◇
「本当に助かりました。バスに乗り遅れた時はどうなるかと」と継は軽トラから降りて荷台に置いた旅行鞄を手に取る。運転席に座る鉢巻をしたおじいさんは、煙草をくわえたままはにかんだ。
「いいってことよ、継ちゃんはほとんど悠禅町の町民みたいなもんだし」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「これから北條さんちの旅館かい?」
「そのつもりです」
それじゃあ祭の準備があるから、とおじさんは軽トラを走らせ――一年ぶりの悠禅町の空気を、継は思い切り吸い込んだ。昔ながらの家並みはタイムスリップしてしまったかのような錯覚を生むほどに古く、しかし、温かみのある雰囲気が、地元民でなくとも「お帰り」と言ってくれているように感じさせる。悠禅町の魅力はここにある。この穏やかな空気と温かみのある雰囲気、そしてここの町民は他人であっても変わらず優しく接してくれる。その居心地の良さが、観光客のリピーターを増やしている。観光客といえば、ゴミは散らかし、騒音なんぞ知らんといった連中がいるというイメージを以前は継も持っていた。だが、町を汚す者は見かけず、騒がず、風情を味わう姿がほとんどだった。
誰からも愛される町、心を癒してくれる町――そこに、継は毎年のように訪れている。
「さて……とりあえず荷物を全部旅館に預けてから、それから動こう」
目的のためには荷物は邪魔でしかない。早速荷物を手に、旅館へ向かう。
例の花火大会に向けての準備が進んでいるようで、活気のある声が響いていた。電車を降りてからの油断で貴重なバスに乗り遅れた継を、たまたま通りがかって軽トラに乗せてくれたおじさんも含めて、ほとんどの町民が準備に追われているようだった。
ほとんどの人と知り合いの継は時折声をかけられて返事をして歩いて行く。その中に、一人眉間にしわを寄せて、パイプ椅子に座るおじいさんがいた。タオルを頭に巻いた有名花火師、皆からは
「お久しぶりです」
「見ない内にでかくなっちまって……ちったぁ、漢らしくなったな」
「源爺も元気そうで良かったです」
「まあなぁ、ただ、足腰も弱って、しまいに目も悪くなってきやがった。これで八月の奉納祭も取り仕切らなきゃならないんだよな、参ったよ」
「奉納祭って……あの鏡とか弓矢を奉納するやつでしたよね?」
「そう。坊さんに一年祈りを込めてもらったものを本殿に納める。伝統行事だから手は抜けねえ。まあ、手を抜くなんていうのは花火職人にはできねえ真似よ」
嬉しそうに源爺は言うが、周りにいた弟子たちが忙しく動いているのを見て、少しだけ違和感を継は抱いた。それに気付いたようで、源爺は声を小さくして「実はな」と話し始めた。
「トリを飾る4尺玉が行方不明でな……あんな馬鹿でけえもん、すぐに見つかると思っていたんだが、まるで見付からねえ」
「泥棒、ですか?」
「まさかぁ」と、源爺は苦い顔をする。悠禅町では、今まで一度も窃盗事件は起きたことがない。それ以外の事件もまったく起きていない。そんな中、一メートルを超える花火の大玉が消えた。
「盗まれたとなれば、とりあえず俺の管理不十分で問題にはなるわな。そうなると余計に弟子達に迷惑かけちまう」
「迷惑って?」
「……もう歳だからよ、今年で引退するんだ。それなのに最後の大玉が消えちまった。ったく、ついてないねえ」
笑ってはいるが、心の中ではどれだけ悔しく、悲しい思いが渦巻いているのか、継にだってわかっていた。そして継自身も同じで、源爺の花火をずっと楽しみにしてきた一人で――最後の花火となるのであれば、なおさらだ。源爺の花火は、継にとっても特別なものなのだ。
「僕、探してみます」
「継ちゃんはやることあるんだろ?」
言われて、継は黙り込む。だが、継が悠禅町にやって来た目的に、源爺の花火はとても重要で特別なもの。誰かが盗んだのであれば取り返し、どこかにあるのであれば取り戻して、本番の明後日までに源爺に届けてあげたい。
「僕は源爺の花火が大好きなんです。だから、探してみる」
「……まったく、継ちゃんは優しいねえ」
「この町の人達に比べたら、僕なんか」
言いかけたところで、継は並び立つ家と家の間に蠢く物を見付けた。
「じゃあ、とりあえず荷物置いてきます。探して見つかったらすぐに持って来る」
「ああ、すまんなぁ」
源爺に見送られて、すぐさま継は家と家の間、蠢く物の下へと向かう。見下ろし、蠢くものが――キョロっとした目で継を見上げてきた。
「訊ねたいことがあるんだけど、いいかな?」
「……なん? 例の《見える子》やん」
蠢くものが、少しずつ形を変え――まるで兎のような形に変わっていく。
「どうした?」
「一メートルぐらいの大きさの、大玉花火を見なかったかい? 今年の花火大会で二つの意味で最後を飾る大切な花火なんだ。探しているんだけれど、妖の皆は知らないかな?」
――妖。
不明瞭の塊で、妖怪。青桐継には、そんな彼らが見えていた。
この悠禅町には神様が多く住まうという言い伝えがある。実際、その他にも精霊様であったり、継の目の前にいるような妖であったり、そういった存在が多く住んでいる。その理由は様々あるが、人だけでなく、神様であったり精霊様であったり、妖であったりもまた、人間と同じように、この悠禅町の居心地の良さに惹かれたのかもしれない。対比としては神様:精霊:妖は1:2:7といったところ、だと継は考えている。何しろ統計を取れる人間はこの町にはいないのだ。継のように――そういった存在を認識できる存在は、妖達サイドから見てもかなり珍しい存在になる。つまり――この町はそういう町なのだ。
「ええっとな、知らないねえ」と兎の妖は首を左右に振って草むらへと飛び込んで行く。何やら怪しい返答で、周囲を見渡してみて、見覚えのある妖三姉妹を見付ける。
「悪いんだけど、花火の大玉を知らないかい?」
「それなら」と末っ子が言う。
「ナデシコが」と次女が言う。
「持ってたよ」と長女が言う。
ナデシコ、撫子。
「花の妖かい?」
「そうだよ」と長女が周囲を見渡して「どこにいるのかは知らないけど」と付け足し、姉妹を連れて歩いて行く。協力的な妖も多いが、あまり人と関わろうとしてこない妖も多い。いくら顔見知りでも、《見える子》であっても、彼ら彼女らにとっては存在そのものが異なるのだから致し方ないことだった。
結局得られた情報はナデシコの妖が持って行った、という情報だけ。いくらなんでも、探してすぐ見つかるようなものではない。何せこの手つかずの山々、どこに自生するナデシコなのかわからない。
「……とにかく荷物を置いて、それから何か手がかりを探してみるか」
何にしても荷物が邪魔なうえ、到着しない継を旅館側が心配する可能性もある。とにかく旅館に向かうことにした継は、旅行鞄を持ち直して歩き始める。
悠禅町は大通りが少なく、小道が多い。通りが狭いせいで車も通れず、さらに山の中、坂道もまた多い。昔ながらの石畳の道が連なり、迷路のように入り組んでいる。旅館はその坂道の先にあり、立地条件が悪いというのに中々繁盛している。
親戚ということで休暇に間借りさせてもらっている継は、裏口に回って旅館に入る。親戚の北條家の長女、旅館の女将さんはいつものように「好きに使っていいから」と笑顔で迎え入れてくれた。
いつも使わせてもらっている二階の和室に荷物を置いて、長旅の疲れに大きな欠伸を漏らす。窓を開けて、都会では絶対に見ることのできない自然の豊かさに目を細める。第二の故郷とはまさにこのことだろうと、下を見て、継は少し小走りで下へと下りていく。リニューアルしたての旅館、その庭へと向かう。そして、庭から少し外れた場所に生えた巨大な大木を見上げて、やんわりと微笑む。そっと手の平で触れて、優しく撫でる。
「元気で良かった……今年もここから花火が見られる」
継にとっての思い出の木。クスノキだと継は聞いている。この木の枝に座って眺める風景は絶景で、毎年開かれる花火大会を見るには最高の場所で――ここで出会った少女のことを思い出す。垂れた木枝に辛うじて結ばれた古びた紙を見て、小さく息を吐く。
「……この夏こそは、会えるといいな」
継がこの悠禅町を訪れる理由は――その少女にもう一度会うためだ。
一度しか会ったことのないその少女のことを継はずっと探し続けてきた。いつまでも心に残る花火の光を浴びる少女の笑顔が、何度もこの町に継を連れて来る。ようするに、一目惚れだったのだ。七年近い片想い、少女に恋をして、もう一度会いたい一心で、夏休みも冬休みも、春休みも投じてこの町で探し続けてきた。七年、もう七年も経ってしまった。
「……また、花火をここで一緒に見たい。でも」
俯き、表情を曇らせる。源爺の最後の花火、しかも最後のトリを飾る花火が行方不明の今、もしあの少女と出会えたとしても、一緒にもう一度見たいと思っている花火はきちんとした形で見られないということだ。
少女は「花火が好き」と幸せそうな笑みを浮かべていた。あの花火が見られないとなると、悲しむかもしれない。勝手な思い込みでも、きっと見られないとなれば他の誰もが残念に思うだろう。何としても、ラストの花火を上げられるように探し出さなければならない。
「必ず見つけ出して、今年こそ――」
小さく拳を握り、継は踵を返して裏口へ向かった――今年も始まった夏休み。じりじりと照り付ける太陽の陽射しだけは、変わらずそこにあった。
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