助言6:デート中はカップルらしくイチャりなさい
僕は約束の十一時に遅れまいと、ターム・ワンへと急いでいた。しかし、いざターム・ワンが間近に迫ると、店舗の前に桃ちゃんが立つ姿を想像して、前に出る足が、鉛でも中にできたかと思うぐらい鈍くなった。
「何よ、そんなに遅くなって。さっきまで急ぎ気味だったじゃない」
「いや、どうしようかな。桃ちゃんのこと、喜ばせられるかな。また僕、逃げたりしないかな」
リコが冷めた表情で右手をハーッとすると、僕の頬をビシンと打った。親にもされたこともないビンタを、オバケにされた衝撃でメガネがズレた。
「十文字平太のクソマジメガネチキン南蛮タルタルソース抜き!」
「何色々足したり抜いたりしてんの」
「アンタね、ここまで来て引き返しちゃったら、今までの努力はどうなると思ってるの? 今まで出してきた勇気、それで積み上げてきたもの、あっと言う間に木っ端微塵よ。それでも男? 今からあそこの古着屋へ行って女の子の服買う?」
リコが指差したのは、車道の向こう側にある、まさに若者の女子向けの古着屋だった。
「僕は男だよ」
「ウソつき」
「ウソじゃないって!」
「だって、今、『どうしよう』って震えてたじゃん。そのビジュアルがまさに女の子っぽかった。アンタが男だったら、デートの目的地に着いたら、彼女のことぐらい威風堂々と待ち構えていなさいよ!」
「だ、だって……」
「だってもヘチマもない。アンタが桃ちゃんをここへ誘ったのはなぜ? 私の助けを得て、ここまで来れたのはなぜ? 言ってごらん!」
「桃ちゃんを、彼女にするためです……」
すっかり熱血亡霊と化したリコに、僕は敬語で受け答えるしかなかった。
「そう、それがあなたの志でしょ。だったら、後ろは振り返らない。どんな辛いことがあっても、目標へ向かって前を向くのが男! 女もそうだけど……。とにかく、一度決めた目標は自分から投げ出さずに、最後までやり遂げること。最後まで、命が果てるまで行くべき道を突き進むことよ!」
ゴーストの言葉がこんなに熱くなるなんて知らなかったからか、それとも僕の心の甘えを見抜き、彼女がそれを熱さで貫いたからだろうか、僕はすっかり、彼女のメッセージを聞いて、思わず感極まってしまった。
「メガネの奥がうるうるしてるわよ? ポロッと流したら、どうなるか分かってるわよね」
僕は必死で目を拭った。
「泣いてなんかない。なぜかちょっと目がかゆいだけだよ」
「私のメッセージ、ちゃんと分かった?」
「分かった。僕、ちゃんと前を向いて、桃ちゃんとのデート、やり切ってみせる」
「あとは?」
「桃ちゃんを彼女にしてみせる」
「よおし、その意気ね。頑張るのよ。私も遠くから見守っているから」
「はい」
僕は意気込んで振り向くと、そこにはすでに桃ちゃんが立っていた。僕は思わず目が点になった。その前に、彼女の目も点になっていた。
「平太……くん?」
「うん、僕、平太だよ」
僕はリアクションに思いっきり困りながら、とりあえずオウム返しのように受け答えた。
「もしかして、またリコ?」
「えっ?」
僕は思わずリコの方を向いた。リコも背中を向けている。さては現実逃避か。
「そうなんだ」
僕は苦笑いしながら肯定した。
「もしかして、ついて来ちゃった?」
「そう、姉だから」
「姉? あなた一人しか見えないけど」
「そう、リコは僕の『エアシスター』って奴かな。僕、本当は一人っ子なんだけど、そうじゃなくて誰かしら兄弟か姉妹がいたらいいなと思って、『エアシスター』ができちゃった。そしたらリコは色々アドバイスしてくれるんだ。例えば、今日の服とか」
「そうなの?」
「うん。そうだよな?」
と僕は「エアシスター」、もといリコに話しかける。リコは、我関せずとばかりに振り向かない。
「僕の姉ちゃんって、どこかシャイな面があって。でもこれからお出かけする僕のことが心配で、ついて来ちゃったもんだから。まあ、迷惑かけない範囲内ならそうしてくれてもいいんだけどね」
改めてリコの方を向くと、気になった語句でもあったのか僕の方をためらいがちに向いていた。
「そうなんだ、じゃあ、行こう」
「分かった」
次の瞬間、桃ちゃんが唐突に僕の手を取った。その瞬間、彼女の手に帯びていた温もりが、僕の手の皮膚の内側へ入り込み、電流回路みたいなスピードで血流を突き進み、全身に回ったような気がした。僕の体温、一度ぐらい上がってない?
「なんか、すごい緊張している? 深呼吸したら?」
僕は無条件で従った。でもそれは深呼吸というより、ポンプみたいに大袈裟に空気を吸い込んでは吐いているみたいだと、自分でも感じた。
「大丈夫だからね」
「本当?」
「本当だって」
「じゃあ、改めてターム・ワンに入りましょ」
「そうだね、入ろう」
僕は桃ちゃんにリードされる形で、店に入った。その間際に何気なく振り向いたら、残念そうに額に手を当てるリコの姿があった。そんなに悲観しなくていいから、と強がりたくなった。
まずはカラオケボックスのなかで、お互いに1曲ずつ、好きな曲を交互に歌った。そんな最中のことである。
「三巡目か。じゃあ、僕は」
と考えていると、僕は桃ちゃんがデンモクを覗き込んでいるのに気付いた。さらに反対側からリコもデンモクを覗き込んでいる。何してんだ、と猛烈にツッコみたい。
「何、ボカロ歌おうとしてるの?」
「悪いかよ?」
僕はリコを牽制するようにそう言い返した。
「あれ、またエアシスター?」
「まあ、そうだよ」
僕は笑みで表面をコーティングして桃ちゃんに応答した。
「アンタの曲、ここまでボカロばっかりでつまんないのよね~」
リコが何のためらいもなく言い放ってきた。うるさいんですけど、このオバケ。誰かつまみ出して。あっ、僕以外には見えないんだった。じゃあ、早くみんなにも見えるようになって。
「今までの2曲も、僕の好きなボカロだったけど、ここでもう1曲、もうそれこそ僕の好きなボカロNo.1を歌おうかな。千本桜」
「私の話聞いてた?」
リコの冷たい声が、背後から僕の耳に突き刺さる。お前のそのウザさを歌のネタにして、僕もボカロデビューしてやろうか。
「ボカロもいいけど、私、デュエットしたいな」
桃ちゃんの方からも突然の申し出だ。でもその申し出の内容が今ひとつ理解できなかった。
「今、デュエットって言った?」
「そう、男と女で一緒に歌う曲よ」
生真面目に意味を説明してくれてありがとう、桃ちゃん。
「デュ~エット、デュ~エット、デュ~エット」
リコが無邪気にはやし立てている。彼女の声の出どころがちょっと遠くなった気がする。
「ごめん、デュエットしたいのは分かるけど、その前にトイレ行かせてくれない?」
「いいよ」
桃ちゃんからの許可を得て、僕は席を立ち上がろうとしたが、出口をリコがガードし、その背後では黒いエネルギーウォールに紫色のプラズマが走っている。そう、桃ちゃんではなく、リコからの許可がなければ僕はこの部屋から出られない。閉じ込められた。そう悟った僕は、すごすごとソファー席に戻る。
「やっぱり、後でも大丈夫」
「えっ、いいの?」
「うん、特に問題あるわけじゃないから。それじゃあ、デュエットしよう」
僕は何かに声帯を操られているような感覚でリコの申し出に乗った。
で、歌ったデュエット曲は、ヤバイTシャツ屋さんの『あつまれ!パーティーピーポー』だった。正直これ、デュエット曲として意識してなかったが、よく考えたら男女ツインボーカルだった。でも、ナンセンスな疾走感溢れるサウンドに乗っていたら、何かワケも分からず楽しくなってきた。
「楽しかったね、平太くん」
「ああ、なんかスッキリしたかな」
と、相変わらず手をつながれた状態で、カラオケコーナーを出たところのエレベーターを待つ。桃ちゃんが「↓」のボタンを押したときだった。
「良かったじゃ~ん。桃ちゃんと手をつないでいるだけじゃなくて、体と体の距離が縮まっている。やっと恋の味を美味しいと思えるようになってきたんだね」
リコがささやくように僕を称える。
「あっ、でも会計を割り勘にするときは、端数ぐらいは男が気前よくおごること。それとエレベーターのボタンを押すのも基本的に男の役目だから」
直後に細かいダメ出しである。デートを素直に楽しめるようになっているだけ、いいと思うんだが。
なんて考えていたら、エレベーターのドアが開き、桃ちゃんに軽く引っ張られるようにして中に入った。桃ちゃんが「1」のボタンを押すのを、僕はただ見ているだけだった。
「何リードされてんの? それに何で女にボタン押させてんの?」
リコがまたも嫌らしく詰め寄ってくる。
「もううるさいな、黙っててよ!」
ついついこらえきれず吠えてしまった。
「どうしたの?」
我に返ったときには、気まずい空気が漂っていた。このエレベーターの中には、他の大人のカップルが1組。揃って、この世にないものを見るような目で僕を見ている。そうだ、リコはゴースト、僕が言うところの「エアシスター」だ。て言うか僕も僕で、何で彼女をエアシスターと称して受け入れたのか。
「すみません」
僕はカップルに平謝りした。
「桃ちゃん、何でもないからね」
「本当?」
桃ちゃんが微妙に首を傾げる。その仕草、愛嬌が弾けていてすごく可愛いけど、それに構える心の余裕が、今の僕にはない。何故なら、早くこの気まずい密室空間から抜け出したかったからだ。
その願いが叶ったか、扉が開いた。再び桃ちゃんにリードされる形で、僕はエレベーターを後にした。
「さあて、次はどこにしようか? UFOキャッチャー? それともウォーターポリン?」
「昨日、この店舗のサイト調べてみたら、どっちも同じ1階だったからな。とりあえず、ウォーターポリンの方へ行ってみる?」
「うん、行こう行こう」
桃ちゃんが両腕で僕の右腕を抱えてきた。桃ちゃんの密着性がアップした直後、僕は心臓の鼓動が分かりやすく強くなるのを感じた。
「とりあえず、行こうか」
僕はとりあえず彼女をウォーターポリンの方へ連れて行こうとした。結果的にリードする役目が僕に変わったから、リコも文句言えまい。うん、結果オーライだ。
「おい」
突如、一人の少年が僕たちの前に立ちはだかった。その姿は、恐るべきデジャヴだった。
「桃ちゃん、ここで何してんだ? 何このクソマジメガネとよろしくやってんだよ?」
「剛!?」
そう、あの日僕を桃ちゃんから遠ざけようと、ボコボコにしてくれた、剛だ。
「信頼できる情報筋からSNSで知らされた。桃ちゃんが明日、クソマジメガネとデートするってな。お前はオレのものじゃなかったのか?」
自分こそが絶対であるかのような尊大な態度に、僕も桃ちゃんも戦慄した。
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