海底ランデブー
あやぺん
仄暗い海底で、私はあなたを待っている。
◆◆◆
海底ランデブー
◆◆◆
真夏の日差しが、海の波に乱反射して輝く。白い砂浜は歩くとキュッキュッと音を鳴らす。
「こんなところ、あったんだ」
俺は甥っ子の手を引いて、のんびりと海岸を歩いた。小学五生と三年生の二人の甥っ子は、もう待ちきれないというように海を眺めている。
「
「準備運動したらな。あと、叔父さん達が追いついたら」
甥っ子二人が「えーっ!」と地団駄を踏んで、膨れっ面になった。何かあっても責任取れないし、と俺は腰に手を当てて二人の甥っ子を見下ろした。
「準備運動!」
ぶー、ぶー、と文句を言いながら、甥っ子二人は足首を回しだした。うんうん、と俺は二人に笑いかけた。
やがて、二人の両親と俺の両親が追いついて、バーベキューの準備を始めた。盆に祖父の家に来ると、昼間にバーベキューが恒例。いつも参加の祖父はゴルフに行ったので、今回は不在。男孫三人と海なんて疲れてならない、と逃げたらしい。親父はそう言っていた。
俺達は海に入り、思いっきり泳いだ。泳いで、食べて、泳ぐ。甥っ子二人にバタフライを教えて欲しいとせがまれて、華麗に披露。この場に可愛い女の子がいないのが悔やまれる。今の俺は、中々イケてる。今なら黒髪ロングをシュシュでポニーテールにした、小麦色の肌の彼女とかが出来そうな気がする。昨日のCMで見た子みたいな。胸は掌サイズが良い。
「何、ぼんやりしてるの? 辰兄」
「辰兄ちゃん! カニ! カニ探しに行こう!」
悲しいかな、彼女とデートではなくベビーシッター。しかも、給料無し。あれこれ妄想していた俺は、甥っ子達に腕を掴まれ揺らされて、我に返った。
散々遊んだので、もう夕暮れ時だがまだ祖父の家に帰りたくない。親父と叔父はビーチに敷いたビニールシートの上で寝ている。母親達は片付けをしながら、談笑中。俺は母親達に叫んで、岩場に行くと告げた。足元に気をつけて、と返事があった。つまり許可。まあ、この海岸からよく見えるし、平坦な岩場。余程の事がなければ、大した怪我はしないだろう。
「誰が一番大きなカニを見つけるか競おうぜ。俺に勝ったら、アイスを買ってやろう」
俺は鼻歌混じりで歩き出した。甥っ子一号こと太一はワカメを引きずり、甥っ子二号の信二は何故か俺にパンチを繰り出してくる。俺は太一からワカメを奪って投げ捨て、信二の足を引っ掛けて転ばした。邪険に扱う程懐かれる不思議。
そんな風に岩場に向かった。そこらにカニがいるが、甥っ子二人はどうしてなのか、フナムシに夢中。
「これ、気持ち悪い」
「兄ちゃんの足に登ってる!」
「うわあああああ! 海パンに入ってきた!」
カニはどうした、カニは。
トントン、と肩を叩かれて俺は振り返った。
水平線に夕陽が沈もうとしている。その前に、黒い人影があった。逆光でよく見えない。サラサラと揺れる長い髪は分かった。ボディーラインがよく見えるので、スラリとした女性なのも判断がついた。
「ねえ、遊ばない?」
目が慣れてきて、眼前にいるのが同年代の可愛い女子だと分かった。白に赤い花柄のビキニを着ている。痩せてはおらず、触ったら気持ち良さそうな肉付き。特に胸がふわふわそう。はっきりいって、顔も体もドストライク。
勿論、と口にしたかったが、緊張で喉が詰まった。
彼女が優しく微笑んで、俺を手招きした。
俺は足を踏み出した。
歩きながら、疑問に思った。彼女にちっとも近づかない。彼女は動いて無いように見えるのに。
「辰兄ちゃん!」
「辰兄!」
太一と信二が俺の名を呼んだ。振り返ろうとした瞬間、俺の体がガクンと沈んだ。
ドボン! と体が海に沈む。
突然過ぎて、海水が鼻から入った。痛い。
咄嗟に岩場を掴んだ。
足が上手く動かなくて登れない。
太一と信二が俺の腕を引っ張ってくれた。
「はあ……。はあ……」
岩場に上がった俺は、妙に息が上がっていた。
「辰兄、足……」
引きっつった顔で、太一が俺の足を指差した。視線を移動させると、俺の左足首には青痣があった。
その痣は、人の手の形をしていた。
◆◆◆
帰宅後、夕食時。
目の前には天ぷらと素麺。腹は減っているのに、俺の箸は全然進まない。
「夜、海の側にいると呼ばれることがある。呼ばれた時には、返事をせずに無視しろ。そーいう話、しなかったか? まあ、今回みたいに無視していれば怖いことは何もない」
何もない? あった! と祖父に言い返したかったが俺は黙って頷いた。ちっとも痛くないが、不気味な左足首の痣をまた見てしまい、全身に鳥肌が立つ。
「しっかし、連れていかれなくて良かったな。まあ、一人でなければ誰かが呼び戻してくれる。無事で良かったな。太一や信二も一人で海に近寄るなよ。あと、日が落ちる前に帰ってこい。昼間には出てこれない」
興味津々という顔付きの信二が祖父の顔を覗き込んだ。太一は「もうその話題止めようよ」とブスッとしている。
「出てこないって、あそこの海に霊が住んでるの?」
「いや、盆の水回りは通り道になるからだ。どこの海でも川でも大差ない。
父や母は、またそんな風に子供を脅して。夜の海は危ないから気をつけろって事でしょう? と祖父の話を笑い飛ばした。叔父と叔母もうんうんと頷き、ビールを呷る。
祖父は俺に「魔除けだ」と日本酒をこっそり、ほんの少しだけ飲ませた。
◆◆◆
深夜、暑さと夕方の件の怖さで俺は寝付けなかった。太一と信二に挟まれて、川の字なのが救い。高校生にもなって、と自嘲しそうになるが、怖いものは怖い。
眠れなくて、寝返りを繰り返していると、不意にウワンと耳鳴りがした。
——ピチャ……
——ピチャ……
——ピチャ……
水が滴る音が、徐々に近寄ってくる。俺は凍りついた。思わず掛け布団を頭から被り、息を潜めた。
——ピチャ……
——ピチャ……
——ピチャ……
今いる和室から、水道がある台所は近くない。それに、シンクの金属に水が落下する音とは異なる。
「ねえ……。遊ばない?」
夕方聞いた女子の声と同じ声色。俺は両手で口を覆った。
ツンツン、と足首辺りをそっとつつかれて悲鳴を上げそうになる。ジッと耐えていると、また水が落ちる音がした。今度は遠ざかっていく。
「好みだったのに……。……れないの」
残された小さな声に、ブワッと全身に汗が吹き出す。小刻みに震える体。叫びたくても、口の中が乾燥でくっついている。喉の奥が酷く重苦しい。
俺は掛け布団から、そろそろと顔を出した。暗い部屋には、誰もいなかった。
——好みだったのに……
——喋れないの……
確かにそう聞こえた。
朝、俺は真っ先に祖父のところへ行った。俺を連れて行こうとしたのは、父が小学生くらいの時の事件の子かもと、祖父が語った。夜の海岸で待ち合わせをしていた恋人同士がいて、少し荒れた天候だったので、若い女の子が高い波に攫われたらしい。
酒が守ったな、喉がくっついてたのはそれだ。と祖父は言ったが、俺はポケットに忍ばせた厄除け守りのお陰ではないかと思った。怖いのでリュックからポケットに移動させていた。
こんな恐ろしい目には、二度とあいたくない。俺は祖父から言い伝えとかこの辺りの習慣を根掘り葉掘り聞き出した。始めは嬉しそうに話してくれた祖父は、そのうち「まだ聞いてくるのか。面倒だな」という顔になった。太一と信二が加わり、真夏の怪談話大会のようになった。おかげでクーラーのない祖父の家で、涼しい、もとい寒い時間を過ごせた。
滞在中の残り二夜、太一と信二と共に、祖父の部屋に転がり込んだ。四人でくっついて寝て、汗だく。祖父は寝不足になると文句を言ったが、始終ニコニコしていた。
あれから十年。
俺はあの日を境に、二度と夕方以降の海には近寄っていない。人生初の彼女と沖縄デートで浮かれた日にだって、守った。
まだまだ元気な祖父に、俺はもうすぐ彼女を紹介する予定。
◆◆◆ある夜 海岸 ◆◆◆
「ねえ……遊ばない?」
男ばかりで花火をしていたら、女の子に声を掛けられた。
振り返ると、水着姿の愛くるしい子がニコニコしながら立っていた。白色で花柄のビキニ。スラリとした手足、かなり目立つ谷間。田舎にこんな垢抜けた子がいるとは驚き。
「君、地元の子? 可愛いね。君も花火する? 一人?」
他の二人も彼女に声を掛けた。小さく首を横に振ると彼女は無邪気な笑顔で、小さな手招きをした。他に友達もいるらしい。これは
「行こう」
彼女が俺と腕を組んだ。艶かしい仕草にうっとりしそうになったが、あまりの冷たさに、身の毛がよだつ。押し付けられた胸も固い。友人二人が、ぼんやりという様子で海へ向かって歩いていた。暗い海に、黒い柱のようなものが見える。
悲鳴をあげて逃げたいのに、体が言うことを聞かない。
彼女が妖しく微笑んだ。破壊的な可愛さの上目遣い。紫色の唇が、俺の頬に触れた。身体中から血の気が引いて、真冬のように寒くなった。
よくよく見れば、彼女の水着は花柄ではない。不整形な汚れ跡は血のようにも見える。逃げ出したいのに、彼女の腕はあまりにも強い。
「今度は来てくれて良かった」
甘えるように、俺の肩にもたれかかった彼女。急に脱力して、何もかも気にならなくなった。鼻を刺激するような酷い匂いがするが、どうでも良い。
早く行きたい。
さあ、行こう。
——もう、すっぽかさないでね
俺は「待たせてごめん」と呟いてコクンと小さく頷いた。
二週間後、行方不明だった大学生の死体が発見された。二人は浜に打ち上げられ、もう一人は海岸から数百メートル先の、海底でワカメに絡まっていた。その辺りは乱流激しいので、奥まで泳いで、溺れたのだろうと推測された。
遊泳禁止の立て札が、壊れて砂に埋もれていたので修理された。
海底ランデブー あやぺん @crowdear32
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