ある少年の最期
中岡潤一郎
第1話
遠くから耳障りな声が響いてくる。
がなっているようで、一言一言が頭の裏側に突き刺さる。
うるさい。
八つ当たりでわめき散らすのはやめてくれ。面倒だから。
とにかく、少し眠らせて……。
その瞬間、脇腹に痛みが走って、意識がはっきりする。
そうだ、そうだった。
僕は床を這いずって、騒音の元凶であるスマホに手を伸ばした。
「はい。何ですか?」
「ああん、何だ。その態度は? 貴様、この期に及んでも、まだ馬鹿にするのか」
「そんな……つもりはありませんよ……」
また痛みが走って、僕は一度、言葉を切った。
「ただ思ったことを口にしただけです。警察の方でしょう。少し落ち着いてください」
沈黙が広がる。次にスマホから声がした時には、トーンはかなり落ちていた。
「君は誰だ? 山坂ではないのか」
「僕は、この学校の生徒です。二年一組、久保均。出席番号一一番。山坂先生に捕まって、化学準備室に閉じこめられていました」
「おお、では、脱出した生徒の仲間か」
脱出? そうか。あいつらは逃げおおせたのか。
じゃあ、先生の言うことは間違っていなかったわけだ。おかげで、こちらの運命は決まった。
「それで、山坂はどうした? どこにいる?」
「先生は……」
僕は机の脚に背中を預けるようにして半身を起こすと、窓に目を向ける。
窓際の床に男が倒れている。
目は見開いたままで、口も大きく開いている。
頬のこけた顔はおそろしく歪んでいて、そのままそのまま立ちあがって噛みついてきそうだ。
白衣は血で真っ赤に染まっている。
チノパンも汚れているのは、倒れた身体の下に血溜まりが広がっているからだ。
山坂先生は、文字どおり血の海に倒れたまま動かない。
右胸には深くナイフが突き刺さっており、それが先生の運命を明快に示している。
「先生は、死にました。僕が殺しました」
返答はなかったので、かまわず先をつづけた。
「もみあっているうちに、先生がナイフを落としたので、それで僕が刺したんです。無我夢中で。気がついた時には、胸に刺さっていて、それで……」
「……そうか」
重い声だった。
「事情はわかった。確実とは言えないが、状況を考えれば、正当防衛は認められると思う。待っててくれ。すぐに迎えをやるから……」
「ま、待ってください。駄目です!」
僕は声を張りあげた。
それだけで、痛みが大きくなる。
腹から何かが流れ出しているのがはっきりとわかる。傷が大きくなったか。
僕は先生の腕時計を見た。
やっぱり。あれから五分も経っている。
「来ちゃ駄目です。危ない!」
「どういうことだ」
「化学準備室には、爆弾が仕掛けられています。窓や廊下にはセンサーがあって、そこに引っかかれば、一発で吹き飛びます。倉庫の件は知っているでしょう。それ以上のことがここで……起きます。絶対に近づかないで」
化学準備室の床には、大きな箱やら袋がびっしりと置かれている。一部は積みあげられて、本棚を隠している。
このすべてが爆発物というのだから、驚きだ。
ちなみに、隣の化学室には、これ以上の爆発物があるらしい。
「くそっ。いったい、山坂は何をしたんだ?」
仕返しですよと言いたかったが、うまく言葉が出なかった。意識がもうろうとしてくる。
事件が起きたのは、今から四時間前。昼休みのことだった。
突然、僕を含めた二年一組の生徒が十人、化学準備室に呼び出された。成績のことで話があると言われてのことで、文句をいう間もなく連れてこられた。
男女それぞれ五人ずつというのは、今から考えれば、人質にするにはちょうどいい数だと思ったのかもしれない。
僕たちが準備室に入ると、先生は施錠し、準備室の片隅にあった機器をとりだした。
大きな声で演説をはじめるまで、さして時間はかからなかった。
「さあ、お前ら。ショーをはじめるぞ。よく見ておけ」
スイッチを入れると、爆発が起きた。
外を見ると倉庫の一つが吹き飛んでいるのが見える。真っ赤な炎があがり、近くにいた生徒が逃げ出していた。
「これだけじゃないぞ。ほらほら」
スイッチを入れると、爆発がつづけざまに起きて、体育館脇の用具入れや裏門に近くに片付けられていたサッカーのゴールポストが吹き飛んだ。
悲鳴のあがる中、山坂先生は血走った目をぼくらに向けた。
吊りあがった瞳には、狂気しかない。
普段から神経質な人だったが、明らかにその時は一線を越えていた。
「さあ、聞け。貴様らの罪を」
山坂先生は、準備室の機器を操作して、校内放送につなげると、滔々と自らの思いを語りはじめた。
いわく、自分は天才で、このようなところにいるべきではないのに、世間のクズどもはめられて、つまらぬガキを相手にしたくもない話をせざるをえなくなった。
毎日、同じことの繰り返しで、ひどい浪費だ。
ガキは、崇高な化学をまったく理解しようとしない。
職員室の連中は、この天才に雑用を押しつけて、自分たちは飲みに行くことしか考えていない。
正論を言っても、うるさがられるだけで、誰も聞きやしない。
ならば、思い知らせてやる。天才を無下に扱った報い、ここで受けるがいい。
化学準備室の生徒が呆然としている間にも、先生は何かスイッチを入れて、準備をしていた。
結論から言えば、山坂先生は頭がおかしくなっていた。
天才である自分を世間は拒絶していると信じ込んでいて、復讐の機会をうかがっていた。
現実を見れば、先生は単に神経質なだけの教員であり、いるべきところにいたという気がするが、先生の誇りはそれを受けいれることをよしとしなかった。
おかげで、頭のネジが切れて、暴発した。
その結果がこれだ。
しかも、まだ終わっていない。
すでに最悪の事態に向かって動き出しており、それを止める手段はない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます