第29話 ある市役所の醜聞 解答編
僕はしばらく考えて――海外の推理小説風に言うならば、「散々ぱら思案した挙句」――、やっぱり分からないや、と匙を投げた。
もとい、僕のホームズにパスを出した。我ながらナイスパスだ。
やっぱり謎を解くのはワトソン役じゃなく、ホームズの役目だよね。
ふふっ、と愉しげに口の端を歪ませ、話し始める。
「とは言っても、これ、眼帯君が解くにはちょっとばかり、不利な謎だったんですけどね」
「不利?」
「はい。だって、現実の市役所や町役場に行ったことがないのでしょう?」
頷く僕。
僕の境遇が特殊ってこともあるだろうけど、そもそも、僕くらいの年齢、つまり中学生くらいで、役所に行くことってあまりないだろう。
親の手続きの付き添いくらい?
もしかしたら、社会科見学で行ったりするのかな?
「ですから、言ってしまえば、これが謎でも何でもないことに、気が付かない」
なぞかけとしても成立していないことに気付かない――と。
彼女は続けた。
「……どういうこと?」
「状況を整理しましょう。若しくは、困難を分割しましょう。デカルトのように、あるいは、名探偵の孫のように。この事件、どんなところが謎だと思いますか?」
「えっと……。なんで、市長の文書が盗まれたか、とか?」
「ああ、それは一旦、置いておきましょう」
「じゃあ、うーん……。確認なんだけどさ、お姉さん」
「はい」
「市長室に市長を呼びに来た男が、文書を盗んだんだよね?」
お姉さんは「まあ、間違いなくそうですね」と頷いた。
「そして、これも予測に過ぎないのですが、ポーの『盗まれた手紙』と同様に、その男は、市長室でたまたま重要そうな書類を見つけたから、抜け目なく盗んだというところでしょう」
「つまりお姉さんは、これは計画的な犯行じゃないと推理してるんだ」
「違うと思いますよ?」
言って、
「その、S市が何処なのか分かれば、また別ですが」
と付け加えた。
多分、お姉さんが言いたいのは、例えばS市に凄い観光資源があるとか、あるいはダムや発電所が造られようとしているとか、そういう事情が分かれば別だ、ということだろう。
そういう問題から殺人事件に発展するのは、社会派ミステリの定番だ。
……まあ、僕は映画化したものしか見たことないけど……。
それも、病院のテレビでやってたものだけ。
「その次に謎だと思うのは、当然、犯人の男がどうやって市長室に来たか、だよね」
「どうやって、とは?」
「え? だからさ、その○×工業の社長さんが来ている、っていうのは、部外者である犯人の嘘だった……、んだよね? だって、もし職員が犯人なら、その後の捜索活動で書類は見つかってるだろうから」
「まあ、そうでしょうね」
犯人の男は、「来客がある」と伝えることで、市長を部屋から遠ざけた。
そして、文書を盗んだ。
それくらいは僕でも分かる。
「だったら問題になるのは、つまり謎なのは、『犯人がどうやって市長室まで来たか』だよね?」
そこでお姉さんはにこりと笑った。
愉快で仕方ないという風に。
「そこなんですよ、眼帯君」
「え?」
「あなたが勘違いしているのは、そこなんです」
僕のホームズは言った。
「どうやって市長室まで来たか?――そんなもの、『ごく普通に玄関を通り、当たり前のように階段を上って』に決まってるじゃないですか」
●
僕は、「犯人はどうやって市長室まで来たか」が謎だと言った。
けれども、お姉さんはそれを笑って否定した。
違う、と。
謎はそこではない、と。
というよりも――それが謎ではないのだ、と。
「え、え? じゃあ、犯人は市役所の職員?」
「いえ、部外者でしょう。その点は眼帯君の推理に同意します」
「じゃあ、犯人は、どうやって市長室まで行けたの? 部外者なのに」
「いえ、ですから、そこが謎ではないんです」
謎ではない。
謎じゃ、ない。
お姉さんは、画面をスクロールして戻した。
> S市市役所は、先に述べた通り、四階建てだ。一階と二階が各課とその窓口があり、三階には会議室や市長室があり、四階には議会がある。
> 建物は南北に長く、どのフロアも南側と北側に分けられる。南側は窓口があるエリア。北側は、職員以外、立入禁止のエリアだ。南側と北側の境目に階段があって、その隣には住民用のエレベーターがある。職員用のエレベーターもあって、北側の一番奥にある。
> 入り口は大きく分けて二つ。
> 南側にある正面玄関と、北側の奥にある職員専用出入り口だ。北側の専用出入り口は、そのまま職員用の駐車場に続いている。
「これが、どうかしたの?」
「最初の文を読んでください」
「え? 『S市市役所は、先に述べた通り、四階建てだ』」
「続けて?」
「『一階と二階が各課とその窓口があり、三階には会議室や市長室があり、四階には議会がある。』……ここまでで良い?」
重畳です、とお姉さんは応じ、続ける。
「ここが、あなたには難しかったことです。本来的に謎ではないことが分からなかった部分です。いいですか? 一階と二階に各課と窓口があるということは、住民は、即ちほとんど誰であっても、二階までは行けるということです」
「うん、そうだと思う。でも、」
「でも三階からは違う――ですか? むしろ、その『違う』という認識が、違うのです。三階にも、恐らく四階にも、誰であっても行けた。北側のエリアにも、問題なく行けた」
「……え?」
だって。
それは。
「そういう場所って、関係者以外、立入禁止じゃないの?」
「そうですよ。でも、それは『関係者以外、立入禁止』の看板があるだけです。見張りがいるわけでも、況してや、職員証を持ってないと通れない扉があるわけじゃ、ないんです」
ああ、そうか。
言われてみれば、そうだ。
例えば、ドラマで見る警察署。
アレもお役所の一つだけど、じゃあ、探偵役の刑事さんがカードキーを使って課に戻るシーンを見たことがあるか?と問われたら、一度もない。
普通に玄関を通って。
普通に廊下を歩いて。
普通に自分の課に入り、席に戻る。
「『北側は、職員以外、立入禁止のエリアだ』……。このチャット欄ではそう説明されていますが、それは、そうであるというだけです。そう決まっているというだけで、そう書かれた看板の類があるというだけで、物理的に入れないわけではない」
「……ん? ちょっと待ってよ、お姉さん」
「なんですか?」
「物理的に入れないわけじゃないのは分かったよ。でもさ、普段は住民さんが立ち入らない場所に、見覚えのない人がいたら、職員の人が気付くんじゃないの?」
「そこが非常に面白いところですね」
と、お姉さんは口に手を当てて、また笑った。
「どうして気付くと思うんですか?」
「え? だから、見覚えのない人がいるから……」
「市役所の職員なんて確実に数十人は存在し、恐らくは百人を軽く超えるのに?」
「あ、そっか」
気付かない。
気付くわけがない。
仮に見覚えのない人がいたとしても、「他の課の人間だろう」と結論付けて、終わりだ。
そして。
「いつだったか、私は言いましたよね。『大人は子どもを記号でしか見ていない』と。少し、訂正しましょう――『人間は他の人間を記号でしか見ない』」
住民が立入禁止のエリアに、堂々と。
言い換えるならば、「普通に」。
ごく普通に存在していたならば、職員は、自分とは違う課の職員だろうと判断する。
「また、これも面白い点なのですが、職員と住民、つまり部外者を判別する手段は、ほとんど存在しないのです。だって、ちょっとばかり気を遣う人間ならば、“市役所”という場に沿った服を着てくるでしょうから」
つまりは。
スーツやオフィスカジュアル。
市役所職員の服装はスーツやオフィスカジュアルだが。
職員以外でも、スーツやオフィスカジュアルは着る。
両者を見分けることは、できない。
だからこそ、人は、相手が立っている場所で判断する。
窓口の内側か、外側か。
内側にいれば職員、外側にいれば、まあ、大体は住民だろうと。
「だとしても、職員と住民、つまりは部外者、その両者は、吊り下げ名札に書いてある文字列で判別できる。『S市市役所住民課』ならば職員、『○×工業建設部』ならば、部外者。ですが、」
ですが、とお姉さんは言った。
「名札のデザインなんて、そう凝っているはずがありませんし、ちょっと似せた様式にすれば、誰も分かりませんよ」
犯人は、スーツを着て、吊り下げ名札を首から掛けた。
そうして、ごく普通に市役所を闊歩したのだ。
あるエリアでは住民として、またあるエリアでは、職員として。
●
その後、お姉さんはチャット画面に解答を打ち込み。
それは勿論、正解だった。
> 事件後にS市の市長は変わったわけだけど、新市長の最初の仕事は、S市市役所職員の名札改革になった。
> それ以降、S市市役所職員の名札は、色付きのものとなった。
> A課なら水色、B課ならオレンジ色……という風に。
> 誰でも、一目見て、「相手がどの課の職員か」を判断できるように。
……なんて。
アルマお姉さんから見せられた文章が、ある市役所の醜聞の、エピローグということになるのだろう。
「犯人の男の人は、なんでそんなことしたんだと思う?」
「興味本位でしょう。職員と住民の服装が変わらないということに気付いたある男が、悪戯のつもりで、職員のフリをしてみた。悪戯は成功し、そして、繰り返されることになった。何度目かの悪戯で、遂に市長室を狙ったんじゃないでしょうか」
僕の疑問に対し、僕のホームズはあっさりと回答して。
続けて、「あ、そうそう」と話題を変えた。
「眼帯君にはもう一つ、不利な点があったんです」
「謎解きに関して?」
「はい。これも、大人になって、市役所に行ったり、働き出したりすれば分かることなのですが、市役所にせよ町役場にせよ、内線があるんですよ。市長を直接、呼びに行く職員なんて、多分ですが、存在しないんじゃないですかね」
そう言えば。
問題の文章でも、「内線で確かめた」という情報が出ていたっけ。
「そして、大抵の市役所の場合、市長室の隣は秘書室になっており、何か用件があれば、まず秘書に取り次がれると思います。だから、そういう意味でも、最初から変な話だったんですよ」
ま、ですから、と。
お姉さんは最後にもう一度、笑った。
「市長になんてすぐには会えないわけで、そういう意味では眼帯君の言ったように、偉い人――なんでしょうね」
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