陥落メイド
もう駄目だ。
インセントを憎み続けるなんて無理に決まっている。
もう一度好きになんて、なりたくなかった。
だけど、私を口説くインセントに対して、責めずにはいられない。
ーー私(エラ)のことを好きだと言ったくせに。存在すら消し去って、私(ステイド)を好きだと言うの。
黒髪を誉めないでほしい。
私の髪は、栗色だから。
髪は染めたけど、顔も、声も変わらない。
私のこと、覚えてないの?
どうでも良かったの?
インセントは、本当に切なげに告げるのだ。
「私のことを、好きにはなってもらえないかな……」
とっくに好きなのに。
貴方が余所見している間もずっと。
せめて、貴方が、私(エラ)のことが好きだったというなら、私は自分の心を守れるのに。
今のままで、どうして私(ステイド)への気持ちを信じられるというのだ。
インセントに陥落した私は、どうすればいいのだろう。
今度は私が逃げるように、休暇をもぎ取った。
地元に帰ってきて、今は丁度大きなお祭りの最中である。
喧騒に紛れて、家族を思う。
家には帰れない。
私は、結局何も成し得なかったのだ。
あの人の心に、エラはいないのだ……。
数日間、現実逃避して、一度屋敷にもどる事にした。
いつかインセントが私に飽きれば、彼は然るべきところから、奥さんをもらうだろう。
それまで、インセントの側で働かせてもらいたい。
もう邪魔をしようとは思わない。
好きになってしまったから。
もう、不幸になれとは思わない。
代わりに、私の心はひび割れて、壊れてしまうけれど。
「おかえり、ステイド」
何となく予想していたが、屋敷に戻ると、インセントが待ち構えていた。
「只今戻りました」
私は今、ステイドだ。
声に感情を乗せないように、気を付ける。
エラはよく笑う、朗らかな性格だったから。
「すぐで悪いんだけど、少し話せないかな?」
「何ですか」
「あ、いや……出来れば歩きながらじゃなくて、ゆっくり座りながら……」
「要件は何ですか」
「うん……そうだよね……ステイドだものね……」
歩きながら、前を見て話す。インセントの顔は見ないようにした。
「あのさ、結婚することにしたんだ」
一瞬、頭が真っ白になった。
思わず立ち止まってしまう。
私はさっき、何を考えていたんだっけ……
そう、彼が結婚するまで、ここで働こうと思ったのだ。
帰って早々に、職を失うとは、考えていなかった。
これからどうしようか。
どうしてこんなに、喉がつまるのだろう。
痛くて、何か……おめでとうございますとか、言わなきゃいけないのに、声が出ない。
目の奥も熱い。
ああ、視界がぼやけてきた。
やめて、私の前に回り込まないで。
今、こんな顔を見られたら、
とっくに彼に陥落していたと、ばれてしまう。
でも、まただ。
エラのつぎは、ステイド。
ステイドのことを熱心に口説いたのに、ほんの数日前までそうだったのに、そんなにあっさり、結婚できるのか。
裏切られたような気持ちになるのは、好きだと認めない私が悪いのか。
もし、私が姿を変えてもう一度現れたら、同じことをするのだろうか。
「昔、ステイドを好きになる前に、好きだった人がいるんだ」
我慢出来ずに、ボロ、と涙が落ちてしまう。
インセントは私を見ている。
誤魔化せない。
貴方の勝ちだよ、インセント。
分かったから、とどめをささないでよ。
「婚約者が別にいたから、このままでは好きな人と結婚出来ないと思って、私から婚約破棄したんだけどね。独立の準備をしている間に、私の好きな人は、居なくなってしまったんだ」
インセントの指が、私の頬に触れ、顎を伝い、顔を上向けた。
「捨てられたのは、私の方だと思ってた。まさか、探しに来てくれるなんて、思わなかった」
インセントの瞳のなかに、私が映っていた。
彼は、笑顔でいるのだが、複雑な表情にも見える。
「好きな人が婚約者だって、知らなかったんだ。エラに捨てられたと思って、ステイドに一目惚れした。同じ顔なのに、何で気付けなかったのかなって、考えたんだけど」
インセントが、私の黒いみつあみを持ち上げて、唇を落とした。
昔、なんて気障なんだ、と驚いた仕草だ。
そのあと、彼は……
「可愛い栗毛が、堪らなく好きだったから、つい、髪ばかり見る癖がついてしまって」
……可愛い栗毛。
そう言って、インセントが誉めてくれたのだ。
ありふれた茶色の髪は、お気に入りになった。
「やっぱり、黒髪も似合うけど、私は栗毛に戻してほしいな」
ああ、ばれてしまった。
でも、仕方が無いと思う。
「な、んで……そんなにっ、かっこい、いんですか……」
しゃくりあげていたから、うまく声が出せなかった。
「……私は、散々馬鹿にされてきたけど。流石に分かるよ。ステイド、私のこと、もう好きだろう」
だからだよ、といって、インセントは私を抱き締めた。
それから。
私は陥落されたので、鉄壁ではなくなった。
私は、完璧に隠していたつもりだったのだけど、インセント以外は全員私の気持ちに気付いていたらしい。
そのことを教えてきたハームルに、
「なんで!?」
と、思わず赤面しながら詰め寄ると、
「だって、ツンデレ以外のなにものでもないですよ~。隠していたんですか? あれで?」
あっけらかんと言われてしまった。
ツンデレ以外のなにものでもない……
そうか、過剰過ぎても駄目なのか……
ツンデレといえば、インセントのお父様と、お兄様方も、その類いだと思うのだが。
インセントの昔話を聞いても、「ん? それ可愛がられてるんじゃないの?」と思うような愚痴がちらほら。
インセントは一人で成功したと思っているが、なんの妨害も後ろ楯もなく、ここまでこられたのも信じられない。
絶対インセントの実家が裏で手を回していただろう。
私の両親は、それはもう、おめでとうの嵐だ。
純愛素晴らしいよ、と、近所に触れ回っている。
やめてくれ。
両親に愛されているのは、幸せだけど。
一度勘当しようとしたことを申し訳なく思う。
結婚式は地元で挙げるつもりだ。
私は出来る女なので、メイドから奥さまになっても、立派に努めてみせよう。
インセントは、「可愛い嫁をもらう夢が叶う」と、でれでれしている。
ああ……もう! やめろ、照れる!!
あと、髪色は、元に戻した。
長さも、昔より少し短くして、気分も軽くなる。
あの黒いおさげが、私にとっての、鉄壁だったのだ。
でも、たまに、冗談めかして言ってみる。
冷たい声音で、冷ややかな眼差しで、私の夫となる人を見据えた。
「旦那様、私のこと好きですか?」
思えば、毎日口説かれたけど、「好き」の言葉は言われていない気がする。
好きになってとは言われたけれど。
インセントは、私の栗毛に口づけた。
「好きだよ。先に陥落されたのは、実は私の方だから」
本当に、私を陥落させるのがうまい。
ああ。にやけてしまう。
私は今日も幸福だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます