第30話 消えた大麻 問題編&解答編



参考:エラリー・クイーン原作『エラリー・クイーンの新冒険(The new Adventure of Ellery Queen)』より、『神の灯(The Lamp of God)』





 僕のホームズ、つまりは、御陵アルマお姉さんが最高の名探偵であることは言うまでもないけれど、レストレード役に落ち着くことが多い、鞍馬輪廻さんも、名探偵であることは間違いがない。

 もちろん、お姉さんには劣るけどね。


 鞍馬輪廻。

 僕達は「リンネさん」って呼んでいる。

 彼は、ソーシャルワーカー?という、名前を聞いただけではどんな内容なのかピンと来ない職に就いていて、どうやらそれは、人助けをするのが仕事らしい。

 そんな風に、仕事柄、多くの人と知り合うから、リンネさんは謎に遭遇することもあって、時折、話してくれる――そしてお姉さんが華麗に解決する――わけだけど、当然、お姉さんに相談するまでもなく、リンネさんが解決しちゃった事件も、沢山あると思う。


 ……ただの想像だけど。

 だって、解決した事件をわざわざ話すようなことを、リンネさんはしないからね。


 ミステリものの刑事さんと違って、ちゃんと守秘義務を遵守する大人。

 それがリンネさんなのだ。


 僕としては少し、残念だけどね。







 僕は鞍馬輪廻。

 N市社会福祉協議会に勤めるソーシャルワーカーだ。


 『ソーシャルワーカー』は、説明するとなると、ちょっとややこしかったりするので、僕は大抵、「困り事を抱えた人の話を聞き、解決法を一緒に考える仕事」という風に説明している。

 お話を聞いて、一緒に考えることが、僕の仕事の八割を占めている。


 だから、その日、公用車で事務所に帰る途中、山沿いの地域で神原さんをお見掛けした時も、僕は知り合いの空き地に車を停め、声を掛けることにした。

 お話を聞いて、一緒に考えるためだ。


「神原さん、こんにちは」

「あら。あらあ、鞍馬さんかあ?」

「そうです、N市社協の鞍馬です。こんにちは」


 白杖を突いたおばあちゃんは、細めた目で僕の方を見る。

 しゃりん、と杖に付けられた鈴が小さくなった。


 神原さんは、うちの社協が関わっている利用者さんの一人だ。

 視覚に重い障害がある方で、目はほとんど見えない。

 認知症も進行しており、ここにいるということは、多分。


「ちょうど良かったあ。鞍馬さん、お手数なんやけど、家の前の通りまでの行き方、教えてくれんかなあ?」


 ……予想通り。

 帰り道が分からなくなっておられるのだ。


 これは「見当識障害」と呼称するのだけど、時間間隔や今いる場所が分からなくなってしまうもので、認知症の症状の一つだ。

 認知症の患者さんが行う、俗に言う「徘徊行為」は、この見当識障害が原因だ。

 今住んでいる家を、自宅と認識できないから、家に帰ろうとして自宅から出てしまう。


 神原さんの場合、もう少し症状は軽い。

 家に帰る道筋は正確に覚えている。

 正確に覚えているのだけど、情報が数十年前のものなのだ。

 だから、記憶に従って道を選んでいくと、あらぬ場所に辿り着いてしまう。


「もちろんですよ。お家の前までエスコート致しますので、お手を取っても構いませんか?」


 僕がそう言うと、神原さんは「いややわあ」と嬉しそうに笑った。


「若いお兄ちゃんにそんなことされたら、照れてしまうわあ。でも、お願いしよか」

「はい。では、失礼して」


 そうして僕は彼女の手を取り、歩き出す。


「おかしいなあ。道は、覚えとるはずなんやけどなあ」

「この辺りは最近、大きな団地ができて、道が変わったんですよ」

「そうなんかあ。どおりでなあ」


 団地ができたのは、僕が小学校の頃だったと思うけれど。

 それは言わないお約束だ。


「この辺は夜も暗くて、物騒なんですよ」

「あらあ、なんかあったんかあ?」

「そういうわけじゃないですが、街灯くらいしか灯りがないせいで、転ばれたりする方がたまにおられるんです」

「そうなんかあ」


 加えて、暗く、人気のない山沿いの地域だから、野生動物も出る。


「それにしても情けないことやわあ」

「お気になさらないでください。団地って、同じような建物ばかりですし。実は、僕達社協職員も道を間違えることがあるんです」


 内緒ですよ、と付け加える。

 これは本当の話。


「ありがとうなあ」


 神原さんを団地奥の自宅近くまで送り届けると、僕はお別れを言って、走り出した。

 ミーティングがあるんだ、早く事務所に戻らないと。







 僕の職場であるN市社協に椥辻刑事が来るという、珍しい事態があったのは、七月下旬のことだった。


 その日の午前、職場に僕宛の電話が入った。

 電話を受けたパートさんが言うに、警察からだという。

 当然、事務所はざわついたけど、居留守を使うわけにもいかない。


「はい、鞍馬ですが」

『鞍馬か? 私だ』


 電話口にいたのは椥辻小梅刑事だった。

 僕は受話器を押さえ、「警察の知り合いでした」「お騒がせしました」と同僚達に詫びて、こう言った。


「『私だ』じゃないですよ、椥辻刑事。びっくりさせないでください。あと、振り込め詐欺じゃないんですから、ちゃんと名乗ってくださいよ」

『そりゃ悪かった。警察の椥辻だ』

「今日はどうしたんです? 携帯じゃなく、職場に掛けてくるってことは、仕事に関係することですか?」

『察しが良くて助かるよ。今日の午後、時間あるか?』

「午後ですか? えっと、大丈夫です」

『府の組対(そたい)(※組織犯罪対策●課)の人間と、そっちに行く』

「組対ってことは、暴力団とか、薬物とかの話ですか?」


 ああ、と同意し、彼女は続けた。


『取り調べ中の奴が吐いた。「N町の団地で取引していた」とな。ただ……』


 言葉を濁した椥辻刑事は、「詳しくはそっちで話す」と言い、電話を切った。

 僕が「警察が捜査で来るそうです」と説明すると、また職場はざわつくことになった。







 お茶を運んできた後輩は、恐る恐る、という風に二人の前に湯飲みを置くと、すぐに相談室を出て行った。


 ……まあ、当然と言えば当然。

 椥辻刑事は美人だけど視線が物騒だし、隣の男性はヤクザのような強面だ。

 にこやかに談笑できそうな雰囲気ではない。

 こう言うと失礼だけど、福祉職には向いてないだろう。こんなに圧のある相手では相談者も話しにくくて仕方がないはずだ。どうか警察で頑張ってほしい。


「改めまして、この社協に勤める鞍馬輪廻と申します。ソーシャルワーカーを勤めています」

「お時間を頂き、すみません」


 強面角刈りの刑事さんは草海道さんというお名前で、京都府警の組織犯罪対策課に所属されているという。

 今回はここ、N市に関連する薬物事件の捜査を担当されており、所轄の刑事部の刑事である椥辻さんと組んで捜査をしているということだった。


 二人が言った内容は、このようなものだった。

 府内で違法薬物販売の案件があり、その購入者、つまり麻薬常習者の一人が、「N市の団地で買った」と吐いた。

 N市は幹線道路が多数存在するため、取引に都合が良かったらしい。

 程よく田舎だから、警察の目もそこまで厳しくないしね。


 警察はすぐ様、その団地の一室に踏み込んだが……。


「そこにいたのはな、鞍馬。ごく普通の夫婦だったんだ」

「……あの。非常に言いづらいんですが、」

「部屋を間違えたんじゃないか――と言いたいんだろ? それくらい、私達も考えたさ。可能性があるとすれば、証言が間違っていただ」

「大麻でしたっけ? その購入者の方は、どう証言されたんですか? 良ければ、お伺いできればと思うんですが……」


 鞍馬、と。

 ピシャリと女刑事が否定の言葉を口にした。


「悪いんだが、私達はお前の助言を聞きに来たわけじゃない。N市社協の人間として、その団地か、あるいは麻薬に対する噂を聞かなかったかを訊ねに来たんだ」

「そうですよね。すみません、出しゃばった真似を」


 意外にも、と言うと失礼になるだろうけど、「まあまあ」と場を取りなしたのは、如何にも規律に厳しそうな、草海道刑事だった。

 どうやら椥辻刑事よりも階級が上らしい彼は、言う。


「お伝えするだけ、お伝えしてみてもいいだろう。なに、容疑者の氏名といった子細な情報をバラさなければ問題にはならんさ」


 ダメで元々、という思いが裏にはあるように感じられたけれど、もしかしたら、僕が何度か、椥辻刑事の捜査に協力したことを知っているのかもしれない。


 ……うーん、警察界隈とか、そんなところで名を上げたくはないんだけどなあ。

 僕は主役より、裏方的な役目の方が好きだ。

 だからこの仕事を選んだのかもしれないけれど。


「場所は、N市の団地。住所は先に述べた通りです。街灯があるところが正面だから、そこから団地に入れ、と。盆踊り大会の看板があるところを右に曲がり、植え込みに突き当たるからそこを左。階段があるので、×階まで上って、〇部屋目……ということでした」


 あ、と刑事さんは手を合わせる。


「秘密でお願いしますね、これ」

「畏まりました。信用していただいて大丈夫ですよ、僕達にも守秘義務がありますので」

「鞍馬。言っておくが、『看板を移動させていた』なんて可能性は、既に検討しているからな」


 一気にお茶を飲み干し、椥辻刑事が言った。

 僕は手元のクリップボードに簡単に団地の地理を書き込み、二人に見せる。


「こんな感じですよね。左上からA棟、B棟、C棟とあり、その三つの棟の南にはD棟、E棟、F棟、更に南には、G棟、H棟、I棟と……。入り口はG棟の南にあって、盆踊り大会の看板はG棟の西側にある」

「そうだな」

「九つの棟を囲むようにある線が植え込みですね?」

「はい」


 草海道刑事の問いに首肯し、僕は訊いた。


「取引って、夜に行われていたんですか?」

「どうしてそう思う」

「街灯を目印にしてたそうですし、昼間だと人目に付きますから」

「その通り。数日前の夜中でした」


 なるほど。

 夜、か……。

 ならば。


「じゃあ、こうしたんじゃないですか?」


 万年筆で、図に書き込みを入れる。


「まず看板を、D棟の西に移動させる。そして、B棟とE棟の間に壁を作る。これなら、取引場所はB棟になりますよね?」


 結果。

 大麻は見つからない、というわけだ。


 異を唱えたのは椥辻刑事だった。


「ちょっと待て、鞍馬。簡単に言うが、仮の壁なんて、そう簡単に作れないだろう」

「え、作れるでしょう?」

「どうやってだ」

「ただの壁じゃなく、植え込みなわけですから、植木鉢を並べればいいんです」


 病院や駅で、葉が生い茂っている、背の高い植物を見たことがないだろうか?

 あれは「オウゴンカズラ(ポトス)」という人気の観葉植物で、大きいものでは、高さが二メートル近くになる。

 購入者の身長がどの程度かは分からないが、170~180だとしたら、並べられているポトスを見て、「ここが言われていた植え込みだな」と判断してもおかしくはない。

 しかも、あの植物は葉が多いのだ。

 向こう側にまだ団地が続いているなんて、気が付かなかっただろう。


「そんな馬鹿な……! いくら目の前が壁でも、団地の棟はそれよりもずっと高いんだから、歩いている時に気付くだろう!」

「気付くでしょうか?」

「気付くだろ、灯りで!」


 僕は言った。


「あそこの団地、防犯灯がないんで、夜は真っ暗ですよ?」


 建物の裏手に回れば、部屋の光が漏れているだろうが。

 正面玄関から入り、真っ直ぐ指定の場所に向かったのなら、恐らく気が付かない。


 椥辻刑事はまだ、釈然としなさそうな顔をしていたが、再び、草海道刑事が「まあまあ」と間に入った。


「結局、社協さんには不審な話は入っていないそうだし、良い知恵を貰ったと思えばいいじゃないか。このお兄さんの推測が正しいかどうかは、捜査を続けて行けば分かる」

「……そうですね」

「それでは鞍馬さん、今日はありがとうございました。もし、薬物や暴力団の噂を聞いたら、お渡しした名刺にご連絡していただけると助かります」

「いえ、こちらこそ、出しゃばった真似をしました」

「ははは」


 組体の刑事は「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥ですよ」と小さく笑った。


 確かに。

 こんなお粗末なトリックに翻弄され、密売人を取り逃がしたとなれば、警察はいい笑いものだろう。

 一市民としては、彼等の捜査が順調に進むことを祈るばかりだ。







 その後のことは、僕は何も聞いていない。

 でも、次に会った際に椥辻刑事が「ありがとうな」と言ってきたので、多分、犯人は捕まったんだと思う。


 それにしても、麻薬か……。

 違法なものに頼らなければならないほどの生き辛さを抱えた人達が、社会にはいて。

 僕達は、そういう人が生まれないように努力しないといけないけれど、中々上手くはいかなくて。

 せめて、購入した方や、密売人の方が罪を償われた後に、社会に戻る支援ができればいいんだけど。


「鞍馬さん、鞍馬さんか? どうしたんやあ?」


 と。

 訪問先から車に戻る途中、僕は神原さんに声を掛けられた。


「こんにちは、神原さん。鞍馬です。よくお分かりですね」

「お邪魔しましたー、いう挨拶の声が聞こえたからなあ。それより、鞍馬さん、お手数なんやけど……」

「はいはい、なんでしょうか」


 僕は鞍馬輪廻。

 N市社会福祉協議会に勤めるソーシャルワーカーだ。


 探偵でも刑事でもない僕は、今日も困り事を抱えた人の話を聞いて、一緒に考えている。



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僕のホームズ、紹介します! 吹井賢(ふくいけん) @sohe-1010

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