『無魔』のレッテルを貼られた元貴族の少年。追いやられた辺境の地で最強の加護魔術師となる。

白火

幼少編 第一章 辺境の地への旅

第1話 夢の向こう側


キョウ! やっぱりまだ寝てる! 早く起きて! 学校遅刻しちゃうわよ!』


 ああ、深逢ミアか……また勝手に入ってきて……

 いくら合鍵持ってるからって、親しき仲にもって言葉知らないのか……


『まったく! 毎日毎日! 起こすほうの身にもなってよね!』


 だったら俺のことほっといて先に行けばいいじゃん……

 毎日毎日起こされるほうの身にもなってくれよ……


『おじさまとおばさまも浮かばれないわよ! ほらっ!』


 それは関係ないだろ……っていうか、布団返せよ……

 こっちは昨日も徹夜で大変だったんだ──


「悪いがもう少し寝させてくれ……さっき帰ってきたばかりなんだ……」


『……もう、また呼び出されたの?』


「ああ……だからもう少しだけ……」


『だめよ! 今日は大切な日なのっ!』


「…………」


『あっそ。いいわ、倞が起きないのなら……あれ、やってあげるんだから──』


「──ちょ! うわ、ま、待てッ深逢! 起きるッ! 起きるからッ!」




 ◆




「【──っていうかもう起きてるからッ! 深逢ッ!!】」


「ラルク! 大丈夫かラルク!」

「しっかりして下さい! ラルクにいさま!」


 え? あれ? 父様……? マーク……?


「あぁ、良かった……神様、感謝いたします……」

「あ! らあくにいちゃま! だいじょうぶ?」

「らあくにいちゃまがおきた! あそぼ! あそぼ!」


 母様……? ネルにミル……?

 あれ……僕、今どこにいたんだ? ここは……僕の部屋……だよな?


「おかしな言葉を叫んで、頭でも打ったのか? 午後からの魔力測定は問題ないな?」

「痛いところはないですか!? にいさま!」


 夢……? またあの夢か?

 でもなんで僕があの男に


「心配しましたよ、ラルク……突然泉に飛び込むなんて……」

「おそと、さむい! みずあそび、まだはやいの!」

「らあくにいちゃま! あそぼ! あそぼ!」


 ん? 泉……? 水遊び……?


「…………あッ!」


 全てを思い出した僕は慌てて飛び起きると、右手を見た。


「いない……」


 そして右手には、ついでに左手にも、何も持っていないことに肩を落とした。

 弟たちに見せたくて死ぬ思いまでして捕まえた光のたまだったのに。


 マークに、見たか、と視線で問う。

 しかし、マークは肩を竦めながら首を横に振った。


 そんな……一年も待ったのに……

 また来年、か……


 僕は落胆を隠しきれずに苦笑いを浮かべると、母様が紅茶を淹れてくれているのを眺めながら、今朝のことを思い出した。




 ◆




 泉に落ちた、つまり今日の朝のこと──。




「またこの夢──」


 寝起きの掠れた声で僕は小さく呟いた。

 泉で光の珠を見てからというもの、頻繁に同じ夢を見るようになった。


 いったいなんだって夢の巫女はこんな夢を見させるんだ……


 耳慣れない言葉だから話している内容までは把握できないけど、女の人が男の人を起こしている夢だ。


 陽が差し込む白い部屋、寝台ベッドで寝ている男の人に声を掛ける美しい女の人。

 男の人は布団に深くもぐって、その声を無視している。

 ふたりはそのままの姿勢で言葉を交わしているけど、しばらくすると女の人が勢い良く布団をはいで男の人に向かって大声を出す。

 それでも男の人は枕を抱えて図太く寝続ける。

 そして最後は女の人が何かしようとして、男の人が飛び起きる──


 ──と、ここで毎回夢が終わる。

 なんともへんな夢だ。

 

 どせならもっと楽しい夢にしてよ……


 ──夢の巫女に小さくぼやくと、僕は寝台から起き上がった。


 窓に目をやると、外はまだ暗い。

 今朝は弟と妹と、庭の泉に光の珠を見に行く約束をしている。


 すっごい寒いけど早く支度を済ませないと。


 それにしても──


 僕は火が燻ぶる暖炉の前に移動して昨晩のうちに用意した外出着に着替えながら、夢にでてきた人たちについて考えを巡らせた。


 ──だらしのない男だよな。具合が悪いわけでもなさそうなのに。

 どう見たって成人してるよな、あの男の人。

 六歳の僕でもこうしてひとりで起きられる……ああ、僕も今日で七歳か。

 それにあの女性ひともあの女性ひとだ。

 あんな男の人、放っておけばいいのに。


 いったいあの人たちは誰なんだろう……。



「おはようございます。ラルクにいさま。用意できました」


 巫女に愚痴をこぼしはしたけど、見る回を重ねるごとに気になり始めている夢の中の人物に思いを馳せていると、弟のマーカスが部屋に入ってきた。


「ああ、おはようマーク。じゃあ行こうか」


 マーカスと揃って部屋を出ると、寒く長い廊下を妹たちの部屋へ急ぐ。


 やっぱり光の珠を見つけてからだよな……

 あんな夢見始めたのは……


 歩きながらも不思議な夢のことは、すぐには頭から離れなかった。




 僕がおかしな夢を見るきっかけになったと考えている『光の珠』を見たのは、僕が三歳のとき、その年初めて庭の泉に氷が張った寒い日の朝のことだった。

 その日は弟が誕生して、僕が念願の兄となった日だったから今でも鮮明に覚えている。

 弟が元気に生まれてくることをお祈りしに泉に行くと真っ白い氷が張っていて、その上をたくさんの光の珠が優雅に舞っていたのだ。

 なんともいえない神秘的な光景だった。 


 そしてその日の夜に初めて、あの意味のわからない夢を見た。

 だから僕はあの光のせいだと勝手に決め付けている。


 幼い僕は不思議な光の珠の虜となってしまい、あの光景が忘れられずに毎朝泉へ行くことが日課となった。

 だけど、冬が過ぎ、春になって夏が来ても光の珠を見ることはできなかった。

 そして秋も過ぎ、あれは幻だったのか──と半ば諦めかけていたある日の朝、その冬一番の冷え込みに身を震わせながら泉へ向かうと、一年越しにしてようやく光の珠を見ることが叶い、僕は目の前に広がる幻想的な光景に声を失った。

 百や二百じゃきかない氷の上を舞うように飛びまわる、握りこぶしほどのものから親指の先ほどのものまで大小様々な光の珠。

 よく見ると光の明るさも、舞う速度も異なっていることに、四歳の僕は時間を忘れて魅入っていた。


 その翌年、五歳の冬。

 双子の妹が生まれた日にも光の珠は舞い踊っていた。その日も極寒の風が吹きつける初氷の朝だった。

 確か夢の内容を理解し始めたのもこのころだったと思う。

 そして、毎冬泉に初めて氷が張った日に光の珠が姿を現す、ということに気が付いたのもこのときだった。


 それから一年、氷が張る朝を待ち侘び、六歳のときにも光の珠と再会することができた。


 一年に一度、白い息を吐きながらの神秘との邂逅。

 来年は弟と妹にも見せてあげよう──と、去年のあの日、日の出と共に消え逝く光の珠に誓っていた。





 

「おはよう、ネル、ミル。あったかい恰好をしてきたかい?」


 そして今年。今年の冬はいつもより寒かった。

 昨日の朝はまだ泉に氷は張っていなかったが、昨夜は雲が厚く特別冷え込んだ。

 寝ている間も暖炉の薪を絶やさなかったほどだ。

 今朝こそは光の珠に会えるだろう──と期待に胸を膨らませ、妹ふたりとも合流して泉へと向かう。

 初の出会いから五度目となる今年、偶然にも今日は僕の七歳の誕生日だった。


「去年よりも十日早いけど今朝は特別寒い! だから今日こそは会えるぞ!」

「ラルクにいさま。本当にそのような光が見られるのですか?」

「ああ、マーク、すごいんだぞ! お前の生まれた日もお祈りに行ったらたくさんいたんだから! それにな……」


 あまり興味がないのか、もうすぐ四歳になる足取りの重い弟に、もう何度も話して聞かせた光の珠との出会いを武勇伝のように繰り返した。


「らあくにいちゃま、ねるのときもいたんでちゅよね!」

「みるのときも!」

「そうだよ、ネル、ミル。お前たちが生まれた日の朝もだぞ。そのときはマークのときよりもたくさんの……」


 マーカスとは反対に、寒さに頬を赤らめながらも楽しそうに僕の横を歩いてついてくる双子の姉の方、ネルフィーと、同じく満面の笑顔で僕に抱きかかえられている妹のミルフィーにも、二年前の朝のことを話してやった。ふたりはもうすぐ二歳だ。

 ネルとミルはこの話が大のお気に入りで何度もせがまれる。


 父様や母様には光の珠のことは話していない。

 これといって理由はないが、何となくこれは兄弟四人の秘密にしておきたかった。

 弟も妹もそれは理解しているようで、僕の前以外では決してそのことを口にしなかった。


 クロスヴァルト家の広大な敷地には泉が三つある。

 ひとつは門から屋敷まで続く小路の途中にある泉。

 もうひとつは温室の奥にある泉。

 そして最後のひとつが今向かっているピレスコークの泉だ。

 屋敷の裏手に広がる森の最奥に位置するが、泉までの道は庭師によって綺麗に整備されていて、危険などは一切なかった。


「さあ、もうすぐ着くぞ!」


 今日こそ光の珠がいる──。


 まだ泉は見えていないが、過去四度経験した感覚から間違いなく光の珠が姿を見せていると確信できた。 


 森の最奥へ続く曲がり道を抜け、大きく開けた木々の先に──


「うわあ! こんなにたくさん! い、今までで一番すごいぞ!」


 ──はたしてそれはいた。


 三つある中で一番小さな泉。

 僕の部屋よりも小さな泉の水面には、真っ白い氷が張られていた。

 そしてその氷上にゆったりと浮かぶ無数の光の珠。

 まるで僕との一年ぶりの再会を喜び、歓迎してくれているかのようだ。


「どうだ! マーク! ネル! ミル! 僕の言ったとおりだろう! すごいだろうっ!」


 僕は鼻息も荒く三人に話しかけるが、誰ひとりとして賛同する声が上がらない。


 驚いて声も出ないのか!


 こんな神秘的な光景を見させられてはそれも仕方がないだろう──と横に並ぶふたりと抱きかかえるひとりを見る。

 が、しかし、その目は泉ではなく──揃って僕を見ていた。


「ラルクにいさま……光とは……どこにあるのでしょうか……」

「らあくにいちゃま、ひかりさんどこでちゅか?」

「どこでちゅ」


 そして三人が首を傾げて、聞いてくる。


「え? なに言ってるんだ? ほら、そこら中に──」


 僕はミルを下ろすと両手を広げて──、


「──こんなにたくさんいるじゃないか!」と泉全体を示した。


 ──が。


「ラルクにいさま……」──マークが無表情でため息を吐く。


「ほら! こんなにたくさん!」


 更に手を広げるが「にいさま……」「さむいー」「あそぼー」──興奮する僕とは逆に不機嫌さを増していく三人。


 まさか見えていないのか!?


 三人の目は嘘を言っているようには見えない。

 むしろこの場合、三対一となって、嘘を吐いているのは僕ということになりそうだ。


 立派な兄でいなければならない僕が「嘘をついた」などと思われては沽券にかかわる。

 光もいつまでも姿を見せているわけではない。

 朝日が昇ればやがて消え失せてしまう。

 あたりは既に薄っすらと白みがかってきている。


 時間がない。

 どうにかしなければ──


「わ、わかった! ちょっとここで待ってろ! すぐ戻る!」


 焦った僕は泉へ走り寄り、そのまま氷の上をそろそろと進んだ。

 そして無数に舞う光の珠をひとつ手に取る──と、踏み出した右足がゆっくりと沈み、身体が傾いていった。

 今朝張ったばかりの氷はまだ薄く、僕の体重を完全には支えきれなかったようだ。

 あっ、と気付いたときには薄氷を踏み抜いていた。


「ラルクにいさま! あぶないっ!」

「にいちゃま!」

「にいちゃま!」


 マークたちの悲鳴を最後に音が消えた。

 瞬間、泉に落ちたと理解し、もがこうとするけど厚着した服が重く身動きが取れない。

 そして、あっという間に身体は凍てつき──指一本動かすことができなくなってしまった。


 ああ……


 死が目の前に迫っている緊迫した状況であるはずなのに、しかし僕は少しも怖くはなかった。


 なんて綺麗なんだ……


 むしろ朝陽を浴びて七色に輝く水面の美しさに魅了され、日常であれば決して見ることができないこの光景をいつまででも見続けていたいとさえ思ってしまった。


 時が止まったかのようにゆっくりと仰向けのまま沈んでいく。

 ──と、そのとき。


 あれは……光の珠……?


 水面から光の珠が渦のように僕めがけてまい進してきた。

 水中に入ってきた、たくさんの光の珠は僕の全身を包み込む。


 温かい……


 すると、不思議なことに火傷を負っていたような激しい痛みは治まり、逆に陽だまりにいるかのような暖かさに眠気を誘われ──


 光の珠は……水の中にも入れるんだ……


 益体もない思考を最後に、僕は静かにまぶたを閉じたのだった。




 ◆




 それらのすべてを思い出した僕は、


「はあぁ……」


 大きな溜息を吐いた。


 一年も待ったのに……

 また来年まで弟たちに見せてやれないのか……


「ラルク、どうして泉に飛び込んだりしたの?」

「あ、はい。母様、す、すみません。実は……朝の散歩に……そうしたら足を踏み外して……」


 眉を寄せる母様から紅茶を受け取りながら、苦しい言い訳を返す。


「あら、お散歩に行っていたの? そんなに朝早く行かなくても陽が昇ってからにでも──」


 母様が心配するのも当然だ。

 僕は弟と妹を引き連れて、目の前でいきなり氷の張る泉に飛び込んだんだ。

 頭がおかしくなったと思われても仕方がない。

 それこそ一歩間違えば今ごろ『クロスヴァルト家の長男が死んだ』と大騒ぎになっていたところだ。


 誕生祝いが葬式にならなくて良かった……

 来年はもっと上手くやらないと……


「よし、ラルクの魔力測定は問題なく執り行えるな。レスター、昼食の支度を頼む」


 父様が、扉の前に待機している執事に声を掛けてから、部屋を出ていった。


 魔力測定か……


 もう昼になるのか。

 予定では四の鐘からだったはずだ。

 もう少しひとりでおかしな夢について考えていたかったけど。


「ラルクお兄さまは去年の仮測定で第二階級だったんですよね! 今年の本測定では第一階級もあり得ますよね! お母様!」

「ええ、マーク。現代派三人目の第一階級魔法師が誕生するかもしれませんよ」

「いや、マーク、母様もそれはちょっと僕に対して重圧プレッシャーをかけ過ぎでは……」


 他人事だと思っていい気なものだ。

 これで第三階級にでも落ちていたらお笑い草だっていうのに。


 僕は寝台から立ち上がり、使用人に着替えを手伝ってもらうと、身体の無事を確かめた。

 どうやらどこにも異常はなさそうだ。


 僕のことを楽しそうに話す母様と弟妹たちに続いて部屋を後にしようとしたところで、


 あれ? でも僕、どうやって……?


 家族が喜ぶ姿に気を取られて考えもしなかったが、あの深さがある泉の底からどうやって僕は助けられたんだろう、と立ち止まり首を傾げたが、


「らあくにいちゃま! はやくはやく!」

「はやくはやく!」


「あ、ああ、今行く」ネルとミルの呼ぶ声に、考えていたことを一旦保留し、部屋を出た。


「あっ!」


 そのとき部屋の隅を、ふっ、と光の珠が飛んだ気がして思わず声を上げた。


 いやでもまさか……

 気のせいか……


 が、一年に一度、それも泉でしか見たことがない光が、まさか屋敷の中に現れるはずがない──と僕は頭を振り、みんなを追いかけた。




 そして昼食後、僕の魔力測定が始まった。




 

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