない奴なんて全大陸探せば何人かはいるだろうよ、それに……」


「それに?」


「いや、何でもない。それよりお前の言う光ってヤツをもう少し詳しく聞かせてくれ」


 僕の言いたいことを先読みしたモーリスさんが膝の上で組む手にあごを乗せ、前のめりで聞いてくる。


「詳しくって言われても、さっき話したことが全部で……とにかく僕だけにしか見えないみたいなんです」


「ふ~ん……それなんだよな……いいか? 魔法に詳しくない俺が言うのもなんだが、魔法ってのは魔力がないと使えないんだ」


 『わかるよな?』という目をするモーリスさんに、『もちろん』という意味で頷く。


「にもかかわらず、お前の周りには魔法と思しき光、それもお前しか視認することのできない光の珠が出現するんだ」


 僕は再び頷いた。


「ということはだ。魔力を必要としない、何らかの力をお前は持っている、と考えるのが妥当なところじゃないか? その力が発揮され、アリアさんとフラっこを治癒し、さらには盗賊までをも一網打尽にしてしまった、と」


「魔力を必要としない力……? そんなもの僕は教わったことがありません……」


「まあ、そうだけどよ、あの奇跡はそれしか考えられないだろ。確認したが、魔法に乏しい俺と気絶していたデニスさんは無論のこと、ジャストさんだってそんな規格外の魔法使えるわけがないし、見聞したこともないって言っていたからな」


「僕にそんな力があるとは……到底思えません……無魔の僕が……」


「でも去年の判定では第二階級だったんだろ? たった一年で消えうせた魔力となんかしら関係があるのかもしれないな……まあこの世界はお前が考える以上に広い。お前の不思議な力を知るものがどこかにいるかもしれない」


「僕の力っていうこと前提で話が進んでますけど……」


「結果として俺たちが助かったのは事実だからな。俺たちはお前のお陰で助かったって思っている。無魔の黒禍たってそんな古い迷信を信じてるヤツなど平民には多くない、というよりそんなヤツは貴族の中でも中流以上のヤツらくらいのもんじゃないか?」


 モーリスさんは僕に対する態度もそうだが、貴族に対してもへつらう様子がまったくといっていいほどない。


 僕の場合は”元”がつく貴族だから気にしないのかもしれないけど、街でこんな会話していたら酷い目に遭うんじゃないのかな……


「でも僕はどうすれば……仮に僕の不思議な力のせいだったとしても、どんな力なのか知らないと恐ろしいだけですよ。あの時だってやみくもに怒りをぶつけていたような気がするんです。盗賊たちもあんなことに……」


「あんな奴らに同情するな。やらなければやられるのは当然だぞ? ──それにしても力の制御、か……今の段階では海の物とも山のものともわからない力だ、詳しい人物に出会って聞いてみるまでは、うだうだ考えても仕方がないんじゃないか?」 


「でも僕はレイクホールに預けられるので、そんな人物と出会うこともかなわないと思います。平民として一生をそこで過ごすつもりですから」


「まあ、凄まじい力だからな。下手に表舞台に出るよりはひっそりと暮らしていたほうが都合はいいだろうが……」


 なるほどそれでレイクホールか、と独り言を言うモーリスさんが、まだ半信半疑の僕に


「世間がそれを許すかどうかは別だがな」


 と真剣な表情をした。


「力のある者は力のない者を救う義務がある。元貴族のお前ならわかるだろう」


「そんなこと言われても、僕はただ不思議な光を見ることができるだけです。焚き火に火をおこすこともできず、凍え死にそうになっていた無魔に何ができるっていうんですか……」


 僕だって第二階級の力があったのならそうしていただろう。

 父様に貴族の義務を叩き込まれてきたんだ。

 でも僕は手が届く範囲の大切なものだって護れないんだ。

 目の前でふたりが倒れるところを見させられても動けずにいた。

 死だって覚悟した。

 僕は村人よりひ弱な子どもなんだ。

 誰かを救うことなんてできるはずが──


「いいか! 俺の知るラルクロアってヤツはまだ小さかったがそれは立派な男だったぞ! 貴族嫌いの俺をもってして将来の有望さを感じさせるほど力強く燃え滾る目をしていた! それこそ貴族として生まれなくても自分の信念に従い、世のために生きていただろう。それがなんだ! 魔法が使えないからって卑屈になりやがって! しっかりしてくれよ……これじゃあ……が可哀そうだろうが……」


「モーリスさん……」 


 モーリスさんが最後の言葉も途切れ途切れに僕を叱る。 

 昔の僕を知っているからこそ怒りも倍増するのだろうが、その表情はとても険しい。

 僕のことを心底思ってくれているのが強烈に伝わり、僕は酷くみじめな気分になった。


 貴族の義務、自分の信念──


 ひと月前まではそんなものも胸にあったかもしれない。

 だが今はどうだろう。

 護る立場ではなく護られる立場に平然と甘んじようとしている。

 泥臭く生きるってこんなことだったのか?

 笑われてもいいってこういうことだったのか?


 僕ってこんなに魅力のない男だったのか……?


──所詮お前は力がないと何もできない、何もしようとしない偽善者だったんだ。


──義務も信念もなく、ただ生きるためにあがくのか? “元”貴族の恥さらしが。


 空耳が聞こえてくる感覚に鳥肌が立った。

 盗賊が放った魔法を前にしたときに一瞬支配されたあの無力感がまた襲ってきた。

 頭を振って追い出そうとするが、絶望感は離れて行かない。

 負の連鎖が僕を小さい殻に閉じ込め、雁字搦めにしようとしてくる。


「ラルク!」


 俯き下を向く僕の肩にモーリスさんが手を乗せる。


「──必死に生きろ! その先にお前の求める光がある!」


 そしてモーリスさんの魂のこもった叫びが僕の耳に飛び込んできた。


 …………あ、今の言葉、どこかで……


 なぜか気になるモーリスさんの言葉を、記憶の中から探し出そうとしていた僕の意識が、刹那、ふわりと浮かびあがったような感覚になり──





 あれ? ここは……紅狼の森……?

 庭園……か?

 着飾った人たちがたくさんいる……


 ──気が付くと僕はクロスヴァルトの屋敷を俯瞰していた。


「もうラルクも二歳、早いものだ」


 あれは父様……?

 だいぶお若く見えるが、ああ、まだこの時分は髭を伸ばされていないのか。


「ふふ、まだ二歳ですわ。こんなに可愛くて、将来が楽しみだわ」


 母様までいらっしゃる……

 僕が二歳のとき……披露目の式……か?



 どうやら遠い記憶の中にある光景を客観的に見ているようだ。



「ラルクロア様、ご機嫌麗しゅう」


 小さな女の子……僕と同じ歳くらい……かな?


「これはこれは、本日はお越しいただき感謝申し上げます。そうだラルク、……に温室をご案内して差し上げなさい」


 よく聞き取れないが……この女の子、身分の高い子なのかな……父様が跪くなんて


「まいりましょう? ラルクロアさま!」


 誰だろう……

 あ、僕もなんだか嬉しそうな顔して……




「すてきなおんしつですわね! このおはな、はじめてみました!」


 母様が毎日手入れをされていた温室だ……

 それにしてもしっかりした子だな……誰なんだろう……


「わたくしのなまえですか?」


 あ、ちょうど僕が名前を聞いたのか……

 なに照れてるんだ僕は……二歳のくせして……


「ふふ、ミレサリア=スレイヤ=ラインヴァルトともうします」


 ──ぶっ!

 お、王女殿下じゃないか!

 な、なんでミレサリア王女殿下が!

 そりゃしっかりされているはずだよ!

 こんな大事なこと忘れていたなんて……

 そういえば昔、一度だけいらしたことがあると父様から聞いたことがあったような……


「ミレアとおよびいただけるとたいへんうれしいです」


 さすが王女様……

 僕とは違って小さいながらにしっかりしていらっしゃる……


「おばあさまからいただいたたいせつななまえですわ、おわすれなきよう」


 ん? なんだ? 

 なんだ、この感じ……

 今の言葉、他にもどこかで──


「リア! ここにいたのか、探したぞ!」


 あ、誰か来た……

 だれだろう? 帯剣しているけど……護衛……かな?


「あら、もう見つかってしまいました」


 う~ん…… 

 全然記憶にないな


「しょうかいいたします。わたくしの……でラルクロア=クロスヴァルトさまです」


「おお! お前が噂のラルクロアか! うん、いい目をしている! 将来が楽しみだ!」


「そのようながさつなごあいさつはいけません! しょうらいわたくしの…………」


「はは、そうかそうか、おませさんだな、リアは」


 王女殿下はなんて言ったんだ……?

 あれ? でもこの人護衛じゃないのかな……

 ずいぶんと王女殿下と親しそうだけど……


「将来俺の…………ラルクロア、そんなお前に人生訓をやろう──」


 あ、なんだかこの人サーラスに似てる……

 ああ、サーラスに会いたいな……


「──必死に生きろよ、その先にお前の求める光があるからな」


 ──!!


 な、なぜ!

 なぜこの人がモーリスさんと同じ言葉を!?

 ──ハッ!! 違う!

 王女殿下の護衛なんかじゃない!

 こ、この人は!





 そこで僕の意識が薄明かりの灯る部屋に戻ってきた。


 顔を上げると肩に手をかけたまま、僕を見続けている緑の瞳と目が合う。


──やっぱり!!


 髪の色も瞳の色も青から緑に変貌を遂げているから気が付かなかったけれど──


 僕は寝台から飛び跳ねるように床に跪き、


「た、大変ご無礼いたしました! クレイモーリス殿下!」


 スレイヤ王国第二王子、クレイモーリス=スレイヤ=ラインヴァルト殿下に慌てふためいて臣下の礼を執った。


「はは、やっと思い出したか。さすがに髪の色も目の色も変えているから分からなかっただろう!」


 「愉快! 愉快!」と笑い飛ばすクレイモーリス殿下は、よくよく見ればその笑顔が遠い記憶と重なる。


 「し、失礼ながら!」これ以上ないというほど低頭し、本来であれば口を開くことすら許されない殿下に対して発言の許可を求める。


「な、なぜ殿下ともあろうお方がこ、このような場所に!」


「よせラルク、俺もお前と同じ“元”がつく身だ。五年前、お前と出会ったすぐ後に出奔した。今では継承権すら持たないただの平民、モーリスだ」


「し、しかしながら殿下!」


「お前も臣下にそういう態度を取られたらどう思う? もう家は関係ないのだ。今まで通り接してくれ」


「殿下……」


「…………」


「いえ……モーリス……さん……」


 殿下の無言の圧を受けて渋々頭を上げ「いったいどうされたのですか」とクレイモーリス殿下に恐る恐る質問をした。


「言っておくが俺はお前と違って追い出されたわけじゃないからな、いいか? 追い出されてなどいないぞ?」


「……でん、モーリスさん……」


「俺は世のことを広く知りたいのだ。いくらスレイヤ王国が大国であるとはいえ、所詮は人類が引いた境界線にとらわれている。俺はそんな窮屈な思いをしたくなかったからな」


 殿下はつぶらな瞳を輝かせ、あどけない少年のようにそう言った。


「し、しかしなぜあのような乗合馬車に……」


「それは……こ、考察のためだ。もう家を出て五年になるが俺だって毎日が勉強の身だ。何日間も寝食を共にする家族や、その、いろいろな人たちから様々なことを学習しているんだ」


「なるほど……素晴らしいお考えです」


 茂みの奥から一緒に出てきたあの女性からも何かを学んでいたのだろう。

 第一王子と違って自由奔放に生きている、と父様から聞いたことがあるクレイモーリス殿下ならではのお考えだ。


「でん、モーリスさん、今回の旅の目的は王都とお伺いしましたが……城にお戻りになられるのですか?」


「そんなことよりレイクホールまで俺が一緒に行ってやるってのに、そのかんずっとその口調でいるつもりか? 俺の素性はジャストさんたちにも明かさないつもりだ。お前がそんなにかしこまっていては怪しまれるだけだぞ」


「し、しかしでん、モーリスさん、私は──」


「おい、俺の勉学の旅を台無しにするつもりか」


「は、はあ……」


 殿下の元気なお姿を見て、なんだかさっきまでくよくよ悩んでいたことが馬鹿らしくなってしまった。


 僕はまだ七歳、時間はまだたっぷりあるんだ。ゆくゆく考えてもいいじゃないか。

 スレイヤ家を出て、なんの後ろ盾もない生活を送っている殿下が、こんなに活き活きとしておられるのだ。

 魔法が使えないだけの僕の悩みなんてどれだけちっぽけなことか……


 そう考えることにした僕は、せめて自分に偽って生きていくことはやめよう──と、


「わかったか? ラルク、分かったらレイクホールまでの一カ月、よろしく頼むぞ?」


 差し出す殿下の手をとり、


「こちらこそよろしくお願いします。モーリスさん」


 力強く握り返した。



 そのあと、殿下の素性は隠したままアリアさん特製の夕飯を御馳走になりながら、他のみんなにも話せる範囲で僕のことを伝えた。

 少しだけ裕福だった家に生まれたが、魔法の勉強のためレイクホールにある親せきの家に預けられることになった──

 実は少しだけ魔法が使えるが、まだ不慣れであったため、つい使うことができないと話してしまった──

おそらく勉強中だった魔法が暴発してあのような結果になってしまったのでは──

レイクホールへはモーリスさんが帯同してくれることになった──


 魔法のことに関してはかなり無理のある説明ではあったけど、みんな深く追及するようなことはしてこなかった。


 僕の話の後は、みんなからの感謝の雨あられだった。

 途中、ジャストさんの息子さんが帰宅すると、彼も僕の回復を待っていてくれたようで大袈裟すぎるほどの感謝の言葉を浴びせられた。

 こうして再び家族揃って食事ができることを心から喜びあい、生きることの有難味を噛み締めながらいただいた夕食の会は夜遅くまで続き、明け方近くになっても食堂から笑い声が途絶えることはなかった。


 もう明け方近くになって客間に戻った僕は、殿下に王都に向かう理由を聞き忘れたことと、気を失ってから目を覚ます直前までなにか夢を見ていたようなことが気になった。

が、寝台に横になるとそのこともすぐに頭の片隅に追いやられ、久しぶりとなる屋根の下での睡眠を貪ったのだった。


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