1-12 届かぬ過去と逃亡先
赤の魔獣。
この東方世界で知らない者はない、終末の獣。西の辺境より都にのぼり、王都に差す黄昏を遮る巨躯の厄災。皆の期待を一身に背負い立ち向かう勇者をことごとく
これまで巨獣は幾度も現れ、太陽が沈み、再び昇る一夜で都市群を、時には文明ごと滅ぼしてきたという。
兆候は最短でも1年は続くとされ、次第に赤い姿の眷属が現れてくるらしい。最初の兆候の特徴は属州軍幹部だけが知っていて、幹部は領内の出来事には常に目を光らせ、兆候が確実となれば帝都の皇帝に直接知らせる。
皇帝は属州民を含む国民に非常事態を宣言し、あらかじめ東部に用意してある新首都に遷都する。皇帝は殿を務めるコーカシア辺境軍と共に最後に新首都に向かう。
というのが表向きの計画らしいが、一般人のほとんどは信じていない。
貴族と皇帝は一般人をおとりにするため、赤の魔獣本体が現れる最後の時まで、非常事態宣言を出さないだろうと思っている。
だから魔物・魔獣が赤くなるのが兆候らしいと噂し、ただの伝説だとうそぶきつつ噂話を集めている。
だが、体表が赤くなった魔獣や魔物なんて普通にいる。現に俺が帝都郊外で倒したハーピィの特殊個体も赤かった。噂は所詮噂だ。
「もうこのネタ飽きたから」
一通り一般人が皆しっている話をおさらいしてみたけど、俺は金になるゴシップの山に封筒を放り投げた。
新首都に先行投資をする商人あたりに売れば金になるだろう。
俺がこの世界に来てから、知っているだけでも五回は赤の魔獣騒動が起きている。そのたびに政争が起き、大臣など首脳陣が入れ替わっている。物流物価も動き、いくつかの豪商が潰れた事もある。つまりは人為的な情報操作だ。
「今回は誰が得をするんだか……」
属州総督府と軍が動いているのだから政争の可能性が高い。馬車がハーピィの群れに襲われたのは全くの偶然なのだろうが、その後迅速に軍の斥候部隊が来たのはおそらくこの手紙を確保するためなのだろう。伝達して得をする側か、損をする側なのかは知らないけど。
「総督府か……バリニーズさん、コーカシアの総督はやめたみたいだな」
総督が署名をする箇所には別人の名前がある。コーカシア属州総督府の印を見たとき、この世界に来たばかりの頃世話になった恩人の顔が思い浮かんだ。
当時総督として自領を離れて赴任していたグラート・バリニーズ伯爵とその娘レイ、あと夫人のフランシーヌさんも。皆にはとても世話になった。
俺のこの世界での転移先は、世界でもっとも危険な場所の一つといわれるグレイブッシュ廃墟地帯に近い、ラント=キスティシア帝国、西部属州コーカシアだった。
あの当時の記憶はほとんどないけど、魔獣から逃げ続け、行き倒れていた。多分飢えだったんだろうけど、それまで生きていたのは今でも本当に不思議だ。
倒れていた所に訓練中の小隊が通りかかった。俺のことを賊と考えた伍長に槍で突き殺そうとするのを止めたのが小隊を率いていたレイだった。まだほんの子供だったのに当前のように侍従の女騎士を通して命令していたのを見て、異世界に来たんだと妙に実感がわいた記憶がある。
「まあ、ここで懐かれていたら後戻りできないロリコン川を渡っていたかも知れない……あぶねぇ、あぶねぇよ異世界」
あり得ないテンプレに苦笑して、二つの紙の山を整理しながら当時の記憶を思い出していく。
うぶな俺はむしろ大人なのに天真爛漫な人妻フランシーヌさんとか侍女さんとか、お姉さま方にドキドキしてたんだけどね。この国の上流階級は美人揃いだったな。茜と並べるくらい。
でも茜はまぁ、別格だし。
前の世界ではいつも一緒だった茜とは、この世界に転移させられる時に離ればなれになってしまった。昔はどうすれば再会できるか寝ないで考え続けてぶっ倒れてた事もあったけど、今では考えないようにすることはできている。
「そもそもお嬢が俺に懐くとか想像できないし」
彼女は年齢的には子供でありながらすべてにおいて聡明で、別種の人間のようで、身分制度というものがなぜ存在するのか、そばにいれば自然に理解できてしまう存在だった。父親の部下は自分の家来ではないと丁寧に接し、かといって冷たくはなく、レイの素晴らしさを侍女さん達全員が嬉しそうに話していた。
レイは記憶をなくしたという俺に対して、世間で生きていけるようにと、常識、マナー、知識、学問など多くの教育をほどこしてくれた。
そういえばさっきレイの事をお嬢と自然に呼んでしまった。
呼び捨てで良いと言うレイと、人格者には敬意を払いたい俺がどちらも譲らずに、結局『お嬢』という呼び方でお互い妥協したんだったな。へんな呼び方に侍女さん達も苦笑していた。
「とっくに内地の、いや、もしかしたら北方のティベリウス帝国や南方のアーリア首長連合でどこかの首長の正妻になってるか?」
もしそうだったとしたら結婚式に列席したかった。
北のティベリウスの白い民族衣装は黒髪に映えるし、南のアリアベールだったら高貴な色の紫紺が金色の目に映えそうだ。とびきりの美少女の結婚式はさぞ華やかで、記憶の俺ならきっと大泣きできただろう。
――無能じゃなければなぁ。
自分の無能振りに勝手に失望して、その恩を返さずに州都ベルゲンから逃げ出してしまった。
逃げ出した後、各地を放浪し、ようやく自分の身勝手な恩知らずぶりに気がついた時、自分の姿はとても再会できるものではなくなっていた。
そこから這い上がろうと、川の流れに逆らうように努力してきたけれど結局滝下の最下層まで転落していったのが俺という人間だった。
だけど身勝手なのは天使やロガー達のいる神界も同じだろう。恩寵を出し渋っておいて今更上乗せして感情まで記録するとか、本当に神界は訳がわからない。
「過去よりこれからどうするか、だよな」
とりあえずガーランド高地から南下して、帝都の海の玄関である港湾都市ナフタに向かうのは確定だ。同郷人殺しから身を隠すため、どの属州へ行くにせよ、船が一番速い。
東方世界は世界の中心であるグレイブッシュ廃墟地帯の東に広がる世界で、ラント=キスティシア帝国が国としては最大勢力となっている。
都市は内海のセントルメール海沿岸に多くあって、廃墟地帯から湧き出る魔物・魔獣との前線に立つコーカシアなど複数の属州を経て、帝都ラントと港湾都市ナフタがある。
さらに東方に行けばほかの国々があるけど、現在戦争状態にあるので行き先としてはまずいだろう。
「……この際南方の属州ティーラに行ってみるか」
帝都やコーカシアとは海を挟んだ南の対岸にあるティーラは、属州化される前からあるアーリア植民都市が点在しているだけの未開拓地だ。
安全のためならさらに人の少ない奥地に行くべきだろうけど、あまり田舎には行きたくない。俺は人と関わらない最底辺労働者だったのに、人一倍街というものに愛着があるらしい。
「しかしそうなるとステータスカードの問題がある……」
都市に住もうとすれば、ステータスカードを頻繁に使わなくてはならない。
この世界にもステータスカードがあって、個人の認証も含めて便利なものである一方、アウトローにとって一番厄介な存在でもある。
必要な部分以外隠せるとはいっても、そこを開示しなければ当然だけど信用されない。犯罪系称号はもちろん除名記録などがあるアウトローは都市での活動は大きく制限されている。まあ早い話が現在の俺だ。
俺の履歴にはさすがに犯罪系称号はないけど、色々なギルドの除名記録や失格履歴があり、様々な制限を受けていてあまりにやれることが少ない。俺が最底辺階層に堕ちたのは真っ黒な履歴のせいでもある。
だから必要なものは都合の悪い履歴がない新しいステータスカードだ。シーフギルドというグレーな仕事をする組織にいけば手に入る。
手に入れれば俺はふたたび出禁になった色々なギルドで活動ができる。そうなれば狩人にも復帰して生活ができるし、デスゲームをしに来る同郷人殺しから身を守る武力が手に入る。
よし。マジックバッグで手に入れた大金で新しいステータスカードを手に入れよう。
と、決まったところで寝るか。
「こんにちは、新しい俺」
薬草に囲まれた就寝は実に快適だ。
――◆ ◇ ◆――
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