◇
「まん丸、この先か?」
「そうだよ! だからもう離してくれよ!」
まん丸な妖はソフトボール大にまで小さく縮んでいた。道沿いにあった祠、そこに住んでいたあの老人は、自らを石の神様と名乗った。力はそれほど強くはないが、ものを小さくさせる力を持っているらしく、しばらくの間、まん丸な妖を小さくしてもらい、猫の首元をつまむようにして継は妖を持っていた。
「ナデシコの妖はどんな妖なんだ?」
「ちっせえんだな、これが。今のオレよりぐらいの大きさだよ。っつうか! まん丸言うな!」
悔しそうにまん丸な妖は道案内を続ける。継はナデシコが山の中に生えていると考えていた。しかし、案内されたのは悠禅町の西側、玄関口となるバスの停留場や駐車場のある、むしろ人が多く行き交うような場所だった。
「本当にこんなところにナデシコがあるのか」
「そこの茂みの先だ」
言われて、駐車場の傍にある茂みを進む。すると、少し進んだ先で何かが急いで巨大な岩の陰に隠れたのを継は見逃さなかった。がけ崩れがあったのだろう、斜面がむき出しになっていて、少し危険な場所になっている。その崩れてきたであろう岩の陰を覗き込むと、そこには白いワンピースのようなものを着た、小さな女の子の妖が座り込んでいた。
「君がナデシコの妖かい?」
こくん、と怯えながら、小さな妖は頷く。良かった、と継はすぐに用件を話すことにした。
「花火の大玉を持って行ったのは君なんだよね? ごめん、すぐに返してほしいんだ。とても大事なものなんだ」
「……あれ、もうない」
「もう、ない?」
絶句するほかなかった。せっかく掴んだ花火の在り処だったが、肝心の花火は、ここにない。だとしたら、どこにああるのだろうかと、すぐさま問いかける。
「その、もうないっていうのは、使ったの?」
「使おうと思ったけど……使い方がわからなくて」
言って、小さな妖は岩の陰から出てくると悲しそうな目で自分よりも遥かに大きな岩の下を見つめる。
「この岩の下、友達がいるの」
「友達……?」
「転がってきて、下敷きになっちゃった……」
小さな妖はそう言って、継の脚にしがみ付き、泣き始める。よく見ると、辛うじて落石を逃れた一輪花――ナデシコが咲いていた。おそらく、この一輪がこの小さな妖で、もう一人、友達であるナデシコがこの岩に潰されてしまっている、ということだ。
がけ崩れが原因で転がった岩、その大きさは継一人でどうこうできるようなものではない。小学生の頃に運動会で使った大玉ころがしの玉ぐらいの大きさ。しかし、転がせられるような丸みは帯びていない。おそらく、花火が爆発することを知っていて、使い方はわからなかったようだが、爆発させることで岩を破壊して友達を救い出したかったのだろう。
「花火、犬の妖に盗られた」
「犬の妖……また別のやつが持って行ったのか」
これでまた降り出しに戻った。がっくりと肩を落とし、しかし、落ち込んでいる場合ではない。この岩をどけてあげなければ、この小さな妖の友達を助け出せない。もしかしたら、完全に潰されて――最悪な事態を想像しかけて、しゃがみ込む。足元の小さな妖の涙でいっぱいの目元を指先で軽く拭ってあげる。
「友達を助けようとしていた君を僕は責めないよ。何とかしてみるから、もう泣かないで」
小さな妖、ナデシコは何度か鼻をすすって、小さくこくんと頷いた。微笑み、安心させ、しかしどうしたものかと頭の中で思考を巡らせる。
巨大な岩、動かすには人手が必要だ。せめてあと一人、大人が居れば。
「どわっ!」
突然、背後の茂みから誰かが飛び込んできた。その拍子に小さな妖は岩陰に再び隠れ、継が持っていたまん丸な妖は「けけけっけけ」と声を出しながら継の手の平から逃れ、森の中へと姿を消した。
「痛ぇ……」と、飛び込んできた男性は頭を抑えていた。見たこともない人で、おそらく観光客だ。しかし、と継は、その男性の傍に付いている少女を見て気付く――人ではない。
「君……」と訊こうとした継を、少女は口元に指先を持って行き「しー」と言ってはにかんだ。何か事情があるのだろうか、少女はどうやら自分を見えていない体で居て欲しい、そう願っている。わかった、と頷いていると、男性が顔を上げて、少女を見付けると大きなため息を吐いた。
「あの……」
「あ、悪い、ちょっと、躓いて」と、男性は挙動不審に少女をちらちら見ながら身体中に付いた葉っぱや泥を落としていく。人外の類である少女が見えているということは、この人も《見える子》。つまり、少女が茂みに入ったのを追いかけて来たということだ。運が良い、と継は声をかける。
「お兄さん、ちょっと手伝ってほしいんだけれど」
「え?」
「この岩をどけたいんだ。下敷きになっている花があって、それを助けたい」
「それは……まあ、いいけれど」
たかだか花のために? と思っていることは継にもわかっていたが、変に思われようと、事態は急を要している。もう一輪のナデシコを潰さないように、崩れ落ちた崖側へ回り込む。小さな妖は少し離れて、少女の傍に立っている。
「せー」
「のっ!」
と継の声かけから一気に二人で岩を押していく。びくともしない、というわけではなく、僅かに岩が動く。いける、と継はさらに力を込めていく。男性もまた歯を食いしばって、力いっぱい押してくれている。あと少し、あと少し、と小さな妖や少女が握り拳を作って見守っている。ぐらり、と揺れ、それに合わせて二人は「いけぇっ!」と声を出す。傾き始めた岩が、徐々に、ゆっくりと。
「よっし!」と継はガッツポーズを取る。だが、巨大な岩は最後に勢いよく倒れ、駐車場側の茂みに向かって転がっていく。それを慌てて継は男性と一緒に止めに走り、どうにか二次被害を食い止める。冷や汗交じりに、座り込んだ継は岩の下を見る。
「……これは」
白いナデシコは、完全に岩に潰されていた。隣で無事だったもう一輪のナデシコが揺れ、少女の隣にいた小さな妖は、ゆっくりと歩み寄り、ぺたんと力なく座り込んだ。ぽろぽろと、小さな涙がこぼれ落ちていく。どうしようもなく、遣る瀬無い思いが込み上げてくる。人間と同じ感情を、妖だって持っている。
小さい頃から妖や精霊、神様を見てきた継も、仲間を失った妖の悲しむ顔を見たのは、初めてだった。声も聞こえて、姿も見える。日常的に見えていて、干渉することもできる。それでも、人間とはまるで違う存在、きっと、それは人外である妖達側から見ても同じことで――しかし、同じだった。存在はまるで違っていても、同じように感情を持っている。悲しみもするし、喜びもする。少し視点や考えが違うだけで、共通するものを持っている。
変わらない、だから、分かり合える。理解もし合える。きっと一緒に。
座り込んでいた男性も、潰れた花を見て苦い顔をする。自分達にはもう、これ以上何もすることはできない――と、誰もが俯き、悲しみに包まれている中、少女が動く。何をするのだろうか、目で追っていると、少女はおもむろに潰れてしまったナデシコの前で屈み、手をかざす。その瞬間、継の耳元を――風鈴の音色が通った。心地良い響きは、身体の芯まで届き、冷涼感が心を落ち着かせ、穏やかにさせていく。
「まさか――」
継は目を疑った。潰れて、完全に命を失っていたはずのナデシコが、ゆっくりと、その華奢な身体を起こしていく。泥が落ち、純白を取り戻していく――その傍に、小さな妖がもう一人、その姿を現す。小さな妖、二輪のナデシコが、寄り添うように花同士が軽く触れ合い、それはまさに、小さな妖達と同じで――駆け寄り合い、抱き締め合う姿に、継は顔を綻ばせた。
「……癒しの力か」
思ったとおり、少女は人間ではなかった。おそらく精霊の類で、おそらく――
「えっと……何が起きたの?」
男性は何度も目をこすり、元の姿を取り戻していくナデシコを見ている。こんな奇跡的な光景を目の当たりにして、驚かないほうがおかしい。困惑する男性に、継は何も答えなかった。少女が翳した手を引っ込めて、後ろ手を組んで男性の下へ戻ってくる。困惑し、戸惑う男性は、何度もナデシコの花と少女を繰り返して見て、最後に「何か、見間違いだったのかな」と上手く呑み込めていないようだった。
小さな妖達が抱き締め合って喜ぶ姿を眺めながら、うっかり涙が浮かんできてしまった継は、こっそり目元を拭って腰に手を当てる。
「とりあえず、この件に関しては解決かな」
解決。しかし、継のほうは解決すらしていない。むしろ次の手がかりを探さなければならなくなった。明日までに探し出して、花火大会までに間に合わせなければならない。
「何としても……と、そうだ」思い出して、継は手伝ってくれた男性に声をかける。「お兄さんは悠禅町には観光に?」
「えっと、まあ、そう、かな」
何か誤魔化しているように聞こえるが、そこには触れないほうが良さそうだと継は彼の隣に立つ少女をちらっと見て、目線を戻す。
「泊まりですか」
「いや、そのつもり、だね。でも予約とかしていないから、空いているかどうか」
「確かに、この時期はもうどの宿も埋まっているから、ちょっと厳しいかも……あ、でも、もし良かったら、知り合いに訊いてあげますけれど」
「それは」少女を見て、困り顔を浮かべる。「嬉しいけれど」
どうやら少女も一緒であることを継に言いづらいようで、自分にしか少女が見えていないと思っている。そして少女もまた、彼にしか見えていないということを、望んでいる。
「明日上がる花火がよく見える高台もそこから近いですし、おススメです。あとで教えてあげます。それに部屋も広いですし、もしお連れさんがいても、人数を気にするような人ではありませんよ。とても優しい人ですから、どうします?」
「じゃあ、お願いしようかな……そういえば君の名前、訊いてなかった」
「青桐継、高校生です。偉そうなこと言っていますが、僕もこの町の人間じゃありませんので」
笑って言うと、どこかほっとしたような顔を彼は浮かべて見せた。
「俺は向坂伊織、大学生。助かるよ」
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