4―4.潜伏

「大丈夫なのか?」

 テイラーは傍ら、バレージに問うた。〝サイモン・シティ〟の灯を背に受けて、2人を乗せたリムジンは悠然と丘を上っている。

「いま我々はマーフィを追ってますが、」バレージはワイン・グラスを泰然と揺らした。「ここへ出て来たらむしろ幸いというものですな。手間が省ける」

「ヤツを知らんからそんな科白が吐けるんだ」

 テイラーの眼は落ち着きなく外の景色を追っている。

「我々を当てにしておいでになったのでしょう?」バレージは前後を走る護衛を示しながら、「もう少し力を抜いていただいて結構」

 リムジンが速度を緩めた。正面には高い塀と、見るからに重厚な門扉、その向こうに白い屋敷が見えてくる。

 見張りのついた門を抜け、屋敷の正面にリムジンが滑り込む。

 吹き抜けの玄関へ。執事が出迎え、2人の先に立って歩いて行く。2階奥、案内したのは主の部屋。

「ようこそ、ミスタ・テイラー」屋敷の主が奥の執務机から立ち上がり、テイラーに歩み寄りつつ右手を差し出した。「ジュゼッペ・ナヴァッラです」

 ナヴァッラはやや短躯、恰幅の良さが眼に付くが、その所作が筋肉の重みを匂わせる。

 テイラーが相手の手を取った。「アルバート・テイラーです」

「事情はお伺いしております」力強く相手の手を握りつつ、ナヴァッラは頷いた。「もう大丈夫、ご心配は要りません。さあお疲れでしょう、お部屋へご案内を」

 執事へ頷きかけ、テイラーを連れて下がらせる。残ったバレージに向き直り、ナヴァッラは苦笑を浮かべた。

「あれが例の依頼人か。確かに肝が据わっとらんな」

「お願いします」バレージは小さく肩をすくめた。ナヴァッラの眼許に翳を認めて、「――お疲れのようですな」

「判るか?」眉をひそめつつ、ナヴァッラは自らの肩を揉んだ。部屋にしつらえられたバー・カウンタへ足を向ける。「〝グリソム〟やら〝ベルナール〟やら、跳ねっ返りのお陰でこっちはいい迷惑だ。連邦はあちこち免許を取り上げるとか吐かし出したし、〝上〟の面倒が増えてかなわん」

 ナヴァッラは天へ指を向けた。

「〝ベルナール〟もですか」

 〝ベルナール・エクスプレス〟社長の顔がバレージの頭をよぎる。いかにも気の強そうな壮年の女だった。

「まだまだ飛び火しそうでな。やるかね?」カウンタの向こうへ回り、ナヴァッラが酒瓶を掲げてみせた。「本場のグラッパだ」

「いただきます」

 ナヴァッラがグラス2つへ透明な液体。一方をバレージへ手渡し、「ドンに」と、グラスを鳴らす。

「ドン・マルティネッリにお会いしてきた」

「お元気でしたか」

 バレージは片頬に、しかし曇りのない笑みを刻んだ。

「ピンピンしとった。子供の頃に戻ったようだと」ナヴァッラは微笑しつつ左手の指を踊らせ、グラスを傾けた。「主治医に隠れてワインを飲むのが楽しくて仕方ないと話しとった」

「何よりです」

「お前が珍しいところから仕事を持ってきたからな、ドン・マルティネッリも興が乗ったようだった」言ったナヴァッラの顔が曇る。「それだけにな、悩みの種を増やすには忍びない――そっちも疲れとるようだな」

「そう見えますか」バレージは自らの顎をなでた。

「聞いたよ。ホネのあるネズミのようじゃないか」ナヴァッラはグラスを握った右手の人差し指を立てる。

「はい。しかも欲が張っております」

「あの依頼人か」

「ええ、」バレージは頷いた。「取引丸ごと邪魔に来ているものと見ます」

「大胆だな」ナヴァッラは鼻息一つ、「どう始末する?」

「せっかくエサが向こうからやってきたところです」入り口の向こう――客室の方角を、バレージは手で示す。「使わない手はありませんな」

「エサを吊るして待っとるだけじゃ芸があるまい」見越したようにナヴァッラが問いを向ける。「何か手は打っとらんのか?」

「〝ソルジャ〟を動員してシティ内を探しております」バレージはグラスへ両手を添えた。「逃げた可能性も否定できません。モスキートを動員しますが」

「よかろう。早々に片付けろ」ナヴァッラは手を小さく振って、「ドナトーニに付け入る隙を与えるわけにはいかん」

 〝メルカート〟実質ナンバ3の名が、ナヴァッラの口に上る。

「何か妙な動きでも?」バレージは眉を上げた。

「妙な連中と密会しとる」ナヴァッラが眼を細める。「あいつ、シニョール・オルソに肩入れしとるからな、何か企んどるかも知れん」

 出てきたのはドン・セルジオ・マルティネッリの次男の名。ナヴァッラはグラスを空けた。

「次男坊が長男より切れ者だと、苦労が絶えん」




「食うか」ジャックが戦闘食のパックを差し出した。

 第2大陸〝リュウ〟を東西に貫く〝大陸横断道〟を北へ外れること20キロほど、ジャックのアルビオンは、荒地の中を自動制御で進んでいる。ヘッド・ライトも点けない闇の中――灯りといえば運転席、コンソールの微光の他にはない。

「夜のうちに距離を稼ぐ。しばらく停まらんから食えるうちに食っとけ」

「寝るのも?」助手席のマリィが問うた。

「ああ」ジャックは運転席後部、仮眠ベッドを顎で示すと、パックを開けた。

「どこまで?」

「夜明けまで。当分は昼寝て夜動くことになるな」

「そう」パックを受け取り、彼女は何気なく封を切った。真空乾燥したらしい中身を口に運ぶ。

 思わず眉をしかめた。

「食事は当分こんなもんだ。そいつは覚悟してくれ」察したようにジャックが言い添える。

「当分?」

「さっき調達し損ねた」マリィの問いにジャックが言葉を重ねる。「備蓄といったら保存食しかない。つまりそいつだ」

 マリィは戦闘食のパックへ眼を落とした。

 次いで沈黙。マリィはショルダ・ホルスタの重みに思いを馳せる。見栄を切って付いて来てはみたものの、自分の身を守り切れるか――その点に不安なしとは言えない彼女ではある。

「ねえ、」マリィが顔を上げた。

「何だ」声だけでジャックが応じる。

「あなた、」マリィは左隣のジャックへ、深緑色の瞳を据えた。「エリック・ヘイワード〝じゃない〟っていうのよね」

「ああ」言い捨てるかのようなジャックの返事。

「じゃ、その顔は?」マリィの瞳が見据えてジャックの顔。「どう見ても赤の他人には見えないわ」

「こっちが教えて欲しいさ」ジャックは肩をすくめた。

 何かを隠している――確信めいたものを、マリィは感じた。問いを重ねる。

「じゃ、私を助けてくれたのはどうして?」

「言ったろう、巻き込んじまったからだ」ジャックの声はあくまで素っ気ない。

「じゃあ、私ってただの通りすがりなんでしょ?」マリィは食い下がる。「なのに、あそこまでして護ってくれる理由って何?」

「あんたを見捨てたとしてだ、」ジャックは自らに親指を向けた。「俺に何か得があるのか?」

 焦茶色の瞳がマリィを見据える。そこに邪気はないように、マリィには感じられた。

「――ありがと」咎められた子供さながら、うつむき加減にマリィは礼を述べた。「本当に」

「礼には及ばんさ」ジャックは小さく苦笑した。「巻き込んだのはこっちだ」

「失礼ついでに教えて」マリィは言葉を選びつつ問うた。「私を襲わない理由は?」

 意外そうな表情一つ、次いでジャックは白い歯を剥いてみせた。

「……襲って欲しいのか?」

「そうじゃなくて……」マリィはもどかしげに首を振る。

「これからそうするかも知れないぜ?」

「でも、」マリィはためらいがちに、「そうはしないでしょ――そう思う」

 その気があればとっくに襲いかかってきている。どころか、そもそも助けられてなどいない――マリィの胸に確信が宿る。

 意表を衝かれたような顔。それから一拍あって、ジャックは答えを口にした。

「――金なら持ってる。女が欲しけりゃ買えばいい」

「……そういうものなの?」マリィは眉をひそめた。

「あの時、お前はボディガードより俺を選んだ」ジャックが示したのは、〝カーク・シティ〟でのマリィの判断。「しかも即断だ。その肝っ玉は俺も高く買ってるつもりだ――これじゃ不足か?」

「……あ、ありがとう」

 マリィは、他に言葉を見つけられなかった。

「寝るときは銃を枕元にな」ジャックは付け加えた。「安全装置、忘れるなよ」




「ようこそ、ミス・ローランド」

 イリーナ・ヴォルコワは事務所の奥からアンナを招いた。その前には、掻き集められた資料が山を築いている。

「あれから何か?」

「いくらかは」言いつつ、イリーナが古びたソファを勧める。

「ジャック・マーフィは、こう宣言しました」イリーナは正面、依頼人へ向けて説いた。「ミス・ホワイトを街から逃がす、と――私の眼の前で」

「ええ、」依頼人――アンナ・ローランドは頷いた。「実際、派手に街から出たみたいね」

 〝カーク・シティ〟の外れで起きた〝事故〟のことは、アンナの耳にも届いている。

「問題はそれから――ですね」アンナはただ頷きを返した。イリーナが続ける。

「ミス・ホワイトは星系外の市民です。それを知ってか知らずか、マーフィが外へ連れ出した時点で、考えられる行動は幾つかあります」イリーナは顔の前で手を組んだ。「第1の可能性、ミス・ホワイトをその場で解放する。この場合、こちらに連絡が入っていていいはずです」

「それを期待していたんだけど」アンナに気を晴らした風はない。

「実はあまりいい判断とは言えませんね」イリーナは小さく手を振った。「彼女にも賞金がかかってるんです。こちらに連絡を入れるか、自分の足でこちらを目指すか、どっちにしろ〝メルカート〟に見つかって捕まるのがオチです」

「それが捕まってない?」アンナの眉に疑問符が踊る。

「〝メルカート〟は彼女に関する情報を更新していません」イリーナに頷き。「捕まえたなら、賞金もそこでストップです」

「じゃ、」アンナの眼に兆して希望。「まだそのマーフィって人と一緒と見ていいのね?」

「そこで第2の可能性――彼女を安全な場所まで連れ出そうとする」イリーナが一つ肩を鳴らした。「彼女が〝メルカート〟に捕まりにくく、自力で帰還できるような場所を目指すはずです」

「宇宙港?」突っ込んでアンナ。

「そう、」イリーナに頷き。「軌道エレヴェータです」

「この星を3分の1周もして?」ことのスケールに思い及んで、アンナは眉をひそめた。

「〝メルカート〟は、この星の裏流通組織としちゃ最大勢力です」イリーナは両手を広げてみせた。「〝サイモン・シティ〟を中心に、〝ハミルトン・シティ〟まで届こうかってほど手を伸ばしてます」

「じゃ、そこへ?」

「彼女を送り届ける、ってのが一番まともだと思いますね」

「誘拐とか追いはぎとかの可能性は?」アンナの眼が鋭さを帯びる。

「誘拐だったら身代金をたかりに来てるでしょうね」イリーナの口に穏便とはいえない消去法。「サントスから話を聞いちゃいますが、それほど短絡的な人間でもないようです」

「信用するの?」敢えてアンナが問う。

「信じない場合、」イリーナが肩をすくめた。「私らにできることはありません。警察任せです」

 アンナは小さく首を振った。が、息を一つついて考え直す――自分の手の及ばない事態を憂いているよりは、出来ることを成すほうが実りはある。

「じゃ信じるとして、」アンナはイリーナへ眼を向け直し、「2人が向かってる先で待ち受けるのかしら?」

「そういうことになります」

 頷き一つ、イリーナは立ち上がって棚から大ぶりのペーパ・ディスプレイを取り出した。テーブルに広げ、地図を映す。

「3基ある軌道エレヴェータのうち、〝サイモン〟は〝メルカート〟のお膝元ですんで除外するとして、」イリーナは地図中央を指差した。その指を東、大洋越しの一点に向ける。「〝クライトン〟へは海越えのルートです。リスクがでか過ぎます」

「じゃ、」アンナが確かめる。「〝ハミルトン〟を目指すと見ていいわけね?」

「恐らく」イリーナに頷き。

「その前に接触はできない?」アンナがなお問いを試みる。

「向こうも隠れるつもりでいますからね」イリーナは肩をすくめた。「簡単に見付けさせちゃくれないでしょうね」




「人海戦術で構わん」ナヴァッラの屋敷を辞したバレージは、リムジンの中から指示を出した。「ヤツが来るとしたら、シニョール・ナヴァッラの屋敷だ。シティ外縁を張れ。逃げるとしたら、連中は〝ハミルトン・シティ〟へ向かうはずだ。経路を予測して張り付かせろ。充電ステーションを中心にやれ。モスキートも飛ばせ」

『はい、シニョール・バレージ』通話越しに腹心フランコの声。『マーフィの足が判りました。フロート・バイクはツカガワのFSX989、あとトレーラの登録があります。アキレス・インダストリィのアルビオン。それから、』

「何だ?」

『マーフィは食料を補給してません』映像の向こう、フランコが手元のペーパ・ディスプレイへ眼を落とした。『サントスの店からオーダを手に入れました。生鮮食品と戦闘食、それに冷凍食が入ってます』

「ふむ」

『一方、女との2人連れで消費も増えます。非常食に手をつけていると考えられます』フランコが洞察を巡らせる、その声。『なら、早いうちに食料を買い付けたいはずです』

「いいぞ」バレージは鋭く頷いた。「シティの食料卸と小売を監視。逃げるとしたら――どの辺を狙う?」

『〝大陸横断道〟は外してくるでしょう』フランコが指摘する。『農場か小さな町か、その辺りを狙うはずです』

「我々の取引先なら手が回る、か」バレージは顎に手を当てた。「他には?」

『最近まで〝ランバート・ファミリィ〟の残党が残っていた辺りなどが特に有望かと』

「よかろう。やれ」

『はい』

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