少女との思い出は何度も夢で見た。色褪せない思い出はいつも心を温かくしてくれて、同時に胸を締め付けてくる。ちゃんとまた会えるだろうか、という不安は毎年のように味わっている。今年こそ、今年こそ、と繰り返して七年目。同級生は普通に恋愛をしたり、部活に目いっぱいのめり込んでいたり、当たり前でなんてことのない、色鮮やかな青春を送っている。そんな中、一度会っただけの少女を探している自分は、果たしてこれを青春と呼べるのだろうかと少々疑問に思うところがあった。出会えるかもわからない初恋の相手は、今どこで何をしているのか、一欠けらも情報がない。

「……ああ、もう、どうして」

 こういうふうにもどかしい思いをしているというのに、どうして妨害するような事件が起こってしまうのだろうか、継は抱えたくなる頭を揺らしながら、早朝から町じゅうを歩き回っていた。例のナデシコの花の妖に関する情報を、手あたり次第、妖に訊ねて回る。当然逃げられたり、無視されたりする。時折姿を見せる精霊や神様にも訊ねてみるが、中々有力な情報を得られなかった。

 石畳の広い道を進み、左右に並ぶ、祭の一興で神輿が通る道を示す旗を眺める。足元には小さな提灯が置かれていて、夏の雰囲気があちらこちらに広がっていた。その広い道から小道に入り、住宅街を抜けたところにあった商店でジュースを買い、店先のベンチで一旦休憩することにする。こうも暑いと頭が上手く回らない。

「ナデシコの妖か……会ったことがない妖も多いし……もしかしたら、他所からやって来たのかもな」

 実のところ、昨年、悠禅町に継は来ることができなかった。夏は立て続けに両親が怪我をして入院、一人っ子の継が地元を離れるわけにはいかず、冬は冬でインフルエンザに継がかかり、春休みは祖父が倒れててんやわんや、悠禅町を訪れる機会はまるでなかったのだ。

 不幸が重なって、まるで少女と会わないほうがいい、と神様が言っているような、そういう気持ちに継はなりかけていた。心は何度も折れそうになっていたが、少女との思い出が蘇るたびに折れかけていた心は幾度も蘇っていった。会いたい、そして気持ちを伝えたい一心でここまできた。ここまできて諦めるという選択肢はないのだ。

「あの子を探しながら花火の情報を探して……あー、どこの妖だよ」

 《見える子》が他にいればいいのだが、残念ながら、これだけ歴史ある悠禅町の町民の中に、妖や精霊、神様を『視ることができる』人はいないらしく、信仰心は強くとも、精霊や神様がどんな姿をしているのかを、誰も知らないでいる。

 協力者が一人でもいれば、と思いながらジュースを飲み干した継は、空き瓶を入口横のケースに入れて――聞こえてきた会話に、すぐさま反応した。

「あの花火、どうする気なのかね」

 瞬時に継は振り返り、堂々と道の真ん中を歩く、まるで白玉団子に手足を生やしたかのような、まん丸な妖を凝視した。左右には毛虫のような妖と鶏のような妖が歩いているが、声を大にして話しているのは、そのまん丸な妖だった。

「おい、花火って、昨日盗まれた花火のことか?」

 追いかけて、継はそう訊ねる。振り返った三匹の妖は、じっと継の姿を見る。人間であることを確認しているのか、かなり真剣な目を向けてくる。

「なあ、ナデシコって妖を知っているんだろ? 教えてくれ」

「……やだね!」と、笑いながらまん丸な妖が走り始める。合わせて、毛虫と鶏の妖が左右に分かれて逃げるように走り出す。動きは鈍そうに見えた毛虫の尋常じゃない逃げ足は思わず目を点にしてしまいそうなほどのものだった。しかし、三方向に逃げることで攪乱させようとしている気かもしれないが、予想外に足の遅かったまん丸な妖は「けけけけ」と笑いながら小道へと入って行く。それを追いかけた継は、すぐさま手を伸ばす――しかし、してやられる。手足を引っ込めると、自身の丸い身体を利用して一気に転がりながら坂道を下っていく。これは、追いかけられるようなものではなかった。

「くそっ……! せっかくの情報源が!」

 必死に追いかけ、しかし「けけけけけ」という妖の声は遠退いて行く一方で――だが、突如として、妖の声は「げげげげげ」に変わり、苦しそうな声を上げ始める。急いで坂道を駆け下り、まん丸な妖が一人の老人に押さえつけられているのを見付けた。

「えっと」

「うん? ああ、《見える子》じゃないか」とその老人は継のほうへ顔を向けてきた。白髪が目元を完全に多い、同じく真っ白な髭は地面すれすれまで伸びきっている。藍色の袴姿は、この場においてかなり異色なもので、すぐにその老人が人間ではないと継は察し、道沿いの小さな祠を見て、継は小さくお辞儀をする。おそらく、この老人は神様の類だ。

「すみません、捕まえてくれたんですね」

「いやいや、顔を真っ青にさせて転がって来たこやつがわしの『家』を壊しそうだったから止めただけじゃよ。何やら、誰かに蹴り飛ばされたようじゃが、君が?」

「蹴ってはいません。追いかけて来ただけです」

「そうかい、なら誰じゃろな?」と周りを見て、視線を継に戻す。視線、といっても神様の目は髪の毛に覆われて見えない。表情が読み取れない神様は、押さえつけるまん丸な妖を見て呟く。

「ここのところ森が騒がしいのと関係しておるのかねえ」

「森が騒がしい?」と継は森へと目を向ける。継にはとくに騒がしさを感じないが、確かに森がざわめいているように見えなくもない。

「それで、こやつに用があるんじゃろう?」

「そう! 訊きたいことがあるんだ」継はまん丸な妖に訊こうと、しゃがみ込む。しかし背後から飛んできた声に、継は無視することができなかった。褐色肌の活気の良い中年男性は大工道具を手に近付いて来る。

「継だろ? 今年は来られたんやなあ!」

 とんかちや釘を持ち直して、男性は笑いながら継の背中をびしばしと叩き始める。小さい頃から来るたびに声をかけてきてくれる米屋の親父だ。彼の大声に反応したのだろう、あちらこちらから人が出てきては継の顔を見て「久しいのう」「また例の女の子を? 一途やねえ」「ご両親はもう大丈夫ね? 去年はあたしらも心臓が潰れそうなくらいに心配したものや」「小遣いをやろう」「背伸びたか? わしは縮んだ」「ありゃ、俺のとんかちどこいったか?」と、次々と声をかけてきては背中を叩かれた。

 悠禅町の住民ではない継ではあるが、七年近く訪れては長期滞在してきた。さすがに顔なじみ、すっかり町に馴染んでしまっている。それに、この町の人間にとって『他人』は一瞬であり、言葉を交わしているうちに人柄の良さから、いつの間にか、十数年前からの仲間のような気がしてならなくなってしまう。そういう場所だから、この町は愛されてやまないのかもしれない。

「やっぱり夏休みはずっとこっちにおるんかい?」

「はい、一応」

「去年はあれだったけんど、今年来られて良かったのお。源爺最後の花火! あれを逃したら後悔すっぞ」

 米屋の親父の言葉に周囲が楽しそうに会話を繰り広げる。愛されて止まない、源爺の花火を皆楽しみにしている。米屋の親父が「今年は特別な花火やからな」と名残惜しそうに言って、胸が痛む。源爺はまだ誰にも話していないようで、まさか最後の大輪が見られないかもしれないことを知らない皆を見ているのが、継には心苦しく思えてしかたなかった。

 しかし、コロッと話題が変わり米屋の親父が継の首に腕を回して笑い出す。

「そや、継、ちょっと手伝っていけ。矢倉ば立てるん手伝え」

「え」と継は神様のほうを見る。押さえつけられているまん丸な妖がニヤッと笑う。しかし、神様が押さえつけるのをやめて椅子に腰かけるように座った途端、白目を向いて「ぐげ」と声を出す。

「手伝いが終わったらまた来なさいな、それまでわしがこいつを預かっておくから」

 助かります、と継は両手を合わせて苦笑する。

「若いもんが少ないからねえ」「腰が痛い」「こっち、こっちも手伝え」「漁港の松明の取り付けも手伝ってくれや」「坂道に置く提灯、運んでくれんね」と、貴重な若者、継は働き手の足りない町民に連れられて祭の会場へと向かった。


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