二日目

 小さい頃から寝相が悪いと言われてきた。直そうと試みたが、寝ている間のことなど改善のしようもなく、大学に入ってからも寝相の悪さは続いていた。目を覚ませば枕は足元に、逆さまになって寝転んでいる。今日もまた同じように、逆さで起きた伊織は寝ぼけ眼をこすりながら、ふとももを枕代わりにして眠る少女に目を向けた。

「……この子は何なんだろうな、本当に」

 昨日今日の話、勝手に伊織の後を付いて来た少女は気持ち良さそうに寝息を立てていた。叩き起こすのも何だ、とそっと少女の頭を布団に下して、洗面所を借りに一階へ。ちょうど民宿の従業員と会い、訊ねる。

「ああ、悠禅町じゃったら……歩いて十五分もかからんよ」

 え、と伊織は眩暈が起こりそうになった。

「いや、でもマップじゃかなりの距離が」

「大袈裟じゃ。そんに、海沿いより山を突っ切ったほうが早う着くぞ。まさか営業所から海沿いをずっと歩いて来たんか? 大変じゃったろうに」

 従業員はおもむろに栄養ドリンクを伊織に渡して「コミュニティーバスは一日三回走りよるから」と事務所のほうへと入って行った。まさか遠回りをしていたとは、少々物悲しくなる。しかし、とくに時間に縛られているわけではない。近いと分かれば、すぐにでも動くべきだろう。

「とりあえず、あの子を交番に連れて行こう。それとも駐在所か?」

 何にしても少女を家族の下へ。

「…………」

 部屋に戻ってまだ眠っている少女を見下ろす。一人でバスに乗り、どこから来て、どうして伊織に付いて来たのだろうか。帰る家があるだろうに、こんなつまらない人間と一緒にいるメリットなどない。ないはず。そう自分に言い聞かせている内に、伊織もまた少女の横で二度寝を始めた。

 コミュニティーバスはちょうど民宿の前に止まるようで、少女が起きるのを待っていると一便目を逃し、結局は昼食という名の朝食をとって、それからバスを待つために軒先のベンチに座って二人でぼうっとし続けた。少女はお腹がいっぱいになったせいか、うつらうつらしていた。ついには隣に座る伊織に寄りかかって瞼を閉じた。すやすやと眠り続ける少女。最初は鬱陶しく思えていた伊織だが、家を飛び出してからはというよりも、人肌に触れることの久しさに少しだけ安堵感を覚えていた。

 喧嘩をした祖父と祖母、二人には甘えてばかりだった。だからだろう、少女の温もりが過去を蘇らせてくる。誰かと一緒にいることが苦痛で、喧噪や人から遠ざかりたくて逃げてきた。静かな場所にいたかったのだ。それなのに。

「どうしてまたこうなっちまったのかな」

 大事そうに麦わら帽を抱き締める少女が寝惚けて笑顔をこぼし、つい、伊織は笑顔をこぼした。コミュニティーバスは時間通りに到着、少女を起こして乗り込み、バスは走り始めた。

 歩いて眺めてきた大海原も、窓から眺めればまた別の景色のように思えてくるから不思議なものであった。都会のごみごみした景色は欠片もなく、ただただ自然が広がっている。何気なくパンフレットを読み直していると『花火大会』のことが書かれていた。どうやら町全体で取り組む有名な祭も開催されるらしい。

 これは参った、と伊織は頭を抱えそうになった。人混みは、今の伊織には毒に近い。できる限り中心部を避け、できるだけ早く駐在所に少女を連れて行かなければと伊織は少しだけ険しい表情を浮かべた。

 コミュニティーバスに乗っている間、少女はとても大人しかった。窓の外を見るものだと思って窓際に座らせたが、少女は真っ直ぐ前を向いたまま。時折伊織に微笑みかけるも、やはり少女が声を発することは一度もなかった。しかし、伊織は少女が何かをしゃべっているように思えて仕方なかった。根拠はない。だが、最初に感じたように、まるで少女との間に大きな透明の壁があるかのような、そういう感覚は変わらず常にあり、いくら耳を澄ませても聞こえそうになかった。

 予定より遅れて十分ほど、バスは町に入ってすぐの停留所に停車、先に降りていく少女を追って伊織も町に降り立った。

「……綺麗な町並みだな」

 段々畑のように上へ、上へとうねるように石畳が続いていて、近代建築はほとんど見られない。どこを見渡しても日本家屋、その美しさは感嘆の息を漏らすほどであった。生まれは都会、田舎に故郷も親戚もいない。しかし、心のどこかで懐かしさを覚えてしまう住処と自然が上手く噛み合った風景が、胸をざわめかせる。

 蝉の声に混じる威勢のいい声は、おそらく祭の会場を準備する人達のもので、皆が楽しそうに矢倉を立てたり旗を立てたり、子供も一緒になって町中を祭に染め上げていた。まだこれ以上に騒がしくなるのだろうと、中心部を避けて伊織は町周りを沿って歩いて行くことにした。しかし、よくよく考えてみれば、交番や駐在所といったものが町のはずれにあるようなのだろうか、という疑問にぶち当たった。

「接触は最低限にして……って!」

 挙動不審に周囲を見ていた伊織は、ふと目を離したすきに少女が走り出したことに気付き、海沿いでの危険行動を思い出す。一人にしてしまったら何をしでかすかわからない。

 すぐに伊織は少女を追いかけ――少女が飛び込んで行った生い茂る草木の中を突き進んだ。

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