Jーロックは生きているのか


 最初に断っておきたい。僕は音楽には疎い。


 どれぐらい疎いかというと、そうだな、ロックは重くないギターのリズムなんかがうるさい飛び跳ねる系音楽、ポップスは大衆的なメロディーで構成されてる音楽、という認識程度しかない。


 ラップは叫ぶセリフで構成された音楽、ヘビメタは重い暗い悪魔コス似合いそうな爆音ロック。フュージョンはボーカルがなく、夏のチューハイサワーに似合いそうな一昔前どころかいつの時代か知らないが、軽い都会デートのバックグラウンド・ミュージック。それくらいの認識しかない。フォークなんかはクラシックギターを使うんだろうが、もはや古すぎてジャンルさえ消えている。ボサノバなんかも音楽かもしれないが、もはやダンスなのか音楽なのか。


 キューバなんかを旅したら、音楽と切っても切れない生活だろうが、密かにおとぎの国もそういう感じの国だった。ビジュアルよりも音の粒が際立つような土地に行くと、目が見えなくなった分ということもないが、感覚が研ぎ澄まされる。もはや、キューバも渡航が簡単な場所になったが、僕の前世の双子の女の子は僕に会った時、「わたしね、キューバに行ったことがあるの」と言って、僕の度肝を抜いた。僕のその大げさな反応は「行きたくても行けない」と考えている場所が話題に出た時に出る。そして僕はすぐに、その子との前世の関係を思い出した。書いたか、公開したかはすっかり忘れてしまったが。


 僕が作曲サークルにいたのは、自分の書く歌詞に、誰か曲を書いてくれないかと期待したからだ。結局のところ、僕は、誰にも歌詞を見せることなく終わった。


 とても上手なフュージョンのバンドのやつらがいて、いつも練習を見ていた。練習に参加するのに、見るだけってなんだ?


 それはちょっと奇妙なことだったが、誰も何も言わなかった。曲書かないのとか、歌詞書かないのとか、楽器演奏しないの、とか。


 見事に誰も何も言わない。面白いね。


 僕はだから、すごく頭のいいやつらが好きだった。結局のところ、干渉されることがない。僕が応援していたバンドなんだが、すぐにメジャーデビューの話が来た。


 なのに、全員一致でその話は断った。すごいね。それも僕は当然だろうと思った。


 実はここのサークルのメンツは、皆、超エリートだった。今や彼らは日本を背負って立つような会社の重要なポジションにいる。最初から自分とは、まるっきり出来が違う。だから、スカウトされたって、音楽は大好きだが、音楽一本で食っていく気はみんなサラサラなかった。音楽より、実社会で自分の実力を普通に試して生きていきたい。


 そういう優秀な人たちを眺めているのが趣味の自分は、結局のところ、そこで好きな音楽を漁ったが、自分では何も作らなかった。


 世の中にボカロの波が来た時も、自分自身、これで打ち込みで音楽が作りやすくなる、作曲の敷居が下がる、とは思いながら、ただ眺めていた。本当に自分は、野次馬で傍観者だ。


 ブームの最初から見ていたが、小さなうねりから大きくなって、今やカラオケでボカロ曲が歌えるなど、一体誰が思っていたか。何もない原野から始まり、一世を風靡するような勢い、どんどん新しい文化が生み出されていく白熱の現場をリアルタイムに目にしていても、動かない自分というのは、墓石のようだ。


 そのうち、当局の手が入る。ものすごく有名だった歌い手が逮捕され、それはとても残念なことだった。さすがに気の毒と思い、情報リサーチして、持ち前の野次馬的な根性で本人と話してみることに成功した。やはりネットの中には全くないような話が本人から聞けた。


 ネットやテレビなんて何も真実を伝えちゃいねえ。


 僕は、話を聞くまでもなく、きっとそうだろうとは思っていたものの、やはりね、と思った。自分は自分の目で見て、調べて、立ち会ったことしか信じない主義だから。自分が思った通りだったことを知り、満足した。それにしても、本当に歌えなくなったのはもったいないことだった。気の毒だ。


 擁護したいと思ったが、自分が擁護すれば、自分まで追跡されてしまう。身元がすぐバレてしまうだろう。俺は本人に実名で接触したから。なぜそうしたかといえば、そうすればきっと話してくれるだろうと思ったから。案の定だった。


 本人はとてもガッツがある人だったが、転んでもただでは起きないような人であっても、さすがにネットの世界に返り咲くのはちょっと状況的に無理だろう。それ以来消えたが、実生活の上では、きっと全く困ってない。もともと頭がいいのだし、ルックスだって悪くなく、声もいいし、性格も悪くない。何より、あんなことがあっても、自分に自信を持っていて、毅然としている男だった。悪くないじゃないか。


 ネット以外の世界で活躍をしている様子だった。まあ、そりゃあそうだろう。ネットにそれだけのファンがいたってことは、実際会っても、魅力的に違いないし。僕のように心配して、連絡を試みる人、再起のチャンスを、と思う人もいる。ネットやテレビ報道の写真では、フツメンでなくブサメンだと嘲笑されたが、僕はじかに会ってないが、報道写真のイメージ操作の仕方を知ってる自分としては、本当にあの報道のされ方は気の毒に思う。本当に気の毒。


メディアリテラシー。実は「情報操作」はほとんど自分の専門分野。とても有名な心理学のゼミに入りたかったが、見事落ちてしまったので、あまり偉そうなことは言えない。@@@@で働いた教授もいた。やはり語学。もうちょっと大学の時に、真剣に語学をやるべきだった。僕は海外に全く興味がなく、まさか毎日外国語を話すような生活になるなんて思いも寄らなかった。日本にいる限り不要、と真面目に勉強しなかったことを後で後悔したのはいうまでもないが。


 犯罪者をカッコよく写すと犯罪を助長するので、できるだけそうならないように、意図的にカメラを使う。いつもそうだが、こうすればこう写るというのが必ずある。写真やビデオを使う時にも、恣意的に情報操作する。実は情報というのは、どんなふうなイメージにでも加工することができる。写真やビデオ一つ取っても、真逆のメッセージを伝えることが可能だ。人間というのは単純で、ここでは詳しく書かないが、例えば、こんなふうに見えるように撮ってくださいとか、動画でも、どんなふうに印象付けたいのか、最初に言ってもらえたら、どんなことでも可能だ。


 そういうカラクリをよく知っていると、写真や記事、報道を見た時に、どんな印象操作をしようとしているのか、まずそこが一番に気になる。どんなふうに伝わって欲しいと発信側が考えているのか。


 あまりにも悪意が見える時、その報道内容はもちろん信じない。公正じゃないから。


 本人と話せばわかるが、実際はフツメンでも、イケメン寄りのフツメンだと思う。前から顔写真を何枚か見ていたので、知ってる。あの写真はね、本当に気の毒だった。僕だって、いきなりもみくちゃにされて、パジャマに近いような格好で、寝てるとこ叩き起こされるみたいに、寝ぼけたまま家から逮捕、連行されたら、きっと全然イケメンじゃねえ。


 まあ、僕が知る中で、寝て起きたまま、それでもなおかつイケメンの男がいるから、100パーセントではない。イケメンというのは、纏ってる空気のようなものも、すごくある。人というのは、顔形の美しさだけじゃないから。


 まあでも、自撮りというのは、なんとでも見せられる。「奇跡のなんとか」じゃないが、印象操作。会ってみると、案外、背が低いとか、会ってみるとごく普通の人だったとか、その逆もある。会ってみると、すごいイケメンで3枚目にしか見えないテレビ写りと違うとか。


 で、その歌い手と話したこと、なんとなく良かったなとは思った。だってあんなバッシングあった後じゃ、普通は落ち込むだろうから。まるっきり赤の他人だが、ちょっと心配していた。全然そんな気配なく、こういう人なら実生活でうまくやっていけるだろう。学歴だってそうそう悪くない。やっぱり頭が良くないと、なんでもこの世はダメだから、教育って重要だな。


 歌声を聴けなくなったのは残念なことだった。僕はそこからボカロを聴くのはきっぱりやめて、JーポップやJーロックは完全に封印した。


 もともと、僕はあんまり音楽を聴かない。僕の周りには演奏している奴らが多く、僕もギターやピアノくらいは持っているが、全く弾けない。嫌になるくらい才能がなくて、あっさり放り投げた。電子ピアノ、もったいない。子供の頃のクラシックピアノは、全員、1年か2年程度は習ったが、上達しないままに放置され、母さんが処分した。実は小学生の頃、合唱団で歌っていたが、すごく真面目に歌ってて、毎回ホールにいて、海外合唱団との交流や海外遠征の話まであったのにもかかわらず、僕は自分の中で、こういうのは才能ない、と思ってた。


 だからボカロを聴いても、自分が歌おうとかはあまり思わなかった。カラオケなどで歌えば「え?うまい……」と驚かれることはあっても。


 それから僕はBが聞いている適当な古い洋楽を無理やり聴かされる程度の音楽生活になった。僕は、音楽は自分の人生に要らないと考えていた。音楽が脳に作用する効果について、怖いと考えていた。うっかりしたら、それで人を殺せる。そんなことを考える人はいないと思うが、実のところ、音の効果は怖いと僕は考え、音楽にアディクトしている人たちを知っているが、危険なことだと考えていたから。まあ、別の意味の危険もあるんだな。音楽でいくらでも扇動できるから。


 それが、なぜ、今、Jーロック、Jーポップ?


 アテナイでこれから公開するかもしれないが、歌詞を書いてくれと言われた。歌詞ならかけるが、曲がないと書けない。


 どうも最近の日本の音楽を知らないから、試しに昨日、聞いてみた。ネットから。


 テレビで流れるようなものでなく、多分ネットが主の活動場所ような、それでもプロの曲。思ったより案外、面白いじゃないか。捨てたものじゃない。


 日本のポップス、ロックの面白さというのは、日本語の言語に起因する。


 英語やこっちの現地語の曲を聴くのとは全く違う。日本人独特の情景描写がたくさん出てきて、また曲調やリズムも、その音韻に合わせてあるから、特殊に聞こえる。


 ある意味、洋楽じゃそういうのは、ない。洋楽のラップなんかを時に自分も聞くけど、こっちの曲は「自己主張」が激しく、Bが言ってたが、ロックは終わった、ラップの時代という。


 果たしてそうなのか。


 自分は、ロックはまだ死んでない、と仙台出身の作家みたいに思わず呟いた。


 日本のロックはまだイケる。



 日本が生き残るためには、外国人の日本語学習者を増やすべきだ。


 そんなこと突然言われても、わからないだろうと思う。海外で浸透する日本のアニメ文化は、日本人が思う以上に、外国人を魅了している。ある意味、ちょっと気恥ずかしいくらいに、おかしいくらいに日本ファンを冷たい目で見つめてきた僕としては、今更言いにくいが、生き残りに日本の漫画やアニメを売るのは、もはやこれはもう、日本政府も一押しの方策なのだ。


 本当に、そんなことでいいのかと自問自答したくなっても、実のところ事実だから仕方がない。


 今や、日本を真似た韓国の漫画なんかもたくさんこの国に押し寄せているが、とにかく、良質の漫画やアニメで日本に興味を持ってもらい、日本語学習者を増やし、日本の音楽、Jーロック、Jーポップ、古いものでも新しいものでも、聞いてもらうしかない。


 日本語の情緒というのは特別で、そのことを理解する外国人は結構多い。


 驚くべきことだが、この難解な言語を、独学で自分のものにしてしまう外国人が結構多い。それも単に、アニメや漫画をしっかり自分の頭で理解したいというような動機で。


 今の日本のJーロックを聞いてみたが、ボカロからの流れが主流になっているにせよ、音楽に日本語をノせる特殊さというものが、耳に新鮮で、こういうめちゃくちゃなリズムというか、曲調の変化というか、ある意味ドラマティックであるのは、日本的な「大袈裟感覚」だ。


 日本の場合、歌舞伎や時代劇なんかが、そうかもしれないが、「大見得を切る」というような文化的な固定された「演劇コード」的なパターンが漫画でもアニメでもあって、それが、外国人には新鮮に映る。


 なんでも繰り返されると気持ちよくなるように、脳が「リピート」に勝手にアディクトする感じ。


 もうだから、馬鹿馬鹿しいかもしれないが、子どものように、まるで高校生の文化祭で弾けるような音楽に金を突っ込んで量産していこう。


 それしか僕たちの生き残りの道はない。そう思う。世の中、金ではないが、なぜ?それは、もうちょっと日本にいる人に元気になってもらう方がいいから。


 文化的に成熟しすぎると、変化がなくなって、どうしても停滞しがち。そういう時に、10代終わり〜20代初めのような人たちの作る勢いのあるロックは、起爆剤に使える。


 まあね、スーパーのモールなんかで流れたら、昼ごはんのサンドイッチ、喉に詰めてしまいそうな曲調だが、それもまた良し。


 いつまでも若くいる必要などないが、日本にそれが必要なのは、超高齢化社会が迫っているからだ。こうなったら、外国人よりも、20歳も30歳も若く見せて、ごまかすしかない。テレビを見ていて気づきませんか?


 「美魔女」などという言葉は、そのために作られたものです。



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