本日のニュース 小学生に抜かれる日


 2018年 7月某日のニュース〜


 何となくニュースを検索し、僕は一瞬、危機感を募らせた。


 予想していたことが、現実になった。小学校の必修科目にコンピューターのプログラミングの授業が入る。2年後に実施が始まる。さらっと見かけた記憶が正しければ、確か、某新聞ニュース・サイトにそう書いてあった。


 数年後、子どもたちに確実に抜かれることになっていくに違いない。今の大人世代と子どもたち世代の逆転現象。子どもたちの方が、コンピューター機器を使いこなす。僕は実際の学校教育のことについて、まるっきり無知ながら、欧米の流れを見て、かなり前には簡単に想像がついていた。将来、日本もきっとそうなっていくだろう、と。


 振り返れば、自分がコンピューター、メールアドレスなどを持って、海外の友人と自由にやりとりを始めた頃、日本人の友人・知人の誰も、まだメールアドレスさえ、まともに持っていなかった。自分は何でも、新しいものをすぐに取り入れていた方で、携帯電話もそうだった。父から与えられて、まだ周りが誰も持っていなかった頃から使っていた。


 今から思えば、親というのは本当にありがたい存在だ。子供にとって良いと思われることは、何でもさっさと取り入れる。


 海外に出てから、日本がとても遅れているということに、僕は本当に驚いていた。そんなこと、信じられないだろうが、日本は進んでいるようで、遅れている。携帯電話については、日本の携帯進化の仕方が、ガラパゴス諸島並みの特殊さで、すぐに僕は、こっちの携帯に慣れた。日本の携帯は奇妙だな、使いにくいと当時思ったものだった。


 こちらでは、メールもSNS使用も、普及度が日本とは比べものにならなかった。今でこそ日本も追いついたが、まだ日本は遅れている。こちらの老人は、普通にパソコンを使いこなし、スマホを使う。老人というのは60代〜70代くらいの人間だ。日本でも、大企業に勤めていたりした60代ならパソコン・スマホは当たり前だが、その一般普及率は、こちらとは比べ物にならない。なぜ日本はゆっくりなのかがわからないが、進んでいる点と遅れている点に、すごく開きがある。


 こっちで、パソコンもスマホも使えないのは80代以上くらいの世代だろうか。80代の人に、スマホやタブレットの便利さなどを教えてあげようか、というような話にはなったりする。孫や娘、息子世代がパソコンやスマホで自由にビデオの電話などを気軽に使いこなすのに便乗するお年寄りはいる。こちらでは、医者の予約も何もかも、インターネットに置き換わりつつあるから、インターネットが使えない、イコール、生きていけない状況に近くなっていく。


 例えば、実店舗に問題解決や予約に向かっても、それはパソコンからご自分でお願いします、と言われてしまう。自分のスマホを渡して、仕方なく店員にその場で解決してもらうような場面も出てくる。スマホやパソコンを持たない世代は、本当に困るが、こっちではそういう人にサポート教室も確かにある。それは日本でもあるだろうが。


 目の前にいる店員のあなたが解決できることでも、それは自分の仕事ではないので、と返事されることも多い。お年寄りたちにとって、未来は過酷なものになっていく。人がいるのに、人がいないのと同じ。全て自動化の流れになるため、コールセンターのカスタマーサービスと同じだが、その面倒臭い機械的な手順を踏まないと、クレームさえまともに入れられない。結局、泣き寝入りとなる。


 銀行なんかも全て同じ。現金、キャッシュが受け付けてもらえない。日本は個人の小切手制は進んでいないようだが、キャッシュを銀行に直接に持っていっても、銀行に入金は不可能だ。そんな未来、ピンと来ますか。こちらの銀行はキャッシュの取り扱いがどんどん、消えていっている。全て小切手か、もしくは、銀行のトランスファーでなければ入金できない。まだ現金で出金はできるが、キャッシュレス化が進んでいて、現金を財布に入れている人は、本当に少ない。全てデビットカードの引き落としで、クレジットカードはなんと、少額なら暗証番号コードさえ、なくなった。それが意味するのは、カードをタッチするだけで支払いしてしまうということ。拾ったカード、盗んだカードも、少額ならそうやって、見知らぬ人が黙って使えてしまう。迂闊に財布も落とせない。恐ろしい変化。


 実際、クレジットカードナンバーを盗む犯罪も多い。ネットからナンバーを盗み、少額だけ出金するので、被害を受けたことに気づかないこともある。銀行が気付いて連絡をくれたりするが、どこで盗まれたのかも、結局わからない。クレジットカードの犯罪はいろんなバリエーションがあるものの、どうやって防止するのかとなった時に、正直、防止策に「完全」はない。もちろん、カードを持ってなければ犯罪にも遭わないわけだが、流れ的にそうも言っていられない。日本の場合は、これからになっていくだろう。日本にもキャッシュレス化の波は来ているとは思うけれど、まだまだ、これから。


 またこちらでは、食品、生活必需品が買えるチケットやカードが会社員に支給されている。この国の場合、事実上のベーシック・インカム制度が実装されている状態と言える。失業給付金が支給される期間も、日本に比べたら、驚くほど長い。日本では生活保護のことをその呼び名さえ馬鹿にされたような通称がつけられているが、こちらでは、収入が低い世帯を助ける制度というのは基本的人権を守るために当たり前の制度、享受することについての罪悪感は日本とは比べ物にならないくらい低い。ある意味、みんな何も言わないが、なぜ元の自国民でない外国人移民たちに、ここまで自分たちが必死で働いたお金を寄付するようなことになっているのか、と憤りを感じている人たちもいる。が、それはあまり表には出ない。


 やはり人道的に、差別的なことをはっきりと主張することについて、教養という意味で、それは野蛮だという感覚があり、みんな黙っている。また、リベラル派は、外国人を受け入れていることによって、人口が増えて、その分、必要最低の支出だって出て行って、雇用が生まれ、経済が回りやすくなるから、それでいいのだ、と言う。


 子供を持てば、その子供の人数に合わせ、税が軽くなったり、子供を預けて働きやすい仕組みになっていて、専業主婦率は驚くほど低い。ほとんどの女性は、妊娠して子どもを産んで、会社を離れても、すぐに会社に復職する。驚くほど小さな赤ちゃんを預けて、会社に戻るのが普通のこの国は、今、女性の失業率がじわりと上がっているのか、浮かない顔をして、職がない、と話す若い女性が多い。でも、彼女たちは、失職したからといって、まだ子供を産む年齢ではない、と自分で思っているようだ。要領のいい女性は、そのタイミングで子どもを産む。


 日本の婚活や妊活状況とこの国が少し違うのは、婚姻制度の違いだ。人口を増やすためには、婚姻についての制度を変えればいいのは確かだ。この国では成功し、出生率は好調だ。でも、同時に、複雑な家族関係という大きな弊害を生み出した。


 女性が生涯働き続けるこの国は、もちろん離婚も多い。女性側の連れ子、男性側の連れ子、前の前の夫の子、前の前の妻の子など。ものすごくややこしいこの人間関係を支えているのは、日本と違い、親子が面会する権利がしっかりと守られていて、前夫、前妻と必ず子どもたちが長い時間、過ごせるように法律で定められているせい。もちろんそれは良いことだが、とにかく複雑で忙しく、離婚したからといって、憎い配偶者と金輪際、すっぱりと縁が切れるなんて、子供がいたら、ありえない。必ず頻繁に連絡を取ることになる。もちろん、正式な配偶者でなく子供を産んでいても、子供の前の父親、前の母親とは縁が切れない仕組みになっている。結婚以外の制度で結婚しているのと同じ恩恵が受けられる制度があり、それは同性カップルにも適用される。まだ、養子を迎えるというのはなかなか手続きが大変だが、日本に比べたら、それも進んでいる。日本より養子も一般的ということになる。


 DV、暴力、よほどの理由がない限り、元の親が自分の子供に面会する権利を拒むことはできない。だから、どんなに前のパートナーとソリが合わない状態だろうと、子どもたちは必ず、実の父、母に頻繁に面会する。そうなると子どもたちも、時間が足りないくらい超多忙になる。今のお父さんお母さん、前のお父さんお母さんとの行事、イベント、春夏秋冬の休みなど。こちらは休みが嫌になる程、多い。休みの間に働いているような錯覚に陥るくらいに。


 離婚家庭の子どもたちは、クールにさっさと家族イベントを大企業の社長並みのスケジュールで機械的にこなす。うじうじと、前の父母のことで悩むという話はあまり聞かない。周りがみんな同じような状況で、あっという間に割り切ってしまう雰囲気は、大人すぎてむしろ見ている方が引いてしまう。自分の実の両親の新しいパートナー家族的にうまく付き合っていくなど、大人でも難しいだろうに。それは、海外的な「個人主義」に裏打ちされた「割り切り」なのか、日本のように父母にべったりしている子どもは見たことがない。


 親が離婚したら、バカンスの遊びのスケジュールが単純に2倍になることになる。自分の兄弟姉妹が腹違いというケース、連れ子のケースのリアルな意見はあまり耳にしないものの、それはたまたまであって、実際は、血が半分しか繋がってない家族と住むケースはうんざりするほど多い。日本と違い、石を投げればそんな家庭に当たる。ただ、こっちの家庭の子は18歳で大学入学と同時に、大抵は「一人暮らし」になる。だから、この大変さも高校卒業までだ。この点が日本と全く違う。こっちの子は自立がとても早い。人種的な差異かもしれない。この国に住んでいても、両親がアジア出身の家族の子は、日本と比較的似ていて、家族関係が深い。


 この国の子どもは日本のようにいつまでもべったりと親と同居せず、どんなに大学が近くとも、さっさと独り立ちするのが普通。また大学も、学費が日本に比べたら格段に安く、それもある。親の負担が少ない。もちろん、一人暮らしの費用は、自分たちで捻出することが多い。こっちの子は日本の子と比べて、大人になるのがずっと早い。日本の子がいつまでも子供のようでいるのに比べると、既に小学生の段階で、こちらの子は喋っていると、大人と喋っているような錯覚に陥ることがある。大人になるということを「成熟は良いこと」と捉え、日本のように「若ければ若いほど良い」という「幼さ・若さ」を重視するような価値観とは一線を画する。その違いというのは、赤ちゃんでも添い寝しない文化にあるのか、子供でも、大人と一緒に裸になって、お風呂に入ることなど一切ない文化にあるのか、理由は不明だ。


 

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