助言7:好きな人は、命を賭けてでもお守りしなさい

「そんなこと、言ってない!」

 桃ちゃんはいつになく強い口調で否定した。

「ウソつけ。お前、オレの彼女になってくれるかと聞いたら、呑んでくれたじゃねえか」

「『考えておく』と言っただけ。それは『YES』とは違うわよ」


「だが『NO』とも言ってねえ。そして連絡先は受け取った。つまりオレとの契約を承諾したも同然だ」

「あれはただの社交辞令よ」

「今更取ってつけの言葉で誤魔化すのか? そんなことが通用すると思ってるのかな?」

 剛のニヤリと上がった口元が、奴の内面から思いっきりウザさを弾けさせた。


「だから、そんなこと……」

「とぼけんじゃねえよ」

 剛がそう言いながら、僕と桃ちゃんの間に割り込んだ、その瞬間、僕と桃ちゃんのつないだ腕同士が、プツリと断ち切られた糸のように、離れてしまった。僕は剛の後姿が、阿修羅のように感じた。思わずその場から後ずさりしてしまった。その時だった。


「ゴツン!」

 脳天に痛烈な打撃がぶちかまされ、僕は床に倒れた。また剛に殴られたのかと思った。でも、痛む頭で考えたら、剛は僕に対し、背中を向けたままであることを再確認した。尻もちをついたまま後ろを向く。


「バカタレメガネ!」

 リコは僕の視界に現れるなり、小悪魔のように吠えた。

「リコ……」

「悲しげな声で『リコ……』じゃないでしょ!」


 リコは僕の声色を真似ながら、糾弾した。

「アンタ、あんな怖い兄さんのもとで、桃ちゃんのこと一人にしていいと思ってるの?」

「それは、違うけど。でも、僕、ケンカ弱くて、剛には到底叶わないって、あの日分かっちゃったから」


「だから逃げ出すの? 情けない男! それでも桃ちゃんに恋する男子なの? やっぱり今度からスカート履いて学校行く?」

 リコの凄まじい勢いに気圧されて、僕は何も答えられなかった。


「アンタの桃ちゃんに対する思いは、その程度なの? 桃ちゃんが剛のものになってもいいんだ? そうなったらどうなるか分かる? アンタの憧れの桃ちゃんは、この先、付き合いたくもない男に振り回され、束縛されて、虐げられて、少なくとも18歳までは真っ暗闇の人生を送るのよ! それも、今日アンタが彼女を助けなかったばかりに! これが何を意味するか分かる!?」


「桃ちゃんが、不幸に……」

「それだけじゃないわ! アンタが助けなきゃ、桃ちゃんは幸せになれないのよ! そしてアンタも幸せになれない! 桃ちゃんがあんなことになれば、彼女だって悲しむし、アンタもこの先桃ちゃんへの未練で悲しむのよ! それでもいいの? 剛に傷つけられたくないからって、彼女から逃げ出す、それがアンタの望みなの!?」

 リコの言葉に核心をつかれ、僕はハッとした。


「本当に好きな相手がいるときは、その人がピンチなときは、命を賭けてでも全力で助けてあげることよ。あなたが見たいのは、桃ちゃんの笑顔?それとも悲しむ顔? そこに答えがある」


 リコの言葉の意味が、僕には痛いほど分かった。あの日、剛に殴られた拳よりも痛いほど分かった。だから、僕は立ち上がり、前を向いた。そこではすでに、桃ちゃんは剛に無理やり両腕を掴まれ、必死でもがく姿があった。今、まさに彼女の大ピンチだ。そうだ、助けてやらなきゃ! 僕は数歩踏み出した。


「やめろ!」

 店中に響き渡らん声で、僕は叫んだ。

「何だお前?」

 剛は、相変わらずの凄みを利かせてくる。一瞬目を背けそうになったが、桃ちゃんへの想いがそれを許さなかった。


「桃ちゃんを傷つける人間は、僕が許しません」

 問答無用で拳をぶち込まれた。あの日のように、メガネを飛ばされた。

「行くぞ。こんな子ども騙しみたいところはやめて、もっと面白いところへ行こうぜ」

 ぼやけた視界の中で、剛が再び桃ちゃんの腕を掴み、僕の横を通り過ぎようとするのが分かった。僕は剛の足にしがみつき、彼を行かせなかった。


「触んじゃねえ! 離れろ! 離れろっつってんだろ、オラ!」

 僕は罵られながら、剛から掴んでいない方の足で三度の蹴りを顔面に受けた。鼻の奥から血が垂れ流れてきても、僕は剛を離さなかった。


「桃ちゃんは、僕が守る! 桃ちゃんは、僕のものだ!」

「だからどうしたんだよ!」

 四度目の蹴りが入る。それでも僕は、離さなかった。

「僕は、桃ちゃんが好きなんだああああああああああっ!」


 魂の叫びののち、店の中が静まり返る。リコだけが一人、「ほお、そのタイミングで言うか、すごいな」と呑気な調子で感想を述べていた。

「ふざけんじゃねえよ!」

 五度目の蹴りは、これまでもよりも痛烈だった。剛の足を掴む手の力が、だんだんとなくなっている。それどころか、全身の力が抜けていく。奴は、満を持したかのように、オレの手を振りほどいた。


「桃ちゃん、行こうぜ。昼間からやっているクラブがあるんだよ」

「行きたくない!」

 桃が本気の嫌がりを声に表している。

「うるさいぞ。こんな子供じみたところより、クラブに行けば、刺激的な青春を味わえるに決まってんだろ」


 そんなやり取りを、僕はただ地を這って眺めるしかなかった。そのとき、突如紫色のプラズマを帯びた黒い球体が、奴の足元を捉えた。奴は足がもつれるようにしてバランスを崩し、床に転んだ。それを見て、僕はある場面を思い出した。初めてリコが僕が学校へ行くのについて行ったとき、彼女が僕の足元に撃ったのも、あれだったのか。

 ともあれ、剛の掴んでいた手が、桃ちゃんの腕から離れた。即座に桃ちゃんが僕の方へ駆けつける。


「平太くん、大丈夫?」

「うん」

 僕は桃ちゃんの肩を借りて立ち上がった。この時は、桃ちゃんが貸してくれた肩が、ただただありがたかった。


「この野郎!」

 立ち上がった剛が、こちらの方へ向かってくる。その時である。僕の右手がいつの間にかグーになって、剛の目の前へと突き出された。さらに左手も。

「お前、何してんだ?」

 剛も狼狽した様子だ。僕には分かる。後ろでリコが僕の手を操っている。


「覚悟!」

 リコの叫び声とともに、僕は左足を踏み出し、勢い任せに剛のボディーにストレートを打ち込んだ。剛が前かがみになって悶絶する。

「てめえ、よくも!」

 剛が反撃に出ようとすると、今度は左手で張り手、右手でも張り手を飛ばした。

「この野郎、もう許さねえ!」


 奴がいきり立った。僕はまた、リコに操られて攻撃を繰り出すかと思い、その時を待った。しかし、実際は剛の拳が、僕の顔面に容赦なく打ち込まれるのを待つのみだった。倒された僕は、軽く床を滑る。


「いつまでも私に頼らないでくれる? この争いを決めるのはアンタ、アンタのひとつの魂よ」

 リコが冷淡な表情で僕に語った。剛が僕に馬乗りになった。

「やめて!」


 桃ちゃんの叫び声も意に介さず、剛がパンチという名の爆弾を落とそうとした。僕は咄嗟に両腕をクロスさせて防いだ。手首の当たりに、ズシンと鈍い衝撃が伝わった。しかし、剛も拳がしびれたようで、僕から離れて痛みを振り払おうとその手を上下に振る。

 僕が立ち上がったところで、剛が憑りつかれたように殴りかかってきた。もうやられるわけにはいかない! 桃ちゃんにやられた姿を見せたくない! その想いで、僕は咄嗟に避けた。剛の拳は、コンクリートの壁に直撃した。


「ああああああああああっ!」

 剛の絶叫が響き渡る。僕のクロスした腕なんかよりも、コンクリートが拳を迎え撃ったときの破壊力は凄まじかった。

「おのれええええええええええ!」

 奴が再び向かってくる。僕は咄嗟に、足を突き出した。奴の急所に、その足が鋭くめり込む。


「……ひゃああああああああああっ!」

 コンクリートで拳が砕けるよりも壮絶な痛みを、僕は剛に与えたようだ。剛はその場にうずくまり、もう立てない様子だった。

「早く、桃ちゃんを連れて逃げな!」


 リコの咄嗟の助言で思い立ち、自分から桃ちゃんの手を掴み、走り出した。ターム・ワンから飛び出し、無我夢中で剛の魔の手から桃ちゃんを守ろうと、傷だらけの顔で駆けた。すれ違う人の多くは、僕を見て、何があったのかと戸惑っていたようだが、構っている暇はない。とにかく僕は、桃ちゃんを守ってあげたいだけなんだ。


 ターム・ワン前の通りから三つの曲がり角を過ぎたところで、僕たちは一息ついた。ここまで逃げれば大丈夫だろうと思った。それでも、大通りの方でパトカーのサイレンが響くのは聞こえた。サイレンが鳴りやむ瞬間もはっきりと分かった。何か意味深だと思った。

「警察がアイツを捕まえに来たわ」

 リコの放った一言が意味深だった。


「どういうことだよ?」

「私、常にピッタリアンタと一緒にいるわけじゃなかったでしょ? たまに息抜きでそこら辺をフラフラしちゃう習慣があるの。私たちの国に住むゴーストは大体そうね」

「それがどうしたんだ?」


「カツアゲの現場を見た。やったのはアイツよ。あの時のアイツの顔と、さっきアンタを殴ったソイツの顔、激似だったもん。カツアゲされた少年、あの見た目はきっと小学生だった。可哀想、泣いてた」

 リコのぶっちゃけに、僕は呆然としたまま、腰を抜かしてしまった。


「平太くん、平太くん?」

 桃ちゃんの呼びかけで我に返った。また桃ちゃんに肩を貸してもらって、立ち上がる。

「私のこと、助けてくれてありがとう」

「うん」

 僕は条件反射的に頷いた。次の瞬間、桃ちゃんは僕に抱きついた。僕は何が起きたのか理解できなかった。


「平太くん、大好き」


 リコが僕の体を貫いたのと違う意味での衝撃が、僕の心を打った。桃ちゃんが、僕を、大好きだって!? これは、神様からのお告げか? 楽園へのお迎えが来たのか?

「どうして、大好きって言ってくれたの?」

「だって、平太くん、さっき私のこと、大好きって言ったから」

「そうだったんだ」

 大切なことを思い出した僕は、桃ちゃんの背中に留まっていた両腕をつなぎ合わせた。


「じゃあ、改めて言うね。僕も、君のことが大好きだよ」

 そう告げると、僕も桃ちゃんにこの身を優しく預けた。


「よっしゃあああ、ミッションコンプリート!」

 僕の背後でリコが何か喜んでいる。それよりも僕は今、桃ちゃんとの甘い時間を、全身で感じている。そしたら、顔中を支配していた痛みも、大分和らいだ。


 心から言える。恋愛ってこんなに素晴らしいんだ。モテるって、こんなに嬉しいことなんだ。センター女子と結ばれるって、こんなに幸せなことなんだ。

 リコ、ありがとう。僕の願いを助けてくれて。桃ちゃん、僕はこれからも君を全力で守ってあげるからね。

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