◇
町の祭り会場の賑やかな声が小さく聞こえる。ぼろぼろの姿で歩く継と伊織は、遠くから手を振って走って来た女の子を見て笑みを浮かべる。
「あなたが青桐継、よね?」と女の子は嬉しそうに言った。継が「うん」と答えると、女の子は甘原柚季と名乗り、その甘原という姓が源爺と同じだということに気付いた。
「源爺は私のおじいちゃん。まさに命がけで花火を取り戻してくれて、本当にありがとう」
「この町で見る花火は、僕にとっても特別なものだから、お礼なんていらないよ」
「そっか……それで、花火は?」と柚季が訊ねてきて、継は手を出すように柚季に言った。継が手渡したものを見て、柚季は眉間にしわを寄せる。柚季の手には、野球ボールぐらいの花火玉があった。
「これ……違くない?」
「いや、本物だよ」言って、継は伊織の方を見る。「甘原さんには見えるかな?」
目を凝らし、柚季が「おじいさん?」と答える。伊織の背中には、おじいさんが背負われている。
「この方は、道沿いに住む石の神様。花火があんまり大きかったから、運べなくて困っていたんだ。そしたら、騒ぎに気付いた他の妖と一緒に来てくれて、一時的に小さくしてもらっているんだ。四百キロ以上あるから、さすがに僕達じゃあ運べない」
「悪いのぉ、普段は祠から動かんから、登るだけで疲れてしまった」と石の神様は伊織の背中でほくほくと笑う。伊織はとても優しい笑みを浮かべて「このぐらい平気ですよ」と、どこか嬉しそうでもあった。
さすがに柚季がすぐに呑み込めないだろうと継は思っていたが、彼女は「皆、優しいのね」と表情明るく、大事そうに花火を抱き締めた。彼女は彼女で、妖や精霊様、神様と交流があったのかもしれない。少し慣れているような、そういう雰囲気だ。
「あの化物はどうやって倒したの?」
「奉納祭で使っていた弓矢、知ってる?」
「うん。今日、うちのおじいちゃんが倉庫に移動させたって……もしかして、それ?」
「だったら源爺に感謝だ。それのおかげで退治することができた――あの子も、手を貸してくれた」
あの子、と言った直後に柚季の表情が一瞬だけ真顔に戻る――まるで「あの子」のことを知っているかのような反応だった。
「でも、あの青い炎だとか化物の動きを封じたアレは何だったんだろう?」と伊織はよっこいせ、と石の神様を背負い直す。足元には小さなナデシコの妖がちょろちょろ動き回っている。柚季から向けられた視線を逸らさずに、頷く。
「……木については、心当たりがある」と継は答えた。すると、柚季が「青い炎にも心当たりがあるんじゃない?」と意味深な笑みをこぼして顔を覗き込んできた。興味津々に、伊織も耳を傾けている。
「あの青い炎、今でもはっきりとわかるよ。天積之神……彼の名前は、天積之神。災厄を背負ってくれる、心優しい神様だ」
それを訊いた柚季がとても嬉しそうにして「今年はちゃんと行ってあげてね」と言った。どうやらほとんどの事情を知っている様子で、継は渋ることなく答える。
「伊織さんと僕を守ってくれた天積之神が祀られている神社は、しばらく委託業者が管理してくれていたんだ。でも、業者が事業を撤退してからは管理する人がいなかったんだ。この町は高齢化が進んでいるから中々引き受けてくれる人も少ない。夏の時期は花火大会を除くと家を空ける若い世代が多いし、おかげで草は伸び放題、長い石段もあって人が寄り付かなくなったんだ。僕は来るたびに掃除とか草刈とかしていたんだけれど、去年は不幸が続いて来られなかった」夕陽が沈む間際、薄暗くなる道を進む。「この夏はこの夏で、こうして花火が消える騒ぎがあったからね、どうしようもなかった」
伊織の脚にしがみ付いて遊んでいたナデシコの妖二人が「ごめん」「なさい」と言ってしゅんとする。柚季にも伊織にも見えているようで、継は静かに「誰も責めていないから」と微笑みかける。どちらにしても、あの犬の妖のことだ、何か他の手段を使ってでも同じようなことを企てていたはず。ナデシコの妖は、友達を助けようと必死だった。理由が違う。
「でも、あの岩を花火で壊していたら大変だっただろうね」と伊織は苦笑いを浮かべる。ナデシコの妖はさらにしゅんとして「ごめんごめん」と伊織は慌てて、石の神様を背負ったまま頭を下げた。
「まあ、でも、あの神社にはすぐに来なくてもいいんだよ。伝言があるの、自分がやるべきことを終わらせてからでいい、って。継にはやるべきことがあるんでしょ?」
「……源爺から聞いた?」と、継は自分の初恋の相手探しを知っているかのような柚季の言い方に顔を赤らめる。
「ああ、継は初恋の相手を探しているんだったな」と伊織がストレートに言って、思わず継は噴き出し、柚季がくつくつと笑い出す。恥ずかしさに耐えかねて、少しだけ歩く歩幅が大きくなった。
「とにかく、その花火を早く源爺に届けなきゃ」
話題をすり替えるも、背後で人も――妖も。神様も。
ニヤニヤしながら継の背中に視線を送って来た。
祭の会場には今年もたくさんの観光客が訪れていた。その中で、ボロボロな姿の継達はかなり目立っていた。祭の会場から移動し、花火の準備会場で慌しく源爺と弟子達が動き回る中、こっそり倉庫へ侵入、花火を石の神様に元の大きさへ戻してもらう。そして継達が源爺を呼びに行こうとすると、それを石の神様が止める。ナデシコの妖がちょこちょこと歩いて行き「あの二人に任せておくといい。言い訳するのも苦労するだろう」と、継達は石の神様にお辞儀をして倉庫を出て行った。しばらくして源爺の感極まるような声が聞こえてくる。それを聞いて、三人は少し離れた場所で一緒に笑みをこぼした。
「そういえば言い訳、考えていなかったね」と柚季。
「誰も信じないだろうから、こういう形での解決が一番なのかもしれないな」と伊織。
源爺と、弟子達の声が飛び交う打ち上げ会場を後にして、軽い坂道を上がって、石畳の十字路で三人は立ち止まる。最初に口を開いたのは柚季だった。
「私は天積之神のところに行くつもり。あそこからでも花火は見えるだろうから」
「よろしく伝えといて。この夏、必ず行く」
「うん。ちゃんと伝えとく」
水平線の向こう側に、あと少しで日が沈む。互いの顔がはっきりと見えなくなり始めて、徐々に、見下ろす町並みに提灯が明かりを灯し始めた。幻想的な光景を眺めて、伊織が言う。
「壊してしまった倉庫、直さないとな」
「伊織さんはまだ帰らなくてもいいんですか?」と柚季。少し考えるように唸って、伊織は顔を左右に振る。
「まだ、やり残していることもあるから。それに壊してしまったものをそのままにして帰るのは、俺にはできないから」
「……僕も当然手伝いますよ」と継。
「私も手伝う。二人は花火を取り戻してくれた恩人だもの、私だけが何もしないなんて、納得しないから。じゃあ明日は朝八時に現地集合!」柚季はそう元気よく言って、継と伊織に手を振りながら十字路の山側、天積之神が祀られた神社へ向かう道へと、走って行く。
「俺は、これから祭のほうに行ってくる。ちゃんとけじめを付けなきゃいけない」
初めて会った時とは少し違う、大人びた雰囲気の伊織に、継は「はい」とだけ答えた。
深呼吸をして、伊織は十字路を曲がる。その姿をぼんやりと提灯が浮かび上がらせ、伊織の姿が見えなくなって、継は一人、十字路を真っ直ぐ歩き始めた。
あの時見えた人影は、紛れもなく継が探していた少女だった。
「僕は……」
犬の妖が発した言葉が脳裏に過る。
――妖と人は、どれだけ時間を長く共有しようとも、共存はできん
それは違う。
――住まう世界が違う
それも違う。
――ましてや、絆も愛も、結ばれることなど、絶対にあり得ん
目を伏せて、継は悔しさに下唇を噛む。
――人からの好意など、妖が受け取ると思うか?
わからない。
それだけは、継にはわからない。だが、この好きだという気持ちだけは、いくら年月が過ぎようとも、季節が巡ろうとも、色褪せることなく変わることもない。これからも、ずっと、強い思いは胸を締め付けて離さない。
七年も探し続けて、それを心から後悔するような日が来るとなれば、それはおそらく継自身が諦めた日だ。提灯の灯のように、いつか燃え尽きて消えてしまうような、弱々しい覚悟は持っていない。だから、こちらから歩み寄るしかないのだ。
「探すんじゃない……歩み寄るんだ」
静かに呟き、継は宿泊先の旅館へと向かった。少しだけ、身体が軽くなったような、そんな気分だった。
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