第二集 『御陵あるまの追憶』 あとがき



 はじめましての方ははじめまして、

 そうでない方はいつもお世話になっております、ふくいけんです。




 さてさて、第二集『御陵あるまの追憶』は如何だったでしょうか?


 タイトル通り、第二集は思い出話が非常に多くなっています。

 第一集に比べて、『御陵あるま』『“僕”』『鞍馬輪廻』というメインキャラクター達をそれぞれ掘り下げた結果です。

 どうですか?

 彼女等・彼等に対する印象は変わりましたか?


 前のあとがきにて、「十一話・十二話は最終回の案の一つだった」と述べたかと思いますが、今回のラストのエピソードである『私の身体に流れるものは』も、同じく最終回の案の一つとしてあったものです。

 今のところ続編は執筆していませんので、一応、最終回です。


 実は最終回の案はまだ幾つかあるため、あと何シーズンかは連載することができるのですが……。

 “僕”が記憶を取り戻す話や、御陵あるまが退院することになり彼女等の日常が終わることになる話、あるいは、あの因縁の彼とあるまが再会し、激闘の末に崖の下に落ちる話、という風に、案自体は存在しています。

 なので、また気が向いたら続きを書くことになるかもしれません。

 その時はどうぞ、よろしくお願いいたします。


 正直、連載中からずっと長編(連続殺人モノ)を書きたいと思っているので、シャーロック・ホームズシリーズと同じように長編のみで一つ書くかもしれません。

 まあ、トリック考えるのが大変なので分かりませんが……。


 無論、続きがあるとしても、読む読まないは読者の方々の自由です。

 「この終わり方が一番綺麗だ、後は蛇足だ」と考えるのであれば本を閉じて頂ければ良いですし(スマホを置く? パソコンの電源を落とす? かな?)、作中でも散々書かれたように、真相が素晴らしいものだとは限らない。

 歪な彼女等のことですから、最後に残るのは苦さだけかもしれない。

 だとしたら、物語としてはここで終わってしまう方が幸せだ、と考えるのも間違いではないと思います。


 設定として続きがあるだけで、描かれない以上はないも同じで、作品になったとしても読まなければ存在しないのと同一です。

 「そうして、僕とお姉さんはずっと、この場所でそれなりに幸せに暮らしていきましたとさ」――そんな終わり方が一番良いのかもしれません。




 最後くらい、真面目な解説をして終わりましょう。

 意図を汲み取れた方には蛇足でしかないのですが、「そういう意味だったのか、全然分からなかった」という感想を友人から頂いているので、一応、補足説明を入れておきます。


 最終エピソード、『私の身体に流れるものは』の解説です。

 とは言っても、「実は真犯人は別にいた!」というトリックの話ではありません。




 ……作中、最終盤に「目上の人間を車に乗せる際のマナー」の話が出てきているのですが、覚えていらっしゃるでしょうか?

 要約しますと、「人間(=ドライバー)は危機が迫った際に反射的にハンドルを右に切る(≒自分を守ろうとする)ため、助手席が最も危険」という内容でした。


 加えて、第二十三話の詩や御陵あるまの台詞の中で、「私がどうして生きているのか」という旨の言葉が幾度となく出てきていることはどうでしょう?

 覚えていますか?


 第二十三話から最終話にて、時折挟まれる独白は、御陵あるまのものであり、犯人である一里塚優子のものです。

 二人は生い立ちや精神的な部分に非常に似た存在であり、あの回想も、どちらのものでもあります。

 また、御陵あるまは一里塚優子と対峙した際に「自分がどうして生きているのか考えろ」と問い掛けています。


 これらの意味、分かりましたか?



 ……この二人は、どちらも交通事故で母親を亡くしています。

 そして事故が起こった瞬間、彼女達はどちらも助手席に乗っていました。

 「危機の際、咄嗟にハンドルを右に切る」とするならば、死んでいるのは母親ではなく、彼女達でなければおかしい。


 だとしたら、どう考えることができるか。

 ―――「事故の瞬間、娘を守ろうとハンドルを左に切った」と推測するのが妥当でしょう。


 どれほど素っ気なくとも、共に過ごす時間が短かろうとも、彼女等の母親はそれぞれ、彼女達のことを愛していた。

 分かりにくかったとしても、そこには愛情があった。

 それ故に、瞬間的に庇うことができた。


 「どうして生きているのか?」という問いは、「何を目的に生きているのか」という意味ではなく、「何故今、生きることができているのか」を訊ねていたのです。

 あるいは、自問自答していたのです。


 「何を目的に生きているのか」という意味ではなく――つまり、その問いの答えに「自分を認めさせる」「自分を見て欲しい」という回答を出すのではなく、「何故今、生きることができているのか」と捉え、その疑問に「母親は自分を愛していてくれた」という解答を出せたならば。

 きっと、結末は違ったでしょう。

 そしてそれこそが、彼女等の決定的な差でもあります。


 『私の身体に流れるものは』。

 彼女達の身体を巡っているのは、なんだったのでしょう。


 きっと、溢れんばかりの孤独と憎悪と悲哀と――少しばかりの愛です。




 ともあれかくもあれ。

 第二集『御陵あるまの追憶』はこれにて終幕です。


 第一集とは変わって、このシリーズでは主要登場人物を掘り下げました。

 最初は読者にとって謎の存在であった『御陵あるま』も『“僕”』も『鞍馬輪廻』も、今ならばその心情は容易に想像できると思います。


 その背景を知り、彼女等・彼等のことを好きになって頂けたなら。

 あるいは彼女等のような憎しみや苦しみを抱いていたとしたら、それをミステリのような素敵なものに昇華しようと思って頂けたならば。

 それが作者にとって、最高の喜びです。



 ではでは。

 ふくいけんでした。



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