夏の雨

今日のニュース 2018年 7月某日


 珍しく僕が日本のニュースを検索したのは、虫の知らせだろうか。


 地震や洪水が続く週末、日本のニュースを見ておく方が良い気がして、珍しく「新聞」で時事ニュースを検索した。一年に一度も、そういうことはしない。


 何となくニュースを見て、固まった。長く審議中だった宗教の教祖、その一連の仲間たちの死刑執行が、この一週間の間に、あったらしかった。


 個人的な特別な想いなど全くないというのに、思わず固まったのは、僕が「何か大きなニュースが報道されているタイミングでは、裏で何かもっと重要なことが起こってる真っ最中、と疑って、疑って、疑って、いる」せいだ。


 この的な性質で、この時期に、こんなことがある意味というのを自然に予測しようという気持ちが働く。今、この時期に、そんなことがある理由は何だろうか。


 不確かなネットの噂でしかないが、裁判の内容の中にがあったと聞いている。もう随分前の情報だ。その内容をちらりと聞いただけで、それが本当であれば、誰だって自分と同じ疑い、思いを持つに違いなかった。


 ちょっと聞いただけで明らかにおかしいのだから、もしも裁判の内容を取り寄せて吟味したとしたら、何か別の真実が炙り出されてくる可能性がある。死刑が執行された今、生き証人はもういないわけだから、後は何とでもなる。もしかしたら、後になり、何か思わぬ話が出てくるかもしれないが、それは確認することが不可能で、闇から闇に葬り去られるだろう。


 もちろん個人的に調べたり、そんなことはしない。したからと言って、まるっきり意味などないだろう。あの宗教の教祖は、とある大学の教授の著作でも、その対談が触れられているくらいに、初期の頃はごく普通の一般の宗教で、まさか教授もこんなことに将来なるなんて、思いも寄らなかったに違いない。


 一般の人は知る由も無いだろうが、宗教について基礎的な知識があれば、ある意味、いくらでも別角度から分析が可能で、自分の頭で考えるというのはそういうことだろうと思う。世の中の人はそこまで暇ではないから、世界を構成するファクターというものについて、そこまで突き詰めて考えていかないし、そんな暇も与えられない。


 自分は世界を構成している事実というものについて、常にその定義が正しいのか疑いを持つから、ヒステリックな報道口調を聞くと、そこに何か隠されたものがあるのでは、と分析する癖が抜けない。実際に、好奇心が強いから、なんとなく調べてしまうこともある。調べたからといって、何か意味があるわけではないが、だから僕は、誰の言うことも、まともには信じない。世界の本音と建前の乖離は、ヒマラヤのエベレストの山頂とマリアナ海溝よりも深く断絶しているのだから。



 蒸し暑いような湿気た短い夏の夕立が、夏でも涼しいこの国のこの季節にあるのは、特例だ。この地方は、真夏でもそう暑くならないことが多い。今年は例外で、信じられないほど暑い日が続いている。


 まるで日本の真夏のような夕立も、今朝からの天気予報を知る自分にとっては、不思議でも何でもないということなのに、僕は誰かが、何でもよく知っているような通りすがりの人が、何か単なる噂でもいい、僕に声をかけてくれることを今、望んでいる。


 誰か僕よりも世界をよく知っている人が、なるほど、というような情報を落としていってくれるなら、世界はまだそう捨てたものじゃない、と思えるのだが。


 実際はそんなこと、起こったりしない。何か知っている人は、貝より固く、口を閉ざす。自分の命に関わることの場合が多いからだ。無責任な作者不明の壁の落書きの方が、よっぽど真実を伝えるというのは、世も末だなと、僕は思う。ネットにも見切りをつけて長いが、僕は世界の仕組みをよく知っていて、もう誰とも会わない、喋らない生活の中に身を置いている。自分が口を開けば、たいていの普通の人は怒り出す。日本にだけ住んでいて、それが普通の人にとって、外から入ってくる情報は、自分に都合の良いものでない限り、嘘っぱちに聞こえてしまうくらい、日本の情報統制は進んでいるのだから。


 世の中や世界というものは、まるっきり信用がならない。自分はさっきまで、政治の世界からついこの間、引き摺り下ろされた地方の小さな座席に座る先輩の情報を拾い、嘘ばかりが書いてあることについて、見事すぎる、と今まさにそう思っていた矢先だった。ここまでのデタラメを新聞やテレビ、ネットで統一して書ける、報道できる、というのも、ものすごい悪意だ。よほど何かまずいことがあったんだろう。実際に会って話せるわけでないから、その理由を知ることはできないだろうが、簡単に想像がついた。


 実は自分は全く政治、宗教に興味がない人間ではあるが、こうも嘘に固められた世界ばかり、自分でひっそりとその真偽を確認し続けていると、どうしていいのかわからなくなる。そんなことしなきゃいいんだが、自分は正直だから、直感に従ってしまう。直感的におかしいと思うと、つい調べてしまう癖は、過去からなかなか消えない。


 何度も「あの人はそんな人ではないです」と、聞かれるたび、自然に答えていたが、そんな身内や友人の言葉よりも、テレビや新聞やネットの噂の方が正しいと信じる人ばかりで、それがあって自分は、新聞もテレビもネットのニュースも検索しない。そこに真実などない場合が多すぎて、ほぼ無意味であることを知っているから。


 また、どうすることもできないことに、その先輩はとても誤解されやすい容姿をしていて、言動もそうだった。もっと狡猾であれば、そういうことも計算づくで闘えたかもしれないのに、ある意味、自分と同じように正直すぎる。精神がロックすぎる。今やロックは流行らない、ラップだよと誰かが言ってたが。


 そこをそうしないと全体がまずくなるために、わざわざに仕組まれる大掛かりな悪意の前では、個人には、もはや成す術などない。悪意というか、もはやそういう簡単なものでなく「邪魔者は消せ」というような上からの指令に近い。そう書くと、また漫画チックな表現になり、嘘っぽく聞こえてしまうが、そう表現する以外にどう書けばいいか。頭の良い人たちの情報網は特殊だから、もちろんその先輩もよくわかっていて、僕が言うまでもなく、対策をとっていたはずなのに、四面楚歌になってしまうのは、人というのは「自分にとって都合いい」ということを必ず優先させる癖があるからだ。


 その先輩はそうしない故に「四面楚歌」になる。協力する人、手伝う人の「正義」は、自分がそうすることが自分にとっても都合の良い「正義」に基づく。


 そこが大きく、問題になることがあり、「自分にとって都合のいい正義」を振りかざす人は、すぐに敵になると思って良い。だから先輩は、身内にいた人から、攻撃されることがあった。僕は先輩の方が正しいと直感する。先輩は自分にとって都合良いということを選択しない。自分たちにとって都合の良いことも選択しない。


 ただ、それが人から理解されない。自分に都合の良いことを選択している、と真逆に受け止められる。そこがすごく損なところだった。


 自分の得でなく、公共の利益のために。

 嘘っぽい建前でなく、ヤイバのように切っ先の尖った真実を言う。


全体的な流れに立ち向かった、その勇敢な男気が逆に利用され、悪者に仕立て上げられ、擁護の声は、片っ端から消されているに違いなく、検索しても全く出てこない。自分が擁護しても、その書き込みは消される、無視されるに近いのだから、皆、同じだと思う。


 大きな歯車の中に入ると、その流れに反する情報というのは、それこそ注意深く、毛抜きで毛を抜くが如く、見つけ次第、抹殺される。本当に小さな声であっても、検索に決して引っかかってこないような、そういう細工が成される。人目に絶対に触れないように。


 この宗教の教祖のことについては、俺は何も知らないが、記事にあまりに矛盾が多いことは、ニュートラルに読む人であれば、気付くんじゃないだろうか。


 ごく普通に新聞記事を読み、何かがおかしいと直感で感じるようなことを、僕は暇に任せて調べることはあったが、そういう直感というのは、たいてい当たっていることに気づいてから、むしろ調べなくなった。調べてもどうなるものでもなく、むしろ、自分の身が危うい羽目になることさえあるからだ。


 何の得にもならないことを調べるのはやめろ、と言われ、その通りにすることにしたのは、先輩も言っていたが、ということが本当にあるから。そこまでして守りたいもの、先輩は男気があると思ったが、自分の場合は、そこまで男になりきれない。黙々と、農地を耕すしかない。世界から自分の気配を消して。


 犯罪者を擁護するつもりは毛頭ないけれど、世の中には冤罪が多すぎる。それは、数々の事件を調べていれば、自然にわかることだ。その冤罪が起こる仕組みもよく知っている自分は、できるだけひっそりと、誰にも会わない場所で、この世界はおかしいですよ、と思っても、全く無関係に自分を存在させて、畑を耕して生きる農夫のように、世を捨てて、短い通りすがりの雨を眺めて時間を過ごしている。


 真実はどこにあるのだろう。


 調べたい衝動に駆られたが、調べて何になる。


 多くの人が自分のように疑い深くならない限りは、世界というのは変わらない。せめて、何かがおかしいという勘くらい、動物的な自分の身を守るための直感は失わないよう生きて欲しい、と、どこか遠い場所から、願うことくらいしか、できない。


 あっさりと雨は上がったのか、と川の前に来た時のようなムッとする夏の匂いの中、夕方の明るい日差しに空を見上げると、木立の向こうで、まだ雨は降り続いていた。


 それはのように、もうすぐ明るい日差しの中に虹を見せるかもしれず、騒ぐ羽虫のバルコニーの先を見つめ、僕は思わず、虹を探しに二階へと駆け上がった。

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