第28話 ある市役所の醜聞 問題編



参考:ギルバート・キース・チェスタトン原作『ブラウン神父の童心(原題:The Innocence of Father Brown)』より、『奇妙な足音(原題:The Queer Feet)』

   エドガー・アラン・ポー原作『盗まれた手紙(原題:The Purloined Letter)』





> もし友人諸君が、あのS市の某市役所職員が職務中にS市市役所に入ってくるのに会ったとすれば、彼がコートを脱ぐ時にお気付きになるだろうが、彼が首から下げている名札は一般のそれとは違って、白ではないのである。


 チャット欄に並んだそんな文章を見せられたのは、とある三月の下旬のことだった。

 きっと僕は「なんだろう、この長い文章は?」という顔をしていたんだろう。

 お姉さんは、『ブラウン神父』シリーズのオマージュですね、と補足した。


 ある穏やかな昼下がり、僕はいつものようにアルマお姉さんの病室で勉強をしていて、お姉さんは、タブレット端末でチェスをしていた。

 分からないところがあったらお姉さんに質問をして、お姉さんは事も無げに答えて、そうしてまた、二人共、自分の作業に戻る。

 ……うーん、僕の勉強は「作業」だけど、お姉さんはネットの友達と遊んでいるわけだから、「作業」ではないかな?


 と、そんなことを思いつつ、問題集の空欄を埋めていると、


「ふふっ」


 小さな笑い声が聞こえた。

 声の主は、当然、お姉さんだ。


「お姉さん、どうかしたの?」


 僕が問い掛けると、お姉さんは言った。


「眼帯君、勉強が一段落したら、面白いものをお見せしますよ」

「……面白いもの?」

「はい。あなたの好きな、謎の話です」


 そんなやり取りの末、お姉さんに見せられたのが、冒頭の文だった。

 文章はこう続いていた。


> もし(友人諸君がS市に赴く暇があったとして)その理由を尋ねたとすれば、恐らくその人物は、市民の方と間違えられないようにするためさ、と答えるだろう。


 次いで、アルマお姉さんからの返信。

 『急にどうしたのですか?』。

 文章の主は、言葉遣いを普段のものに戻したらしく、ラフな口調でこう記していた。


> この時期になると、ある市役所の大失態について思い出すんだよね。

> もう何年も前の話だし、表沙汰にはなっていないから、話して大丈夫だと思うけれど。

> 折角だから、推理してもらおうかなって。


 スクロール。


『構いませんよ』

『きっと、取るに足らない謎でしょうし、』

『「『ブラウン神父』シリーズのその文句をパロディした」というだけで、大方の予想は付いていますが』


> あ。

> しまったな。

> じゃあ、笑い話として聞いてもらおうかな。


 アルマお姉さんは言った。「彼女は『ディオゲネス・クラブ』の友人の一人ですが、この謎に彼女の素性や性格は関係ありません」。

 僕はこう返す。


「お姉さんは、もう謎を解いちゃったんだよね?」

「ええ、まあ。ですから、小説で言うならば回顧録として楽しんでいただければ」

「僕のホームズの活躍を見れないのは残念だけど……。うん、分かったよ」


 そうして、僕は知ることになる。

 ある市役所の醜聞について。







> S市は、ごく普通の町だった。

> そしてS市には、ごく普通の市役所があった。

> 市役所は四階建てで、一階と二階には各課の窓口があって、三階には会議室や資料室のような市役所職員が利用する部屋に、市長室があった。最上階である四階には議会会場や議会事務局が入っていた。


 僕は訊いた。


「お姉さん」

「なんですか、眼帯君?」

「僕、市役所って行ったことがないんだけど、大体、何処もこんな感じなの?」


 アルマお姉さんは「そうですねぇ」と少し悩んだ様子を見せて、やがてこう言った。


「細かな違いはあると思いますが、何処の市役所も、似たようなものだと思いますよ。一階や二階に窓口があり、三階や四階に会議室や他の課――住民が普段訪れない、総務や土木・建設関係の課があり、最上階に議会がある。私もさして、市役所や町役場の構造に詳しいわけではありませんが」

「ふーん……。てっきり、市長室が一番上にあるんだと思ってた。一番偉いんだからさ」

「建前で言えば、“一番偉い“のは、有権者である市民ですね」


 と、お姉さんは折り紙を始めながら続ける。


「その次が民主主義の根幹たる議会、首長はその次です」

「そんなものかなあ」


 画面に視線を戻す。


> ある年の三月。その年は、統一地方選挙が行われる年で、S市も、にわかに慌ただしくなっていた。


 僕はまたお姉さんの方を向いて、訊ねた。


「統一地方選挙って?」

「文字通りに、統一された年に行われる地方選挙ですね。三月から四月に掛けて、全国的に、一斉に、首長や議会議員の選挙を行うんです」

「へー……。そんなのがあるんだ」

「まあ、ここでは、何処の市町か特定されないようにする以上の意味はないと思いますが」


 お姉さんがマウスを操り、チャット欄がスクロールされる。


> S市の選挙日は四月某日。事件が起こったのは、三月の中旬のことだった。

> S市市長の機密文書が盗難に遭ったのだ。


「機密、ね……」


 馬鹿らしそうにお姉さんが小さく笑う。

 市長如きがどんな機密を持っているのだろう、と思っているのかもしれない。

 ……僕の考え過ぎかな?


> 三月も中頃を過ぎた某日のこと。

> ある平日の午後だった。

> 三階の市長室の戸が叩かれた。

> 「どうぞ」とS市市長は応答した。

> 扉の先に立っていたのは、スーツ姿の若い男性だった。

> 「失礼します」。男は言った。「一階窓口の方に、○×工業の取締役がお越しです。なんでも、選挙に関することだとか……」。

> 市長は、すぐに手帳を確認した。来客の予定はなし。しかし、○×工業の社長が、しかも選挙のことだと言うならば、対応しないわけにもいかないだろう。市長は「分かった」と言って、市長室を出て、一階に向かった。


 しかし、と文章は続く。


> しかし、一階の総合案内窓口まで行ってみても、それらしい人影はない。

> 「○×工業の取締役がお越しになっていると聞いたのだが」。市長は窓口係に訊いた。

> 窓口の若い女性職員は言った。

> 「いえ、お越しになっていないと思いますが……」。

> 女性職員は、課内の人間にも確認し、内線で他の窓口にも確かめた。けれど、やはり○×工業の社長は来ていないらしい。

> 「もう帰ってしまったのだろうか?」。市長は首を捻りつつ、ありがとうと告げ、市長室に戻った。

> そこで市長は気付いた。机の上に置いていた機密文書がなくなっていることに。


 僕は息を呑んだ。

 隣のお姉さんを見る。

 でも、お姉さんは、折り紙を取り出してすらいなかった。

 こんな謎、考えるまでもない。

 そう言外に主張するように。


> 市役所の構造を補足しておこうかな。

> S市市役所は、先に述べた通り、四階建てだ。一階と二階が各課とその窓口があり、三階には会議室や市長室があり、四階には議会がある。

> 建物は南北に長く、どのフロアも南側と北側に分けられる。南側は窓口があるエリア。北側は、職員以外、立入禁止のエリアだ。南側と北側の境目に階段があって、その隣には住民用のエレベーターがある。職員用のエレベーターもあって、北側の一番奥にある。

> 入り口は大きく分けて二つ。

> 南側にある正面玄関と、北側の奥にある職員専用出入り口だ。北側の専用出入り口は、そのまま職員用の駐車場に続いている。


「退屈な謎ですね」


 言いながら、お姉さんはキーボードを叩いた。


『一応、盗まれた文書の内容について訊いておきましょうか』


> 詳細は聞いてないけれど、なんでも選挙に関するものだったとか。市長はそれはもう必死で探し回ったらしく、全職員の机や鞄を調べさせたんだって。


 そちらの方が醜聞ですね、とお姉さんは冷ややかに感想を述べた。

 確かにその様子を想像すると滑稽な気もする。


> 幸いにして、と言うべきか、この事件は表沙汰にならなかったし、今となってはもう、その文書も効力を失っている。選挙は終わっちゃったからね。その後の選挙で、S市市長は落選したから、そういう意味でも、今となっては笑い話だ。

> これが、S市市役所の醜聞。


 お姉さんは、ふう、と溜息を一つ吐き、チャット欄にこう打ち込んだ。

 『じゃあ多分、事柄があまりに単純過ぎて、彼等を当惑させたんだな』と。


「さて、眼帯君。私の返信はエドガー・アラン・ポーのオマージュですが、この事件に関しては、これ以上でも、これ以下でもありません。げに難しきは、知力を一致させること、です」

「……え、これだけで真相、分かっちゃったの?」

「まあ、概ねこうだろう、という予測は立てられました。さて、眼帯君。物事の基本は応用です。この事件は、私達が扱ったある事件と非常に似通っています。今回は解けるでしょうか?」



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