番外編

インセント兄の追想

 

【残念な弟が可愛くて仕方がない】



 俺は、身分はあるが、顔も能力も平凡な男だ。

 言われたことは難なくこなすが、それ以上の成果は出せない。

 別に落第点ではないのだが、なんともまあ、ぱっとしない。


 俺には兄が一人いる。

 兄とは歳が一つ違いで、仲が悪い。

 顔も性格もそっくりなのだが、何と言うか……レベルの低い争いをしているのだ。

 どちらが優れているか、ではなく、どちらがましか。不毛である。


 俺達は父似だが、父は平凡なりに出来た人だ。

 美人の妻にぞっこんで、家族仲も良好である。

 兄とはお互い、どこか気に食わない、同族嫌悪のようなものを感じていたのだが……。


 俺と兄は、ある出来事がきっかけで、急速に仲を深めることになったのだ。


 それは、弟が生まれたこと。

 年の離れた弟は、母に似て綺麗な顔立ちをしている。

 弟はインセントと名付けられた。


 インセントはすくすく育ち、家族に愛され、なに不自由なく過ごした。

 俺と兄が険呑な雰囲気を醸し出していると、無邪気な笑顔で和ませてくれる。

 おちおち喧嘩も出来やしない。

 あの自分からは折れない兄が、「今回はインセントに免じて、許してやる」と度々融通をきかせるようになった。

 兄と喧嘩していると、インセントは不安げな眼差しで見てくる。

 試しに兄と仲良さげに振る舞ってみると、光が差したように綻んだ。

 赤子でも、ちゃんと分かっているのだな……。


 俺は兄と目を見合わせ、どちらからともなく、相手を敵視するのはやめた。

 極力、仲良く見せようとするうちに、俺達は共通の対象を愛でる同士になったのだ。


 弟(インセント)、超可愛い。


 インセントが初めて、舌足らずな口調で俺を呼んだときはやばかった。


「にいたぁ」


 にぱ、と頬を染め、小さな手を伸ばしてふらふらさせる。

 まあ、即座に握ったよね。

 兄ちゃんと言いたいらしいのだが、言えてない。

 言えてないが……


(兄貴!!! ヤバイヤバイヤバイ早くこい! 今なら兄ちゃんと呼んでもらえるぞ!!!)


 振り替えって、兄に必死で目配せしてやると、瞬時に飛んできた。


(マジか! ずるいぞ、僕も呼ばれたい!)


 目で会話する。


「インセント! 兄ちゃんだぞ! に、い、ちゃ、ん、言ってごらん?」


 兄が期待に満ちた目でインセント見つめると、インセントは再び笑顔をふりまく。


「にいた~ にいた~」


 なんて良くできた弟だろう。


(ああああああああああああ可愛いぃぃぃ)


 兄が悶えている。

 かく言う俺も死にそうだ。

 可愛い過ぎて。


(な? 兄貴。ヤバくない? この可愛さ)


(いやこれはヤバイわ~僕もう学校行きたくない。インセントの側にいる)


(わかる。俺もインセント持って行きてぇもん。あ、だめだ!)


(なんでだよ? 僕も連れて行きたいけど?)


(学校なんかに連れて行ったら、可愛い過ぎて誘拐されちまう!)


(確かに! ああ、心配になってきた! インセントに護身術習わせないと!)


 無言の会話は続く。

 ちなみに一切声に出していない。

 何気にすごいと思うのだが、もう慣れた。俺達兄弟の間では、インセントに関することならば目と目で通じ合えるのだ。


 斯くして、弟大好きな俺達による教育が始まった。

 どうせなら護身術以外にも色々教えてやろうと、語学やマナーなど、持てる知識以上のことを勉強した。

 全ては可愛い弟のためである。

 結果、俺と兄の学校での成績も上がった。

 相乗効果が凄まじい。一気に学年首位に躍り出てしまった。

 何かと声をかけられることも増えて、兄共々空前のモテ期だ。

 いやまあ、どうでもいい。

 マジで今弟以外興味ない。

 取り合えずインセントに構いたいので、学校終わったら即帰宅だ。


 年の離れた弟って本当に可愛い。


 毎日学校の話をねだるのだ。

 ああでも、もともと平凡な俺に、語って聞かせるような面白い話題は無いんだよ。

 仕方が無い。学校での地位を底上げするか。

 華やかな学校生活を聞かせて、あわよくば「兄ちゃん、すごい!」とか言われたい。

 幸い、成績は上がったし。

 年が近ければ一緒に通えたのにな……

 そうだ、将来的には一緒に働けるようにしよう。

 兄が家を継ぐから、俺は補佐にまわるだろう。

 普通三男ぐらいになると、成人したら家を出るか追い出されるが、家族全員、インセントを溺愛しているので問題ない。


 弟の英才教育に拍車をかけた。

 少し厳し過ぎたかな? と思う時もあったが、インセントは俺と違って天才なのだ。

 期待以上にハイスペックに育ってしまった。

 嬉しいが、兄の威厳がやばい!

 あんまりデレデレしていると、情けないヤツとか思われそうだ。

 インセントの前ではキリッとしていよう。

 兄も全く同じ行動を取っていたので、考えることも同じだろう。



 兄と俺は、学校ではすっかり有名人だ。

 平凡だと自分では思っていたが……努力で人は変われるのだな。

 弟の存在があったからこそ、今の俺がいる。

 インセントに感謝しなければ。



 弟は成長してくると、一人で出歩きたがった。

 危ないので「駄目だ」と言うと、いつも不満そうな顔をする。

 ああ可愛い……じゃなくて、「不満を顔に出すようでは一人前になれんぞ」と諭しておく。

 勿論、俺の前では素直でいてもいいけど、世渡りの術も身に付けてほしいからな。


 ある日、使用人が目を離した隙に、弟が家を抜け出した。

 一人で街中に遊びに行ったらしい。

 兄と俺は急いで迎えに行った。

 インセントを見つけた時、あわや誘拐されるところだった。

 綺麗なインセントは、見るからに育ちが良さそうで、上等な衣服を身に纏っていた。

 拐ってくれと言わんばかりである。

 だから言ったのに!

 実際は、弟に「誘拐されちゃうぞ」と言ったことはないのだが。


 当然説教だ。こんこんと、軽率な行動は控えるよう、釘をさす。

 ちょっと言い過ぎたかもしれないが、可愛い弟が心配なのだ。


 帰り道一緒に歩いていると、インセントが立ち止まった。

 振り返ると、弟は涙を目の縁にためて、必死にこらえているようだった。


 やばい、二重の意味で。


 言い過ぎたか~という気持ちと、可愛い過ぎて抱き締めたいという気持ちだ。


 いや、抱き締めてもいいかな?


 威厳とか気にしてもさ、兄弟だし抱擁くらい許されるだろう。


 あっさり欲望に負け、行動に移そうとしたが、インセントが可愛らしい唇を開いたのでぴたりととまる。

 兄も固まったので、また同じ行動を取っていたようだ。

 似た者兄弟だな。


「兄さんたちは……私の事がきらいなんでしょう」


 インセントは自分のことを「私」と言うし、言葉遣いも丁寧だ。

 丁寧に喋る幼い子供って、背伸びしている感じがして可愛いよな。


 俺達がインセントを嫌うはずがないのだが、怒られてしょげてしまったようだ。

 ああ~可愛い~

 俺何回「可愛い」って言っているんだろう。あ、口にはあんまり出してないな。

 とか何とか考えていたら、長いこと無言だったため、インセントが再び歩き出してしまう。

 取って付けた風にならないよう、上手く弁明しなければ……とまた考え出してしまい、気が付いたら家だった。

 弟は暫く口をきいてくれなくなった。

 あれ、なんか誤解された予感が……



 それより大事件なのだが、この日からインセントが何かにつけて反抗的になったのだ。

 遅い反抗期である。

 しかも終わる気配が無かった。


 インセントは当然のごとく美青年になった。

 母親に似ていて、かなりの美形だ。

 俺達と会話する時は、言葉遣いこそ丁寧だが、皮肉を言われたり、冷たく突き放されたりする。

 俺は悲しい。(兄も)

 どうやらインセントに嫌われてしまったようだ。

 しかし、嫌われても俺達は変わらずインセントが大切だ。

 弟のためになんでもしてやりたいと思っている。


 ところで、インセントが恋をしたらしい。

 隠しているようだがバレバレだ。

 すぐに相手を調査する。

 ただの町娘というか、身分が低い子なのかと思いきや、詳しく調べれば豪商の娘だった。

 うちとも取引がある。

 騙されてないか? とさらに調べたが、普通にいい子そうだ。

 これは……可愛い弟のために一肌ぬぐところじゃないか。


 その娘とインセントは婚約者となった。

 俺と兄が色々と手を回したのだ。

 だが……俺達はインセントのことを理解出来ていなかったらしい。


 インセントは家を出た。

 自分の力で成功すること、そして、恋の成就を仄めかして。


 え~と、インセントよ。君の好きな人は婚約者なのに、恋の成就とは……


 遅れて気が付いた。インセントは色々と勘違いをしている。

 おそらく私と兄は、状況を正しく認識しただろう。

 インセントが何を考えたかも。

 弟は、婚約者の顔を知らなかったのだ。

 自分の恋した相手が、結婚相手だと認識しておらず、別人だと思っていた。

 愛を貫くため、インセントは家を出たのだ。


 普通気付くだろう。

 可愛い弟だが、私達は同じことを思った。


(残念な弟だなあ……)


 ちょっと抜けていて、スペックは高いのに、馬鹿なのだ。

 取り返しのつかない事だったが、手を貸そうとしている俺達も、相当兄馬鹿だけどな。





 月日は流れた。

 あれから、それはもう色々と暗躍して、インセントは無事結婚までこぎつけた。

 相手の名前は、ステイド・エラ・ホール。

 正真正銘、インセントが恋した婚約者だ。


 新婚で顔が緩んでいるインセントを眺めていると、こちらまで幸せになってくる。

 いや~、いい仕事したな~。

 義理の妹になったステイドさんも、いい人で良かった。

 俺達の前では、インセントのあんな笑顔は見られなくなっていた。

 彼女だから引き出せるのだ。

 何だか切ないが、弟が幸せなのだから、よしとしよう。


 現在、新婚のインセントに会いに、彼の屋敷に来ている。

 インセントが席を外した隙に、ステイドさんに長い昔話を聞いてもらったところだ。

 大切で、大好きな弟だから、どうか末長く仲良く暮らしてね、という感じの言葉で締め括る。

 俺と兄が、インセントに構ってきた過去を洗いざらい話した。

 これからは、彼女が一番近くにいるのだから、引き継ぎをしている気持ちだ。


 不意に、ステイドさんが笑った。


「思った通りの方で、嬉しいです」


 思った通りとは……?


「素敵なお兄さんね、インセント」


 ステイドさんがドアに向かって話し掛けたので、そちらを見ると、気まずそうなインセントが半開きだったドアから出てきた。


「……そろそろお帰りかと思いまして」


 目を合わせてもらえないのは悲しいが、わざわざ見送ろうとしてくれたのだ。

 立ち上がって、暇を告げる。

 インセントがいつからいたのかは分からないが、まあ聞かれて困る話でもない。


「また来るよ、インセント」


 嫌われていても押し掛けよう。

 それぐらいは許してほしいものだ。

 玄関から出る時に、軽くインセントの肩を叩く。

 今度は都合をつけて、兄と一緒に来よう。


 立ち去ろうとすると、インセントに呼び止められた。

 何だろうと振り返ると、弟は視線を彷徨わせて、躊躇している。

 やがて、決心したように、俺と目を合わせた。


「あの……色々と助力していただいたこと、今は知っています。……ありがとう」


「ああ」


「それと、勘違いをしているようですけど……」


 インセントは気恥ずかしいのか、また目線を下げた。

 何をしても絵になる色男だな。

 ステイドさんは果報者だ。

 はっ、いかんいかん。せっかくインセントが何か言おうとしているのに、兄馬鹿を発動させてどうする。

 会話に集中しよう。


 インセントは幾分声を小さくした。


「……私は別に、兄さんのこと嫌ってなんかいませんよ……」


 ぼそぼそと、「むしろ嫌われていると思っていた……」と続けた。


 ステイドさんに話したことは、全部聞かれていたらしい。


 ああ、

 今日はなんていい日だろう。


 弟と仲直り記念日になってしまった。

 嬉しすぎる。

 インセントも、もう立派な大人なのに、可愛すぎる。

 見た目はイケメンだがな!

 これは早々に兄を連れて来てやらねば、フェアじゃない。

 もう俺と兄は、仲良し兄弟だからな。喜びは分かち合おうじゃないか。

 俺達の弟は、本当に可愛いな!

 残念なところも含めて、可愛い弟だ。


 思わず口に出したら、「気持ち悪いです」と言われたが、これは分かるぞ、照れ隠しだ。

 俺は久しぶりに、心からの笑顔を見せる。



 インセントは驚いて、幼い日のように、優しく笑ってくれた。







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