第2話
「おい、久保君といったか。しっかりしろ」
スマホからの声で、僕は意識を取り戻した。
時計を見ると、一分ほど経っている。また時間がなくなった。
「すみません。ぼうっとしていました」
「調子が悪いのか。何かあったのか」
「ええ、まあ」
僕は自分の身体を見おろした。
制服は、先生の白衣と同じぐらい真っ赤に染まっている。脇腹のあたりがとりわけひどい。
ブレザーは切り裂かれ、ズボンにも傷跡がある。
先生ともみあっているうちに、ナイフで刺された。腹と足だ。
とりわけ腹がひどくて、思いきり切り裂かれた。流れ出した血は尻のあたりで血溜まりになっている。
「立てるか」
「無理ですね。這って動くのが……精一杯で」
「すぐに救援をやる。がんばれ」
「だから駄目ですって」
先生は、僕に刺されて死ぬ直前、小型スイッチで時限爆弾を起動し、そのスイッチを呑み込んでしまった。
時間は十分。
爆弾が仕掛けられているのは、この化学準備室で、山坂先生の言葉が事実なら、一発で準備室と隣の化学室は吹き飛ぶ。
「いろいろと爆発物を持ち込んでいたようです。化学室にはダイナマイトやジェット燃料もあるみたいですし」
「馬鹿な。そんなものどこで」
「化学教師ですからね。どこかに伝手でもあったんでしょう」
職員室でもアンタッチャブルなところがあったから、誰からも注意されることなく、番発物を持ち込むことができのだろう。何日もかけて。
その情熱がどこから来たのか。
ほんと、馬鹿馬鹿しい。そのエネルギーを教育にむければ、いい先生になれただろうに。
まあ、いい。
先生はつまらないことをしてくれたが、おかげで僕も踏ん切りがついた。
さっさと終わらせよう。
これこそ、僕の運命だったんだ。
僕は自ら爆弾に這い寄って行った。大きな箱に頭を乗せたところで大きく息をつく。
「おい、久保君。大丈夫か。もうすぐ助けがいくからな」
やめてくれ。余計な手出しはしないでくれ。
「両親も知らせを受けて、こちらに駆けつけているとのことだ。すぐに来る。だからあきらめるな」
両親が? 駆けつける?
思わず僕は笑った。笑わずにはいられない。
そんな馬鹿なことあるはずがない。
僕は両親から嫌われている。
父は会社の社長で、それなり名が知られている。経済誌のインタビューを受けることも珍しくない。
母はその父の手伝いをしつつ、ダンス教室の講師もしている。
僕はその両親といっしょに暮らしているが、家で顔をあわせても挨拶すらしない。端からいないかのようにふるまっている。
親戚が来ても呼ばれることはない。冠婚葬祭に共に行くこともない。
人として扱われたことは一度もなかった。
最期に話をしたのは一年半ほど前で、高校入試を決める時、二言、三言、言葉を交わしただけで終わった。
ちなみに、家族は僕も含めて五人で、兄と妹がいるが、こちらにも無視されている。
医学生の兄も、ピアノがうまい妹も、穢れ物を見るような視線を向けてくる。もちろん話をすることはない。
僕は家にいる時はずっと一人で生活する日々をつづけてきた。この五年ほど。
今日も妹の誕生日で、どこかのレストランで祝うことになっているらしいが、僕には声もかからなかった。
これほど嫌っている息子のために、親が駆けつけるなんてありえない。
むしろ、自分のやりたいことを邪魔されて、毒づくだけだ。
わかっている。だが、この先、その心配はない。
僕はここで消し飛ぶのだから。
「おい、返事をしてくれ。おい」
スマホからの呼びかけで、僕は目を開けた。
また意識が飛んでいた。出血が相当にひどいらしい。
「大丈夫です。まだ……頭は回っていますよ」
「すぐに助けが行く。気をしっかりもて」
無理ですよとは言えなかった。
山坂先生はしっかりトラップを組んでいて、扉を開けようが窓から飛び込んでこようが、化学室から回り込んでこようが、しっかり爆発する仕掛けを組んでいる。
それでいて、自分だけは助かるつもりだったのか、内側からは簡単に逃げることができるようにセンサーを設置していた。
この部屋に今、僕一人しかいないという事実がそれを証明している。
実に、山坂先生は偏執狂だった。きっちり学校はぶっこわして、自分はしっかり生き残るつもりだったんだから。
「とにかく話をしよう。何か楽しいこと。君、部活は何かやっているか。俺は野球部でね、高校の時には県大会でいいところまでいったんだ」
部活なんて、やっていませんよ。高校でもぼっちでしたからね。なんていってもこの一年は……
「やりたい放題だったよ。とにかく……あ、ちょっと待て、おい」
警官の声が途絶えて、突然、女の声が割って入ってきた。
「ねえ、久保君。あたし、長岡沙美。無事なの、ねえ、大丈夫なの」
声はひどく高くて耳障りだ。
「ごめんなさい。先に逃げちゃって。まさか、こんなことになるんて思わなかったから。ほんとにごめんなさい」
長岡という子はしばらく返事を待っていたようだったが、僕が何も言わないでいると、勝手に先をつづけた。
「今までもごめんなさい。ずっと無視してて。クラスで話もしないで。こんないい人だとは思わなかったから。お願い。だから許して」
彼女の声に混じって、男の声もする。
どうやら化学準備室から逃げ出した連中らしい。しきりに声をかけてくる。
ごめんとか、許してとかいう言葉がやたらに聞こえる。声はひどく高く、泣き声も混じっている。
僕は返事をしなかった。
何とも馬鹿らしい。
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