アンハッピー・バースデー・リバース

あやぺん

 待ち合わせは駅前、改札を抜けて目の前にあるコンビニ前。それから、街をプラプラ散策して、昼飯がてらカフェで一息。


「誕生日おめでとう、陽二君。今日は何でも好き勝手にして良い日だよ。と、いう訳で何が食べたい? この後、映画まで何したい?」


 メニュー表を「はいどうぞ」と上目遣いで問いかける彼女。それなら、もちろん好き放題、やりたい放題……なんて!


 ただでさえ可愛いのに、キラキラした瞳に満面の笑顔。これは、もうノックダウン。


「何度も言ってくれてありがとう。映画、14時だよな。時間あるから、試験の問題集を買いに本屋に寄っていい? あと、昼飯少なめにして礼菜が気になるって言ってたアイス食べに行こう。夕飯もあるし、食べ過ぎないようにしないと」


 俺なら一撃KOなのに、お前はしないんかい! 妙に涼しい顔の彼氏。渡されたメニュー表を二人で見れるように向きを変えている。視線はニコニコ可愛い彼女ではなく、ランチセットの写真。信じられん。


 俺は提供するコップを手に持ったまま、少し固まった。試験の問題集を買いに本屋に寄る。誕生日にそんなことしたいのか? 俺ならしたくない。アイスは、まあ食べたいか。こんな可愛い彼女とは、羨まし過ぎる。しかし、相手も爽やかイケメン。


 世の中、不平等。俺だってこんな可愛い彼女の向かいに座りたい。だって、俺もこいつと同じく誕生日。なのに俺は生活費の為にアルバイト中。駅で待ち合わせして、この店みたいな男同士じゃ入りにくい場所に行きたい。まあ俺って、容姿がそもそも平凡以下人間なので、目の前のような人生は無理だろう。


「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」


 この彼女は可愛くて大変目の保養だが、他人のもの。彼氏しか見えてないという雰囲気。これは、とても目に毒。もし注文の際に呼ばれても、他の奴に行かせよう。コップだコップ。早く渡して逃げるが勝ち。


「えー、陽二君はアイスはあんまり好きじゃないって……。ありがとうございます」


「ありがとうございます。ほら、行きそびれてるって言ってただろう? 折角近くまで来たからさ。礼菜、美味そうだからパスタとピザ一つづつ頼んで半分にしようぜ」


 二人揃って、丁寧なお辞儀をして俺からコップを受け取る。おしぼりも同様。ニコニコと笑い合う二人。俺はサッと背を向けた。


「リア充め、俺も誕生日なのに天と地の差だな」


 あの感じだと、この後映画に行って夕食。遠目で見ても花が飛ぶほど浮かれてそうな、あの可愛らしい彼女なら張り切ってディナーの予約をしていそう。その後はホテルとか? どちらかが一人暮らしなら家? 俺は通しでバイトなのに。おまけに朝っぱらから災難続き。自転車を停めていたら、ドミノ倒しされて巻き添え。朝帰りっぽい女性にぶつかられ、舌打ちされ、更にはヒールが足の甲に突き刺さった。捨て台詞は「邪魔」


 なのに、あの男子は美人彼女と日がな一日ベタベタするのか。……クッソムカつく。


 しかし、ニコニコ、ウキウキしているような彼女に対する彼氏は平静。まるで彼女の誕生日みたい。無意味な想像力のせいで苛立ったものの、勝手に腹を立てるのは単なるアホ。俺は自分のバカさ加減に、思わずため息を吐きそうになった。


「山田君、あれお願い」


 バイトの先輩が忙しなく働く。俺も同じ。今日はいつもよりも混んできたように思える。


「山田君、宜しく」


「はい」


 提供する料理がキッチン側から出される。俺はパスタ二品を手にして、移動した。


 って、こっちもカップルか! 二人でにこにこしながら、旅行のパンフレットを眺めている。


「特製カルボナーラとトマトとバジルの冷製カッペリーニです」


 パンフレットの上に、ドン! とパスタを置いてやりたかった。温泉か、羨ましい。この可愛くて巨乳の彼女と一緒に湯船とか浸かるのか、死ね。お前も爽やかイケメンか。更に死ね。


 俺はそっとパスタ皿をテーブルに置いた。なるべく愛想良く。食べ終わっているサラダとスープの皿は回収。接客業なので、心の中で死ね死ね言っていても、笑うしかない。


「ありがとうございます。美味しそうだね、タケ君。いただき!」


「どうも。おい、ミキ。何で先に人のを食べるんだよ」


「今日は誕生日デートなので、私は女王様でーす!」


 彼氏のカルボナーラのベーコンを奪う彼女。負けじと彼女のトマトを食べた彼氏。さっきのカップルに比べて年齢層は上なのに、逆に幼く感じる。しかし、かなり親密そう。初々しいカップル。仲良しカップル。どちらにせよ、毒。普通のカップルなら別に気にしない。そんなの、このカフェには大勢いる。


——くそっ。何で誕生日カップルばかりいやがる


 心の中で、舌打ち。


 俺も誕生日だ! あの2テーブルにはもう近寄らない。特に若い方。同じ誕生日である男なのに……扱いが違う! と、打ちひしがれて、この世を呪ってしまう。俺は温泉カップルのテーブルから、そそくさと離れた。こっちはこっちで、見たくない。


「すみません。注文お願いします」


 声を掛けられたので、返事をして顔を向けた。なるだけ笑顔。心は涙。俺は苦学生。大学なんかに出す金はない。行きたきゃ自分でどうにかしろ、という親元に生まれたから仕方ない。手に職をと思ったので医療系の専門学校に進んだ。授業が月から土曜まで、そして朝から夕方まで全部決められている。そこに詰め込めるだけのバイト。こんなの友達とロクに遊べない。当然、彼女なんて夢のまた夢。


 人気おでかけスポットの小洒落たカフェなので、昼時は激戦地。時給が良いので選んだが、いつもあっちへ、こっちへ、右往左往。まあ、少しは慣れてきたけど。


「山田君、会計お願い」


「はい」


 会計に向かったら、お客は温泉カップル。腕を組んでいるので、イチャイチャして見える。


「お待たせ致しました。ランチデザートセットがお二つ。お会計、3000円です」


 財布を出して、お金を払ったのは彼氏。彼女は当然という表情。


「ご馳走様です。ありがとう、タケ君。今日は甘やかしてもらいます」


「10月、覚えてろよ。俺の時はもっと高い店に行ってやる。俺のデザート食いやがって。まあ、俺は別のものを食うけどな。甘やかされたいんだろう? ってことで、とりあえずチェックインしよう」


 うへえ。何でこんな会話を聞かなきゃならない。ヒソヒソと話しをしてるけど、聞こえてるんだよ! 俺はイライラが伝わらないように、丁寧にお釣りを渡した。


「ちょっとタケ君……。ああ、そうだホテル代。部屋で払うね。夜景、楽しみだなあ。去年の温泉も良かったよね。タケ君の誕生日ランチはあそこ、何だっけ? あのパンケーキの……」


 照れ笑いした後に、パンケーキのお店を検索する為かスマホを取り出した彼女。お釣りの千円札を財布にしまう彼氏。二人して、のんびりした仕草。レジは混んでいないが、早く去れ。地の果てまで飛んでいけ。


「いや、間に受けなくていいから。普通でいいし。っていうか東北行くって言ってるのに、何で近場のパンケーキ屋が出てくるんだよ。早く行こうぜ」


「早く早くって、タケ君……。もうっ……。すぐ出掛けるからね」


「何がもうっ、だよ。ミキが甘えん坊だから仕方なくだ」


 小声で二人だけの会話、とは本人達の認識。バッチリ聞こえてる。いちゃいちゃ、にこにこ、ゲンナリ。特に彼氏はしまりのないニヤケ顔。おまけに彼女のフワフワそうな胸を肘でつついてふざけている。バレないと思っていても、見えるんだよ! このアホカップルめ。爆発しろ。特に男の方は消し炭になっちまえ。


「ありがとうございました。またのご来店お待ちしております」


 俺は笑顔を取り繕った。二度と来るな。


「ご馳走様でした。美味しかったです」


「ご馳走様でした。ありがとうございます」


 店の扉を開くと、カップルに笑いかけられた。これは悪い気がしない。「誕生日おめでとうございます」なら良いのに、と俺は呻きそうになった。


 あいつら、これからホテルか。昼間っから何だよ。去年の温泉、と言っていたが長く付き合っているのに仲が良いな。見た目や服装的に社会人ぽいけど、なんか幼い感じ。しかし、手に持つ旅行鞄といい、社会人って誕生日デートは泊まりで出掛けるのか? いや、学生もか? 金が無い俺には縁がない世界。金だけでなく、彼女も無いけど。


「お願いします」


 いつの間にか、次の客がいた。そわそわした様子なのは、映画カップルの彼氏。伝票と一緒にお札が2枚。


「ランチセットお二つで1800円です。2000円、お預かりします」


「ご馳走様です。ありがとうございます」


 背筋が伸びている丁寧な会釈。そして爽やかな笑顔。ま、眩しい。さっきのカップルと違ってこっちはどう見ても大学生。同じ学生なのに、この差。背も格差。俺とこの大学生、絶対に同じグループにはならないな。


「陽二君! 払ったらダメだよ」


 トイレの方向から現れた彼女が駆け寄ってきた。それにしても、ムカつくくらい可愛い彼女。


「映画出してくれてるだろう? これでも足りないくらいじゃん。夕飯も準備してくれてるって聞いてるし」


「お父さんやお兄ちゃんが、焼肉って張り切ってるだけ。誕生日だから門限6時って、何で早めるのかなあ。陽二君を私に独り占めさせないって皆して酷い」


 むすっとした彼女と、苦笑いする彼氏。これまたヒソヒソ声だが、だから聞こえてるんだっつーの。


「200円のおつりです」


 不満が表に出ないように、俺はなるだけ淡々と口にした。


「ありがとうございます。ご馳走様でした」


 行こう、と彼氏が彼女を促した。俺が店の扉を開く前にもう彼氏が扉を開いている。素早いし、さり気ない。彼女の顔に、彼が大好きだと描いてある。なんかもう、白旗。次元が違うというか、同じ男だけどこの彼氏と俺は別生物なんじゃないか?


「ワンコも陽二君をお祝いしたいだろうし、幸一さん達も来るって。陽二君、ケーキは楽しみにしててね。サラダやスープも私が作るよ」


「ありがとう。なんか小学生の誕生会みたいだな」


 照れ臭そうに笑う彼氏。ニッコニコの彼女。グサグサと突き刺さってくる。


「ご馳走様でした。とても美味しかったです」


「ありがとうございました。ご馳走様でした」


 二人は俺に笑顔を残して、ぎこちない距離感で人混みに消えていった。


 彼女がトイレの隙に会計。だからソワソワしてたのか。今の会話もだが、 なんか微笑ましい。あいつらは爆発しなくても……いや、しろ。年が同じくらいなのが余計に腹立つ。家族公認かよ。俺だって、せめて家族に祝われたい。遠いぜ秋田。


「山田君、注文お願い」


「はい」


 呼ばれたので、俺は元気良く返事をした。それくらいしか、取り柄がない。


 それにしても、忙しい。普通の土曜日なのに、殺人級。時給上がれば良いのに。畜生。今日は通しなのに、体力や気力が持つのか?


 料理を運び、食器を下げ、会計。テーブルを片す。やることは山程ある。


「忘れ物かよ」


 クソ忙しいのにと、店を出て走る俺。帰り道、店まで殆ど距離がないのに子供にぶつかられてアイスがエプロンにべちゃり。


 戻ったら、更に店が混んでる。列も増えている。目まぐるしく時間が過ぎていった。休憩に入る余裕が全然無かった。訳の分からない事で文句を言うジジイに説教されたし、最悪。何で悪くもないのに、平謝りしなきゃならない。


 18時、俺はようやく休憩に入った。休憩室のソファに深く座って目をつむる。過去最低の誕生日だ。


 めでたい日って思ってなければ、別に辛くもないのに。誕生日とか、この世からリア充ごと消えちまえ。


「山田君、悪いけどホールに出てくれる?」


 休み体制に入って、わずか15分程度で俺の安寧は終了。勤労学生に、こんな仕打ちは神も仏もいないな。俺は「はい」となるだけ元気な声を出して立ち上がった。ボヤいていても何にもならない。


「よっ、タク」


「お前、その格好似合わねえな」


「マジでバイトしてるとは、驚いた。付き合い悪いから嘘かもとか思ってた」


 休憩室からホールに出ると、レジ前にクラスメートが三人。俺に手を振っている。俺は瞬きを繰り返した。


「友達が来たみたいだし、休憩を長めにとっていいよ。忙しくて疲れただろう?」


 店長が俺の肩を叩いてから、俺のクラスメートを空きテーブルへと案内した。店長に促されて、俺は私服に着替えた。それから友人達のテーブルへと向かう。


 休憩一時間、少し延長。店長の好意に甘えて、俺は友人達と飯を食った。誕生日までバイトかよと笑われ、話の流れで話し辛かった金欠っぷりも伝えられた。サラリと言ったら、サラリとした返事。今後、タクを誘う時は安上がりな時にしよう。お前いると、面白いし。俺は耳を疑ったが、幻聴ではなかった。


 わざわざバイト先にまで会いに来てもらった上に何これ、凄い嬉しい。


 更に店長が注文していないのにデザートを全員分出してくれた。それも、俺へ出されたケーキの皿には「HappyBirthday」とチョコペンで書いてあった。店長に話していなかったのに、さり気なく俺と友人達の会話から情報を仕入れていたらしい。


 休憩が終わり、そろそろ勤務に戻る。友人達も飲みに行くと店を後にした。宅飲みしてるから、終わったら顔出せ、そう残して。明日は朝から警備のバイトだが、俺は迷いなく肯定の返答をしていた。


「あの、ありがとうございました店長」


 制服に着替え直した後、俺は店長に感謝を述べた。デザートサービスだけではなく、かなり割引もしてくれていた。


 何故か客から見えない位置まで手招きされた。


「これ、気がきくな」


 店長がエプロンのポケットから、コースターを取りだした。


【HappyBirthday niceday】


 俺が文字を書いた紙製のコースター。使用済みで、ゴミ箱へ捨てたのに店長は見つけたのか。イライラしたし、腹も立ったが、誕生日が同じなので書いてみたやつ。本人達は特に気づいた様子は無かった。多分。そこまで確認しなかった。


「早速、口コミが投稿されてた。前もそういうことがあって助かってる。いつも真面目に働いてくれていているし、君は立派で気配り上手な成人になったな。おめでとう」


 俺のエプロンのポケットに、封筒が突っ込まれた。店長がキッチンへと戻っていく。封筒の中身はさっきの夕食代とほぼ同額だった。


「言ってくれれば、勤務後に皆でホールケーキを食べれたのに。って、店長から。私も同意」


 混んでるから、さあ働けとバイトの先輩に背中を押された。


 レジで会計をしていたら、憂いを帯びた美人系の女子が「誕生日おめでとう」と映画の前売り券をくれた。男に人気のアクション大作の続編なので、貰い物なのかもしれない。俺が観に行きかった作品。


 うん、誕生日ってやっぱり良いかも。


 バイトが終わり、ヘロヘロになったが、俺は友人達の宅飲みに参加した。寝ないと死ぬ。働けないとゴネているのに「成人祝いだ」と酒を勧められ、翌日人生初の二日酔いを味わった。



◆◆◆



 通路を挟んで、隣のテーブルが煩い。いや、常識の範囲内。同じ大学生くらいの男子達が、楽しそうにワイワイしている。どうやら、一人が誕生日らしい。デザートプレートにメッセージが書いてあるのが見えたから、そうだろう。今の私には、かなり騒がしく、疎ましく感じる。


 こっちは彼氏に振られたのに最悪。何でファミレスとかじゃなくて、こんな如何にもデートっていう店で別れ話をするのかな? おまけに映画の帰りに突然。楽しい一日は全部嘘。思い出してみて、よそよそしかった気もするし、そうでもない気もする。いや、嫌な予感はしていた。目を背けていただけ。それにしても、この終わり方は結構酷い。


 普通に夕食を注文してしまったから、帰るに帰れない。食欲なんてこの世の果てまで飛んでいったが、食べ物を残すのは許せない。何が迷ってるから、後で注文するだ。元彼氏は先に頼んだコーヒーに口も付けずに去っていった。おまけに伝票を置いて。


「あーあ。最低……」


 無理やり注文したパスタを口に押し込んだ。匂いは好きだが、苦くて飲みたくないコーヒーも無理矢理飲んだ。


 さっさと帰って泣こう。友達に電話しよう。慰めてもらう。私は急いで食べて、会計に向かった。レジには、先程誕生日を祝われていた男の子が立っていた。あれ、店員? 一緒にいた友人達は消えていて、彼らが座っていたテーブルには既に別の客がいる。


 どういうことだろうと考えていたら、もう会計は済んでいて、お釣りを差し出された。


「お客様?」


 ぼうっとしていたらしい。店員の問いかけで我に返り、私は慌ててお釣りとレシートを受け取った。その時、財布の中に映画の前売り券が入っているのが見えた。元彼氏に観たいから、買っておいてと頼まれて購入したもの。私があんまり興味が無いアクション大作。観たい観たいと騒ぐので、仕方なく一緒に行こうと約束した。


「あの、誕生日おめでとうございます。バイト、頑張って下さい」


 こんなものいるか! 私は映画の前売り券をカルトンに置いた。黒ぶち眼鏡をかけた、黒髪の大人しそうな男子。別段格好良くはないし、髪の毛が多くて何か野暮ったい印象。このカフェに、どちらかというと似合わない。大人しそうなこの彼、アクション大作なんて観るのか? まあ知らない。自分で捨てるくらいなら、他人に捨ててもらう。私はそそくさと店を出た。戸惑う店員を無視した。


 逃げる相手はとうにいないのに、逃亡するように駅に向かう。信号待ち、隣に幸せ一杯という様子のカップルがいて泣きそうになった。私だって、ついさっきまでは同じ立場だったのに。


「美味しかったね、タケ君。ありがとう」


「いやあ、ほっぺた落ちるかと思った。そういや、このカフェも美味かったな」


「それに、コースターにハッピーバースデーって書いてあったしね。口コミ書いちゃった」


「ミキって、そういう投稿好きだよな。俺、面倒」


 腕を組んで、スマホを見せ合いながら笑い合う、楽しそうなカップル。腕を組んでいるだけなのだが、今の私にはかなりイチャイチャして見える。赤信号を無視して、車にひかれて死ねばいいいのに。しかし、清潔感があってシンプルながらもお洒落な服装の二人。見た目通り、律儀に信号を待っている。チラホラと赤信号なのに渡って行く人もいるのに、二人は続かない。


 私も他の人達のように赤信号を無視したかったが、止まったままでいた。見知らぬ他人に、死ねって願ったりするからフラれる。そう思ったら、信号無視は出来なかった。しかし、このカップルは苦痛。


 信号が青になった瞬間、早歩き。駅まで一目散。土曜日の夜は、楽しそうな人で溢れている。あちこちから、今日のお出かけの思い出話が聞こえてくる。電車内で泣くのを必死に耐え、私は何とか涙をこぼさずに帰宅した。


 家に入ると、玄関先で号泣してしまった。人生初の彼氏に、たった三ヶ月でフラれた。大好きだったのに、多分向こうは体目当て。まだ早いと言ってやんわり断っていたからだろう。今日もそうだった。だから、何となく別れの予感はしていた。


 フラれたことより、最初から好かれていなかっただろうという考察の方に傷つく。違う、と言い聞かせていたのに、違くなかった。明日が誕生日なのに、忘れているからバイトを入れられた。今日が代わりかと思ったら、一言も「おめでとう」と言われなかった。別れの最後の一言が「思ってたのと違う。面倒」だなんて、そういうことだ。


 泣き疲れ、玄関でそのまま寝ていた。起きたのは明け方。体の節々が痛い。シャワーを浴びて、着替えて、ベッドで寝直した。


 起きたら昼過ぎだった。友達に無料電話やSNSでの短文やり取りで慰めて貰っていたら、あっという間に夕方。遊びに行こう、誕生日を祝おうと皆が言ってくれたが、食欲が無くて断った。しかし、来週末にパーっと何処に遊びに行こうとなり、具体的に話が決まった。楽しみな未来が出来て、元気が出る。上京してきて友達が作れるか不安だったが、優しい友人が出来て良かった。フラれたおかげで知れたなと、前向きにもなれた。持つべきものは友とはこのことだろう。


 昨日の分の家計簿をつけようと、財布からレシートを出そうとした時に、映画の前売り券が残っているのに気がついた。カフェの店員に二枚置いていったと思っていたが、動転していて一枚だけだったらしい。


 そもそも、何で見知らぬ他人にあげるなど、勿体無いことをしたのだろう。友達やサークルの人に、欲しい人がいないか聞いて売れば良かった。


 一枚だけだと売れない気がするし、お金が勿体無いので捨てたくない。暇だし、観に行ってみるかと、私は近くの映画館での上映時間を検索した。19時過ぎからか、なら掃除洗濯をしよう。没頭すれば嫌なことを忘れていられる。落ち着きを失っているからか、お気に入りのマグカップを割った。踏んだり蹴ったり、



 映画に間に合うようにと家を出る。電車に乗って数駅。降りた駅のホームでベビーカーをぶつけられた。避けないからというように、睨まれる。絶対にあんな大人にはならない。ベビーカーなんて滅びろ。と思ったら、今度は別のベビーカーを押すママさんが、腕をさする私に優しく声をかけてくれた。ベビーカーの中の赤ちゃんは、プニプニしていてニコニコしている。可愛い。


 捨てる神あれば拾う神あり。多分、こういう時の言葉だ。私は少し元気が出た。


 映画館に着き、前売り券を鑑賞券に引き換える。日曜の夜で、公開から時間も経過している映画なので割とガラガラ。左右に人がいない席を選んだ。


 座席で今から観る映画の予習。続編ものだなんて知らなかった。前作の話や今作品について調べると、CMの印象より、面白そうに感じる。そういえば昨日のカフェはお洒落で美味しかった。嫌な思い出を払拭したいしと、私はお店を調べてグループトークにお店のURLを投稿した。口コミがかなり良い。美味しいだけでなく、接客が良いという記述が多いねと返信がきた。


 私も口コミを読んでみた。丁寧だった。親切。急な雨で傘を借してくれた。誕生日おめでとうとコースターに書いてあった。忘れ物を走って届けてくれた。色々ある。そういえば、コップを置く紙のコースターに「良い週末を」と一言、顔文字と一緒に書いてあった。その時はイライラしたが、落ち着いた今思い出すとジンワリ胸が温かくなる。


 予告が始まったので、私はスマホを鞄にしまった。それにしても、前日に彼氏にフラれて、当日は腫れた目で一人映画。人生で一番情けなくて悲しい誕生日だ。しかし、少しマシ。普段気がつかないような、良いことを見つけられた。


「いやあ、昨日の礼菜ちゃんのバースデーケーキ、美味かったな」


「美味しい上に凝ってたね。私も料理、教えてもらおう」


 後ろのカップルの話が、誕生日関連っぽくて耳につく。聞きたくない、と耳を塞ぎたくなった。他人の幸福が恨めしい。そんな気持ち、追い出したい。泣きそうになったが、歯をグッと食いしばって我慢した。運良く、劇場が暗くなった。予告が始まる時間になり、会話が終わった。静寂に、ポップコーンを食べる音が響く。これ、煩いんだよな。


 幾つかの新作映画の予告編が流れていく。


——歩んできた全てが今になる


 好きな俳優が出るらしい邦画作品。これ、気になるかも。


「すみません」


 声を掛けられて、前を通るのかと私は足を揃えて邪魔にならないようにどかした。予告が気になるので、こいつこそ邪魔。しかし、まだ本編は始まってないし、すまなそうな声なので、まあ仕方がない。


 通り過ぎたのは男性だった。隣の席に座る気配。隣に誰もいないつもりだったが、私が鑑賞券を購入した後に隣席が売れてしまったらしい。声の主と目が合って、顔が分かって、私は固まった。


「あっ……」


「え?」


 向こうも固まった。そりゃあそうだ。こんな事があるなんて。


「あ、えっと……。あー、あの、嬉しかったです」


 昨日のカフェにいた黒ぶち眼鏡の店員が私に軽く会釈した。


「い、いえ。一枚余ってしまって……」


——晴れない雲は無い


 静かな俳優の声が劇場に響いた。


——踏み出してみて欲しい


 彼が振り返ってスクリーンへ目を向けた。


「昨日の俺……」


 後半は聞こえず、小さな声が彼の口から落ちていく。


 澄んだ青空がスクリーンに映る。振り返った彼がそれを背景にして、ニコリと笑った。


「本当にありがとうございました」


——君がいた


「色々嫌なことが多い日だったんで……。でも、良いこともありました。あの、ありがとうございます」


——生まれてきてありがとう


——視点を変えると反転する


——Unhappy Birthday Reverse


 彼が私の隣席に腰を下ろした。今の作品で、予告はすべて終わり。


 本編上映を告げるベルが鳴る。私には他の意味に感じられた。まるで鐘みたい。


 どちらからともなく「今の映画、観たいですね」と口にしていた。

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アンハッピー・バースデー・リバース あやぺん @crowdear32

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