第4話 玉手箱を開けたとき

 それから数日後。部屋の中央に置いた鏡に、花鬘は両手を当てていた。

 手を離すと、ぼんやりと人影が映った。次第に影は、敦久と璃寛の姿に変わる。


 敦久は部屋に入る前に、脇息に経を置いて読んでいる桔梗を眺めていた。

 彼女の肩の下で切りそろえた髪は、手に取れば淡雪のように消えてしまいそうだ。敦久は意を決して、桔梗に話し掛けた。


「ご無沙汰しております。おばあさま」


 桔梗は顔を上げ、そばに座った敦久を見上げる。


「敦久。この山奥によく来てくれたわね」


 今にも袖を濡らしそうな桔梗に、敦久は首を振った。


「私はおばあさまのお顔を見たさに来たのです。手土産に、此度は珍しいものを持参しました」

「まぁ。何かしら」


 品よく微笑む桔梗に、敦久は璃寛が持っている包みを開けさせた。


「おや、まぁ! まるで、お話に出てくる打出の小槌のよう」

「それならば、振ってみましょうか。何か良いものが出てくるかもしれませんから」


 敦久は璃寛に小槌を振らせた。その後で、敦久はおもむろに右手を懐に入れ、四角いものを桔梗の前に差し出した。

 空に向けて大きく羽ばたく、鶴の文様がある文箱だった。


「綺麗ね」


 か細い指が文箱に触れた。

 少女のように無邪気な笑みを浮かべる桔梗に、敦久は静かに言った。


「今まで詠んだ和歌を書いた紙を、ここに入れてください。そうすれば、いつでも手に取れるでしょう?」

「そうねぇ」


 桔梗は嬉し涙を浮かべながら、昔話を披露した。


「いつだったかしら。もう何十年も前の話よ。参詣の道中で、脚を怪我した鶴に会ったの。傍でなだめていた女の子が『薬があればいいのに』と泣いていたから、侍女を遣って薬を付けさせたわ。そうしたら、女の子はありがとうって笑ってくれたの。花が咲いたような、そんな綺麗な顔だったわ」

「そんなことがあったのですか」


 敦久はにこりと笑った。

 幾度となく耳にした話だが、この日はなぜか疎ましくなった。

 何もかも、祖母が体験することは初めてのことばかり。翌日が待ち遠しくなることは、楽しいことだ。


 それでいい。

 たとえ自分という存在が消えてしまっても。彼女が見ている自分が一日前、一刹那前までの自分でも。自分が愛し、愛された人であることに変わりはないのだから。自分は、いつまでも祖母の心に寄り添えることができる。

 大切なのは、祖母が目の前で笑ってくれること。そのありがたさに気付かされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る